まちあるき 散策

由比到着

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由比に到着。
ナマサクラエビとビールで休憩中。
予定は吉原だけど、サクラエビのうまさにくじけました(笑)

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豊橋発、三河大野から名古屋

この土日連休でした。
いいでしょおぉ(笑)
突如思いつき、飯田線で三河大野へ行くことにしました。
友人M.N氏に声をかけてみると二つ返事。
ラッキーだわぁと思いつつ。

豊橋駅飯田線ホームで待ち合わせ。
電車はなかなかの混みようで、平岡へ行くというおばちゃんと同席でした。
豊橋を出て数分後「まもなく本長篠です」というアナウンスには驚いたぞ。
おばちゃんも大爆笑。
本長篠が10分そこそことは特急伊那路より速いじゃないか(爆

1136345266_117 三河大野は谷間の駅。昔は駅舎旅館があったというだけあって、駅前は広い。そこからまっすぐ画廊鳳来館(旧大野銀行本店)に向かってまっしぐら。
鳳来館の建物のあるT字路が秋葉街道の宿場・大野宿の中心付近です。そこから1時間ほどぷらぷらと散策して、旧大野銀行本店の人になる。
旧大野銀行は地元有志の方々の尽力で、今はギャラリー&カフェ鳳来館になっています。
詳細はこちら

朝から何も食べていない午後4時、空きっ腹にビールとパンランチを詰め込みました。
意外なボリュームで、とりあえず命はつなぎとめた(笑
二階では五月人形展が開催されてました。
手が出るような値段じゃなかったので、箸置きを買いました。
入場料代わりです。

帰りは豊川で名鉄に乗り換えて名古屋へ。
別の友人と食事をする話になっているのだ。
金山で合流して矢場町の味千へ。
久しぶりに食ったがまあまあの味だね。
味千といえば青菜炒め。うまかったぁ!
食っているうちに帰るのがおっくうになってきた。
「お泊まりお泊まりうれしいな♪」と囃せば嫁もその気になってにやけ出した。
結局名古屋駅前でお泊まりだわさ。
チェックイン後に駅前のビールバーでギネスを飲んだ。
腹一杯なのにするする〜っとい入ってゆくスムーズさがたまらない。

日曜朝、仮面ライダーディケイドを見たあとはホテルの1階ロビーで朝食。
梅昆布だのタケノコの煮物なんぞがあるもんで、思わずビールに手を出してしまったじゃないか。
くそっ、東横をもうけさせてしまったぞ。
軽くほろ酔い気分でホテルを出て、バスターミナルへ向かう。
このあと矢場町のランの館に行くの。
大須観音へ行きたいという親子連れが運転手にどこで降りたらいいか尋ねている。運転手は一生懸命調べている様子だけれども、言葉からして関西系の人らしくわからんらしい。「ランの館が一番近いと思います」という一応の結論は出たようだけれど、大須に行くなら矢場町で降りるのが正しい。
このおばちゃんたちがたまたま自分らの前の席に座ってたので、矢場町の手前で大須観音への道を教えてあげた。(「知ってるなら教えてあげりん」と嫁が言うもんで^^;)
「ありがとうございました。」とおばちゃん親子は頭を下げて降りていきました。

1136348789_101 1136348789_236 ランの館、ランマニアの集いの場所かよ。
聞いたこともない種類のランが並んでて、根がヲタクなヾ(@⌒▽⌒@)ノはうれしくなってしまったよ。
コンデジのマクロ機能では捉えられないほど小さな花もあった。
胡蝶蘭の大株なんかにもびっくり。こんなに大きくなるもんなんだ!
庭に出るとシャクナゲがいたるところにいっぱい!見事に花を咲かせてました。
その一角にテントが張ってあり、中には商品価値の落ちた洋ランが並んでます。カトレアなら200円くらいからあるし。
うちらは荷物になるとわかっていながら、巨大な胡蝶蘭を買ってしまいました。
胡蝶蘭とデンファレだけは難しいからやめておこうと昔から誓っていたのに、とうとうやってしまった...。
でもランの館に行ってバンダのすばらしさにも開眼したし、パフィオペディルムもやってみたくなってしまった。たぶん置き場所がなくなるまで止まらないんだろうなと思う。なにしろ開花の喜びを分かち合ってくれる人がいるから。

それを抱えて再びバスに乗ると、行きと同じバスだった。
むろん運転士さんも同じ。
一周して戻ってきたのね。

帰路、1000系パノラマスーパーの1C1Dを占拠してビールとサンドイッチで小旅行です。
東岡崎から空いた1A1Bには小さな女の子を連れたおとうさんが着席。
「ンごい!」「うっさい!」「でんちゃきたよ!」「でんちゃさいなら〜っ」
こうして名鉄の人気は維持されてゆくのであった(笑
やかましくてごめんなさい、そういいながらふたりはうちらより先に降りていきました。

豊橋駅にはうどん屋と並んでラーメン屋がある。
時間帯によって、販売しているものが違っているという店です。今日は幸いラーメン屋の時間だったので入ってみた。でっかい胡蝶蘭を抱えてですね
^ ^;
置く場所がなかったので、しかたなくカウンターの上に置きました。
あ、開店祝いみたいだ ^_^
「見事な胡蝶蘭ですねぇ」
ラーメンをつくり終えたおばちゃんが言います。
「これ、高いんじゃないですか?」
「わたしも好きで時々買うんですけど、なかなかうまくいかなくて枯れちゃうんですよぅ」
負けずに「胡蝶蘭は難しいみたいですよね、だから今まで手を出さなかったんですが」と言うと、一時ラン話で盛り上がった。
ランの好きな人はそこらにたくさんいるんだな。
そして胡蝶蘭を買ったことで、ラーメン屋のおばちゃんとささやかな話もできたヾ(@⌒▽⌒@)ノ

改札前に本が落ちてた。
「ちんちん電車の走る町」のタイトルが目に入った。
あたりをぐるりと見回すと、乳母車をひいたおねーちゃん(おかあさん)が、急ぎ戻って拾っていった。
その風景を見てちょっと胸が熱くなったな。
豊橋の人は豊橋市民という括りの中で日々生活をしている。
でも名古屋の人は名古屋という町の中で生活していても、名古屋という括りの中にはいない。
つまり括りとしては大きすぎて、一人では捉えきれない。名古屋市民ではあっても、結局は身の丈サイズの町の中にいる。
名古屋に住んでいた頃には大都市に住んでるっていうことしか感じてなかった。自分が住んでいたところに「町」はなかった。だからこそ名古屋という括りを使っていたのだろうが、同じ名古屋市内でも古出来町とか筒井町あたりは違う。名古屋という括りはをさして重要視してないのだ。彼らには筒井町というくくりがある。220万人も暮らしている名古屋という単位は経済面ではともかく、精神面においては必要じゃないように感じる。
豊橋はどうなんだろう。
38万人都市というのは、やはり自分の手には負えない気がする。
ひとつの町内で暮らすのがせいぜいじゃないんだろうか。分を弁えるっていうのは大切なことなんだな。それが自分を生かす道でもあるんだな。
なんてことをこの二日間の旅行で考えた。
でも豊橋は住みやすい町だと思うよ。

JR高島屋の中にあるBEAU BEL BELLEっていう店のチーズケーキをもらった。口の中でとろけてしまううまさ!
こんど在所に帰るとき、義妹に持っていってやろう!

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妻籠で勝負する

1076785480_114 土曜日から在所に移動して泊まり込み、ディケイドを見てから図書館で津島の達人検定の申し込み手続きをしてきました。その足で友人と妻籠までドライブに行き、飲み食いして写真を撮ってダベる。
表向きは遊びだけれども、妻籠という場所は自分の中では常に緊張感を持って接する所です。町並み保存のウソを見破るとか、自分にしか撮れない風景を探し出すことで、自分の知識レベルというか、スキルを試しておるんですな。
妻籠というテーマパークはほぼ完璧なので、ひとつでも見つけ出せばヾ(@⌒▽⌒@)ノの勝ち。
今回は1勝でした。
1076785480_94 その一勝とは、洋風建築の日本家屋風塗装。
観光客相手の小さな土産物屋だと思うんだけれど(今日は休みだった)、柱にはイオニア風の飾りがついた柱が装飾として建物正面に付けられており、明らかに(擬)洋風建築。こんな建物まで茶色に塗って町並みを統一していることは客に対する欺瞞ですね(笑)いや、徹底したテーマパーク化と呼びましょうか。
わざわざ建築主が洋風として建てた物を和風建築の中に埋没させてしまう妻籠ってのは、ちょっと懐が浅いんじゃないかい?と、やっかんでみるヾ(@⌒▽⌒@)ノ
それにしても充実した資料館、築100年を越えた脇本陣に再現された本陣、なんと充実したテーマパークなんだろう。
まったくうらやましい限り。

友人とは、着いて早々そば屋で飯。
着いたら昼だったんだもん。
まずは一軒目でビール!酒!五平餅!
かつおだしでしっかりと炊かれていた椎茸と昆布の付け出しが大変にうまくて、付け出しだけ無理を言って頼んでしまった^^;
飲み干したあとに二軒目のそぱ屋へ移動してそばがきと揚げそばがきでさらに飲む。

やはり妻籠はいい。
なんど行ってもいい。
こんどはぜひそば屋で飲んだ後に中山道をふらつき、大妻籠あたりで宿を取って空気の張り詰めた冷たい冬の朝を体験したいものだと思った。

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日曜日に街道歩き復活、東海道へ。

まずは日曜日のビール電車・急行くじらやま1号にご乗車いただいた方々、ありがとうございました。
自分を中心に知らない人同士で盛り上がるかどうか大変心配でしたが、取り越し苦労だったようで。二川のお神楽も好評で、大変うれしい限りです。
そんなビール電車に先駆け、封印していた街道歩きが復活。
時間の制約によって、赤坂→吉田の短距離ではありましたが、久しぶりの街道歩きは楽しかったなー!
ちょうど昨年の今頃、ビール電車前にマイミクひろっちとの地獄の街道歩きの終点が赤坂宿で、今回はその続きから。
赤坂の大橋屋に泊まって二川まで歩くんだとかいいながら、そんなことはすっかり忘却の彼方。覚えてはいたんですけど、忘れたふりをしてないと、嫁に突っ込まれますからね^^;

920156071_152 920156071_28 9時過ぎに名電赤坂からに出発。
いと懐かし、大橋屋。
まずは撮影。
尾崎屋という仏具屋さんの古い建物を見て、いつの間にかできていた赤坂宿ポケットパークをながめて、さあ歩こう!
まだまだこのあたりは街道風情がわずかに残ってます。
街道と神社の配置には自由さがあるもんね。
町中に一軒の洋風建築発見。
医者?役場?
なんだかよくわからないけれど、とにかくぱちり。
町の役者ですなヾ(@⌒▽⌒@)ノ

920156071_176 宿場の終わりと同時に松並木が登場するんだけれど、ここの松並木だけがなぜちやほやされるんだろうと、嫁と話題になりました。
静岡県下には松並木なんぞ腐るほどあるんですよ。
嫁とは「松の木が高くて、往時の松かもしれんな」というオチなんですが、いったいなぜだろう。
ちなみに新しい松もどんどん植林されており、いつかはすべての木が更新されるんでしょうね。

松並木が終わったら御油。
ちかっ!
ここもまだ道に変化があるけれど、街道に対して柵や塀を設けている家々も少なくなく、街道風情が殺されていますな。
そう言いながらも、まだまだ古い家はけっこうありますよ。
近所のおばあさんの話によれば昭和初期の家が多そう。
ちなみに松並木資料館は開館前。
また行かないかんがや...。
小坂井町に入って、目的のひとつであった太鼓屋さんに到着。
ここで六調子七穴の篠笛を買う。
誕生日プレゼント、ありがと>嫁
「くじらやまこうじくんへ」と刻印して欲しかったなー(笑)

笛を背負い、昼飯〜。
街道から少し外れた店でラーメン。
注文には、定型文その1が使われる。
「生2つに餃子!」

街道に戻ってしばらく歩き、兔足神社に着く。
相当由緒ある神社だし、有名なおまつりもある神社だから人が常駐しているだろうと思いきや、「御用の方は電話を...」。
御朱印帳ごとき...いや、近在の者だからこそ、わざわざ呼び出すのも申し訳なくて、「なんだよぉ!」と捨て台詞を残して立ち去ったことです。

瓜郷の市場を過ぎると、吉田は近い。
古そうな家屋をたくさん見ていよいよ豊橋(とよばし)に。
間にひとつの宿場を挟んでいるとは思えないほど充実した街道歩きだったなぁ。

大正軒でかき氷でも食うか、と立ち寄れば満席。
じゃあときわへ、といけばこれまた5人ほどが並んでる。さっさと帰ることにしました。
札木へやってきたのは800系電車。静かで、揺れが少なくて快適。

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怒濤の日曜日

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日曜は名古屋へ出て、円頓寺の七夕まつりを見てきました。
昨年も見に行ったけど、なかなか盛況だなぁ。
「ただの張りぼてじゃん」と好意的に皮肉を書く人がいるけれど、よその七夕なんてただプラスチックの飾り物がいっぱいあるだけ。それに比べれば血が通ったおまつりだよ。
一宮の七夕まつりも有名だけど、あれは市内の小学生が書いたたんざくがいっぱいみられるから好き。それ以外はあんまり興味ないな^^;
おっと話が飛んだ^^

円頓寺でははね海老でランチ。いっつもここやな。
まつり会場(円頓寺商店街)では、名古屋友禅の体験と、皮グッズの製作体験をやってました。名古屋友禅がやりたいなーと思いながらもシャイなヾ(@⌒▽⌒@)ノは言い出せず。「あたしやる〜」と嫁が言い出して、そのついでのような顔をしてやってみたよ。
この嫁さんのおかげで、こういう体験ができる。
ホント楽しいなー。
自分が欠けているところ能力を補ってくれてるんだよなー。
さんきゅ^^

以前から知っている久路里さんのお店で嫁のゾウリを買い、円頓寺から名古屋駅へと歩き、浴衣を受け取りに有松へ行く。

浴衣を受け取ってあまりの暑さに「氷でも食おうか」と、イオン有松店に入るけれども、なぜか「小腹が空いた」とラーメンになってしまった。
かつおだしの強いラーメンでなかなかうまかったよ。

帰宅し、早速町内の盆踊りに繰り出す。
嫁は当然新調したばかりの浴衣で。
だれかひとりくらい「絞りだねーすごいねー」と言ってくれるかと期待したのに、ぜ〜んぜんノーヒット。
さみしかった。
けど世間に向けて堂々と「伝統工芸品だよ」と言える見事な有松絞りだから。
ビール電車に参加する人は、ぜひほめてあげてね。浴衣を(爆)
ま、嫁のスタイルにぴったりなデザインなのさ。
えへへヾ(@⌒▽⌒@)ノ

ふらふらになって家に帰る。サイゼリアで遅い夕食。
がーーーーーーーーっ寝る。
怒濤の一日だったけど、楽しかったなー。

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第二回(プチ)大人の遠足

有松へ行ってきました。
有松絞りの浴衣を見に、以前タッチの差で(嫁が)見られなかった山車会館を見るために。有松は交通至便、名鉄沿線に住む友人も誘ってみたよ。この友人が加われば、自動的に「大人の遠足」になるのだ(笑

絞り。
以前好印象を持った店へ直行。
店舗が近頃登録文化財に指定されたそうで驚いた。
保存のいろんな話を、前に訪問したときいろいろ聞いてたよ。
重文ほどではないけれど、あれほどきちんとした状態で残っているのも珍しいと思う。
けれど、中濱家住宅が今にその姿をとどめているのは、以前のオーナーの意志にもよる。ひとりではなんもできんのだなぁと改めて思う。

小一時間ほど悩みに悩んで、浴衣を発注。
「藤原紀香みたいですよぉ」などとおだてられてしまう嫁ヾ(@⌒▽⌒@)ノ
でも本当に見事な絞り柄だよ。
浴衣になってやってくるのが楽しみだ〜♪

876188649_199_2 さていよいよ山車会館。
ヾ(@⌒▽⌒@)ノは二度目。
ここには山車が交代で展示されていて、20日には清安町の唐子車がいた。
唐子が喜ぶ姿が目に浮かぶ^^
今回は客も多くはなく、ゆっくりと見られたよ。
ビデオも見たし、資料本もながめた。
「からくり人形の宝庫」なる本も購入。
珍しく二川八幡の例大祭も山車まつりとして取り上げていてうれしくなったぞ。

はす向かいにある絞り会館も見た。
最近よくテレビにも登場する本間ばあちゃんが絞り実演中。
話し好きのおばあちゃんで、彼女からいろいろと話しかけてくれたよ。
「今日は暑いわなも」なんていう名古屋弁、数十年ぶりに聞いた。
なんだか懐かしいな。

後からやって来た友人と、東海道沿いにあるめし屋で食事。
サイトには数種類の定食しかないのに、実際にはかなり多くのメニューがあって、居酒屋としても機能した(笑)
オクラの天ぷらがうまい!
ただ夕方の早い時間には閉店してしまうので、実際には居酒屋にはならないけれど。

その後「プチ遠足」
いつものように西町山車蔵前のクリエーターズコラボで雑貨を眺めて冷やかす。けっこうにぎわってみたいで、うれしい^^
町にとけ込んでゆく過程がねヾ(@⌒▽⌒@)ノ

有松がうらやましい。
山車まつり、登録文化財、絞り、食事処、若者向けの雑貨屋など、人を集められるものがすでにある。これを宣伝していくことで有松はいよいよ「ちょっといいところ」になっていくのだろう。そして今、環状2号の開通とほぼ同時に有松一里塚を再現するという。
それでも一枚岩ではないようで、「一方通行化反対」などと書かれた看板があった。
電線の地中化、交通規制、まったく夢のようだね。
ぼくの好きなアノ町は3くらいから始めなければいけない。
きっと何もできないんだろうけど、努力だけはしたい。
いつか有松のようになれますように。
「町つくりは一期一会から始まり、人と人との出会いを大切にし、話を広げていきたい」とは有松町つくりの会会長の言葉である。
普段感じているままのことで、自分が持っている町つくりへの考え方が、決して間違っていないことを認識した。

帰りには2201Fが来た。
ポケモン電車だっ!

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東三河の風景 葦毛湿原

868492656_164 868492656_148 暑いときは、うちでじっとしとるのがいちばん辛い!
車のエアコンで涼みながら、近隣をドライブしてきました。
朝はゆっくり10時出発でねハート

まずは「東海の尾瀬」こと葦毛湿原。
シラタマホシクサの季節になると、全国レベルのメディアで取り上げられるんだけど、それ以外は存在すら忘れられていそう^^;
嫁の案内でわずか10分ほど。
あっという間に着いた。
自宅から湿原駐車場よりも、駐車場から湿原までの方が時間がかかったぞヾ(@⌒▽⌒@)ノ

早速ノカンゾウがお出迎え。
あたりはちろちろと水が流れ、一体が薄い水たまり。
あちこちに赤い小さい花が見える。
カワイイ揺れるハート、トウカイモウセンゴケだ。
対象が小さすぎるので、200mmに交換するが、それでも遠く小さい。
500mmが欲しい^^;;

868492656_104 じっと見つめていると、枯れ草の先に真っ赤なトンボがとまっている。
思わず「赤とんぼかぁ?」と言ってはみたけれど、アキアカネは気温によって、赤く染まるはずだから、今どきいるはずがない。
「それは...ハッチョウトンボですよ」と通りがかりのおじさんが教えてくれた。
「この2〜3年、下(麓という意味らしい)にはいなかったんですよ。こりゃ
珍しい」と。
いやー、いいもの見たなー。
しっぽをくいっと上に持ち上げた仕草は一体なんのため?
それにしても、あかいあかい...

そして今日もあまりの暑さにへこたれた。
全域を歩くまでなく、駐車場に降りた。
湿地とはいえ暑いものは暑いのさ。

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梅雨の晴れ間、駿河に踏み込む

861116935_15 今日は金谷から東海道を歩きました。
いよいよ遠江に別れを告げて駿河の国へ。
今朝決めたものだから準備もなく、車での出発。
12km程度だからと油断したんでしょうな、あえなく挫折。
金谷宿から島田川越遺跡まで歩いたところで、沿道にある某製紙会社の悪臭と折からの暑さに負けました。
昨年夏に続いてこの夏もダウン。
10月半ばまで街道歩きは封印します。
その間に資料館やら老舗菓子屋を回っておこう^^

ダウンといっても、今日は楽しみすぎたかも。
東海道から外れて新金谷駅を撮影したり、近所の展示物を見たり。さらには老舗菓子屋を3軒も訪れたりと遊びすぎだな^^;今まできちんと分離してきたのになぁ。
でもまぁ、島田駅にはマーキングしたからいいでしょ、ウンヾ(@⌒▽⌒@)ノ

861116935_240 大井川右岸にある島田の川越遺跡は珍しい展示で、建物のひとつひとつを残すよりも、町並みを保存する形です。しかもその形態が独特で、住んでいる家もあれば空き家もあり、さらに自宅の街道に面する部分だけ公開している家もあるように見受けられました。
まちづくり拠点となる施設もちゃんとあり、地元の人が数人詰めていて、訪れる人を出迎えてくれます。
てぬぐいを買いましたよ。
東海道のてぬぐいに、川越のイラストが入ったてぬぐい。後者は法被のようにたたまれていて、おもしろいぞよ。
川越札のレプリカなんてのもおもしろいよね。
一文銭に札がつけられてるの。

861116935_20 島田宿付近で挫折して、電車で藤枝へ。
菓子屋を訪ねて、帰ったとさ。
今から菓子を食おう。

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東海道を歩く 遠江最後の旅(後)

811384946_115 そこからさらに1.2kmを歩いて、峠の茶屋に到着。
扇屋といって、このあたりではよく売られていた子育飴という飴を商っていた店だけれど、最後のオーナーさんが亡くなってからは、掛川市が管理していると聞いた。

まずはみやげ用の飴を買う。
つぎに自分らの飴を。
おばちゃんが瓶に入った飴を割り箸に巻き付けてくれる。
座ってそれをなめていると...前回は気付かなかった冷蔵庫が目に入った。
のぞき込むとビールが入ってる。
売り物であることを確認して、まずは1本。
ををーーーっ生き返るぅぅ!
「飴なめながらではねぇ...」と、おばちゃんがタケノコの煮物とキュウリの漬け物を出してくれる。
わーーーーっ!
うまいっ!
でもビールもうないよっ!
「ビールあと2本くださ〜い」

そこへおじさん帰還。
「管理人なんですよ」おばちゃんが教えてくれる。
おじさんは「うまそうなん、飲んどるなぁ」と。
ノリのいい嫁、「飲みますかぁ?」飲みかけを差し出す。
おじさん、うれしそうにごくごくと飲む。
この後、約2時間にわたって、ここで遊ぶことになりました。
そばがきを出してもらったり、タケノコを採りに行ったり。
たまに通りがかるお客さんもそれをのぞき込んだりしてた。
「食べる?」
おじさんはお客のおばさんにそばがきを差し出した。
「あたしゃ若い頃にたくさん食べたからいいよ(笑)」ってさ。
「うまいもんじゃない」と言ってたけれどなかなかどうして、うまいよね、そばがき。あたしゃ2杯食ったもの。
そばはここの茶屋で食べられるんだけど、「腰が痛いで最近は打ってない」そうな。
最後はメールアドレスまで交換して「こんどは泊まりにおいでん」と。
あんないいところでぜひ夜を過ごしてみたいものだとつくづく思う。
そして、久延寺の夜泣き石が本当に鳴くのかどうかも....(ニヤリ)

811384946_207 4時半、金谷駅に向けて出発。
けれど菊川の石畳、金谷の石畳に足下をとられて大苦戦。
ビールのせいもあるし急坂のせいもある、石畳は歩きにくいというマイナス材料などによって、ふらふらになりながら、どうにか金谷駅に着く。
あまりに疲れすぎて、大井川河畔まで行けなかったことは悔やまれるが、茶屋ではそれを遙かに超える楽しい時間を過ごしたので仕方ないのだ。

隣の美術館の館長さんもいっしょに入って記念写真。
みんなすらっと細いのに、一目で酒飲みとわかる自分の姿には幻滅した。

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東海道を歩く 遠江最後の旅(前)

1月以来約5ヶ月ぶりの東海道!
待ちきれずに訪問した日坂宿も含まれています。
今日この区間を選んだのは、車という”飛び道具”で入る日坂宿と、歩いて入ることになる日坂宿の印象の違いを実感するため。
いつぞやは中山道馬籠宿でこれをやったのだけれど、どうにも快感なのですよ。
そこで朝から電車で掛川入り!
掛川宿から東へ歩きました。

第一の見所は掛川の七曲がり。
道のオリジナリティはわりと残ってはいるけれど、すっかり市街地化されています。
しばらくは近代的な道をたどりながら、国道一号線や掛川バイパスとからみながら、山岳部へとさしかかります。
日坂宿の入り口で遠江一宮の事任八幡宮(ことのままはちまんぐう)へ立ち寄って、御朱印ををいただく。

810538083_175810538083_226 日坂宿は小さな宿場。
先に訪問した旅籠を通過して、宿場の雰囲気を味わってゆく。
日坂は少しずつ観光地としての宿場の体裁を整えているようで、沿道の古い建築に手を入れているみたい。
将来が楽しみでやんす。

さて、ここからが正念場。
いよいよ難所、小夜の中山に挑む。
日坂を出て一号線を越えると突然に始まる急な坂。
油断すると、そのまま後ろにひっくり返って落ちてしまいそうなほど。
「休憩しよう」というヾ(@⌒▽⌒@)ノの提案も聞かず、「一気に登り切ろう!」などという嫁の一言を聞いてしまったヾ(@⌒▽⌒@)ノがよくなかったのだ。大体下調べ不足だっちゅうの>ヾ(@⌒▽⌒@)ノ

810538083_80s はっきりいって死ぬ思いでよしのぼる。
「はいはいはいはーい」などと津島の車切のかけ声をあげながらも遅々として進まない嫁の足(笑)その横を無言でのぼるヾ(@⌒▽⌒@)ノ。
一刻も早く休みたい。
何度も左右にうねり、のぼりのぼりのぼり...
うねるたびに、こんどは下りか、やれ上りは終わりかと叫ぶヾ(@⌒▽⌒@)ノ。
そんなことが一体なんど繰り返されたか。
坂の左右が突然開け、茶畑が広がったところでやっと休憩。
足を投げ出して、緊急食料のおにぎりをほおばる。
食べ終わって横になるが、あまりに急な傾斜地で腰かけているから、ちっとも体が水平にならないの。おかけで枕不要!(笑)
15分ほど休むが、さして疲れが取れるわけでなく、適当に出発。

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4月の終わりに

4月最後の日曜、午前は東海道関連で白須賀から二川宿本陣資料館へ、午後からは地域の集まりに参加してきました。
地域の集まり=酒(笑)なので、その後はパッタリと倒れ込むように、10時過ぎまで寝てしまい、さきほど起きたところ。
未だ会社の連休が確定しないので、ゴールデンウィークと書くのもしらじらしい^^;

東海道関連では、まず白須賀の勝和餅。
そてつの実があんに練り込んであるここでしか買えない餅。
特別うまそうとも思えないけれど、秀吉に関するエピソードがあったり、猿ヶ馬場の柏餅にも関係があるのではないかということで、街道歩き&歴史好きにはそそる菓子なのであります。
勝和餅を作っている店を探すのが大変(笑)
旧白須賀宿の中程にあるけれど、看板があるでなし、店のたたずまいがあるでなし、店の前にクルマがたくさん止まっていなければわからないような店じゃった。
まるで開店休業のようにシャッターをわずかにあけて営業している状態。
なかをのぞくと菓子屋のカウンターみたいになってたのでやっと気付いた次第。
でも閉められているシャッターには、「勝和餅売り切れました」の文字。
ちぇっ!朝早く来たのにぃ。
まぁいい。うちから近いので、今度は予約してから来よう。
しかしさ、せっかくの名物なんだから、この日もたくさんみかけた街道歩きさんにも食べて欲しいなぁ。
その後は二川へ回って中町の中原屋でかしわ餅と麩まんじゅうを買う。
店先で麩まんじゅうをほおばってから本陣資料館へ。
かしわ餅はただのかしわ餅なので、特に感想なし。

Th_img_0076 今回の二川宿資料館の特別展は「レトロ豊橋の風景展」。
明治末期から戦後の写真集や地図などが展示されておりました。これ、本来なら市立博物館的な施設で行われるべきものと思うけれど、豊橋美術博物館は既にその任にあらずといった感じで、二川がすべての行事を担ってるみたい。
美術博物館は、単なる美術館になりつつある.....

Th_img_9272 昭和初期の札木の写真には旧名古屋銀行豊橋支店が写ってた。
「この建物、この間おれが撮ってた銀行」で嫁にもわかったらしい。
モダニズムばりばりの建物だけれど、けっこう古いのだよ。

二川宿本陣資料館では五月人形展も行われているけれど、レトロ豊橋〜をのんびり見ていて時間がなくなった。また再度行かなければいけない。
「年間パスポートはないのか」と嫁の心から正直な言葉が出た...
本陣資料館の方々、検討お願いします。
今年になって入場料だけでも3000円近く払ってます。

地域の某集会は1時から。
家に帰っていては間に合わないので、嫁だけを会場に置いてゆく。
自宅にクルマを戻して徒歩で会場入りするつもりが、横になったらついつい寝てしまった。
ボウズが帰ってきた物音で目覚めた。
2時やんけ。。。。
「早く来い」とメールがきた(笑)

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前畑の三八市

Th_img_9831 朝から前畑の三八市に出没。
行きは路面電車をながめながら歩き、帰りは丸栄号(751)。

嫁によれば往年のにぎわいはとうに失せたとか。
今日は日曜ってこともあるのか、人出は少なくなかったよ。
八百屋に洋品屋なんかが出てたな。
ちりめんじゃこを買ってきた。
酒のつまみにもいいし、めしにのっけてもうまいもんね。
それに五平餅にみたらし。
ふふ、昼前から飲んでるよ〜ん(^O^)v

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雨の休日

昨日は雨で休みになったっす。
午前中はぐだぐだと過ごし、午後から出撃....
免許証の住所変更に岡崎信用金庫にて口座の開設。
岡信は鈴木禎次の旧岡崎銀行本店を保存・活用している会社だから、なんとなく顧客になれたことがうれしくもあったりします。

771226325_98 その後ふと思い立って、多米街道を市役所に向かって歩くことにしました。
つまり、路面電車の写真を撮りに行こうかなっーてこってすな。
いくつかある歩道橋の上から撮影したり、電停で出待ちしたり。
いろんなアングルから楽しみながら撮って来ましただ。
最終的に豊橋市役所でやめておくつもりでしたが、手持ちの小銭がなく、電車すら乗れない状態。
771226325_66 ヤケで、旧豊橋の親柱を見に行くことにしました。
それは現豊橋の下流200mほどのところに保存されていました。
巨大な親柱で、高さは1m800ほどありそう。
幕府が倒れて以来、現在の橋は3代目。
現在の橋ができるまで、この親柱は現役として使われてきたそうです。
大したものをみた気分になって、しばしその場所にたたずんでました。
向こうに見えるのは現在の豊橋。
手前の石が旧親柱。
夕陽に照らされる豊川の水面。
赤い石巻山。

ついでに豊川の河原で大正六年設置の水位観測所を見つけたし、吉田大橋近辺で、陸軍第十八連隊正門を撮影。
しんどかったけど、けっこう実りある散策でした。

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新居町へ行く

午前中はネット接続に四苦八苦。
設定時はきちんとつながっているのに、ISPの認証段階で蹴られているようで、連絡してみると引っ越した場合届け出が必要だとか。
サービス内容も若干変更になっているためなのかなんなのかはよくわからないまま、とにかく現在無事接続できています。

さてその午後は、新居町に出没。
またまた卯月園のうず巻を訪ねるけれども「売り切れました」の文字。
どうやら午前の販売のみのようで、さらにリベンジが必要。

768073568_180 「昨日は公開していましたよ」と旅籠紀伊国屋資料館のおじさんは言ってたのに、なぜか今日は休みだった小松楼。
嫁に見せてあげたかったのに残念だ。
仕方なく、旅籠紀伊国屋と新居関所史料館へ行く。
ところが、新居関所史料館にあったポスターで、浜松市美術館でやっていた東海道五十三次展が今日までだと知り、史料館はこの次に回してあわてて浜松に走る!
閉館30分前には到着。
保永堂版広重東海道五十三次と、その後の写真との比較展示 が主体で、時間があればもう少し細かいところまで比較して楽しめたんだろうけど、閉館10分前には追い出しの放送が始まるから気が気でない。
走るように見て回ったことです。
宮の古写真は興味深かかった。
宮ほど当時の面影を失った宿場もありますまい。
比較となった古写真たちは、なんとかいう美術館の所蔵品らしいけど、それをメモする余裕もなかったわい ┐('〜`;)┌ ヤレヤレ

帰りは睡魔に負けて嫁に運転を託し、ぐっすりと寝込んでしまった。
「一日寝てた方がよかったんじゃないの?」と言われ、力なく「浜松の企画展は見られたし、良しとしよう」とつぶやいた....

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土・日・三河湾産アサリ

会社で部長採集の三河湾産アサリをいただきました。
よほどたくさん採れたのか、社員にもお裾分け。
社員といっても4人だけどねw
会社の駐車場の愛車のドアミラーの上にそのアサリ袋はのってました。
今夜から砂出し。
明日が楽しみや!
三河湾産アサリ、名古屋ではブランド力がある。

土曜はとっても忙しい一日で、仕事が終わるやいなや豊橋駅前でバイキング。
パスタがうまかった!
あれがホンモノのイタリアンやね(笑
飲みたい天茶は飲んでばかりで、デザートを食うのを忘れた!
おーまいがっ!
その後は知人と飲む。
お祝いまでいただいて、申し訳ない...
深夜に珍客来たる。
思いもかけない客は、時にうれしかったりする。
それを迎えられる喜び(^_^)

740422611_147 日曜日。
夕べの珍客を駅まで送った足で、豊橋公園へ行ってみました。
駐車場にクルマを置いて吉田城内をゆくと、鉄櫓公開中と案内があり、「運がいいねー」と二人して見学するけれど、見物(みもの)は城内再現模型くらいかな。
展望も、この後に寄った豊橋市役所展望室に譲る。

740422611_218 何度か撮影している豊橋公会堂や聖ハリストス教会も見たよ!
ロシア正教徒でもないわたしは外見の見学のみ。
塔屋頂上に止まったカラスはご愛嬌。
ピントが合うとあわてて逃げて行きましたとさ^^

740422611_45 飯を食おうと旧大手通りを南に歩けば、なんとなく魚町に入り、さらに旧東海道に近づくふたり。
そば屋で昼食を取ったあと、やはり東海道に近づいてしまう^^;
偶然見つけた中京銀行豊橋支店(旧西尾銀行豊橋支店)を撮影すれば、その向かいにはみたらしで有名な大正軒を発見!店内に入ると、いにしえの豊橋市内の地図を配布しています、との案内。
思わず「おおっ」と声を出して反応してしまう。みたらしに気を取られている嫁を横目に、「すみません、この地図をお願いします!」

見た物。
歩兵第十八連隊正門。
同歩哨跡。
豊橋公会堂。
聖ハリストス教会。

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落穂拾い先行版 東海道日坂宿

Th_img_9193 日坂ヘ行ってきました。
ついでに子育飴の扇屋へも。
途中ダウンサスが入ったカリーナですら厳しい道もあったけれど、どうにか無事通過。

日坂では旅籠2件を訪ねてきました。
士分用旅籠・川坂屋と庶民用の萬屋。到達していない宿場でも先入りして史跡を見ることも、天茶主義では許されている。

Th_img_9207 Th_img_9245 どちらも公開日が休日の日中だけに限定されているのは、管理がボランティアに委ねられているからでしょう。川坂屋ではにこやかなおじさんが建物について解説してくれるよ。
幕末の建物が今日までどうにか残ったのは、最近まで現役の住まいだったから。それを掛川市が改修し、地元が管理する。
趣味的には萬屋が楽しい。高級旅籠となればある種の形式が求められるが、庶民の宿はさまざまな形式や使用法が存在する。他の地区のものと比べて、違う理由を探るのが楽しい。
萬屋は通り廊下がない。変な感じ(^_^;
でもうらやましい。
ちょっと古い町ならたいていこうした隠れた資産を持っているもの。
豊橋市もこうあってほしい。

帰宅してから嫁に髪をきってもらった。
いつも床屋で切ってもらってた時とおんなじようなスタイルやん(^o^)
「前髪の長さがそろってないじゃん」
「そろえたらボッチャンガリじゃん!」
そうかそうか、納得(^^)

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落ち穂拾い 旧新居宿

土曜は深夜まで二川の某保存会にいて、帰宅後倒れ込むようにして寝てしまいました。
篠笛ってきれいな音色だねぇ。それが太鼓にのると、体を動かしたくなるような”音楽”になる。
自分も少しは練習させていただきました。
「初めてで音が出ればすごいですよ」と言われたけど、初めてではなかった^^;
まずは音を出すこと、それが一番。

日は二川へ行くまでに新居町へ行ってたのです。
「落ち穂拾い」というのは、街道を歩いたあとに残った資料館を見て回ること。
新居は関所と紀伊国屋だけと思ってたけど、甘かった。

Th_img_9051 新居の関は東は浜名湖に面していて、陸路はなし。
つまり東から船で入って西へ東海道が開けているといった仕組み。
その風景が復元されていることがうれしい。
あくまでも模型だから、浜名湖から上陸する目線で関所が見られる。
青空と、傍らに立つ槇と、古めかしい関所のコントラストがすばらしい。
二川に負けないほどのボリュームはあるが、新居そのものの展示が少なかった気がする。

Th_img_9057 昼食をとって紀伊国屋へ。
特に特徴もない旅籠だし、ぼくは関の玉屋の方が好き。玉屋や二川の清明屋にはミセがあっていかにも旅籠だけれど、紀州徳川家の御用を勤めていた関 係か、紀伊国屋にはそれがない。新居にはなかった脇本陣の代わりを務めていたから、そこそこの威厳は保つ必要があったのかもしれない。

紀伊国屋の掲示に「置屋・無料公開」の文字があった。
ボランティアの方がたまたまやってきたので、その人についていった。
路地を入ったところに、置屋はあった。
右から「小松楼」と書かれている。電話は新居50番(笑)

Th_img_9082 Th_img_9096 置屋っていうのは、芸者を置いておく店だと思っていたが、ここでは多少ニュアンスが違うようで、お客をあげていたらしい。ガラスには松、階段には違い棚の ような飾り、手すりは中央部だけ面を落としてあったりする。室内であるにも関わらず、艶々したベンガラ塗り。二階の踊り場は広く、芸者さんの踊りの練習の 場になっていたとか。しかし建物は既に朽ち始めて久しいようだ。
Th_img_9090 中にはいると、芸者さんの写真や、新居の古写真がたくさん飾られている。
小松楼のまえで腕組みをしている”おかあさん”らしき人の後ろに並ぶ3人の芸者。なんとも印象的な写真です。

ここは町の運営ではなく、あくまでもボランティア組織で公開・運営しているそうです。これを新居で保存して行きたいという人の気持ち、これからも残して欲しいという気持ちを込めて、野口英世の肖像画を一枚寄付しました。
ぼくを最後にして閉館しようとしていたのにそれから40分あまりに話し込んでしまいました。
関所、紀伊国屋と整備したんなら、この置屋も文化として保存すべき...というか保存してこそ、新居町の文化財に対する考え方が見えてくると思うんですよ。文化財は観光資源ではないけれど、観光資源にも転用することで、町の発展の一助になるんだから。

問い合わせは新居関所資料館まで。
053-594-3615

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二川のカレーパンとお囃子

就職先も決まり一安心。
午後からまた二川。
「また二川へ行って来たん?」
うちに帰ったら一足先に帰宅していたボーズに言われたよ。

でも今日は保存会の練習予定の再確認でしたの。
そのついでに二川東町と、本陣資料館へ寄った次第。
本陣資料館は、やっと制覇できたかな。
現在は本陣建物内で特別展「おひなまつり」を開催中。
おりしもいつもの肉屋さんのテレビでは展示品である土雛の盗難が伝えられていた。ありゃま!

Th_img_8912 Th_img_8940 東町は一里塚までが宿場町でした。
東の一里塚から東は松並木だったらしい。
今や松並木はすっかりなくなり、東海道線と新幹線が東海道の形状を変えていると思う。
変わらないのは自然の造形物のみ。
江戸時代から奇勝とされた立岩は今も健在で、いにしえの風情をわずかながら伝えている。筋違橋は今でも街道をねじ曲げており「筋違橋」の名にふさ わしいが、過去の筋違橋が現在と同じ場所に同じ向きに設けていたとは限らない。橋の下には古い橋桁が残っているが、それは江戸時代のものではなさそうだ し。

帰りにはいつもの肉屋さんで、二川やまつりの話しをする。
帰りには手作りカレーパンを買った。
ふかふかしこしこ。ボリュームがあってうまかった!

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橋、顔、有松

昨日は実家に戻る途中、相方の案内によって取水場の古い建物と、図らずも、デザインのこった橋を発見しました。
「そこの建物の横に古い建物があるよ!」
さすがに地元民はよく知っておる(^^)v

697229022_240 側面についている3つの顔がなんとも不気味。
どういう意図でこんな顔がついているのか。
豊橋市水道局はこの他にも小鷹野浄水場に旧ポンプ場を持っていて、そちらも近代洋風建築として認識されています。
名古屋の鍋屋上野浄水場にもさらに古い建物があるけれど、名古屋以外ではあまり聞かないし、竣工当時それほど大都市でもなかった豊橋に、明らかに建築費が高そうなこうした建物があるのはなぜだろう。しかもこの建物には装飾まで。なんとも贅沢である!

697229022_253 データの少ない上述の建物を知ったこともありがたかったけれど、そこへ行く間に、なんとも気合いの入った橋を発見!
前述の水道局施設は様々な資料にも載っていて存在は知られているが、この橋は初見。橋は建築物ではないという扱いなのだろうか、建物好きにはあまり興味を持たれていないみたい。
ネット上にもほとんどデータはなく、まるで新しい生き物を発見したような喜びだ!
昭和4年竣工とあるが、これほどりっぱな橋が架けられているということは、細いながらも過去には主要道路であったのか、と想像してみたりする作業は相変わらず楽しい。だって2t車がやっと通れるほどの道幅しかないんだもん。

697229022_84 帰路は一号線をたどって有松へ行ってみた。
またまたタッチの差でまつり会館には入れずじまい。
最近の資料館は閉まるのが早いぞ。
仕方なしに町を少し歩いてみる。
何度も歩いているからツボは心得たものではあるが、その先入観を捨てて、「平成東海道五十三次 天茶版」にふさわしい風景を探しながら歩く。
夕方...まだ暗くなるまでには多少時間があるけれど、観光客、地元民ともに少ない。風景のみがそこにはあって少し寂しい。
西へいくと天満宮があり、そのむかいには山車蔵が、さらに下ると古い民家を利用したクリエイターズこらぼという店がある。
切り絵や小物などを扱っている店であるが、とってもきれいで垢抜けしてて楽しい!有松の新しい名所になるかも!
二階にもギャラリーがあって、古い民家に入れるいい機会でもある。
30分以上冷やかしたあげく、切り絵の絵はがきを買いましたよ。
店を出て駅方向に歩くと、古い空き家があった。
「こんな家に住みたいね」と相方と話しながら、有松を後にした。

有松ー知立間を歩いていない相方のために、知立市内の東海道を少し走ってみる。むろん小松屋のあんまきが目当て!
4つしか残っていなかったつぶあんをゲットだぜっ!

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1/13の日記

この週末はネタ(ネタなのかっ!)がたくさんあり、順を追って話さなければわからないと思われるけれど、天茶の自爆日記はいつの時代も一人よがりの自己満足。
唐突にはじめてしまうぞ^^;

日曜日...
ほぼ5年ぶりの天竜浜名湖鉄道に乗って掛川へ、掛川からは旧東海道を歩きました。
天竜浜名湖鉄道は通し列車で。
座席がさらっと埋まる程度の乗りでとっても快適。
サンドイッチやジュースを飲み食いしながら、温暖な地を乗り通しました。
敷地あたりでは、ハイキングコースでもあるのか、それらしき服装の方々が10人単位で降りていったのが印象に残っています。

東海道は、広重や高力猿猴庵、昭和の池田遙邨が描いた場所をイメージしながら歩きましたよ。広重は中山道も描いているけれど、どちらも多少デフォ ルメしてはいても原型は認められます。同じ物を見たのだろうかと想像しながら歩くのもまた楽しい作業です。しかも今回の区間では、松並木がやたらと多く 残っていました。もっとも江戸時代には、現代ほど建物があったわけではなく、田畑の真ん中を松並木がどーんと貫いていたというような画だったのでしょう。
中山道ではほとんど残っていない松並木が、発展した東海道沿線に多く残されているのは不思議です。

今回は東から袋井宿に入りました。
東口にはどまんなか茶屋があって、「お茶飲んでいきなさい」と勧められましたわ。北西から吹く強い季節風をものともせず、この茶屋は東に戸口をあっぱっぱーに明け、お客を待つのでした。
内部ではいろりが焚かれていて意外とあたたか。
建物は隠れ家みたいで、なんだかかまくらのイメージ。

袋井駅前では、五太夫きくやの菓子を買って帰ってきました。
ちょっと心に支えを残しながら.....

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追いかけて横浜

新横浜から根岸線直通の電車で桜木町駅に降り立った。
「なんだこりゃ〜新興都市のおおざっぱな街作りかぁ」と思った。
ランドマークタワーが見える。
観覧車が見える。
あとはゴジラ、モスラ、バトラがいればゴジラvsモスラが撮れる。
実物はいねが〜。

14時までに中華街に入れればいい。
そこまで約1.5km、2時間弱ある。
知らない町をうらつくことほど危険なことはないので、とにかく妻木頼黄の旧横浜正金銀行を目指す。今では神奈川県立博物館となっていて、国重文。

「なんだかつまらなそうな町だにゃ」と歩いていると、橋のかなたにれんがのたてものがちょっと見えた。
「おっ」
もう少し歩むと正面に銀行系近代建築が見える。
ひゃっほーーーーーい!
突然足取りが軽くなる。

歩けば歩くほど、そんな建物がいっぱい見えてくる。
胸が高鳴る!
動悸が早くなる!
血圧が上がる!

Th_img_7539_2 最初に見えた銀行建築は旧第一銀行横浜支店。
バルコニーがあったり、ドアにライオンの飾りがあったりとっても素敵だわー。
浮かれつつ写真を撮りまくる。
正面にやたら高い建物があって、日照が遮られてしまってることが、大変に残念です。
冬の高い太陽でも陰るということは、「もっと朝早く来い」ということか。
ネット上には燦然と太陽光を跳ね返す同建物の写真があります。
くやしいぃぃぃぃ!
中に入ると白い柱がまるでギリシャ建築のようなそそりたってます。
す・て・き〜 (*ё_ё*)きゅん・・
中から見える範囲に昭和初期っぽい建物がいっぱい。
いくつら写真を撮って出ると、連れが、「奧に修理前の写真があったよ」というので、戻った。
どうやら曳き屋をしたようで、当時の模様がパネルになっておりました。
「こんな本があるよ」連れはめざとい。
それは横浜市広報課と神奈川新聞が共同編集している「横濱」という季刊誌でありました。
ぱらぱらとめくった。
内容が濃いぞ!
基本的に市の広報誌だからか、400円!
安さに驚いた!
普通なら1500円はとっていいような本です。
「ペリーが見た横濱・Japan」と「東海道三宿in横浜」を買った。
ついでに、近代建築散策の友として、都市の記憶という本も。
相方えらい!
よく、発見した!

惚れ直した!

Th_img_7630_2 Th_img_7636

Th_img_7679_4

横浜の地ビールというのも勧められたけど、飲んでいる時間がなかったので、次回の宿題に。連れが「あの人、こういう建物大好きなんです」とおねーさんに言うたそうな。
おねーさん、「ここもいいですよ」と横浜市開港記念館を勧めてくれたらしい。
煉瓦造り風の建物に、ドームがのっかっている姿は、旧日銀京都支店みたいで、かっこいい!
若干道に迷ったみたいだけれど、旧横浜郵船を発見したり、旧生糸検査所、ホテルニューグランド本館、神奈川県庁、旧横浜商工奨励会、横浜税関、旧元安田銀行横浜支店、旧露亜銀行横浜支店等々、いっぱい見られたので十分満足した。
しかし神をわしを見捨ててはいなかった!
開港記念館は神奈川県庁のはす向かいにあったのだ!

当初目的の旧横浜正金銀行本店は見られなかったし、ひとつひとつをじっくり見たわけじゃないんで、これからはそうした建物の細部をゆっくり見物してみたいな。

「遅れたらダメっ」という連れの声にせかされて中華街へと急ぐふたりであった。

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袋井に着くふたり

Th_img_7450 昼食で腹いっぱいになった、さあ歩こう。
袋井は遠くないぞ。
日本最古の洋風建築学校・見附学校は素通りのはずだったのに、意外な高さについつい誘われ見学してしまう。
「10分だけ」とかいいながら、大急ぎで太鼓櫓まで見た。
「無料」の文字には弱いなぁ。

見附宿内の町はどこか秋らしい装い。
さみしいようでいて、けっこう人がいて活気がある。
歩道に埋め込まれているイラストタイルも楽しい。

Th_img_7462 さあ急ごう。
もう日が暮れてしまう。
東木戸跡から左へはいると急坂にかかる。
あまりの急坂に悲鳴を上げる特急天茶に、補機EF63がつく。
特急天茶はそのとたんにノッチオフ。
「あ、力抜いたねー!重いぃぃぃ!」
EF63は悲鳴を上げる。
無事登り切って後ろを振り返れば、見附の町が一望できる。
ここでEF63を開放する(笑)
ごくろうさまでした。

高地を淡々と進む。
しばらく歩いてとうとう来た、三ヶ野。
いろんな時代の道がここに集合している。
今回の楽しみのひとつでありました。
小高い山を越えるのに、いくつもの道が造られた。
そのすべてが残っているというのもなかなか希有なことであります。

Th_img_7478 三ヶ野を無事過ぎると再び町中歩き。
あたりはすっかり暗くなった。
太田川を渡り、木野の集落に入ったときはすっかり夜。
時間は5時なのにぃ...
一里塚も見たけれど、あたりの風情はまったくわからず。
でもしかたない。
「昔の人だってやむを得ず夜歩いたことがあっただろう」と自分を慰めておく。
木野を過ぎて元の道と合流し、再び右へとそれいよいよ袋井宿に入る。
これがなかなかいい町で、宿場の風情があるんだなー。
道は大きくカーブしてたり、洋風の医院跡が資料館となっていたり。
袋井は江戸と京のまんなかだそうで、いたるところにまんなかまんなかと書いてあるのが愛嬌。

6時過ぎ、やっと袋井駅に到着。
電車に飛び乗ってさーーーっと帰る。
浜松まで20分もかかったよ。すごい!
わしらは正味6時間半で歩いたからかなりのハイペース。
ペースカーがいいんだろうなぁ。

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袋井を目指すふたり

日曜日は袋井目指して、東海道を歩くわけですな。
距離21000!(メートル)

Th_img_7315 東海道は浜松の中心街を抜けて行く。
中心街と言ってもどことなく垢抜けしないのが旧街道の道。
時には雰囲気を感じながら、ひたすらまっすぐ歩く。
道は段落としに狭くなっていき、一号線をくぐるあたりでは、とうとうセンターラインすらなくなってしまう。

Th_img_7314_5

Th_img_7325_5

しかしここからしばらくは街道の雰囲気に浸ろう。
うなぎを焼く匂いに耐えながら、天竜川の土手に突き当たる。
突き当たりの六所社を迂回して土手上を新天竜川橋へ。

天竜川橋には長く歩道がなかった。
脇に架けられた新天竜川橋にも当初歩道がなかったらしい。
街道歩きの間では、歩道がなく大型の通行が多い道路を「難所」とするが、ぼくは一切気にしない。
歩道がないくらい別になんでもない。
スリップストリーム状態にならなければいいだけだから。
新天竜川橋が天竜川橋のすぐ隣に架かっていたから、そちらまで迂回したけれど、もう少し遠ければ天竜川橋を渡っていたところだ。

Th_img_7337_2 Th_img_7340

Th_img_7408

大乗院坂を上って下って、磐田市街地に入ると、あちらこちらにJubiloの文字。
「これサッカーのチームだよ、ゴンのいたチーム」と教えてくれるけど、よく知らん^^左へ90度に曲がり、北上する。郵便局から脇道に入ってまた元の道にも戻り、さらに歩くと、いよいよ姫街道との追分である。
普段しょっちゅう通る当古橋までこの道が延びているのだ。。。
遙かなり、豊川(笑)
東海道はここを東へと曲がる。
見附学校が見え隠れする見附宿中心部にあるそば屋さんで、遅めの昼食とする。
ビールと板わさがうまい!
言うまでもなくそばもうまかった!(らしい)

まだつづく。

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舞坂から浜松へ 波小僧もいっしょだよ!

翌日曜は車で弁天島へ。
スタートはあくまでも「東海道」にこだわって、今切りの渡しなどは”歩かない”。
当日はJRのさわやかハイキングでもあったのか、多くの人が今切りの渡しを”歩いて”いた。

629086843_215 629086843_25 北雁木(きたがんげ)からスタート。
雁木(がんげ)とは船の発着場所のこと。
往時は身分によって3箇所の雁木が用意されていたらしいが、現存するのは大名用の北雁木のみ。
雁木を出ると、東海道がはじまる。
寄るつもりのなかった脇本陣だけれども、やはり見ていると入りたくなる。
廊下が中央に1本どーーーーんと通る草津本陣型式の建物で、部屋が迷路のようになっている二川とは違う。
ここであーだーこーだと係の人にからんだりして、30分ほど楽しんだ。
今切りは現代でも健在だということを知る人は、意外に少ないかもしれない。
古い建物は少ないけれど、宿場の雰囲気は十分に残している舞坂。
あちらこちらにしらすの幟があがっていた。

672696_3250665531 波小僧を撮影して、松並木をゆく。
せっかくの一方通行なのに、車が中央で歩行者が側道とは納得いかんなあ。
松並木が終わると、たんたんとした住宅地が続く。

馬郡に春日神社がある。
涸れ池が見え、変わった雰囲気があって吸い寄せられるように寄り道する。
弁天様かと思いきや、巨大な石板には「水神」の文字。
なんだ、水神様か。
入り口にある常夜灯には、「江戸小舩町 遠傳」の文字。
はて、遠傳とはなんぞや?
わからんままに出発。

さて、こんどはお稲荷さん。女子中学生が人待ち顔だが、かまわず中に入って、古めかしい鳥居を見て、遠傳の疑問が解けた。
遠傳とは遠州屋傳兵衛のことだったのだ。
柱に寄進者の名前がちゃんと彫られている。
こんなしょうもない発見が楽しい街道歩き。

629086843_223 もっと歩く。こんどは右側に洋風建築物が見える。
「お医者さんみたいね」
相方が言う。
うん、確かに医者。
撮影していると、鬼瓦にアルファベットが刻まれていることに気付いた。
洋風建築に鬼瓦を乗せるっていうセンスだけでもすごいのに、鬼瓦にアルファベット。
ズームで寄って撮影してみたりした結果、鬼瓦の文字が判明した。
MIZU...水...つまり火事よけのまじないだったのだ。
なんかすっげぇな、この建築主。
もうむちゃくちゃ(笑)
擬洋風ということばについて、「洋風というのは形容だから、それに対してさらに意味合いをぼかす「擬」のかぶせるのはおかしい」という説がある が、こんなセンスを見ると、そういう論争がとても意味のないくだらないことに見えてくる。それほど日本人のセンスって自由だったんだなーと思うしかない。

国道と合流した後は、市街地の道となる。見所はいくつかあるが、車の騒音に集中力は奪われ、歩く力をそがれる。
それでも
諏訪神社近くの用品店で東海道てぬぐいを見つけたのは大発見だった。
「東海道 浜松宿」の文字がうれしいが、まだ浜松宿まで半里はあるぞ。

成子坂を上がると、そこが浜松宿。
なんの面影もない場所に「○○跡」の看板がたくさん立つ。
けれどうれしかったのは成子坂の「濱納豆」の看板だけ。。。

寒風が抜き荒れた浜松はただの大都市。
いくら東海道が駅の北を進んでいても、鉄道に乗って帰るしかないのだ。

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元白須賀

626061829_254 白須賀宿は潮見坂をはさんでふたつあった。
東には宝永の大地震まであった元白須賀。
坂の上には白須賀宿。
地震に伴う大津波で町ぐるみ流され西に移転した。

元白須賀も宿場情緒が残っていた。
潮見坂に向けて緩い上り坂が続く。
新しい白須賀宿も坂の町だけど、それに比べればずっと緩い。
そういえば現在お隣の二川集落にある山車は白須賀から購入したものだと聞いた覚えがある。白須賀が山車を手放したのは、新しい宿場に移って町の勾配がきつくなり、曳行できなくなったからではないかと考えたりした。しかし、二川の山車はそれほど古い物ではないはずだった。

郷社内宮神明社がある。
例のごとく、「郷社」の部分がモルタルかなにかで埋められてある。
これは官弊社制度が廃止されたときに消したのかしら。
これについて語る者はいないか。
社標や瓦などについて相方と話す。
寄進者はまだ健在なのか、瓦の紋が何種類もある!とか。
適当な妄想を話しながら笑うふたり。

少し行くと、外人さんがワゴン車に乗りかけている。
ぺこりとこっちに向かって頭をさげた。

その先におばあさんが座ってある。
田舎町ではよく見る風景である。
そのおばあさんの方から話しかけてきた。
「どこから来たの?」
声をかけられると思ってなかったので、すぐに返事が出来ず、あさっての方向を見る。相方がかろうじて「近くです」と返事をした。
このおぱあちゃんはNHKのてくてく街道旅第一弾にも顔を出したことがあるそうだ。そのたぐいの資料をいろいろ見せられるが、うちはBSを見られるテレビが一台しかない上に、テレビはほとんどみないから、おばあさんのことは知らない。

「これあげるでね。わたし全然あやしくないで。ほれ、テレビに出たんだよ」
わらじをもらった。
道中安全のお守りにしよう。
おばあさんの家は築100年を越えていそう。
中には右書きの看板やらおばあちゃん以上の年代ものがあるように見えたが、それには「あ、そう?」と気のない返事しか帰ってこなかった。
玄関では番犬らしい老犬が訪問者になついていた。

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週末は東海道

622207637_101 週末はいつも東三河にいる天茶です。
今週末は、遠江国まで足は伸ばしてきました。
久しぶりな”街道歩き”です。
東海道・荒井宿(新居宿)から二川宿へ。
これで二川東口は封じられた!
しかし出発が遅くて、二川で大名行列を見損ねた!
じつは内心期待してなかったの。
どうせ地元の人たちが適当なコスプレをしてぞろぞろ歩くものだろうと甘く見ていた。でも現地で入手したパンフレットには、それぞれの役が記されていて、中途半端な冷やかしイベントではなく、「大名行列の歴史的再現」であることを知ったのでした。
二川に入ったのは2時過ぎ。
宿場東端の洋食屋で遅い昼飯をとって、現場入りした時は一番最後の奴踊りが終わりかけている時でした。
お姫様の乗る牛車がそれを見ていた。

622207637_197 まぁそんなことでしたが、街道歩きはそれなりに楽しかった。
街道歩きのサイトを見ると「地獄の国道歩き」と表現されている白須賀宿からの国道42号〜国道1号。
確かに一人だったらつまんない道だったかもしれない。
が、遙か右に見える立岩とか、二川の北に広がる山々を見ていると、中山道の国道歩きよりはずいぶんとマシだったと思う。それに地元民の解説も少なからずあったし、それほど退屈はしなかった。
たわいもない話をしているうちに、二川宿の入り口へ着いてしまった。
「あれっもう神鋼電機だよ!」って。
一人なら「やっと着いたよ、ふぅ」って思うところだ。

622207637_46 でも見所多かった。
元白須賀のあたりは、起伏があったりして自然発生的にできた道のようであったし、潮見坂では眼下に太平洋が広がっていた。
おんやど白須賀では、お茶飲んで長居したりして楽しかったよ。
海岸沿いから高地に上がる道は、口に言えない楽しさがあります。
潮見坂はいいところだよぅ^^

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池鯉鮒

国道一号線を逢妻交差点から右におれ、橋を渡って左にはいる。
右に左に曲がりくねりながら知立神社の入り口に着く。
角の家は常夜灯を敷地内に取り込んでしまっている。

知立神社を過ぎてさらに行くと、道は大きく右に曲がる。
左には寺と銃砲店。
小松屋銃砲店とある。
ん、小松屋?
あんまきの小松屋?
店の中をのぞき込むと釣り具などもおいてある。
入り口には「テレビで中継されました」の張り紙。
ここが、あんまきの元祖だ!
甘いにおいが中からにおってくる!
中にはいると、おばあさんがよそ見もせず一心不乱に焼いている。
「いらっしゃいませ!」と奧から声がした。
声の方を見ると、100mも続いていそうな通路が見える。
いわゆる「うなぎの寝床」で、店の人がやって来た。

「あんまきを6つ」
「今つぶあんが切れてるんですよ。炊いてるとこなんです。しろあんならあります」
「白あんでいいっすよ」
鷹揚に受ける店にゃん。
そして6このあんまきを包むおばちゃん...いやおねえさん。
「あ、ひとつはすぐ食べるんで、そのままでいいです」
「じゃあ焼きたてのを入れときますね」

店を出て早速ほおばった。
んん!
某店の大あんまきと皮が全然違う!
パリっとしてるし、安手のカステラみたいな感じがしない。
とっても質感と味の良いあんまきだぁ。
これを知立城跡の看板を見ながら食った。

看板の分岐を左へゆく。右には中町の山車蔵。
こんどの祭りでは中身が見たいものだ。

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橿原・今井町にぃ

3日連続で雨。
かび臭い家を飛び出して、奈良まで走ってきました。
目標は今井町。

今井町に関しては大した知識もないので、とりあえず夢甍(ゆめいらか)という観光案内所へ行って情報を仕入れました。
ここには無料駐車場もあるし、パンフレット、見学方法なども案内していただけるのでのぞくのが正しい見学の仕方であると思われます。
しかもこの夢甍の建物自体がすでに歴史的建造物で、築100年を越えている。奈良らしく、寺社と町家が融合したようなよくわからない建物です。奈良ホテルと並べるとしっくり来るような建物です、といえば雰囲気はわかっていただけるかな。
(写真載せろっていう話だよねw)

547325779_176 3時間ほどくるくると歩きました。
なにしろ今井町内には重要文化財が9箇所もある。
前出、夢甍での説明によると、「戸口が開いていれば内部を見学できます」そうで。
なんともフレキシブルでおもしろいシステム。
実際には高木家住宅と音谷住宅しか見られなかったけれども、いろんな話が聞けて楽しかったです。
保存に関する話とか、家の変遷等、ちゃんと質問に答えてくれる。
おもしろいのは、外部の人ではなく、実際にずっと住んでこられた人が、管理・説明をしてくれることです。
重要文化財だからという理由ではないだろうけど、室内にはほとんど建物の説明がないんですよ。住人の方から直接話を聞くことができるんです。こんなの聞いたことない。
そりゃあ住んでいる人だからその家のいいところ悪いところよく知っているだろうし、愛着もあるだろう。けれど、知らない人を招いて説明するという のは、なかなかできることじゃないですよ。普通の人なんだから。それを実現してしまうという今井町の気風というか雰囲気というか。なんだこれはっ!って 思ってしまう。
しかも、この地区がよそと違うのは、まったく金目当てでないこと。つまり、観光地じゃないんです。管轄でいえば、観光協会ではなく、教育委員会 がやってるんじゃないか、という感じ。町を歴史の一部として残し、教育施設として保存してゆく感じなのですな。そしてほとんど金にならないことをやってい る保存現場の関係者と、実際に自宅の一部を公開されている十人の方々。

547325779_104 なんだこれはっ!

世間では愛国心がなくなっただのどうのこうの言いますが、地域によってはまだまだこういう形で息づいているんだなあと感心します。本来、人間とは 「愛着」を通じて町を愛していくものだとおもってはいるのですが、都会性合理主義で生きてきたものには現実の物として信じられない「愛」なのでしょう。
損得のない、町並み保存。

547325779_27 中山道・奈良井や、東海道・関のように、電線を地中に埋めてしまった例を挙げ、「これは観光地化である」とのたまったヤツがいました。それは理解不足なんだろうと、現実に話してみると思うデス。
音谷家住宅には、ミセに明治期のタンスが置いてあります。
建物は江戸中期、17世紀中頃。
「時代は違うんですけどね」とおっしゃっていたが、その気持ちはよくわかるのです。「観光地」じゃないんですよね、今井町は。
この人たちは観光地としてこの町を育てたいわけじゃなくて、今井町を理解して欲しいのです。町を理解するには、過去も含めて人々の生活を見るのが最も良い方法です。
明治期のタンスも、今井町のひとつの過去なんですよね。
それらをひっくるめて今井町であると、きっと住人の人々は考えているのだろう。だから築350年の家の、外部から見えるところにたかだか100年前のタンスを置くのです。
そういうことを理解できない人が、「電線がないから観光地」などと底の浅いことを言うのだろうと、音谷さんの話を聞いていて思いました。

なかなか居心地のいい空間、今井町。
でもね、いくら色気がなくても、数件の飲食店は欲しいです。
まともに腰を入れて回れば、おそらく丸一日かかります。それでも納得できるほどの写真は撮れないだろうと思われるボリュームですからね。それにはまず腹が減っていては戦ができぬのですよ。
儲ける気はなくとも、それはどうにかお願いしたいところではあります。

コらっ!
そこでこそこそと「ビールが飲みたいだけやろ」とつぶやくのはやめたまえ、きみっ!
失礼やろっ!(笑)

こりゃあまた行きたい。
少なくとも重文の建物にはすべて入って、管理されている人と話したい。きっと今井町に自体についても、建物の歴史についても住む人にしかわからないおもしろい話っていうのがあるはずだから。
見る方も、建物を見てうんちくを語ったり、ちゃんと質問できるほどの知識を蓄えなければなるまい....と思った。

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怒濤の週末  地獄編

土曜から酒浸り。
日曜の街道歩き&ビール電車に備えて名古屋泊まり。
北海道帰りの友人をホテルで迎撃する。

いつも書いているように”今日こそはゆっくり読書”でも...と思ったが、いつものようにいつもの店でビールを飲んでしまう。
そして”いつもの人たち”と連れだって今池で飯を食う。
暑い一日を過ごした後のビールは体の芯まで溶かしてしまうものだ。その疲労は、ホテルで睡魔に化けて出る。

深夜、電話がかかってきた気がした。
北海道帰りがホテルに着いたようだ。
一応ロビーまで顔を出すが、たまらず部屋に戻って寝る。
翌日はお千代保稲荷か街道歩きかという話題が出ていたようだったが、もうどうでもいい(笑)
翌朝はホテルのおにぎりを食った。
早起き組のみが豊橋へ向けて美合から歩くことになった。
まったく行き当たりばったりだ!(笑)

536453678_215 美合近辺の東海道は具合が良い。
朝からかなり暑く、少し歩いたただけで体中汗だらけになるが、現存する松並木が東海道の雰囲気も色濃く残している。
途中藤川宿入り口の炉端焼きで昼飯を食う。
炉端焼きの昼間営業というあたりがミソだな(笑)

藤川宿内では沿道に住む人たちに声をかけられる。
「暑いのに大変やねぇ、ほれ、これ持っていきゃあ」と、とり立てのスイカを差し出されるが、とても持っては行けないので、気持ちだけいただいておく。
沿道の犬に話しかければ、家からおばちゃんが出てくる。
「ご苦労様です。どちらからですか?」
だんだんと街道歩きも市民権を得てきたようだ。
街道歩きの風情がハード・ソフトとももに充実し始めている。

途中何度か休憩するが、もう天にゃんはダメだ、体力の限界。
暑さにはとことん弱い。
喜多さんは「アスリートはこのくらい平気」と涼しい顔で歩いている。
それもかなりの速さで^^

3時頃、やっとの思いで赤坂宿に着く。
お祭りをやっているようで、交通規制があったり爆竹や花火の音がするが、わしはそれでどころではない。
真新しい休憩所でごろんと横になって、今後の身の処し方を考える。

あきらめた。
ここから電車で豊橋に入ろう。
うん、まだ風呂に入って汗を流さんと、気持ちが悪くていかん。
ただし乗り継ぎ具合が悪くて、豊橋駅に着いたのはすでに4時50分くらいだった...
喜多さんのバイク仲間も合流して銭湯でさっぱりしたことだ。

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続・7/22の日記

休憩終えて国道一号線と関西線を陸橋で越え、大岡寺畷を通る。
大岡寺畷って何を意味するか知らんけれど、今でもとっても風情あるいい景色です。
道は片道一車線のまっすぐな舗装道路だけれど、彼方には山が見える。草木が茂りたい放題茂っている鈴鹿川が流れていて、西へ行くにつれてきれいな弧を描く。
沿道には松に代わって現在は桜の木。
鈴鹿川を渡る神辺大橋に桜橋。
にっくきは名阪国道と伊勢道の高架である。
せっかくの風景をつぶしてしまっているのが大変に残念である。
鈴鹿川沿いの道を鼻歌まじりに歩く。
夏日の下、ただひとり歩く。
なんかとっても楽しい^^
行き着くのは国道一号線だが、すでに関宿の入り口は見えている。

久しぶりの関宿。
ワクワクしながら歩むが、人っ子一人いない^^
祭りは町並み保存地区で行われるようだから、この地域は関係ないのか。でも家々には「獻燈」のちょうちんが。
山車(関では「やま」と呼ぶ)は来なくても、関の人たちはまつりに参加してます。

ハードディスクのクラッシュで関の画像がすべて飛んでしまったので、改めて撮っていきます。
そうそう、「男」「女」とガラス戸に書いてある洋風のお宅の住人の方も表へ出ておられました。清水の舞台から飛び降りたつもりで、聞いてみた。
「お宅は昔銭湯だったのですか?」
ビンゴ!
品のよさげな奥さんが「そうですよ」と。
これで胸のつかえがひとつおりた^^

あとは祭りじゃw
ナガヲ薬局さんで一息入れ、再び町家に出没。
街道情緒が濃く残る新所へと向かいました。
ここは店がないので、ほとんど観光客が踏み入れませんが、軒の伸びた町家が連続していたり、高さの違う軒が乱雑に連続していて、被写体として大変におもしろいのです。
太陽光線とのかねあいでも違う表情を見られる、とても魅力的な場所。
多くの家が玄関を開け放ちている。
時にはおばあさんがいすに座って通行人に声をかけていたり。
そういえば子供の頃、辻におばあさんが立ってて「こんにちは」とか声をかけてたな。ここ20年ほどそんな姿は見たことない。
おばあさんがおばあさんでなくなってしまったか。
社会の潤滑油でもなく、ただの不要品に扱われてしまっているのか。
このおばあさんに二度もあいさつされたよ。
きっとこのあたりの言葉なんだろうね。
文字として言葉を捉えることはできなかったけれど、「よく来てくれました」という意味合いのことだったと思う。
方言という言葉は大嫌いだけれど、上町言葉が絶滅寸前の名古屋より、よほど血が通った町に感じられるのは気のせいか。それとも都会の空気に犯されすぎた証拠か。

新所では玄関先に四角いぼんぼりのようなものが置かれている。
すぐにはわからなかったが、これで街道をライトアップするんだそうだ。東海道を照らすぼんぼり。
立派なものは50cm角で、広重の絵入り。
電源は各家々から引かれている。

あとはまつり。

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7/22の日記

夕方から関のお祭りを見に行きました。
それでもただでは行かない。ちゃんと亀山宿から関宿まで街道歩きを入れてみました。
昨日は宮から有松、今日は亀山から関。
まさしく東奔西走であります。

亀山宿といっても、JR亀山駅から北上したところから歩き始めました。これがいかにもな旧街道。
現代風な建物に、江戸時代の屋号札が掲げられていて、繁栄のあとが偲ばれます。ほぼ一軒残らず掲げられているという徹底ぶりは感動に値します。
駅や郡役所への道標、枡形など見所たくさん。なんかうれしくなっちゃうです。間違いなくにやけてました^_^

506935380_55 506935380_18 西の出口は広重も描いた京口門跡。かの絵が描かれた風景が目に浮かびます。
そして同時期の写真も関の玉屋資料館かどこかで目にしました。
感動です。

坂を下って左側に休憩所。
かき氷、ビール、軽食の看板があり、そそられましたぁ。
しかもこの家は旧家で、すべての間口が開放されていて、涼しそう〜。
でも歩き始めて十数分でビールを飲んどってはいかん!と自分を叱りつけて涙をのみました。
飲むならやっぱりビールだよ。

506935380_130 そして野村の一里塚。
植えられたのは椋。
大きな木に成長しているので、遠目に一里塚だとわかるほど。
まるで鷹がエサをつかむように、椋の木の根っこががっしりと塚全体をつかんでいる。
先に見た笠寺一里塚もなかなかのものですが、野村は塚全体が高いので、より立派に感じます。

この先、布気皇舘太神社で道にまよったんですわ。
で、道を調べるべく座り込んで汗を拭いてたら、後続の街道歩きコンビがやってきた。たぶん、ぼくのあとをついてきて、そのまま進んだんでしょうな。あたしは道路の向きがあまりに携帯した地図と違うために携帯のGPSで位置を確認した。
案の定、新しくできたと思われる道を歩いておったのです。間違えたのは100mほどなので、すぐに戻りましたが、おじさんらはそのまんま行ってしまった...
あなたたちの歩いたのは東海道じゃないです。
ごめんね、おじさん^^;

しばらく行くと国道1号と交差。
ちょうどレストランがあったので、ビール休憩です。
1杯目でのどを潤し、2杯目でくうーーーーっと体温が下がっていくのが体感できる。3杯目で汗が引いていく。
あぁ、生き返った...

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今日は晴れたねぇ、みごとに!^^

これは明らかに雨の神様が遠慮したね。
昨日の予報では日曜日も雨だった。

昨日東海道を歩いてたとき手ぬぐいをゆすごうと、呼続の熊野三社に寄った。
「今夜盆踊りやるから来てね!」と突然声をかけられた。
そういえば中央に櫓が組んである。
でも...その時霧雨が降ってきた。
けっこうたくさん。

「あぁ、夜はたぶん大丈夫でしょ、できる!」と。
「明日はいい天気らしいから、もっと大丈夫だから!」
でもこの時点でウェザーニュースは雨だった。
なんでこのおじさんこんなに前向きなんだ?(都合の良い解釈とも言うw)
ところが、今朝の晴天だよなー。

今日は熊野三社だけではなく、あちらこちらで夏祭りがあるようだ。かく言う天ちゃも亀山の関宿へ”関の山”を見に行く。
そういったもろもろの七百九十九万九千九百九十九の神様たちが、わずか一人の雨の神様を説き伏せたんだろうね。
「わしらのまつりで雨を降らせるなぞ、許さんぞ」と。
「月夜の晩ばっかりじゃねぇぞ!」と脅したかもしれない(笑)

ふふふ、雨の神様の負け^^
今頃天空の端っこでいじけてるんじゃないか。
まぁいいやん、今年は梅雨にしっかり仕事したから、今日はゆっくりしときなさい。

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7/21の日記

くもり時々雨。
比較的涼しい一日。

505056507_157 505056507_18 寝過ごしたこともあって、午前中はぶらぶら。
手ぬぐいのことなど考えていたら、どうしても有松へ行きたくなった。
向かった先は宮。
東海道最大の宿場、宮から鳴海を越えて有松宿まで歩くのだ。
ここは車で何度も通ったことのある区間で地図さえ不要。
それだけに道のりが読めてしまっているが、やはり徒歩での移動は車や自転車とは違う印象をもたらしてくれます。
いつもの町並みなのに、わくわくしながら歩いてました。
意外と国道や主要道路から外れていることも吉ですな。

鳴海宿はそのまま商店街になってしまって、それほど風情が残っていないのに、有松はかなり濃く残している。
20年ほど前の有松はもっとくすんだいろの町で、それなりに江戸時代のにおいがしたものだが、現代はもっとずっときれいになっていた。実はこの町に来るのは20年ぶりくらいのはず。
これを観光地化というか、「町並み整備」と呼ぶかは人によります。

その有松で、絞りの手ぬぐいを買った。
おばちゃんに有松絞りの話を聞いたりしてるうちに1時間以上たってしまった。
書けないような話も、古い産業故の話も、たくさん聞けました。

「真剣に聞いてくれる人はなかなかいないですよ」
と言われたけど、ただ頷いていただけですっ(汗)
でも話の大半は覚えてますから、参考にして、また有松を訪れることにしようと思いながら、有松駅から電車で神宮前に戻ったのでした。
徒歩4時間のところ、電車は10分/290円。
名鉄さん、ありがとう(笑)

急ぎ帰って飯を食い、F1ヨーロッパGP予選を観戦。
ルイス・ハミルトンが車両トラブルで事故ってしまった...
彼には悪いが、ここはゆっくり休んでもらって、デ・ラ・ロサに引退の花道を飾らさせてやってくれたまい。
去年もデ・ラオヤジは速かったんだぉぉ!

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木曽路北端の旅 奈良井→塩尻 (6)

そば屋を出て再開。
ビールが心地よく体を酔わせている。
昔の街道では、酒がおいてある茶屋もあったそうで、昼間から飲むのが普通であったらしい。
「昼間の酒」がタブー視されるようになったのは、一体いつの時代からだろう、と酒好きは目を三角にしてみたりする(笑

セブンイレブンで国道としばしの別れ。
左へと入って農村地帯をゆく。
左は一面の水田で、その向こうには山を背景にした奈良井川がある。
険しい木曽路をあとにした感慨がわいてくる。
平地が広がる姿は木曽路をイメージするものではない。

道は右に左にと緩く弧を描きながら次の洗馬へと続く。
中央線のガード下では枡形だったような急カーブになる。
さらに急な坂になる。
ここでちょっと右に寄り道。
言成地蔵だそうで、その名前がおもしろい。
これも坂を登った上にあり、なかなか風情あるお堂。
賽銭を入れて空拝む。
「足が良くなりますように」
近頃願いごとはこればっか。
たまにゃ嫁さん欲しいと言わないかんのに(笑
そして洗馬宿に到着。

高札場があったり、昭和初期っぽい建物があったりなかなかいいぞ!
本陣、脇本陣などの標柱も整備されていて、力を入れてるさまが伺える。

504262603_151 洗馬宿の入り口には枡形があって、かなり急な坂が入り口にあったり、宿場全体も坂の途中にあるような宿場だったらしいが、和宮降嫁、中央線開通な どの折々に、道路の拡幅、勾配の緩和工事などを施工して現状のようになったそうだ。このネタは沿道にある文房具屋さんでいただいた地元の有志によって編集 されたパンフレットによって知った。

504262603_130 洗馬宿出口は現在二股になっているが、明治以前は西善光寺街道側へ200mほど行ったところを右へ折れるのが中山道だったそうだ。
現在の追分は昭和の大火以降の中山道だそうな。もちろん知ったからには、正しい中山道を歩くべきである。
いにしえの常夜灯から右へ曲がり、追分から来た道と合流する。
どっちへ行こうが大差はないのだ^^;
これもパンフレットのおかげ。

504262603_228 邂逅の清水という井戸がある。
源義仲が今井某と出会った場所だという伝説がある。
義仲の馬の足をこの清水で洗うと馬が回復したというのだが、それが洗馬の地名の由来のひとつだとも。
民家が上にあるし、コップも置いてないからおそらく飲用不可ということなのだろうけど、少しだけ手にとってなめてみた。
んーやっぱりいい水だぁ!
そしてあせもだらけでかゆい腕を突っ込んでみる...
うぅぅぅ冷たすぎて、10秒といれていられない!
頭からかぶったり、体を拭いたりして、天にゃんも甦った^^

この洗馬に地元の人が昔から使っていた裏通りが
中山道と平行して通っている。
国道に対する地道のような存在ですな。

中山道に戻る。

昭和の新道と旧道の合流点に幽斎肘懸けの松がある。
勾配を上って行くとまた国道がやってきたぞ...

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木曽路北端の旅 奈良井→塩尻 (5) 本山宿

497139595_216 497139595_157 中央線を大きく越えていく高架道路を右に見送って、側道をぺたぺた行くと、ほぼ道は行き止まり。歩行者のみの道路となって中央線を渡り、19号と合流する。
またまた辛い国道歩きではあるが、すぐに本山宿入り口がみえていて、励みになる。
渓谷の南の崖に形成されたような本山宿。
なぜか川側に多く古い家屋が残されているが、おそらく山に向かって道路を拡幅した結果なのだろう。またここの古い建物は大変に特殊な作りで、いままでみたことのない建物になっていた。
497139595_6 最初に目にしたときは問屋場かと驚いたが、どこの家も同じつくりであるから、そうではないらしい。
入り口はほぼ中央にあり、半分は一段高くなって住まいらしいが、片側は、道路とほぼ同じ高さとなっており、間口には室内と同じように板がしかれている。
見たままでいえば、車庫の入り口だが、本来はなんのためにこのような構造にしたか。大変に興味深い。

672696_4192692315 自販機前に座り込んで、ジュースで一服。
時間はちょうど昼であった。
本山宿を含むこの集落は大変に長く続く。
国道との合流地点に石仏群。

国道に出ると物流センターなどの大きな近代設備が目に付く。
それらを相手にしたものか、そば屋発見。
そういえば近代のそば切りはここ本山宿で始まったとか。
宿場内の外れにも、そば屋があったっけ。

早速とビールとそばを注文する。
さすが本場といおうか、そばのいい香りがする。
そばと同時に豆腐も手作りだそうで、寄せ豆腐みたいなものも出されて、ビールが弾む(笑)

1時間の休憩の後、再び歩き始める。
休憩すると足が痛くなるのはなぜだろう。

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木曽路北端の旅 奈良井→塩尻 (4) 桜沢

贄川駅を過ぎ、しばらくは悲しき国道歩きになる。
旧道を懐かしむ気持ちで、自然早足になってしまう。
道は前述した谷から上がってきた道が国道を横切る地点から左へと入る。
左へ曲がれば急な坂になっている。
息が切れるが、国道と離れたうれしさでにやけている。
急なカーブを右に曲がり、ひとつをひとつ上り終えると、先にヘアピンカーブが見える。
民家が2軒。
一軒は新建材による家、もう1軒は二階建ての木曾の家。
ヘアピンカーブは軽い上り勾配で、てっぺんに道祖神がある。
このあたりは中畑という集落らしい。
左側は一面の畑、右は民家が並んでいる。
水場もあるが、これはさすがに飲めそうな雰囲気ではない^^

494081108_93 旧道歩きはすぐにおわってしまって、また国道が合流する。
またまた奈良井川を渡って桜沢集落に着く。
いよいよ尾張藩の北端へ来た。
集落自体歴史的な香りはするのだが、桜沢地区の中山道は現19号線ではなく、山の手の道である。明治帝休憩碑から山には入って、10分ほど山中を彷徨う。
入ってすぐに馬頭観音が旅人を迎える。
やはり、中山道は山の中の道。まるで仙道(そまみち)のようだ。
畑を左におれて19号に戻る。戻ったところにちょうど「是より南木曽路」の石碑がある。この位置にあることは偶然ではなく、もともとこちらの道沿いに設置したところへ19号が通ったということであろう。
494081108_4_2 ここには休憩所が設置されているので一服していく。
持っている地図によると行程の約半分を歩いた。
時間には余裕があり、朝方買った非常食をここで食う。
そして水筒に詰めた奈良井の水も飲んでみる。
ひゃーっ!
まだ冷たい!
いにしえの旅人も竹筒に詰めた水を飲みながら歩いたんだろうなぁ。

494081108_40 また国道歩きになる。
深い谷で奈良井川を渡って日出塩への旧道に入る。
19号は高架をで右へ去っていく。さいなら〜っ!
日出塩の旧道は旧国道とあって道幅は広いが、人っ子一人いない。
右側に筆塚、道祖神が固めておいてある。
宿場ではなかったせいか、古い建物は一切なく、ただの静かな山間の町であった。
町の東の外れには神社の幟を立てる棒がたっているが、その土台の石には「戦勝記念 昭和十四年五月吉日」とある。
昭和14年て...
1年半も前の南京陥落のことを指しているのか?

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木曽路北端の旅 奈良井→塩尻 (3) 贄川宿

493140315_247 軽い勾配を過ぎて、"旧枡形"であった地点を過ぎ、右手には国重要文化財・深澤家住宅が、左手には水場と道祖神などがある。
谷から上ってきたと思われる道がつきあたっている場所でもあり、宿場の中心部であったような雰囲気だ。
深澤家住宅主屋は嘉永七年の建築。
行商を行っていた家だそうだが、当主はなぜか関東に住むという。
家の前にはクルマが止められていたので、誰かが住んでいるものとも思われるが、そのために内部が公開されていないのかどうかはわからない。

493140315_85 水場で顔を洗う。タオルで顔を拭いていると、坂の下からおばちゃんがいそいそと近づいて、おもむろに入れ歯を取り出してブラシで洗いだした^^
おばちゃんは一番下の水で洗っていたが、入れ歯を洗うくらいなら飲めたのかもしれない。
そのは傍にはまたも津島神社。
津島神社人気は八幡様にも匹敵する。

672696_3545362633 493140315_85_2 広々とした宿場内を歩くと時折木曾らしい赤い屋根の建物がある。建物そのものは木造であるが、立派な建物で、学校などにも準じている。とはいうものの、それほど古い建物には見えないし、家族が住むような建物でもなく、用途不明である。
ちなみにJR贄川駅は歩いて10分ほどの距離、明治42年の開業だそうだから、建物の方が新しそう。
道は右へカーブし、国道19号と交差する。

その手前、分岐部に屋根に重石を乗せた平屋根の建物が見える。
「あぁ贄川関所だな」
中山道そのものは、左カーブではなく、まっすぐ進む。
この関所で入手したブックレットに載っている古写真には、古き中山道の姿、つまり「険しい山道状態」の中山道が見えており、その傍らに、この贄川関所が復元されている。今その道は拡幅され、アスファルトで舗装され旧情は失っている。

写真を撮るだけのつもりで近づいたものの、やはり近づけば中は入りたい。さっさと見て出てくればいいとの考えで中に入る。
内部は大きく4室に分かれており、検断所が並んでいる。
旅人は建物の外から検査を受けたのだろうが、その戸口が閉められているのでイメージがわかない。
係員のおねーさんは「なんでも質問してくださいね」というが、通りすがりには質問する知識がない。
窓口に並んでいたブックレット、「楢川の民話」と「贄川関所」の二冊を求め、関所を出た。
出たところで、関所と中山道を関係を知りたくなって、立ち戻った。
このおねーさんは大変な物知りである。たいていのことはすらすらと応えられるところはただ者じゃない。最初は単なる掃除のおばさんかなと思ってしまった^^;
関所の営業時間、だれも歩かなくなって、田んぼや林になってしまった谷沿いの旧中山道の話、関所があった本来の位置、贄川関所の具体的な使命や、福島関所との関係、最後には木材の質の違いまで解説してしまう知識の豊富さに脱帽。
結局見学している時間よりも、おねーーさんに話を聞いている時間が圧倒的に長かったらしく、1時間近くいた^^

中山道はこの復元された関所の脇を贄川駅へとすすみ、駅裏手から奈良井川への谷のふちへ降りて北上し、再び19号と交差して山側へと上るのだが、前述の通り、その区間は自然に帰しているそうなので、やむなく国道へと出る。
贄川関所から国道との間には中央線が堀割って通っているが、その10m程度のトンネルは煉瓦造りで大変に古いものだ。
おそらく開業当時のものと思われる。
しかしJRとしてはあれは隧道に分類されるのだろうか。

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木曽路北端の旅 奈良井→塩尻 (2)

492943944_124 492943944_62 奈良井川を渡って国道19号と合流。
しばらく歩いて再び旧道に入ると、平沢の町がある。
ここは漆器で栄えた町で、木曽路では珍しかった工業都市のひとつである。
津島神社や道祖神、大木が西の端に固めてあり、町の入り口であることを示している。
町中はゆるやかなカーブを描いた中山道の両側ぎっしりに漆器店があり、どうやら繁栄は今でも続いているようだ。
町は意外と長く続き、果てたと思われるところで道は右には行って突然険しくなり、諏訪神社の前を通って役場の脇に出る。
諏訪神社には柱がたっていた。末社といえど、柱は立てるらしい。
はたにあった自然石を生かした灯籠もまた楽し。

しばらく歩けばふたたび国道19号と合流する。
合流地点には道の駅やセブンイレブンがあるが、早朝のこととて道の駅は開店前。セブンイレブンで非常食を買い込み、同時に景気付けのビールと豚串を1本...
朝のビールはうまいっ!

奈良井川を渡り、19号を左へと見送る。
長瀬は小さな集落だけれど、溝には水がほとばしっており生活用水に供されているような水場はいくつかある。水量は豊富で顔を洗ってみる。
たとえ飲料不可だとしても、冷たい水で一息つく。

492943944_188 国道に合流して中央線のガードをくぐり、押込一里塚跡に到着。
ここは3分岐。真ん中をゆくのが本来の中山道だそうで、あえてそれをゆく。家々の間を縫うように進んでいくと、「ここは中仙道」の道標が見えて、往年の中仙道の原型を見た思いがする。
中山道はこのまま坂を登っていって、再び19号に戻り、枡形から贄川宿に入っていったらしい。今日は時間的に余裕があるからそれを行こうとする が、道幅はあまりに狭いし、草はぼーぼー。大きな看板が行く手をふさぎ、国道から相当高いところまで上がっていくので、無理せずに一里塚まで戻って、中山 道が通っていたと思われる山の下に設置されている道を行くことにした。
中山道はどうやら尾根を通っていたようだ。
この中山道には津島神社がある。
かまぼこ型の石と社が並んで祀られているが、石に関しての説明は一切ない。ちょっと興味深いところではあるが、それを聞ける人も付近にはいない。

その迂回路をまっすぐ行くとそのまま贄川宿に入ってゆく。
おそらくこの道は明治以降に建設された道を、近世になってさらに拡幅したものと思われる。途中使われなくなった中央線のトンネルが口を開けていた。今は静かなこの地にもかつては列車の轟音が響いてのだ。

新しい住宅地を抜けて贄川宿に入る。
宿場入り口とおぼしきあたりにはやはり庚申塔と道祖神がある。

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木曽路北端の旅 奈良井→塩尻 (1)

492433393_115 約一月ぶりの奈良井宿、午前6時...

泊まり客とおぼしき客が散策している。
早くも開店準備をしている住民のひと。
家の前を掃除しているおばさん。
「おはようございます。お早いですね」
下町の井戸前で声をかけられた。
木曽路に恋する気持ちを見透かされたか。
「えへへ」と照れ笑いするしかない^^

492433393_11_2 井戸水をぐいっと一杯あおる。
ぷはーーーっ!
ビールじゃないって^^;
続けて2杯、3杯....俗に言う駆けつけ三杯か(笑)
甘くてころんころんとした水だ。
ミネラルウォーターを飲む習慣がない人には、カルキ臭のない飲用可能な水は不思議な飲み物である。
持参の水筒と、カラになったばかりのPETボトルにも水を詰める。
ちょっと生き返った心持ちがした。

予定では、塩尻まで電車で出て奈良井へと戻るはずが、あまりに早く着いてしまったためにそのまま塩尻に目指すことに変更。
1時間近くの待ち時間はあまりに惜しい。
人気のない奈良井の町を後にして、東を向く。
新聞配達が追い抜いていった。

前回訪れて以降に得た知識を以て、奈良井川を見た。
鳥居峠を分水嶺として、東へは信濃川水系の奈良井川として日本海に注ぎ、西へは木曽川となって伊勢湾へたどりつく。
木曽路の川は西へ向かうという先入観があるから、この奈良井川の向きは驚異だったのだ。ちょっと大げさに言えば常識を覆している。そんな気持ちで 見ていると、奈良井川は特別な川に見えてくる。小汚い印象の伊勢湾よりも、日本海に行けることは君ら幸せなんだよと水に語りかけてみて、「ばかじゃねぇ の」と一人つっこみをして唇の端をニヒルにつり上げてみた。
いや、アヒルじゃねぇ、ニヒルだよ。

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雨の醒ヶ井宿 (3) 六方焼

475954420_251 もう少し東へ歩いてみる。
雨はどんどんひどくなる。
地蔵川の水面は雨にたたかれて、池は神秘的に煙ってきた。
あたりの石垣にたくさん固着しているユキノシタも花を閉じたままで雨に打たれていた。

さしもの居醒の清水も、大雨の影響か水が濁っており、とても口にする気にはなりませんでした。端で飼われているイトヨくんたちの水槽も濁りがち。
さすがにいたたまれず、寺の縁でデイパックにカバーを掛けました。

475954420_17 475954420_115 しかしこれ以上東へ行く必要もなく撤収。
途中の路地をのぞき込むと菓子屋があったので少しのぞいてみた。
店の名前が「泡子堂」。
これは西行の故事にちなんだものであることは間違いなし。(読みは「あわこどう」らしい)
そこで六方焼きという菓子を買う。
6面焼いてあるから六方焼きとはそのまんまか!^^
「今日は雨だからいかんねぇ」といいつつ菓子を袋へ。
それにしてもこの雨は、親の敵か。
こんなに激しく降ることはあるまい。
途中の雨量計には23mm/hとあった...

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雨の醒ヶ井宿 (2) 醒ヶ井宿問屋場

小さな醒ヶ井大橋をこえ、地蔵川を見つめながら歩いていくと、いつもと同じようにやはり水場に花が生けられていました。
旬はやはりあじさいでしょうか。
雨に濡れるあじさいは艶っぽいよね。
あじさい+カタツムリ+雨=日本の梅雨ですもん。
でも雨が激しすぎたか、かたつむりは休業中。

バイカモも白い小さな花を咲かせてました。
「バイカモは美しい水でしか生きられない」というけれど、淡々の国はそうではない。ここの水には魔法がかけられている。
農業用水にすらスクリューバリスネリアが水にたゆとうているのを街道歩きの時に見たもの。

474385759_135 問屋場に着いた。
ほぼ完全な形で残っている問屋って全国にどのくらいあるのだろう。現存する問屋というのは決して少なくはないけれど、その大半は現役の建物であ り、人が住んでいて内部を見学できないし、人が住んでいる以上内部は時代に応じて大きく改変されているに違いない。そういう意味合いで、ここの問屋は大変 に貴重である。

474385759_99 474385759_45 部材はほぼ往時のママ。
古い木を見るとなぜかさわりたくなる。手でなでてやりたくなる。
中央の梁のみが新しい木材で補強されている。
が、この木材の丈夫さよ。
じめじめとしたこの国の風土のなかで、百数十年腐らずに立ち続けている。虫がかじった跡だけが、柱を劣化させているかのよう。
この国では木は永遠なのだろうか?

ちょうど問屋前の地蔵川にばいかもの花がいっぱい咲いてます。
雨ニモマケズ、写真を撮った!
向かいにはベンガラ塗りの家屋があり、なかなか絵になる。
う〜ん、マンダム(?)

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雨の醒ヶ井宿 (1) 旧醒ヶ井郵便局

醒ヶ井宿に行ってきましたよ。
街道歩きと資料館は時間的に両立が難しく、あとから拾い集めることになっています。
醒ヶ井の見所は地蔵川をを中心とする風情でしょう。
時期的にバイカモの花が見られるばずだけれど、天気が天気なのでほとんど期待しないままに資料館を訪ねてきました。

474238635_139 旧醒ヶ井郵便局、外見は擬洋風二階建て。
実は木造なのであります。
内部は板張りの土間となってました。
昔はよくあった内装だけれど、近年急速に姿を消してしまい、懐かしくもある。
ガラス窓には昔のママのガラスも何枚かありました。
二階に上がると和室が二間。道路側にはサンルームがあって和洋折衷もいいところ(笑)ちっとも「折衷」している感じはしないけれど、なんとなく過ごしやすそうな雰囲気です。
日本の民家は二階にベランダなどは設けませんが、室内を明るくするためには有効な手段だったかも。大胆だけれど合理的。

474238635_187 474238635_53 サンルームから外をのぞくと土壁作りの純日本家屋による酒屋さんが見えるし、旅籠だったという住宅も見えます。
旧郵便局の前は中山道ではないけれど、駅と中山道を結ぶという使命からか、時代を反映した道作りが感じられます。
醒ヶ井駅開業が明治33年の開業というから、その頃の道の意識というものが、道の姿に現れているのでしょう。
管理員のおじさんは「風情がなくなった」というけれど、失われた現在の姿でも、今の街作りにはない柔らかな町が見えます。
機能専一じゃないというのかなあ。
都市の道路は雨が降ってもなんの変化もないけれど、柔らかな道っていうのは、周りの環境によって与える印象を変える。
雨音を聞きながら、「いいなぁ」とつぶやいてみる。
おじさん苦笑い^^

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街道歩きの快感

ふぅ〜疲れたよ。
朝8時過ぎから歩いてんだから、もうそろそろ5時間になるよ。
コンビニの一軒くらいあったって罰あたらんだろっ
やっばり見かけた時が買う時。
これ、街道歩きの基本(爆)
コンビニは大切にしなきゃダメだよ。

でも今日は桑名から四日市。
途中で一号線と合流する区間もあるし、なんてったって近鉄富田は急行停車駅だ。「旧東海道の間の宿」とはいえ、食堂の一軒くらいはあるだろう。そこでビールを飲むの。
ぐびぐびーーーっぷはーーーーーーっ!!!と。

「汗が引くよねーーーーーーっ!」と店主に話しかけたい。
周りはサラリーマンだよ。
「ラーメンセット」食ってるよ。
その隣でリュックと重いカメラを背負ってきたあんちゃんがビールをあおっている。
でもここは富田じゃない(笑)

「餃子とビール」
そのひとことで視線を感じる(爆)
「車でしか来られないようなこの場所へ、こいつはどうやってきたのか」
そう人に考えさせることが、快感になっています。

「歩いて来たんか!!!!」

参ったか、おっさん!!!

\(@^o^)/ <キャッホー!!

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岐阜のこと 〜中山道余話

茶所駅で岐阜行き普通列車から降りたのは天にゃんひとり。
改札からもっとも遠い車両に乗っていた天にゃんが、名鉄の自動改札システムを過ぎるまで列車はホームに止まってた。
場内信号は青なのに。
「また岐阜のガントレットで詰まってんだろ」とニヤリ。
中山道にたって踏切をみれば、ポケモン電車が岐阜へ向けて走る。


駅からすぐ道標が見える。
道しるべなのか、なにかの記念碑なのか、とってもわかりにくいものが多い中、「東海道」「江戸 木曽路」と書いてあると、正体がすぐに判明してアホにはとてもわかりやすい。
この道標は鏡岩濱之助さんが建てたものです。
ちゃんと側面に銘が入っていて、「天保十二年辛丑十一月 鏡岩濱之助内建之」とある。
鏡岩さんは相撲取りでありながら行いが悪く、それを反省するために種々の善行(?)を行ったとか。
多くの人がすぎた中山道に名を残した人、鏡岩さん。
どんな人だったのか、想像しながら石碑を見る。
人にかけた迷惑を、「人のために尽くす」という形で返した鏡岩さんは人間的だね。人間、金じゃないんだね。

10数分歩く。
右に折れ、左に曲がる。枡形が十字路になっているが、あえて枡形を意識して通る。


旧加納町役場(岐阜市役所加納支所)の前でジョロを持ったおじさんがこっちを見てるよ。
役場は名古屋工業大学初代学長・武田五一の設計による。
洗い出しの壁は黒ずんでしまい、溌剌とした建物のイメージは失われてしまっているが、派手さのない洋風建築にむしろ時間を与えていて、悪くない。悪いと言えば、「立ち入り禁止」のトラ柵だ。

街道歩きで目があった人には、必ずあいさつしようと心がけている天にゃん。
ファインダーをのぞいている彼に、地元のおじさんから先に声がかかる。
「戦災ですべてをなくしたからあんまり楽しくないんです」と。
「そんなことないですよ。道標とか、加納城大手跡とか風情ありますよ」
「加納城といえば、発掘してますよ」
などと、歴史話でもりあがる。
20数kmを歩きたい天にゃんは実は話から逃れたい。
その反面、地元の話を聞きたい気持ちと、半々。
苦しむ天にゃんに「長良川を越えるとね、なかなかいいですから」とアドバイスするおじさん。
おじさん、ここまで詳しいのは、旧街道好きと見た。

加納町役場を、白亜の殿堂に戻してあげたい。
職人の手が生み出した洗い出し、電動ハンマーで作り出した洗い出し、型で作り出した洗い出しを見比べてみたい。
これを登録文化財に申請したのは岐阜市ではなく、おじさんのような地元の人じゃないんだろうか、とおもった。
とりあえず登録されたからには、壊すことはないだろう。
ちょっと安心。(昭和12年築)


1時間ほど歩くと、昭和初期っぽい建物に出会う。
建物の角には、おばさんが人待ち顔。
直方体に三角屋根が乗った機能的な建物で、まるで小型兵舎みたい。しかしながらてっぺんの瓦には「〒」が輝く。
これは間違いなく郵便局の建物だろう。
今では民家になっているようだけれど、その形は町の雰囲気にとけ込んでいる。町がなんとなくこの旧局舎に遠慮しているようにも見えた。
写真を撮っていたらおばさんは顔を伏せた。


すぐ近くに神明社があった。
八幡さんまでチェックする街道歩きはなかなかいないよ(笑)
内容物はともかく、社号標に注意!
「正二位 基弘書」とある。
正二位といえばお稲荷さんより格下(爆)だけれど、関白・摂政にもなれる、事実上天皇以外の最高の身分である。
「正二位は私しかいない」というこの大した銘ですね。

検索してみた。
たぶんこの人だろう。
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二条基弘
    生没年:1859-1928
    父:従一位関白 九条尚忠
    義父:関白内覧摂政 二条斉敬
        1884- 公爵
        貴族院議員
        宮中顧問官
        春日神社宮司
        正二位勲二等
    妻:前田洽子(父:加賀金沢藩十三代藩主 前田斉泰)
        -1900 徳基
        1883-1927 厚基
        1886-1936 邦基
        敬子(夫:鍋島直高)
    女:
        澄子(夫:小津茂郎)
        承子(夫:平光寿)
        元基
        建基
        恭基
        敏基
        1908-1942 随心院住職 勝元
        正基
        成基
        倫基

========================

別のサイトでは「書をよくした」とあるから、当時も引っ張りだこだったのかもしれないが、岐阜(鏡島村???)の片田舎のさして大きくもない氏神の社号標に彼の名が記されていることが、なんとも不審である。
この地になにかゆかりのあった人なのだろうか。
ちょいと気になりつつもそのままにしてしまっているが、社号標の日付までは見てないから、照合のしようがない。
また岐阜の町へいかなければならないか。

また、隣にあった国旗掲揚台には陸軍大将松井岩根の書が。
この人は好かれていたのか、書で有名なのか、こういうものにまったく造形のない天にゃんですら数回目にしている名前である。
今や陸軍大臣としてよりも、「書家」の印象の方が強い(笑)
それなのに、名古屋市内のある神社では、彼の身分がモルタルで埋められているのを見たことがある。
嘆かわしいぞ。

中山道は、果たしていつ頃まで「中山道」として機能していたのだろう。
こうした有名人の名を恥ずかしげもなく掲げられるほど、当時はこの土地に政治力や経済力、勢いがあったという証明になるのだと思うが、昭和中期生まれの天にゃんには、知るべくもない。
加納町役場のおじさんは、そうした「江戸時代の名残り」を見たのだろうか。

写真は河渡橋東詰から見た中山道と岐阜城。
江戸時代の旅人も、間違いなく中山道と稲葉山は見た。

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よくない日だったのかな...

茶所は中山道に面した駅。
駅の入り口に「中山道」と彫られた石碑がありました。

にしへにしへ。
旧加納村役場前でおじさんと目が合いました。
「中山道歩きですか。」
「このあたりは戦災で焼けてしまってみんなダメになっちゃった」と。
でもここへ来る道中は不規則で、旧街道の名残をとどめてましたよ、というとおじさん少し顔がほころぶ。
かいわいは単なる都市だけれども、やはりどこかが違うのね。
名古屋にしてもそうだけれど、戦災ですべてを失ってももとの道路形状だけが残るのは土地所有権の問題などがあるからだろうか。
うねったり、幅員が変化したり、都市計画上は相当な制約になると思われるのに。
しかし岐阜市内の中山道は総じて道路幅が広い。
これは繁栄の跡を示しているのだろう。
そして秋葉神社の異常なほどの多さよ。
主なものだけでも4〜5箇所は確認した。
加納宿はそこまで火災に苦労したのかもしれない。

さらにてくてく。
やはり都市に残る旧街道にいろいろなものを求めるべきではないのかも。もう何も残ってない。
鏡島大橋へ向かう道との交点で松屋を見つけて、早めの昼食と為す。
知っている道と、未知の道との接点。
旧街道を歩く場合、それは過去と現代の接点とほぼ同じ心象的風景でもある。
「あぁ、鏡島大橋やんか」おもわずつぶやく。

相変わらずな道をさらに西へ。堤防を上がって河渡橋を渡る。
この河の西端あたりから河渡宿となるが、今では面影は皆無である。
堤防沿いの道を下へおりたところで、中山道を見失う。
中山道はおそらく、河渡橋よりも南で長良川を渡ったのだろう。400m南下しなければならないことに気づかず道に迷う。
河渡宿がない。
風情もくそもなく、さっぱりわからない。

道路の形状と地図を合わせながら進むが、違う方向に進んでいるよ、と天にゃんの本能がささやく。

かれこれ1時間以上は無駄にしたであろう。
基本に戻るつもりで、「200m先河渡宿」の看板まで戻ろうとしたところ、携帯がないことに気づいた。
心当たりはひとつしかないが、まったくみつかる気配はないので、さっさとDoCoMoに連絡して止める。
歩く気力も失い、とぼとぼと河渡橋を東へと歩む天にゃん。
これはきっと岐阜市をぼろくそに言っている報いなのだろうが、原因は言われる原因は岐阜市にあることを天にゃんは忘れていない(笑)
帰りにはDoCoMoショップによってFOMAカードを再発行してもらい、ついでに安い携帯をひとつ購入しておいた。

ふぅ...ロクでもない一日だった。
寝過ごしたこと自体「家におれ」ということだったのね、神様。

しかしながら、とりあえず加納ー赤坂という中途半端な距離を縮めておいた価値はあるし、河渡橋まではJR岐阜駅から直通バスが頻繁に走っていることは知ったから、次回の中山道歩きには役に立ちます。と日記に書いておこう...

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雨に煙る木曽路

あめだあめだ。
8時現在、けっこうな音を立てて降っとりますが、そろそろ意識も覚醒してきて、「何をして過ごすか」あわててる最中。

新しいオーディオをがんがん鳴らしてみたいし、高速で1時間ほどの範囲へ出動したい。

二川宿本陣資料館
一度行ったなあ。
草津宿を見た後ではあまり見たい気がしないけれど、資料館と合わせれば負けないだけのボリュームはある。
でも...東海道なのか?(笑)
「旧街道」となるとどうしても中山道〜木曽路に目が向いてしまう。
中山道広重美術館....いいかもなあ。

しかし木曽路というと、やはり中津川以東やなぁ。
正確には木曽路は馬籠からだけれど。
中津川宿から妻籠の風情は都市部と木曽路が混在し、大好きなコースでもある。
部分的に相当なアップダウンがあるけれど、それを通り抜けて馬籠地区に入れば、新茶屋〜荒町〜石屋坂〜馬籠峠の風景がある。
新茶屋から石屋坂へのルートはアスファルト舗装によって著しく印象を悪くしているが、道祖神や、石碑等に救われている。
なにより「夜明け前」読者にとっては、「新茶屋まで迎えに出た」
「石屋坂付近には...」という記述が思い出されて、なぜだか子供の頃見た景色が蘇ってくるような錯覚を強く感じる。
馬籠の魅力は、新茶屋から歩かなければわからないのだ。

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いけ、こい、ふな

名鉄のまちかど物語。
先月は津島でした。
電車で訪れて町を散策してください、町から少しだけサービスっていうささやかな企画ですが、いいんだな、なかなか。
津島ではお茶とだんごのサービスしたらしい。
今月の池鯉鮒の巻も、いくつか小さな企画がある。

サービスは小さいけれど、店も小さいからそのサービスは相対的に決して小さいとは言えまい。
考えてもみよ。
自分の店の売り上げを減らしてまで町に人を呼びたいという心がけでもあるのだ。そういった気持ちに応えたいと思うのは人の常ではないか?(なにをいってやがる)

まぁ一般の人はそんなことは感じないだろうけれど、旧街道を歩いている関係上、そちらに足が向くのは必至である。

少なくとも今月中には鳴海〜池鯉鮒を歩いてみようと思っています。
「名鉄まちかど物語を利用して来た」ということをネタに店の人と話が出来たらそれはまた思い出のひとつになると思うし、それは天にゃんの街道歩きの記憶の一つになるはずなのだ。

タイトルから誘われる人がいたらおもしろいな(爆)

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奈良井 (5) 藪原宿へ

峠付近では、どうやら現行道路と交差しているようで、狭い道をダンプがゆっくりとゆく。
そんな部分はごくわずかで、峠道は左へと進む。
熊よけの鐘があります。
「熊も人間が怖いのです」
からんからんと2〜3度鳴らして再び山道へと入るが、どうも熊とダンプの共存が信じがたい。
「こっちにはダンプがついている!出られるものなら出てみろ!」といきがってみる。
目はあたりを注視。
熊、出るなよ...と(笑)
「おまえもおれもお互いに怖いんだから出るなよ」と。

山の中をどんどん下っていくと、ふたつめの熊の鐘。
これも鳴らしておく。からんからん。
ふたたび車用道路を横切る道にも3つめの鐘があるが、出口なので鳴らす必要はなかろう。

そのまままっすぐ降りていくと里に出た。
消防署が見える。
地図ではすぐ近くを国道19号が通っているようだけが、とても信用できない。
地図は、よく調べ直すべし(ぉぃ)
下り坂にまかせて自然に藪原宿に入っていきます。
お六櫛の店も健在。
大変静かではあるけれど、人の息づかいが感じられるまちです。

そのまま駅から列車に乗って奈良井に戻りました。
夕方の山中っていうのは日中とは違ってひんやりした空気が中山道を冷やしています。
ひんやりした観光客のいなくなった中山道は、地元の人たちのもの。
あちらこちらで立ち話しています。

自然がたっぷりとあって熊も住んでいる上、至る所にわき水がある鳥居峠はすばらしいハイキングコースでもあります。
熊さえ出なきゃね!

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意外性の一日 (2) 諸戸氏庭園見学

諸戸氏庭園へ行ってきました。
春の公開ですね。

450204695_54 重要文化財の店で受け付けをすませて順路通り進む。
庶民のくせに「御殿」がある。玄関がある。
玄関は寄せ木の床だし、ふすまには絵も。
いや庶民ではない、これは実業家の屋敷。(いわゆる成金かw)
東京で言えば三菱邸のようなもの。
庭園のしょうぶは少し早かったけれど、客は自分ひとりなので、全体像など見て楽しんだり、うまい構図などを探し求めてみる。
内部は庭園だけでなく、いくつかの建物もある。
中でも目を引いたのは、まるでジョサイヤ・コンドルが手がけたかのような洋館。これは店本館に接続されている建物であるが、素人が見ても、明らかに諸戸邸をパクっている。パクっているという表現は正しくない、これはコンドルの作品なのだから....とその時は思った。
テラスの形状などほんとうによく似ているのだが、あとで受付で聞いてみると、「コンドルではなく、彼の孫弟子で名古屋の大学の先生」と言うものだ から、武田五一かと思いきや、違うらしい。「鈴木...」というので、鈴木禎次ですか、と問えば「そんなような名前でした」とのこと。
鈴木禎次は辰野金吾の教え子であり、その辰野はジョサイヤ・コンドルの教え子。つまり孫弟子。
ということは、鈴木禎次は、あえてコンドル設計の諸戸邸のエッセンスをこちらに持ち込んでデザインしたんだな、ということがわかった。窓の形状などは違うし、内部の造作はまったく違うのだけれど、全面デザインはまさに諸戸邸の小型版。
祖父師匠への恩返しだったのかもなあ。
あたしはこの建物にご執心です。
しつこくおねーさんに、言い寄ってみました(笑
「内部は公開してないんですね」
「内部はこれまたすごい造作ですねぇ、宮殿みたい」
するとおねーさん、
「イベントなんかは時々あって、そんなときは中に入れることも」と教えてくれました。
「よろしければ、メールアドレスを記帳してくだされば、情報を送ります」とのこと。
わーーーーーい!
うれしいなっうれしいなっ。
中は白塗りで、柱の1本1本にもきらびやかな金色の模様。
マイテ49の超豪華版です。

さて、御殿。
この規模の大きさよ。
ぼくの嫌いな三流元勲山県有朋や、福沢さんなどが訪れたことのある「御殿」は、30万石大名の風格。
彦根の庭園に見る。御殿よりも二回りほど大きい。
「上がらないでください」と注意書きがあるけれど、150cm程度の身長の人は、縁側にすら背が届かず、内部を見ることが困難です。
それほどでかい。

庭はしょうぶがいっぱいなのですが、つぼみが多い。
時期が少し早かったようです。
公開は6月いっぱい。
「うち近いし、また必ず来ますから」とおねーさんに言い置いて帰途につきました。

家を出るとき、諸戸氏庭園も候補に挙がったのですが、「庭なんか見てもしょうがない」と却下したものです。主体である東海道歩きがしょぼいままに終わり、諸戸氏庭園でフォロー。
なんとかいい雨の休日になりました。

苦しいな(笑)

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意外性の一日 (1)東海道・桑名〜四日市

夕べの予報は、「昼過ぎから雨」
今の現場は一日晴れていないとまったく進められない現場なんで、「今日の既設防水撤去は中止」と早々連絡がありました。
さて、あたしはどうするか。
早速と出発の準備ですわ。
東海道の旅。
今日は桑名から始めます。
結局歩き始めが9時40分になってしまったので、内部駅はあきらめて、四日市宿(四日市駅)が目的地になりました。
パラパラ雨の中、七里の渡し跡公園から。

桑名近辺こそなかなか風情がありましたが、だんだんとただの田舎になってきた。
狭い道に車がどっしどっし入り込んできてうざい。
落ち着いて歩くこともできずに半分むくれてましたよ。
富田には間の宿があったというが、面影はまるでなし。

さっさと歩いて、四日市宿に入る手前で、遅いランチ。
今日もビールを飲みましたが、中ジョッキいっぱいね。
二杯飲むとしんどいんだわ(笑)

四日市宿も面影はほとんどなし。
幅員が一定でなかったり、道がまっすぐではないことで、かろうじて東海道の雰囲気を見いだす、ちょっと辛い旅でした。
四日市駅から近鉄の急行に乗って桑名に戻りました。

つづく。

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奈良井 (4) 鳥居峠

案内書のおじさんは「鳥居峠はそれほど険しくないから」と言っていたが、どこと比較しているんだか。
一般に中山道でもっとも険しいとされているのは和田峠であり、続くのが碓氷峠、鳥居峠だ。
なのに「それほど険しくない」とは。
何かの謎かけか?(笑)

447682021_13 奈良井史料館を出て脇道にはいるのが中山道だが、いきなり目を疑った。
そびえるばかりの急坂。しかも天にゃんの苦手な石畳である。
数歩上がるだけで息が上がる。
「どこが険しくないんだよぉ!」とおじさんをなじる(笑)
しかし大半の責任はビールを飲んで歩いている自分にあると言えよう。

それはきつく、すでに「うっちゃんなんちゃん」のかけ声すら適用できず、えっさほっさと息を吐きながら上がっていく。

あ、地元のおばちゃんや。
「こんにちは〜けっこうきつい坂ですねぇ」
「えへへ、どこまで行かれるの?」
「薮原まで」
「気をつけてねー」
知らない土地の人と話すのは意外と気分転換になる。

447682021_235 447682021_123 坂、坂、坂...
あまくない坂である。
石によって足がアトランダムに「動かされてしまう」石畳は、ひざもを不意に動かされてしまうので、要注意である。一歩一歩踏みしめて歩かないと、突然ひざに激痛がくる。
さすがに若さを誇る天にゃんも、アルコールには勝てずに随所で休む。
これがなんともいえずに気持ちいいのだ。
露天風呂に入ってる気分に似て、自然に返った気がする。
体はほてって暑いけれど、通う風は冷たく、体を冷やしてくれる。
そしてあちらこちらにあるわき水が頭や体を冷やすのにもってこい。
しかも一部は「飲めます」と表示があることも大変にありがたい。
こんな山中を歩くのだから、散策者は飲み物くらい持参しているのは当然だが、その水を飲むことで山と深くふれ合った気になるのだ。
「どうだ、おれは懐が深いだろ」と山が天にゃんに自慢する。

中の茶屋跡には休憩所がある。
なんだか落書きがすさまじいが、よくみるとほんわかする。というのは、落書きには付きものの、「バカ」とか「オマ○○」などというくだらない落書きではなく、「ここに着いた!」というたぐいの落書きだから。
昭和50年代の落書きが特に多いように見受けたが、その頃からすでに中山道歩きを実践していた諸先輩がいたようだ。
もう少し上がれば鳥居峠の頂上である。
道ばたにはテンナンショウがたくさん花を咲かせてた。

鳥居峠頂上付近には、音をあげて流れてくる豊富なわき水に隣接して、大変にきれいな休憩所が設けられている。
冬期は閉鎖とあるが、それ以外は24時間開放されているのだろうか。
まずはわき水で顔と頭、腕など露出している部分水で流す。
わき水の量がすさまじく、はねた水で靴が濡れる。
つめた〜いじゃなく、つめたっ!ですわ^^
その冷蔵庫で冷やしたような水を飲む。
ぷぅ〜うまいっ!
ここに住みたい!
決して不便とも言えまい。
10m先をダンプがゆくのだから。

快適な空間に身を置き、落書き帳をめくってみる。
どうもここに泊まっていく人がいるようだ。
「夜空に身をさらし」なんてしゃらくせー形容を使う者もいる(笑)

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東海道を東へ

夕べはホテルに着くなりシャワーを浴び、バスタブにお湯を張って、入浴剤を入れた上で30分ほどゆっくり浸かりました。
その後は足に湿布をぺたぺた張って、7時過ぎから横になっていました。
寝たり起きたり夢うつつで、午前2時頃までそんなことを。

447042149_213 447042149_74 朝は7時にキショーッ!
「草津本陣に行って、交流館へ行って、電車に乗って帰るの」
と何度復唱したことか。
でも追分の風景があたしを変えましたね。
「とりあえず交流館へ行って旧街道の情報を入手しよう。話はそれからだ」と。
交流館では「近江の中山道・東海道ルート」と称したパンフレットが売られておりました。
実物を見て、「これなら歩ける」と確信。
草津の東隣の宿場・石部までの距離を係の人に聞いたら「11kmです」。
約3時間。足の遅い天にゃんなら4時間か。
決定を先延ばしにしてとりあえず草津本陣へ。

本陣はすばらしい建物でした。
撮影できないことが唯一残念。
一通り建物の説明はあるんだけれど、客の質問に答えられそうな人がいないことが残念。
あんな若くてきれいなおねーちゃんに聞くのは野暮という物だろ?(違うかw)

本陣の中で街道パンフレットをみながら10分ほど考え込んでましたよ。
結論を先送りして、とにかく草津駅へ行ってみた。
たとえば石部まで歩いたあとに電車にのって家に帰る時間とか。
その結果3時間で歩けば、名古屋には6時過ぎに着くことがわかった。
「石部から名古屋まで。関西線経由で」
となりのカウンターではおばちゃんが愛知環状鉄道に乗りたいと係員に絡んでました。
気の毒なカウンター君...

そうそう、草津ではちゃんとうばがもち買ったよ!
でも感動がない。
あるべき位置に店がないんだからね。
土山で買った蟹ヶ坂飴の方が感動したくらいのものです。
天にゃんにとって、街道で買う菓子は味じゃないのです。
いかに往年の姿を楽しませてくれるかというのが大切なこと。
だからとっても残念、うががもち。

447042149_21 12時ちょうど
草津駅を出発!
とにかく一生懸命歩いた。
足はさして痛くはないから歩いた歩いた。
途中いろんな撮影スポットがあって、やはり足を止められてしまうね。けれどもどうにかキッチリ3時間で石部に着いたよ。
天にゃんの賢いところは、石部宿には踏み込んでないところね。
宿場は撮影ポイントが多いから、時間食うの。
かといって風景を見ると、撮影ポイントに対する反応が鈍る。
そこでさっさと石部駅へ。
駅横のコミュニティハウスでパンを食いながら競馬中継を見る。
そう、日本ダービー。
けれども列車は15:34。
出走を見ることなく、列車に乗った。
すんげえ悔しいがや!

名古屋には無事定刻着。
街道歩きは楽しいなぁ。
暑かったし、なにもない所の方が圧倒的に多いんだけど、なぜかやめられないぞ。

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東へ西へ あわあわの国をゆく

米原行き区間快速で武佐宿へ向かいます。
この列車、先の中山道歩きの時今須峠で見た列車だけれど、青春18シーズンオフの今ではガラガラです。

夕べは2時頃まで起きてたから眠たいよ〜(^o^)

今日は武佐から終点草津ま約17kmを歩きます。
草津にとまるかどうかは未定。

おととい鳥居峠を無事越えられたことが、足への信頼になっています。
近江路は平坦だもんね!
これが無事にクリアーできれば、歩くことに限定すれば、足はもう大丈夫ということで!

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奈良井 (3)

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西の果てまで来たw
鎮神社(しずめじんじゃ)は宿内の最高地、ここから写真を撮ると、鍵の手あたりまでは見通せる。
右手には水場と道祖神、それに高札場。
絵になる風景ではある。

腹が減っては戦はいくさはできぬ。
いや、10時頃P.Aでそばなどを食った物だから正直腹は空いてなかったが、今後のことを考えて昼飯をとることにする。
食べることも大切だが、それ以上に歩き回った体を休めることが大切なのだ。
だからビールを飲む。
おばちゃん、もう1本ね!
今日はそばやのごへい餅を右手。
木曽路に来るといつもごへい餅だなぁ。
でもここのごへい餅はちょっと違っていて、おにぎりより少し固めに丸く握った生地をあぶった上に味噌をのせたもの。
こいつは酒の肴にはいいなぁ!
高菜の漬け物がついていて、おやきとごへい餅をいっしょに出されたみたい。
あまりに口に合うのでついつい3本目のビールに手が出る。
うひっ!
「ビールもう1本ね」と言ったら、左のカップルが異国語でなにやらひそひそ。
君らも飲めばいいのに。
右側の初老のご夫婦はそばを注文。
「ごへい餅食べたいねぇ、ここのは少し変わっているようだよ」と聞いたこともない言葉で話している。尾張人からすればこれも異国語と言えよう。

だめ押しにそば定食。
そばと麦とろじゃな。
これでフルコースやっ!
昔は観光地の定食ものなどまずくて困った物だが、近頃ではどこでもたいそううまいものを出してくれる。むしろ下手なチェーン店よりもずっとうまいぞ。
ビールを飲みながら考えた。
「3本も飲んでまったぞ、これでは車に乗れん。夕方までうろうろしても、3本分のアルコールは抜けまい。いっそ泊まるか...」
ふだん動かない天にゃんの脳はこの時とばかりに回転を始める。
が、「バカの考え休むに似たり」とはよく言ったものだ。
まるで天にゃんのために存在するような名言だな。
しかしまあ体は休めたのでそれで良しとしよう。

精算している間に入り口を見ると「うちの店の誇り」という看板があった。酔っぱらっていたのでよくは覚えてないけど、立派な看板なので写真を撮らせていただいた。
どうやらこのそばやさん、以前は櫛問屋だったらしい。

ついでに「ここから薮原まで4時間くらいで行けますか」と聞いてしまった。
あ〜あいさつ代わりにこんなこと言うなんて。
「そんなにかかりませんよぉ、3時間でおつりが来ます」
そのおつりをくれ(笑)
「どうかしたら2時間でも歩けます」となっ。
でもその場では決めない。
おねぇさん、何か勘違いしているかもしれない。

とにかく宿場内をうろつく。
それには観光センターだ。
「こんにちは〜パンフレットくださ〜い」
気軽にこんなことが言えるのは酒の力である。
偉大なるかな、アルコール!

「薮原までどのくらいかかりますか」
またやってしまった。
「鳥居峠越えですね。2時間半くらいです。3時間はかかりません」
やはりそうか。

「え゛、行くのか?」と右膝あたりから声がした^^;

楢川村史料館には入館する。
すでに歩くことで頭がいっぱいで、マリア地蔵のことなどすっかり忘れている天にゃんであった。

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奈良井 (2)

444734963_5 宿場に戻る。
奈良井の建物は木曽路らしく二階部分が突出しているがその量が少なく、しかも先端にはカーブしたひさしがついている。それを金具でつり補強してあ る。そのひさしにも飾りがついているところをみると、実用性がそれほどあるわけでもない中途半端なうだつのようなものかもしれない。
平日とあって宿場内は静かで、聞こえるのはおばさんのでっかい声と、酔っぱらいの声(天にゃんは含まれずw)。
みやげもの店も半分ほどは店を閉めている。
いくつか目を引く建物を撮影しながら西へと歩く。
なにしろ1kmあるから歩き甲斐はある。
いつもだと、もう終わりじゃないかとびくつきながら歩く宿場だが、今日は長い。
まずは枡形。
枡形といっても街道の家並びに四角い石垣が築かれているだけだが、これがなぜ枡形?

444734963_231 途中にある水場の水も遠慮なく飲ませていただいた。
冷たい!
うちにもこんな水道が欲しい!

山を背景に緩やかに続く宿場はいかにも美しい。
日差しは強くても、時折冷たい風が流れてきて快適である。

444734963_12 上問屋史料館を見る。
問屋とは荷物を継ぎ立てる運送業者のようなものであるが、公認業者なのでその地位が高く、宿場役人を担当していることが多い。
つまり中山道を送られる荷物は、宿場宿場に常置されている馬と馬子によって、東ならば贄川、西なら薮原まで送られ、またそれぞれの問屋によってさ らに隣の宿場に送られるといったシステムだが、のちに「中馬」というものが発生する。これは送り先まで直接ひとつの業者が運んでしまうシステム。中山道の 問屋はこの中馬にずいぶん泣かされたらしい。逆に中馬が発展したのは距離面で有利な街道で、中山道沿いの問屋は中馬の制限を何度か幕府に求めていたよう だ。
時代は繰り返す。
国鉄貨物もかつては車扱と呼ばれる継ぎ立てのようなシステムを中心としていたが、スピードが求められるとフレートライナーのような直行貨物が中心となり、車扱いはついに駆逐されてしまう。
それらのいいところをすべて吸収して効率的に運んでいるのが宅配業者である。いやぁ、よくぞここまで成熟したなっていう気がするのだ。

そんな話はともかく、宿場のシステムを知ってから見る問屋は興味深いものだ。
1日にどれほどの荷物を継ぎ立てていたものだろう。店先は旅籠の店先と同じ程度のスペースしかない。
運送店としての機能を中心として見たが、どうもただの商家に見える。
そこで係のおっさんに荷物の置き場を聞いてみると二階だという。
二階は6畳間が4つほどあるが畳が敷かれているし、床がある部屋もある。
そんなとこに荷物を入れるのかい?
ちょいと信じがたいけれど、奧も同じような部屋ばかりだからおっさんの言うとおりなのかしら。
階段は箱階段も含めて3箇所あり、それはそれで機能的には作られてはいるが...
箱階段を使って二階に上がり、街道を見た。
この風景が一番街道を感じさせる。

街道に戻って鍵形に至る。
鍵形は枡形とは違うただのなだらかなクランクで、かなり安上がりな防衛システムだろう(笑)
しかも角地にきちん建物がたっていなので視野が通ってしまっている!
しかし天にゃんは行く。
とりあえず西の端まで行って、先のことは考えよう。

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奈良井 (1)

中山道制覇する上で、観光とのバランスはいつも葛藤するところ。
街道歩きはそれのみで十分に楽しく、「また来ればいいや!」などと安易に構えたりしているけれど、実はなかなか機会に恵まれないもの。
奈良井は見所も多く、それだけで1日を要してしまいそう。
順序は逆となっても、街道を通過するときの宿場と、宿場だけを目的した場合でも違った印象が残る。
山間をゆくことが多い中山道では、宿場は「オアシス」でもあるから。

大半の人が絶賛するだけあって、他の宿場とはスケールが違う。
妻籠の拡大版ですな!などと比較はしてみるけれど、宿場を売りにしている、馬篭、妻籠、奈良井の3つを比較すると、それぞれが個性的だと感じられるのは、努力のたまものなのだろう。

駅から出るとさっそく正面に「二百地蔵」の看板がある。
それほど遠くはなさそうなので、旧道を登っていく。
ちっちらおっちら...なんだ坂こんな坂...うっちゃんなんちゃんw

444502571_144 444502571_14 444502571_166






着いた...
入り口にはツツジが咲き誇る。
うちの近所ではすっかり終わってしまったツツジが、奈良井では満開だ("▽"*)
さらに杉の大木たちに迎えられる。
これは人間社会を超越した空間だ...

本当に200あるかどうかはわからないけれど、たくさんの石仏が並んでいるのは壮観である。
中には庚申さんや二十三夜塔などもある。
顔をひとつひとつ眺めてみて、苔にむした頭をなでてみたりする。
なかなか年季の入った苔じゃな^^
さわったくらいではびくともせん。

背後にはにそれらを支配するかのように祠があり、地蔵様かいくつか安置されていた。
「いいものを見せてもらいました」ってな心づもりで賽銭の10円をいれようとしたら、手元から100円玉がコロコロと。
「そうですか、100円の方がいいですか」
とそのまま賽銭箱へ。
なんとも愛嬌ある仏さまたちだわ^^

森閑とした木曽山中に静かに過ごす石仏さん。
国道や鉄道の敷設時に”邪魔”となってここに集められたとか。
景色のいいところに仲間と肩寄せ合っていい人生じゃないですか。

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ひさしぶりの名古屋城

CMOSに付いたらしいほこりを除去してもらうために、 朝一で名古屋のキヤノンQRセンターへ行く。

待ち時間に税関係の書類を出して名古屋市博物館へ。
目的は名古屋城障壁画展と、売店で売られている猿侯庵の本。
けれど博物館は休みだった。日通の人がたくさんいたから展示替えなのかも。
仕方なしに床屋へ行くと、また休み!
「今日火曜日だがね!」
そうだった。てっきり水曜とばかり…

意味なく円頓寺へ。
こうして天寅の天ぷらを食ってます。
ビール飲んだから車は駐車場に放置だな。

さて。
円頓寺から名古屋城まで歩いちまった。
さらに外周一周ときたもんだ!
実は北側の深井壕からじっくり見たのははじめてで、どんな風に見えるのか楽しみでしたが、格別なことはなかった^^;
その代わり、立体的な石垣の構造が、「天下の城」を感じさせてくれました。

441911904_36 現在、北西隅櫓を特別公開しています。
清洲櫓とも呼ばれ、清洲城天守を移築したものだと言われています。
実際のところこのようなでかい櫓を清洲城に置くのはバランス的におかしいので、移築といっても、部材を使って再構築したということではないかと思っています。
そこらのしょぼい城ならば、明らかに天守を勤めあげることができる風格と大きさを備えた櫓でおます。

城の周りをぐるぐる回ってた時に、いくつかおもしろいものを見つけました。筋違橋の南にある水道大樋。堀の水量の調節するものだそうで、オーバーフローした水は常に滝のように堀川に落ちていたとか。

441911904_253 朝日橋のたもとでみつけた変な石仏。
一体の石仏に顔が3つ。
千手観音?馬頭観音?あたりには何も説明がなくわからずじまい。
「こりゃなんだ?」と前掛けをめくって中をのぞいてしまいました。
(>ω<) いや〜ん (≧▽≦ )いやん♪
なんと下にはアンスコはいてた!(爆)
本丸の再建もいいけれど、もっとこういうところに手をかけていくべきじゃないかといつも思うのね。
西の丸にしたって本来巨大な馬出があったのに、鎮台さんがやってきたときに、つぶしてしまった。まずそれを掘り起こして再現してみせてほしい。
本丸再建ていうのは、仏作って魂入れずなんだよな。
「とりあえず仏を作れば見てくれる人もいるだろう」なんていう話にはならない。まず魂がなければ、仏は成立しないってことを、再建関係者はよくよく知らないとダメなんだよね。
もっとも再建そのものに反対というわけじゃないから、売店でピンバッチ買っといた。これで500円の寄付だ。
なにやら本丸御殿跡では発掘調査も始まっているようだ。

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八坂神社に思う 〜美濃路をゆく (完)

美濃路に戻ってゆくと、民家の壁に八坂神社祭礼の交通規制やら餅投げの張り紙。
餅投げなんて懐かしいなぁ!
昔瑞穂区に住んでいる時に2〜3度体験しただけで、それも40年前のこと。
時間は今日の4時やん!

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餅投げはともかく、八坂神社に興味がわいた。
そそられる名前だよね。
わくと同時にすぐに現れるところが、「美濃路」という主要街道を持った土地の特徴である。
鳥居前には用水桶が積み重ねられ、旗幟が2本たっている。
おや、その奧にはさらに高い木組みが見えるじゃないか。
地元の人ばかりで入りにくい雰囲気だけれど、中に入ってみよう。
高さは15mもあるだろうか。三角錐を作るための骨格のようなものが立てられている。
近くのおばちゃんに聞いてみた。
「あれに提灯を下げるんだよ」
「ものすごいきれいだで、見にこやぁ」
5/19の6時半頃提灯に日が入れられるそうな。
こりゃあ見物だ!
「店もいっぱい出るでね」
そこで天にゃん、返した。
「古い町ってこういうお祭りがあっていいですねー。押切の津島神社でも祭礼があるらしいし...」
するとおばちゃん、堰を切ったような話し出した。
どうやらこの界隈では、この時期まつりだらけらしい。
このおばちゃんの口から5つほどの神社の名前が出た。
そのすべてが見たいぞ。
発見した「いいもの」とはこの祭りのことでした^^

祭りにもいろんな形式がある。
先日マイミクさんが東京のまつりを紹介してくれたけれど、神輿を担いで氏神にたどりついても、手締めを奉納するだけなんだそうだ。
でも見よ、この地区ではからくり人形が奉納されるし、美しい織物で飾られた巨大な山車を引きずり回すんだぞ。
まつりは「モノ」じゃなく、住む人たちの気概であり愛情だけれども、対比されたときつい自慢したくなるのは、やはりこの土地への愛情なんだろうか。
美濃路をあと数百メートル行けば夏にド派手な西枇まつりがあって、からくり車が引き出されるのね。
ぴーひゃらてんつくな木遣り。
あぁ、早くみたいなぁ〜!

(終)

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白山神社と笈瀬川 〜美濃路をゆく(2)

かつての笈瀬川の流路の東には白山神社がある。
433720334_163 この神社では傍らにかかっていた権現橋の構造物が柵として再利用されれている。
リサイクルだということを恥じるようすなどまったくなく、むしろ橋桁であったことを誇るかのように入り口に向かって「権現橋」の文字が向けられている。
これも橋に対する愛情の表れだろう。
橋という構造物は、本来川がなければ成り立たないものだけれど、石造りの橋は川を失っても見応えがあるのは不思議なことですな。
手で触れると賑わいが聞こえてくるような気がする。
車のエンジン音じゃないよ^^;
中に入ってみると、お札があったので「足が治るように」と書いて指定の賽銭を入れてみる。
御利益や、いかに!

433720334_246 八坂町付近に達すると、道幅が狭くなる。
屋根神様を探しながら歩いていると、どこからか太鼓の音が聞こえてくる。
音に誘われてみると、津島神社祭礼の練習だそうで、大人子供が津島神社とおなじ敷地内にあるお寺の境内でたいこをたたいたり、鉦をたたいたりしてる。
けたたましいその音は石取り祭りの呼び名もあると境内の張り紙にある。
石取り祭りとは本来何を意味をするのか。
桑名市固有のモノではなく、一般名詞なのか。

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船旅がダメなら歩け! 〜美濃路をゆく(1)

七里の渡しは、極端に嫌われていたようだ。
これを回避するために、幕府は佐屋を経由して三里の渡しに縮めてみたり、中山道へと回らせるルートを作ったりしている。
前者は佐屋街道と呼ばれ、美濃路は後者。
東海道宮宿から分岐して名古屋城の大手道でもある本町通りを経由して名古屋宿に至り、西へ折れてのち垂井宿にいたる。
垂井側の中山道と美濃路との追分は、先日通過したばかり。

432514575_249 伝馬町から歩き始めた。
一号線と平行する1本西の道。
突き当たりが美濃路の出発点で、東海道は左に折れて宮の渡しへとつながる。
これを右に折れて1号線を越すと、熱田神宮の入り口になる。
その手前の蔵福寺では、七里の渡しで使われていた鐘を見る。
その向かいにはひつまぶしで有名なあの店。
開店前から並んでいる暇人が数人。

美濃路が主要街道として機能していた頃は、熱田神宮のなかを抜けていく人も少なくなかったらしいが、天にゃんはまじめに美濃路をたどるため19号線を行く。
熱田さんの中を通ると、頼朝生誕地の碑が見られないよ。
ところで頼朝はよく右大将と言われるけれど、これは右近衛大将のことだろうか。

432514575_60 ここからひたすら北上。
金山で佐屋街道を左に見送り、古渡を越えていよいよ本町通。
なにもないので歩くのみ。
そのうちに札の辻に着くが、ここが名古屋宿の跡らしい。
今やただのビジネス街に過ぎず、さっさと通り過ぎる。
ここを左へ。

伝馬橋を渡って北へ折れ、堀川に沿って北上。
五条橋で1本西の道へ移ってさらに北上。
サンゲツを西へ折れて幅下公園の中を通ってまたまた右へ曲がる。
突き当たりを左へ行けば、あとはまっすぐ西進。
まっすぐ。

432514575_92 で、ここまでなにがあったかというと、宮での分岐道標(←写真)、林桐葉邸跡、岡部又右衛門家跡、笠亭仙果出生地、白鳥御陵道標、源頼朝出生地、青大悲寺など。
しかしあまりに車の多い幹線道路脇だけに、うんざりすることも事実。もっともこの片道5車線ある道路が、かつての美濃路を拡幅して設けられたとは知らんだろうなぁ。

で、西区にあったという大木戸近辺で遅いランチ。
途中から日が照ってきて、ハイキング日和でしたから、のども渇いたー。
ビールもうまかったし、ガーリックミートソーススパもうまかった!

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好きです五条

奈良では日本人の宗教観について、二つの特別展示が行われています。
ひとつが国立博物館の「神仏習合」であり、もうひとつが橿原考古学研究所の「山の神 山の仏」です。
時間的に余裕があった今日は、より遠い橿原で決まり。
そしておまけに町歩き^^
検索したら五条・新町がヒットしたので、今井町と天秤にかけた結果、「ドライブも楽しむのだ」ということで、これもより遠い、五条に決まりました。

「山の神 山の仏」
展示を見ていて、「日本人は神仏を区別できない」と笑っていた自分がはずかしくなった。いやぁ、実はぼくもなんですよ(爆)
日本の在来宗教は、三輪山そのものをご神体とするような、自然神に近い物で、神体というものは本来抽象的な存在であり、神が宿っているから三輪山 がご神体なのです。本来は抽象的なものであったはずの仏教もアジアに広まっていく過程で西からの文化と交わって、仏像というものを生み出していく。「拝む 対象=アイドル」を作り上げたことで、仏教はある種特異な存在になっているような気
がするが、反面、「仏教といえば仏像」くらいの認識になってしまっているのが現実だろうと思う。
と小難しいことを書くとまたそっぽを向かれるのでこのくらいのしとく(笑)
展示は、その痕跡を見せる物でありました。
また天にゃんの新しい「おもちゃ」が増えた気がします。
それは山寺、そして廃寺。
いい加減にしとかないかんよ>自分

適当に切り上げて五條・新町へ。
適当というわりには2時間以上もおった。
説明文を読んで実物をにらむだけで2時間では足りないボリュームなのです。地元民であったなら、余裕をかまして、半日以上はゆったりと楽しめますな。

429699780_123 新町は120軒ある民家のうち2/3が江戸時代のものだとか。
ほんとに飽きません。
やはり「ここがクライマックスやな!」っていう部分はありますが、それは「あぁ〜イクっ!」っていうまさしく絶頂で、それ以外にも楽しいところ盛りだくさん。少なくとも町歩きを趣味とする人々は1日あっても足りないでしょう。
よそでは珍しがられるけれど、ここには腐るほどあって、しまいにゃ見向きされなくなるものふたつ。
うだつ
虫籠窓
こんだけたくさんあるとありがたくもなんともないです(笑)

「イク〜」のは、てつやはし付近の風景でしょう。
江戸中期から操業する酒蔵と、大正初期からやっているという餅屋さん。橋を挟んで対角に位置する。
当然酒蔵は地元の名士のふさわしいミセと、建物を持ち、庶民代表である餅屋さんは、小さな土間の奥でおばちゃんが餅を作っています。

酒蔵では、地元が協力して作ったという柿ワインを買う。
餅屋さんは残念ながら、「作った分がはけたらおしまいやねん、ごめんねぇ」だって。
看板も上から塗り直したような雰囲気で、建物は隣に流れている川にせり出して建っている。現在ではきっと許されないであろう環境が、法を超越しているように気分になる。
法律<時間。
おばちゃん、きっとリベンジするからこんどは頼むよ!

429699780_82 もうひとつだけふれておきます。
奨励会とかいうすっかり寂れきったいい味の商店街があるんですが、路地を少しはいると井戸がありました。
一般のわれわれが知っている井戸ではなく、もっと大規模なもの。
上屋ももうけられていて、名を「桜井」というらしい。
昔はここに人がたむろしてにぎやかだったんだろうなぁ。
あとでちょっと調べてみるけれど、あの場所の空気は見た人にしかわからないし、たまたま散策していて見つけたという事実は、まるであの井戸を自分が発見したような錯覚に陥る物であります。

この町の特徴をもうひとつ記しておきます。
路地がすごい。
路地が縦横無尽です。
その路地にも虫籠窓の家屋があるから恐れ入る。
路地の楽しさってホント、発見する楽しさ。
あたしゃ路地で営業する小さな八百屋さんと、たぶんワイルドの日本の在来サクラソウを見つけました!
時間があればすべての路地を巡って地図ーに残したいほど、その変化が楽しくってたまりません。

わし、また行きたい。
いつか路地を制覇したる!

タイトルはね、酒蔵さんでいただいたステッカーの文句です。
けっこうきれいなステッカーで、もったいないから張ったりはしないけれど、我が町もこんなんできるといいなぁとうらやましくなってしまったことでした。

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津島藤まつり〜山車巡行

Th_img_7153 一日山車のストーカーしてました。
笛吹いてる子のストーカーじゃねぇよ、くれぐれも(笑)

朝行ってみると、すでに津島神社周辺の道路に山車は引き出されていた。せっかく古い町並みで撮影しようかんがえていたのに、だめでした。こうなりゃ帰りを狙うしかねぇなと心中深く秘める。

午前中のからくり、車切を見て、一服。
警備のおっさんに聞くと、津島神社周辺に戻ってくるのは2時半頃だというので、しかたなくじかんつぶしに津島上街道を少し歩いてみる。20分ほど北上したが、意外と古い建物が残っていて驚いた!
井戸のポンプなんてのも放置してあるに過ぎないが、水槽の上に置いてあると、今にも水がくみ出せそうな気がする。

そんな一角でHONDA CB750Fourをいじっている人がいて、思わず声をかけて写真を撮らせていただく。
「子供の頃から憧れていた一台だったんです」
と言ったら、にこやかにいろいろと話してくれました。
「免許とって一緒に走りましょう」とも。
あぁ、そうしたいなぁ...

Th_img_7280 津島神社前に戻って神社で座り込む。
おはやしに続いて警備のお巡りさん出現。
「来たな!」
ここからは解散までずっと山車について歩いてました。
何よりも上街道のトノ割地区を通過したことがうれしかった。
古い町並みが一番まとまって残っているところだから。
モノクロでも撮ってみた。
ノイズを入れたら100年ほど時代が下がりそうだ。

Th_img_7317 市神社を氏神とする3つの山車が奉納を済ませると、ふたたび天王通へ戻って東へ。
道路中央で、拍手と万歳の中で解散。

山車を中心とした集落のまとまりっていうのはいいもんだねぇ。
ヤンキーみたいな兄ちゃんも、ハゲのおっちゃんもリーダーのかけ声ひとつで動く。
形式だけかもしれないけれど、氏神では全員が山車から降りてお参りする。
こうやって日本の社会は成り立ってきたんだなーと痛感する。
あの若者たちが、この先もずっと山車を町の誇りとしてくれるように、わしらも応援していかねばなるまいて。
あの山車には長い人と街の歴史が籠もってるのだ。

帰宅して3時間たって今も、耳にはお囃子が聞こえている^^

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某酒蔵にて

先日、市内でスタンプラリーをしていた時の話。
珍しく蔵の玄関が開いてました。
ここもスタンプポイントのひとつだから当然でっす。
いつもは玄関がぴっしり閉まっていて、とりつく島もない感じ。
酒は上品でうまいだけに、直に売ってほしいのだ。
この日はとんでもなく珍しく試飲をしてました。
一種類だけ^^

天「おたくの酒はあんまり売ってないですよねー」
酒「市内だと数軒で置いていただいてます」
天「セントレアでしか見たことがないんですよぉ」

すると、おねーさん、置いている店を教えてくれました。
キャー!ラッキー!!!
「いまならほとんどのラインナップがそろっていると思います」
だって。
きゃーきゃー!!!!!
でも「新聞紙を巻いただけ」とか、「酒酵母番号」が商品名に代えられているような酒は怖くて買えませんよ^^
なんだかうれしい悲鳴です!

この酒蔵、知人と散策している時も立ち寄りました。
またまた珍しく玄関あいてたんだもん^^
公的には江戸後期の建物と言うことになってるらしいけれど、聞けば江戸中期だという。
中津川の枡形にあった某酒蔵も店の方は「江戸後期」と言ってたように思うけれど、内部の部材にはちょうなで削った黒光りの美しい材料が見られた。 ちょうなはかんなによって淘汰されたから、それが普及する以前の江戸初期からちょうながほとんど見られなくなる中期にかけての木材じゃないかという疑いを 持つことができる。
いい部材は捨てることなく、何度も何度も使い回してきたのが、日本人の木材文化でもある。
今回の酒蔵にもそういうことがいえるのかもしれない。

内部に入ると現役の箱階段。しかも手すり付き!
ミセの土間には秤が設置されていた穴もあってびっくりした!
しかも知人は、店先の馬輪まで発見!
なんとも目の付け所が鋭い!つーか、まだまだ地元をなめていた自分の負けということですね。

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医者の言うことを聞かないヤツ

420420261_168_1 今日は、一種のオフでした。
朝から津島神社→市内徘徊→ギャラリー見学→堀田邸見学etc...
そして東海道の脇往還・佐屋街道も少し歩いてきました。
今日は同じ趣味を持つ知人と同行。
普段はひとりよがりな街道話も、今日は共有できてすごくうれしかった。

420420261_184_1 町並みの背後にあるものを見ようとしているのは、天にゃんだけではなかったことが、なによりうれしいのです。
背後にあるモノは具体的には菓子だとしても、それをひとつの文化と考えた場合、すべてが人間の歩みとなる。
背後にあるモノは趣味や興味の対象によって違うけれども、それは嗜好の問題であって、考え方の相違ではないと言うこと。
だから意気投合してしまうのでしょう。

420420261_76 佐屋街道・埋手追分から、南下して巡見街道に合流して佐屋宿へ。
史跡は残ってはいないけれど、いつもの「妄想」で勝手に盛り上がって歩き続けました。
やはり街道歩きは楽しいな。
やめられない、とまらない。

長谷川先生、言うこと聞かなくてごめんなさい。
明日はリハビリ行きますから^^;

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津島は藤まつりだよっ 3

寿司屋を出てトの割地区へ。
糀屋のノンアルコール甘酒が大変うまくて、一瓶買い求める。
酒の香りがなくてまろやか〜。

五平餅も買って、休憩所で一休み。
さっき休憩したばかりなのに、また休憩ね^^
足が痛くて半分引きずってたし、医者がついてたら「帰れよ」って言われそう。
トの割会の人に屋根神様の所在について一カ所だけ教えてもらう。
津島市内で今でも屋根に上がってるのは、二カ所しかないのかなあ。

その後、彷徨うように天王川公園へと向かう。
津島は路地が多いところ、変化のおもしろさや、都市計画化されていない古い土地の使い方などが、とても魅力的。
現代の人の使い勝手ではなく、車が一般的でなかった時代の道だから、サイズも人間サイズ。
秋葉神社の脇からどこが空き地でどこからが道路だか判然としないところを歩く。
あっ、この間天王川公園でもろこ寿司売ってた店がここにあるよ!w

418478625_95_1
藤よりもむしろ露店を眺めて歩く。
腹はいっぺーだから食欲はないけれど、やはり眺めてると楽しいものです。
広場の一端で蓄音機をならしてるおっさんがいます。
この人、この間は本部の前でビクターみたいな蓄音機をならしとったわ!
聞くと、蓄音機をネタにして楽しんでいるらしい。
懐かしい歌と、蓄音機に惹かれたお客と話すのが楽しいからと。
結局5時前までここで粘ってました。
藤山一郎、松山恵子、美空ひばり、藤島桓夫。
懐かしい歌が78回転の蓄音機から流れ出る。
足を止めるのはやはり60代半ばから後半が多い。
その中ですっかりなじんでいる天にゃんは年齢不詳だ(爆)
子供は「ひばりの花笠道中」で踊っている。
ゼンマイを巻く。

418478625_176 おじさんは一日おきに来ているそうな。
雨の日は来ないっていうから、次は来年かな。
とりあえず休みの間はのぞきに行ってみるかな。
といっても明後日からは雨が続く...

ひとつだけ大きな収穫がありましただ。
円空の千体仏が見られました。
今や一年365日のうちのほんの数日しか見られない千体仏。
28、29日だけのご開帳だったようです。
「資料館できちんと保存してほしい」と思っているのは、どうもわたしだけではなさそう。
撮影不可ってのがね、なんともさみしいけれど仕方がないねぇ...。

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津島は藤まつりだよっ 2

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やっぱり茶わん蒸しは寿司屋だよなっ!
うめ〜!

天ぷら定食で粘るおばさんよりのんべえを優遇してくれ(笑)

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津島は藤まつりだよっ

418022643_60_1 激怒モードもさめやらぬ今朝。街中でスタンプラリーに参加、見事記念品もゲットぉ!
休憩がてらもろこ寿司&ビールで休憩。
ぷはーっ!

いつも話題にしてる旧名古屋銀行津島支店のまえでは弁当やらごへい餅やってるけど、一番大切なものがないぞ(笑)

雲一つない晴天、藤でも撮りに行くか!

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青年は上松をめざす♪

392957938_172 今朝は早起きしました。
8時半野尻駅発。いっしょうけんめい適当に歩いて午後2時までに倉本駅に着ければ上松へ、間に合わなければ引き返して、南木曽の二つの資料館を見学します。

写真は大桑。
いかにも木曽谷です。

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4/2の日記

4月2日曇り。
今日は中山道の踏破最東端の南木曽から始めました。
南木曽は昨年の4/16以来。
昨年はナギソミツバツツジに感動してたみたいです。

SL広場へ行くと中山道の地図が掲げてあります。
そこに「中山道が不通になったときの道を整備しました!」と書いてあります。
「古道の雰囲気」という呪文が山道へと誘います。
「4時間半」とか。
中山道の三留野−野尻間は大半が国道になってしまっているので、いっそう思い切りがよかったのです。

三留野宿を過ぎて、枝垂れ梅と杉の大木から分岐します。
いきなり昨日にも劣らない急坂!
えっちらおっちら。

道は圃場のなかにあります。
見た目は舗装されたあぜ道以外のなにものでもありません。
人の家の軒先のような場所も通過することから、関連する家々の人たちに了解は得ているとはいうものの、「この人ら、なんでこんな田舎道歩いとんのん?」と思われることであろう。
そのうちに本格的な山道へと入ります。
石畳が見える。トイレがある。
「○ソでもして覚悟を決めろ」ということなのだろうと思いました(爆)

392331574_160 392331574_212 そういう道が何度も続く。
軒先も通る。
軒先なのに自然にカタクリがある。
バイモユリなんて道ばたに生えているのを初めて見た!
そんないくつもの感動が、歩くしんどさをクリアにしていきます。
しかし10cm程度の高さの株に花が3つついているのをよく見つけたよなあ。
すごい集中力!

途中で道にウ○コが散乱している場所がありました。
里に近い山。
イヌの散歩にしてはちと家から遠いなと思っていたら、物陰からサルが出た!(ノ゚㊖゚)ノびっくり!!
どうやら天にゃんよりもオクビョーなサルだったとみえ、あわてて逃げて行きました。
そういえば道中にはやたら「クマに注意」とか「ヘビ・マムシに注意」と張り紙がしてありましたな。
「クマに注意」ってどうしろっちゅうねん!

392331574_139 道はきれいに整備してあるものの、大変な山道で疲れました。
でも南木曽町は「古道の雰囲気」を大切にしてあるのだから、これでいいんですね。なにもウソを作ろうと言うんじゃなく、昔の人が歩いた道とはこう いう道なんだってことを知ってほしいんでしょうから。その証拠に途中南木曽町教育委員会の名前で、「私有地ですから、山菜などをとらないで」とありまし た。
私有地を解放してくれている人にも感謝しなきゃね。
その貴重さは、山の辺の道と双璧です。

そんな深山のなかに石仏の道しるべを見るとほっとします。
きっと昔の人もそんな思いだったんだろうな。
思わず手を合わせて、石仏さんに触れてみました。
そこから根の上峠はすぐ。

ここからは林道で野尻駅まで下りました。
緩やかなアスファルト舗装。
山中で拾った桜の枯れ枝を杖にらくちんに歩けました。

野尻では一時間20分待ちの普通列車中津川行き。
野尻宿内ではなぜかスズメよりツバメが多い。
ツバメの写真を撮ったよ!
200mm持っててよかった!!!

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中山道・与川〜根の上高原経由

392011368_216 中山道・本街道からはずれ、脇街道とも言える与川経由の中山道を歩いてます。
「整備した」って南木曽町がいうんだもん。これは「旧中山道」と書いて、某フジテレビアナウンサーのように、「いちにちじゅうやまみち」と発音するのが正しいです。ときおり集落があるだけの静かな道。

今日はバイモユリみたいな花をみたし、カタクリなんて道の真ん中にも生えてる。まるで雑草のごとくに。
いま松原小休止跡。
和宮嫁下のとき、ふたりの姫さまがこちらを通られ休んだ場所とされています。

さあ130年前の心細かったであろうお姫様の気持ちに思いを馳せながら野尻まで下ろう。
したがって今日はおそらく野尻で終わり。

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4/1の日記

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昨日の朝は寝坊したために、急遽中津川から歩くことになってしまいました。
中津川以東は思いのほか勾配が激しく、足だけでなく体力そのものが失われて行き、息が荒くなる始末。
登りきると一気に視界が広がったりして行きを飲む場面も勾配の数だけありました。

391862611_13 391862611_245また、いま花の季節。
カタクリ、桜、こぶし、しゃくなげ、ショウジョウバカマ...
気候的に蒸すことが少ないであろうこの地域では、日本シャクナゲすら路地栽培できるらしい。
うらやましい!
でもこの時期にシャクナゲ?
シャクナゲとツツジがよく区別できてないゾ(;^_^A アセアセ・・・

昨日は落合、馬籠、妻籠の各宿場を歩きました。
それぞれの変化が異常にたのしい。
いわゆる観光地・馬籠と言っても、それは馬籠という土地の一部区間でしかないのです。馬籠地区は「観光地・馬籠」の前後にもあって、本当の古い街道の建物はそちらの方に多く残っているのも皮肉かもしれません。
そして、人などほとんど見なかった中山道に、一点から突然人があふれ返る。
中山道関連のサイトには「どこから人がわいたんだ?!」との記述をみかけるけれども、まさしくそんな感じ。
本当に観光地なんだなぁ。
例え観光地化したところでも、多くの人がそういう懐かしい風景を求めているんだなあと感じます。

馬籠ではビールで五平餅の昼食。
昨日はとても暖かい一日で、Tシャツ一枚かちょうどよかった。
それでも汗をかきかき。
ビールが体にしみるぅ〜っ!(^_-)vブイブイッ
馬籠を過ぎ、大急ぎで街道を歩くも、やはり後続の人々にはどんどん抜かれてしまう。一石栃近辺の風情も大変良いが、このあたりから中山道は単なる「山道」になります。
石畳や、美濃・信濃国境標、いろんな見どころを経て妻籠に到着。
南木曽駅まで歩く予定が、運良くやってきた一日5往復のバスを拾って、10分程度で南木曽に着きましたわ。

南木曽付近をうろつき、臨時快速列車で中津川へ。
ホテルにチェックインして、中津川の知人と塩焼きそばを食う。
しおやきそばを店で食ったのは初めてだが、うまかった!
「ナマビールとやきそば」を省略して「やきそばのナマ」は店員のおねーちゃんに受けた(笑)

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明日わたしは旅にでます〜♪

♪いつかあなたと行くはずだった 春未だ浅い木曽路へ〜

明日早朝、中津川を拠点とて、2〜3日の予定(にさんにちの予定)で木曽路(中山道)を歩いてきます。
先の計画はぽしゃりました。
ルーズな人間は何事も縛らなければダメなようです。
既にホテルも2泊分確保しました。
キャンセル料が発生すると思われるので、まず間違いなく行くでしょう(笑)

4/1 中津川→(中央線)→南木曽→(バス)→妻籠
     妻籠宿→中津川

4/2  中津川→(中央線)→須原
   須原宿→三留野(南木曽)

4/3  須原→福島
       福島→(中央線)→中津川

約55km。
昔の人なら一日半の行程やな(;^_^A アセアセ・・・
中央線は本数が少なくて、行程を考えるのが大変。

ちなみに歩く向きが様々なのは、太陽光線の都合です。
いつもなるべく順光でいたいから。

一生懸命歩くぞーっヾ(〃^∇^)ノわぁい♪

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東海道関宿(完)おまけ

そば屋の隣席にいたお客さんの話しを聞いて、どうしても土山宿を見たくなり、1号線を西へと向かってしまいました。
まだ見ない旧街道を車でゆくのは反則だけど、同じ町を2度歩いても違うものを感じとれたのだから、車で行っても違う印象を感じられる自信ができたからでもあります。

関〜土山は歩けば4時間。
車なら15分!
1号線は高速道路並の規格で、すぐに土山。
でもその前に坂下も旧道で通っちゃった(;^_^A アセアセ・・・

聞いたところによると、昔の子供は関から歩いて坂下だか土山までお祭りを見に行ったんだと。子供たちが連れ立って東海道(旧1号線だろうが)を行くと2時間で行けたと。
近頃の子供なら自転車か、親がクルマで送って行くんだろうね。
太平洋戦争が終わっても、地方ではまだ古い人間中心の文化が生きていたんだなと思った。ナマの声を聞けるってのはうれしいなぁヽ(  ´  ∇  `  )ノ ♪

1号線と旧東海道の西の合流地点からゆっくりと旧東海道を東進する。東の合流地点には道の駅があるので、資料あさりのためによってみた。
パンフレットの代わりに地元の人が書かれた「愛とロマンの土山宿」という本と、近江中山道の二冊を買う。
それにやめときゃいいのにフナ寿司まで。

そそ、かにがさか飴(蟹ヶ坂飴)なるものを買いました。
水飴を練ってつぶしただけの素朴な飴です。
水飴の味がするw
その昔、田村神社近辺に3mもある大きな蟹が付近の人に禍を与えていたのを坊主が説得したら蟹は涙を流して反省したと。なぜかバラバラになった蟹は飴になったらしい。また、溶け出した蟹の体液をなめたら甘かったので、固めて飴にしたという話しもある。
いい加減な話しやなぁと思いつつも地方の伝説は楽しいね。きっと飴の由来なんて全然関係ないと思うんだけど、結びつけて神社に箔を付け、飴を売る。
先に草津で買ったタニシ飴にしても、ニッキの味がして当時はモダンだったろうと思う。
昔から伝わる菓子を食うことで当時の人たちの気分に浸るのも楽しみのひとつ。
食べ物の選択肢が異常に多いわれわれれにとって、数少ない味わいというものは、時代を感じさせてもくれます。
ちなみに向かいにある田村神社は森が深い。
東北人の敵(笑)、坂上田村麻呂を祀った神社だそうです。
ここになぜ田村麻呂が?
これにも伝説があるのですが、内緒にしとく(笑)

このあとはまた帰り道、ひとけのまったくなくなった関宿に戻って、夕陽に沈む関を見ていました。

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東海道関宿(2)

384294591_79 384294591_135 ナガオ”薬局”と言っても内部は薬局ではなく、いわば私設資料館と呼ぶべきものでしょう。築200年の民家に入れる機会など大半の人にはあり得ない。
店先の展示物もさることながら、なによりぼくが興奮したのは、階段箪笥を上がったことです。
階段箪笥とは、文字の如く。
「珍しい」と言われながら、けっこうどこでもあるんですね。
でもそこを上らせてくれるのは、天にゃんが知る限りここだけ。
階段を上がるとき、緊張して階段を見つめてしまいました。
現役である証拠に階段の角がすり減っていました。
「すり減っちゃあいかんから」という理由で、他は保存されているのでしょうが、それなら複製品を使うことも考えるべきじゃないでしょうか。
これからの時代だって十分に使用に耐えうる合理的な道具なんだから。

384294591_214 店舗は二階。
東海道は眼下に見えます。
ハーブティをいただいて(本業だよw)家屋保存の話しなどをしたあと、店内を撮影させていただいてお店をあとにしました。
木造民家炊事場は黒い。
すすけているから黒い。
すすけるいると虫除けになる。
適度なススは木材にいい風合いを与えるらしく、千利休はいろりに使用された木材を好んで入手し、茶さじに作り替えたと聞く。
そんな黒さを感じて二階の部材を見る。
裸電球に黒光りする部材が美しい。
そして光も優しく。相互効果というのだろう。
気分まで落ち着いて来る。

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東海道関宿(1)

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384277106_228_2

関は昨年の3/26に続き二度目!
偶然とはいえ、一日違いとは!

今回の目的はナガオ薬局さんと町並み散策。
昨年の今頃はキスデジをぶら下げて家人を同行しての訪問でした。
同じ町を二度訪れて「違う見方ができるかどうか」。
つまり自分を試す気持ちがありました。
ふたつの目的を引っさげて東名阪を西へ。

今回はまだ歩いたことのない関宿の西側からたどりました。
てくてくてくてく...人がいないぞ(笑
でも町は以前歩いた本町に負けないくらい魅力的。
町をじっとみる。
折からの曇天で街道は薄暗い。
ひさしの下も陰ってる。
でも...そのひさしの出がとっても個性的であることに気付きました。ある角度から撮ると、絵的にもおもしろく、また旧街道の写真としても様になるんじゃないかと、いろいろ撮ってみた。
頭の中ではずいぶんとおもしろい写真が撮れました。
カメラはどう見たか....(ΦωΦ)ふふふ・・・・
この後もこの撮り方にはずいぶんこだわりました。
東へ向かうと、4軒並びでひさしの高さがひろえてある民家もありました。計算された美しさでしょうねぇ。木造建築だとそれもおもしろさのひとつになってしまいます。もっとも「時間」という特別なエッセンスがたっぷりとかけられていますが(*゚▽゚)ノ

地蔵寺から本町に入ると人多し。
ガタゴトと建物の角がランダムに飛び出る楽し風景。
完成された幾何学さではなく、人間の都合が作り上げたモノです。
なんか優しく感じるのはたぶん気のせい。
そんな中にナガオ薬局はありました。
ショーケースには古い品々が並んでおり足を止めずにいられないといった感じ。老若男女がまんべんなく見て行く。

店の様子をうかがったあとに東の追分まで行き、さらに地蔵寺前まで戻って食事をとり、ナガオ薬局さんのお客になりました。
え、客か?(笑

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中山道短距離勝負っ! 〜御幸橋から武佐宿

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今日は突発的な休みになり、中山道・近江路編を歩いてきました。
前回、中途半端な位置で終わったこともきちんとフォローしました。
距離はあまり歩いていません。
やはり一日10km程度が楽しめる適度な距離だと再認識。
守山宿なんて目標がでかすぎだ!(笑

そんなわけで、愛知川に架かる御幸橋から武佐宿の京側に位置する近江鉄道・武佐駅まで約10kmの旅をしてきました。
大井・上宿に続き、また道を間違えたぁ!
あれで30分はロスした。
どうも緊張感に欠けているなぁと思いつつも来た道を戻りましたけど。Y路だから最短を移動すればいいんだけどそれでも自己満足できないから(笑)
そもそも目印になる店先で笑える様なできごとに出合ったからだ。
関係者に気の毒だから触れないけれど、笑ってるうちに目印を見落としてしまったのです。

380285726_3昨年の今頃、桜の歴博で始めて「村の結界」というものの存在を具体的な形でみたのですが、それが今でも現実のものとして祀られているのを、老蘇の集落にみました!
集落の入り口には大木があり、藁で作られたわっかのようなものが
かけられている。あれは魔除けです。神社で言う鳥居のようなもので、「禍なすものここから入るべからず」ということです。
ナマで見たのははじめてです。古い日本人の風俗の一端を見たようで大感激! 逆光にも関わらず10分ほども眺めまわしてました。

藁ごときになんの力があろうか。
そこに人間の思いが宿るとき、藁は矛になり盾になる。

これを祀る人々の姿を見てみたい。
これを祀る人になりたい。

江戸側のそれは、木にかけられていたけれど、京側はポールに引っ掛けられていました。大木は払われてしまったのかな。

武佐は静かな宿場町。
道は武佐駅までほぼ一直線。
1989年に武佐小学校の生徒たちが作った案内板が楽しいです。
ちゃんと彫ってあるから、20年近くたった今でも用を為しています。
この子供たち、もう30歳になるんだねぇ。
どんな大人になってるんだろうo(^-^)o ワクワクッ

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ある晴れた日に♪ 2

やはり旅程に無理があったか。
ブームなのか観光掘り起こしなのか、恵那市内には中山道つながりつの施設がふたつ、中津川にふたつあります。
それを全部見て、10数km歩こうという事が...。

ちら見の予定だった中山道広重美術館で一時間、ひしや資料館でも1時間かかってしまった。
そのうえ道を間違えて30分以上のロス。
かーーーーっ!
途中で引き返すか坂本で打ち切るか考えながら歩いてきました。
でも楽しかったなぁ。
坂本あたりでは、街道沿いの歴史資料案内板が頻繁にあって、雰囲気どころか地域のことを知るきっかけにもなるし、街道歩きさんをあきさせません。
もっとも途中でみかけた「街道あるきさん」たちは「街道てくてくシーン」ばかりで、そうした案内板には見向きもしないようでしたが。
きれいな地名にうっとりしたりなんてこともありましたなー。

中津川宿についたのは5時を回ってました。
うだつが3つもある酒蔵に感動。
宿場内に残る庄屋邸、見られなかった中山道歴史博物館、いくつかみられる洋風建築、十字路化していない「枡形」など、
見どころいっぱいだと思います。
途中、「中山道案内所」と称し、喫茶店や民家の玄関先にパンフレットや資料が多々置かれています。
でもさぁ、中山道を歩いている人がこれを入手してもしかたないのでは...
ぼくの場合、中津川宿の途中で今回のたびを終えているから、多少戻って楽しむことも可能ですが、大半の人は二度と来ることはないと思われます。
むしろ、ネットなどで配布した方がコストが低く済みそうです。

とりあえず、大井宿(恵那市)〜中津川宿は踏破しました。
これで中山道の踏破区間は、

三留野宿(JR南木曽駅)→妻籠宿
馬籠峠→馬籠宿
中津川宿→大井宿
柏原宿→愛知川宿(御幸橋)
草津宿→京阪瓦ケ浜駅

になりました。
中山道の踏破はいつになることやら...

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上洛 2

店を出て四条を東へ東へ。
看板を見たり、ファストフードでコーヒー飲んだり約1時間半もかけて四条烏丸に到着。信号角には旧三井銀行京都支店ファサードのみがのこされているビルを偶然見られて感激!
地下鉄で京都駅を経て草津に宿泊。

346353120_81 翌日は東海道(中山道)を歩く。
東海道と中山道の追分ではポロポロと降り出す雨のなか、歩き出します。
今まで歩いてきた地域ほどいにしえの雰囲気が残されている訳ではないのに、本陣が未だ健在なのは不思議かつ、うれしい限り。
もっともこの日は朝が早くまだ開いていません。いずれ東から来た時のお楽しみにとっておこう。
この付近には宿場をテーマとして売店や資料館があるので、それだけでも楽しめます。
ちょいと行くと問屋場あと。
向かいには造り酒屋があり、その建物が洋風建築。
写真を撮りまくる。

346353120_178 346353120_218 約3時間ほどで瀬田の唐橋に到着。
相変わらずの時速3kmぶりです。
たにし飴とシジミもなかを買う。名物なのだそうです。
その手前には擬洋風建築があって写真をぱしゃっ!
どうやらうだつがあげられているみたいw

唐橋といえば歴史ファンには最も有名な橋でしょう。
風景ととともに、迫力満点の橋。
中洲に枇杷島を思う。
人はなぜ中洲に神を祀るかw

そろそろと時間は昼。
のちの行程に差し支えるため、瓦ケ浜から電車で入京します。
浜大津から電車は道路との併用軌道を走る。
喜多さんは「びっくりしたなぁもぉ!」と感激しております。
その電車がさらに地下鉄東西線に乗り入れることもすごい!

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草津ー三条大橋

重複区間...
中央線の代々木−新宿間みたいなものですな。
東海道は守口宿までと認識していた幕府の書類もあったそうですが、官道として管理する場合、どう処理していたのだろう。

街道を歩くガイドブックは近所に売ってなくて、山と渓谷社の「歩く旅シリーズ」しか入手できませんでした。
この中でも草津−三条大橋間はダブって取り上げられています。
ところが、「中山道を歩く」と、26kmを8時間10分、「東海道を歩く」と6時間半が所要時間となっています。
この差はなんだ?!
同じ道だろっ!
10分や20分ならともかく、1時間40分の差は何か基本的な相違部分があるとしか考えられないのですけど。

寄り道したり写真撮ったり、歩みを止めることが多い天にゃんの街道歩きはおよそ3km/h程度しか出ないので、前者が現実的な数値だと思ってますが、「てくてく街道マシーン」の人たちは6時間半で歩けそう。

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日曜日の日記

325120358_68 土曜の夜に早寝早起き。
日曜は意味のない午前中を過ごしてしまいました。
昼からは単焦点50mmレンズの、室内での使い方を考えるべく、なぜかわざわざ桑名の諸戸清六邸へ行ってきましたよ。もう4回目。
とにかく貴重なコンドル作品を見られるのがうれしくって。
館内ではロビーでなにかのイベントが開催されました。
小さなコンサートみたいな感じ。
洋館の雰囲気によく合う曲で、ちっと得した気分。
諸戸さんも賓客を迎えて、こんなことしてたのかなぁ。

325120358_194 日没までは若干の時間があったんで、石取会館を見に行って、さらに残り時間でまた旧東海道をしばしたどってしまった。
この石取会館は、石取祭りの山車が展示してあります。
実は大正14年築の旧四日市銀行桑名支店だったりします。
角の丸い洋風建築って好きだなー。
なんだか愛らしくって。

325120358_135 七里の渡し公園から矢田の立場の手前まで約2km、旧街道らしく一般観光客が見向きもしないような遺跡がいっぱいありました。
記憶に残ったのが鍋屋町の天武天皇社で、「天武天皇御舊跡」と記したのが、かの有名な松平定敬氏なのでした。歴史の中で大きな役割を果たした同氏の筆跡を見つけただけでも歩いた甲斐がありましたわ!

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中山道を歩く 柏原→高宮宿(完)

311942035_236 311942035_20 とことこ歩いている道がまた開けます。
傍らに豆腐屋さんがあり、そこからクルマが出てきた。
「中山道 高宮宿 手作り豆腐の中村豆腐店」
の看板が、高宮宿への到着を教えてくれました。
さらに左側には高宮宿の大きな道標があります。
ついに来た!
近江鉄道の踏切から線路を遥か見るとかなり向こうに駅がある。
あれが高宮駅か。
さらに街道をゆくけれども、駅への案内はなし。
「えいっ」と思い切って左へおれていくと駅につきあたったぁ!!

311942035_13 電車の時間を確認してベンチにへたり込む。
足がしびれるように痛い。
既に痛みは左足だけでなく、右足まで蝕み、痛みを感じずに歩くことができない状態でした。

米原行きの電車に乗ると十数分で、米原。
懐かしいにおいのする近江鉄道米原駅からJR米原駅へ歩いて移動。・゚゚・(>_おわり

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中山道を歩く 柏原→高宮宿(5)

311937035_241 鳥居本宿を出ると一時的に田園風景となり、小町塚があったり、八幡神社があったり。
八幡神社は、中山道から山に入ったところにあるらしいけれども、新幹線が分断しています。
中山道側には常夜灯があるだけで、
「???」
よく見れば新幹線盛り土に口が空けてあったー^^
その向こうには八幡神社の階段が見えたけれど、そこへ歩く意欲なし。
新幹線の下をくぐるあたりが分水嶺のようで、ここから下りになります。風情は変わりませんが小川が深くなって、落ちると危険!
交通量は変わらないために一層気を使います。
311937035_129 醤油屋さんがあったり、五百羅漢入り口の石碑があったり、それはもうそそられますが、寄る気力がありません。
とにかくクルマがうっとうしい。
彦根インターの下をくぐって、常夜灯を過ぎれば、そこは新興団地となり、中山道の風情は一掃されます。交通量は一層多くなりますが、道幅もそれに対応しており、少しは歩くのが楽かな。

春日神社があり、きれいな板に説明書きがあります。
宇多天皇がどうのこうのとあるけれど理解できない時代のことなので、眺めるだけ。

311937035_242 目安にして来た大堀橋に着きました。向かいには中山道沿い初のコンビニ、セブンイレブン彦根大掘町店!
もっともその向かいの公園で残っていたおにぎりを食って休憩しただけですですけどね。
この裏にある石清水神社は小高い丘の上にに鎮座しているそうです。向かいにはここの湧水を利用した茶店があったそうですから、石清水という名前はそこから発したのでしょう。
京の石清水といえば、尾張義直公の母の実家でもありますが、それとは無関係なのでしょうか。
北側にはこれまた石仏さんがいっぱい。
みな前掛け付き。
手を合わせておこう(-人-)

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中山道を歩く 柏原→高宮宿(3)

311910861_96 311910861_55 さても足が痛い。
坂の途中にあるJHの施設でちょっと休憩。
弁当食って横になって足を休ませるけれど、1時間程度の休息では変わりません。しかたなしに出発。 もっと歩きたいと思うのが不思議なくらい痛い。

坂をくだったところで、名神沿いの道と「摩針峠」への道に分かれます。ここで後方からやってきた中山道ハイカーのおじさんと道について話したら、「朝8時半頃に関ヶ原を出て来た」とのこと。
うみゅ!
関ヶ原と言えば、柏原よりふたつ東の宿場だよ!
あたしゃ柏原を7時20分に出て来ているのだ。ということは、2宿分約8km+1時間ほど、おじさんに追い上げられたのだ!
「あなた、カメラ撮られているから」と慰められてしまった^^
写真を撮ることでそんなに違うかな〜と思いながら道標の写真を撮っていたら、おじさんの姿はとうに視界から消えていました。
すでに数百メートルは行ったらしい。

311910861_244 本格的な峠道ですが、東から来れば上りよりくだりが長いのです。
いかにも街道らしい建物が廃屋になっています。
そして、峠にたつ。こんどは下り。アスファルト道ですが、脇に手すりのついた山道があります。どうやらこちらが中山道らしい。気付いたのは坂をい い加減下ってからでしたが、いかんせんこの足では山道は降りられないのであきらめました。このときには痛くて足を引きずっている状態。ささいや勾配でも痛 くて足にキャンバーをかけて歩いてました。
坂の途中からFUJITEC研究所のエレベーター試験塔が見える。
踏切の音が聞こえる。
国道8号線に合流したのもつかの間、モニュメントとともに再び中山道へと突入です。

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中山道を歩く 柏原→高宮宿(2)

311900155_248_2 久禮一里塚をたって、番場の宿を進みます。
番場宿は東と西に大別しなければならないほどの集落らしくて、沿道の案内板にもわざわざ「東番場」とあります。街道沿いは民家が途切れることはなく、鉄道が開通するまでの繁栄の跡を感じることができます。
番場に入ってしばらくすると左足に異変が現れてきました。
くるぶしの下が痛い様な痛くないような。
時にはかゆみのようなものに変わったりする。
痛くて歩けないほどではないからそのまま歩いていくと、「番場宿」と大書した石板と出合いここで一服。
311900155_95 番場宿の脇本陣跡で、米原駅へ向かう道と交差し、明治22年に開業した米原駅へのアクセス道路として作られたのでしょうか。
さぞ人でにぎわったことでしょうなぁ。

西番場に入ると左側に蓮華寺の大きな入り口が現れました。
足も痛いことだし、しばらく休憩するつもりでその中へと進んで行くと、民家の玄関先には祠に入った石仏さまがあります。1軒2軒ではなくて、1/3くらいの民家にはそれがあるのです。

歩き始めてずっと気になっていたのだけれど、民家のなかに置かれている祠はだれのものなのでしょ?大概は外に向けてあったり、玄関先に置かれていたりするのですが、あくまでも他人の家の敷地内で、前まで行って手を合わせることは気が引けるのです。
家と街道の中間点に置かれているという点で、美濃路界隈で見られる屋根神様と酷似しているような気がするのです。どういういきさつでああいう祀られ方をしているのか知りたい。
ひとつひとつきちんと手入れされていて前掛けは欠かしていないし、お化粧されている家もあれば、白木の祠だったり。自分の住む家よりも祠の方が立派な家すらあるのです。
正月らしく、ちゃんと鏡餅のお供えもされていて、なんとなく住む人たちの優しさを感じます。
お供えってのは一般に仏様に上げるものだけれど、現実には食い詰めた乞食のような人たちの救いの食糧となることもあります。つまり街道で食い詰めた旅人のための食糧と言う側面もあると個人的には考えています。だからこそこの地区の人の優しさや穏やかさを感じるんですね。

蓮花寺は静かです。
太平記や今いずこって感じで、頭上を名神が走っています。
雪も降っていないのにしんしんと冷え込むのは、気温だけによるものでもないように感じます。奥には自殺した北條仲時他将士の墓があるそうですが、詳しく知らない者が見ても得るところは少ないのではしょります。
番場には明治天皇の休息所やら鎌刃城あとなど見所も少なくないですが、全部カット!なんとしても日のあるうちに鳥居本まではたどり着かなければ帰れませんから。

番場宿を過ぎると峠越えにかかります。左側には名神が着かず離れず沿っており、不愉快(;^_^A アセアセ・・・
部分的には名神の側道でもあるのです。それでも人家さえない田舎道に祠があることで官道であること誇っているようです。
この峠越え手前で、中山道歩きらしきアベックに出会いました。

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中山道を歩く 柏原→高宮宿(4)

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ここでも松並木の育成がなされていました。
早く大きくなって旅人の目を楽しませておくれ。
10年で...この程度か。気の長い話だー。
足を引きずりながら、鳥居本宿に到着。
足をなんとかしないと先に進むのは困難だろうと、薬屋でバンテリンを購入。お寺の門前で座り込んで足に塗る。
この薬屋、江戸時代から今に胃腸薬を作り続けている由緒ある薬屋さん。名を有川製薬といい、薬は赤玉神教丸。
「うちの胃腸薬はいかがでしょう」と言われたけれど、バンテリンを買ったら残金200円になってたヽ(´〜`; ォィォィ
ここの薬を買う予定にしてたのに。
チラシをもらって店を出る。
チラシも貴重だ。

クルマがすれ違えないような狭い道をクルマとまみれて歩く。
沿道には合羽の看板などがいっぱいあって楽しいのに、写真を撮ることさえおぼつかない。
足が痛いこともあって、「もういいや!」と投げ出してしまう。
ふと傍らを見ると洋風の建物が見え、そちらに足を向ける。
近江鉄道・鳥居本駅でした。
瀟洒で愛らしく、思わず写真を撮りました。
ぱちっ

さてココからが苦行。足が痛い上に交通量の多さよ。
道路のすみによって歩くのはむちゃくちゃ辛い。
背後からクルマが来ているのがわかっていても、すぐに寄れないので立ち止まるしかない。
普段、自分が狭い道路でどんな運転をしているかが反省させられました。歩行者はこんな思いをしているのかなぁと。
天に吐いたつばが落ちて来たのかもしれないなど思いながら、歩きます。

彦根道との追分を越えると、鳥居本宿もおしまい。
右側にはかつては生活用水であったろう小川が流れています。
小野町あたりの中山道はほぼ昔のままの風情が残されているのではないでしょうか。
街道に面してトイレが設置されているけれども、各家が設置しているようなのです。街道沿いに置いてあるのは、旅人のための配慮かと。さすがに現代 では家族用のトイレが家のなかにあるでしょうが、小川にある階段や、ここでも各家におかれている祠とともに、街道の風情をぷんぷんと感じさせてくれます。
鳥居本宿、大好き。

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旧中山道を歩く 柏原→高宮(1)

310141730_10 昨日は早朝から旧中山道を歩きました。
柏原宿から西へ。
今日はコンビニ弁当持ち。
7時20分、柏原宿場資料館前を出発。
雪はまったくなく風も皆無だけれど、山のなかとあって空気はぴりりと冷たい。
目的のひとつ旧柏原銀行を見て、ひのき育成中の柏原一里塚跡を過ぎると松並木。
松並木を過ぎると小さな集落があり、西のはずれに小川の関跡の石碑がある。説明文付きだけれど、字はすっかり消えて解明不能。
アスファルト道はまっすぐ続くけれど、思わず右の非舗装路に入っていく。それが中山道ではないにしろ、古い雰囲気を味わうのが目的だから、これをゆくに限る。
途中朽ち果てた放置車両があったり、わき水が道を濡らしたりしているが、なんとか大回りで回避。その後もわき水はずっとしもへ向かって流れ続け る。そのうちに小石がゴロゴロと道全面に現れる。これは石畳ではないのか?原型は認められないものの、石は厚く敷かれているように見受けられる。おそらく これが旧中山道だろうと思いながらほくそ笑む。
アスファルト道路と合流し、梓河内の集落を通過。
至る所に石仏を納めた祠がある。
古い集落でありながらも、ケーブルテレビ・インターネット回線完備のアパートがあったり、新旧混合。

310141730_224_2 310141730_253_3 この先国道21号をまたいで醒ケ井宿に入る。入り口には鶯ヶ端(うぐすがはた?)という景勝地があったらしいが今は昔。 枡形跡を通過して醒井宿場内へ。
地蔵川は噂通りに美しく、地内に残る郵便局や集会所風の建物も色を添えている。
領地の境をはっきりさせるために設けたと伝わる六軒茶屋を過ぎて、国道21号に合流。乳を飲んで往生したおじいさんの碑なんかもあって、道中は飽きないけれど、交通量が多過ぎて落ち着いて歩けない。
樋口交差点で国道と交差し、米原ジャンクション下を通過し、番場の宿に到着。
ここでしばしの休息。
大して腹も減っていないけれど、おにぎりを2つほおばる。
ベンチがあるのはありがたいが、道路に面しているのは一考ありたし。

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予定の行動 〜中山道

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早くも醒ヶ井に到着。山間でもないのに柏原から二時間もかかった。
天にゃん歩くの遅すぎ!

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そして最後の日記

306642597_147 30日。
仕事を終えてその足で某会合のため岡崎へ向かう。
時間調整の意味もこめて、岡崎市内の東海道、いわゆる「岡崎二十七曲がり」を歩いてみた。
現在ではすっかり近代都市になってしまい、「東海道」などという形容的名詞はあてはまらない。そこは数少ない石碑や石仏建物などから想像するしか ないけれど、歩くうちに岡崎信用金庫の資料館で、江戸時代の二十七曲がりの絵図を見て、岡崎と言う城下町においては東海道だけが、道路の基本であったと知 る。るつぼ形に設定されていた街道には短絡する道路が敷かれて利用者の便を計る非現実的な東海道を現実的な形にしていくところに岡崎の近代化を見ることも できる。
それでも数少ない洋館や、銭湯などに歴史を感じることはできる。要は「気持ちの持ちよう」なのかもしれない。
午後5時まで見学できる岡崎信用金庫資料館(旧岡崎銀行本店)を見られたことは大変ありがたかったし、途中の民家で、「ご自由にお持ちください」 とバケツに生けられていた梅の枝やところどころで未だに灯が入れられている常夜灯など、「東海道が息づいている」ような雰囲気には触れられました。岡崎み たいな大都市に、「東海道の風情を残せ」という方がそもそも無理な話しですわな。

その後怪しい会合参加のあとは一宮へ移動して二次会。
なぜかバテバテの参加者ばかりで、早々にホテルへ引き上げて休む。

31日。
小さいとはいえ朝っぱらからおにぎり8個を食う。
それにコーヒーを10杯近く。
ロビーでカメラの話に盛り上がる。
チェックアウトして本町商店街から真清田神社。
本町商店街では旧名古屋銀行一宮支店の建物を撮影し、真清田さんでは軍鶏を撮る。軍鶏は人慣れしていて、ちゃんとポーズまでとってくれる。
30日に続き、鈴木禎次作品を続けてみちゃったヾ(〃^∇^)ノわぁい♪

名古屋へ移動して東急ハンズを冷やかし、その後ビックカメラへ。
とうとうCanonの50mm F1.8純正レンズを買ってしまう。
ガラガラの帰りのバスのなかで、ごそごそといじってた。

夕べは寝たのが遅かった上に、余分に距離歩いたので、そろそろ眠たい。

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名古屋東部丘陵地域をぶらつく

304544826_238 昼前から雲が切れ始めたので、いそいそと東山動物園へでかけてきました。ながいことカメラいじってなくて、青空見るといてもたってもいられない。
咳がひどいのに。
頭痛いのに。
ところが動物園は休みでしたっ
アホンダラっ!

人生投げたくなって、昔住んでいたところをぶらぶらと見てきました。その場所を離れて20年余。伊勢湾台風後の新しい団地だったから区割りなどは昔のまま、一軒家も昔と変わりないけれど、市営住宅部分は大きく改められ、面影はまったくなし。

304544826_198 帰り道となる途中、城山八幡宮へと寄ってみました。
まずは愛知学院大学学舎。これは旧愛知中学本館です。昭和3年。
次に八幡宮の一角にある旧昭和義塾、昭和4年。
昭和義塾ではさんざんワンコに吠えられたけど、近づくと泣き止んでしっぽを振る役立たず犬。

城山八幡の一部にコンクリートの基礎が枯れ葉と土に埋もれているのを発見。八幡宮の人になにかと訪ねたけれど知らぬ、とのお答え。あたしゃてっきり陸軍の施設の果てかと思ったが、どなたか詳細はご存知ありませんかのぅ。

八幡宮には久しぶりに行ったけれど、末森城は大規模な戦国城郭であることはようわかります。本丸跡も広いし、二の丸跡もよく残されている。両曲輪 は城山(昔はなんて呼ばれてたんだろう)全体に築かれていて、中腹には空堀が掘られているが、これがめっぽう深い。山の中腹を削ったのだから下からみれば 本丸へは高いことになりますな。
昔からよく知っている場所ばかりなのに、新しいこといっぱい発見しました。

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美濃路をゆく(終) 新川橋界隈

283065227_100 新川橋の西詰めには、真新しい小さな公園があります。
ここには新川橋の遺産がいくつか並べられていて、簡単な解説が添えてあり、また平成12年の東海豪雨のことどもも解説されています。
立派な資料館を作るほどではない内容だからこそ、公園環境に仕立てて展示するのも興味深いもんです。屋外展示が許されるのは、物が石だからでしょう。新川橋の欄干や、道しるべなどがその主たる物。
芝生もあって目に優しい。古いたたずまいと新しいものの融合ってとこでしょうか。

橋を渡りながら上流を見ると赤い電車が走ってます。
そうか、新川橋の駅はこんなに美濃路に近いところを走ってたのか、と少々驚きました。名鉄名古屋本線は枇杷島橋から美濃路とからみながら北上して いきます。近くにあって当然なんだけれど、鉄道を利用する人は道路をあまり移動手段に使わないし、逆もしかり。うまく意識がかみ合っていないということで す。地元の人のみぞ知るこういう土地勘・地理感覚を体感できるのも、散策の楽しみではあります。

橋を渡り終えて右を見れば洋館の三角屋根、左を見れば雑貨屋さんの古い看板。駅前でもあってここら辺は元気がいい感じ。飲食店もいくつかあるし、花屋は道に飛び出そうな品揃え。
阿弥陀寺を過ぎて、尾張藩の処刑場跡、瑞正寺にくると、門前に人だかりがしていました。ここも目的地の一つで通過できないけれど、これでは落ち着 かず、とりあえず右手に見えた神社を見に行きます。これが土器野神社。神社は東に門を持ち、美濃路や土器野の集落からは側面で対応しています。
成り立ちとしてこれはずいぶん興味深いところ。
なぜに市街地の中心としての美濃路側に入り口をもうけなかったのだろう。美濃路という「よそ者」ではなく、美濃路より古くからあった集落に対して信仰を集めようとしたのですかねぇ、ようわかりません。
近くには菓子工場だった建物が残っていたので撮影。
なかなかおもむきがある建物ですが、さして古くはなさそう。

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美濃路をゆく (7) 今も残る街道の裏側

275626667_137 また歩く。
きょろきょろしているとたま〜に赤いモノがちらちらする道路左側。
狭い美濃路に面して高層マンションが建ち、その最下層はぽっかりと口を開けてクルマを飲み込んでいる。その向こうには赤い電車があった。
あぁ名鉄の新川工場だ!
名古屋本線に乗って北上すると、新川橋の駅を越えたとたんに広がる電車の車庫でもあります。
東海豪雨の際には完全に水没し、車両もいくらかが廃車になったと聞いています。
車庫の南側は新川の堤防道路があり、上がれば車庫全体が見渡せるなぁとわくわくしながらもお楽しみはあとに残して、右側のいかにも狭い路地の探索開始。

せまい、とにかく狭い。
クルマなんぞとんでもない、自転車でさえ人によっては引いて進むかもしれない。人がどうにかすれ違える幅しかない。この狭い道路を介してぎっしりと家が建て込んでいる。東京の佃あたりでもこれほどびっしり家が建て込んではいないでしょう。玄関に面しては、すべての 住宅について庭がない。ひとつひとつの区画が小さいために正面に玄関を据え、庭が必要な人は裏に設けたんじゃないでしょうか。時折新しい建物もあるけれ ど、それはおそらくこの土地を放棄した人の土地を購入し、拡張が可能になったからこそではないかと思われます。そういう家は正面に庭があり、見た目は一般 住宅のおもむきです。
土地が狭く、家自体も決して大きくはないわりに立派な玄関を持っていることは、この地域がかつて裕福であったことを示すものだと思います。最近の住宅ではドアサッシそのものにはこだわるけれど、玄関全体の設計についてはあまりこだわりを感じられないのです。
外観からは小さい住宅にも関わらず、内部に物置の様な中二階が設けられているような構造も見え、ちょっと興味深い。また、朽ちかけている家が少なくないのにここを離れずに住み続けようとする人たち。それも愛国心の一つなのでしょうね。
狭い路地が入り組んでいて、よそ者は確実に迷子になる。
特にめぼしい建物もないので、一通り歩いて美濃路に戻ることにしました。

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美濃路をゆく (6) 町の小物たち

須ケ口駅へ入る2本目の道には信号があり、その信号を越えると右側に今川塚の説明板がありますが、肝心の今川塚がないし、場所への案内もない(^▽^;) ネットで調べると、今川塚の碑らしきものはあるらしいけれど、結局のところ「今川「塚」の代用であって、「塚」でなくなっていることを重視したのかもしれ ないと考えてみたりする。この場所が今川義元の首を晒し織田家の勝利を示した場所であることにおいては、代用である「碑」と案内看板は同列なのかもしれな いということですね。碑というものはそれだけが独自の重みを持つ(物理的にもw)ものであるからついつい勘違いしてしまうけれど、きっとそういう判断なん だろうな。
もっとも現在では街道然とした住宅地であるから、「今川義元の首」によって、日本史上の大事件でもある桶狭間の戦いを持ちこむことで、町の懐は深くなります。特に故きを温ねるものにとっては。

272050933_238 目と鼻の先には、あたりの雰囲気をすべて変えてしまうほどインパクトのある建物があります。一見洋風建築っぽいけど、傷んでいる個所からのぞくコ ンクリートブロックはこの建物の新しさの証明だし、落ちかけている壁の化粧タイルわきからは土壁がのぞく。つまりこの建物は木造建築物らしい。補修や改 修、改造を繰り返して使っているようですが、そろそろ限界でしょうか。右隣の建物とつながってるから、内部は倉庫などで使用されている可能性もあることは あるけれど、外部の部材はかなり傷んでます。
しかしながら今時じゃないデザインの建物があると、その建物を中心とした雰囲気がに自動的に形成されますね。この建物を左へ折れると、新建材の 建物が踏切までずらりと並んでいるのに、この建物は美濃路と新建材を断ち切るという効果を持っている。この建物がなくなるとおそらく雰囲気はぐいっと現代 的になってしまうような気がするんですよね。
 「美濃路」を観光資産として育てるならば、なんとかこの建物を使ってほしい。角の部分だけでも開け放ち、観光パンフレットや自販機などを置いて簡易な休憩所にするのもいいかもしれない。土地のお年寄りが数人集まって世間話をするような空間でもいい。
建物は使ってなんぼです。

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美濃路をゆく (5) 屋根神様とローカルバス

橋を過ぎるとすぐ津島線の踏切ですが、その手前に「こだわりのシュークリーム」と書いた看板が目にはいりました
家人にシュークリームが好きな者があるので、「こりゃいい」とばかり飛びつこうとしたところ、間口をよくみると、「こだわりのたまご」とある。こ だわりのたまご→新鮮→傷みやすいという連想で見送ってしまった。帰宅は夜になる可能性があったからでもあるし、家からさほど遠くもなく、いつでも買いに 来られるという安心感でそれ以上に深く考えなかっただけなのだが、まともに考えれば、どう考えてもこの発想はおかしい(● ̄▽ ̄●;)ゞぽりぽり
「むしろ逆じゃないか」と気付いたときには既に新川橋を渡ろうとした時でした( ̄○ ̄)ア( ̄о ̄)ホ!

踏切だから、電車を1本見る。
もう名古屋本線との合流地点が近く、電車は極度に速度を落とすし、その向こうには名古屋本線の送電設備も見えている。踏切を渡ればすぐに須ケ口駅への道があるが、美濃路をゆく者は当然素通りする。

民家は続くが、さきほどに比べると少し道幅が広くなりました。
これなら大型バスでもすれ違えるくらい。つまり昔から繁華な地域だったんでしょうな。

Img_8228 さて、ここで本日第一号の屋根神様と遭遇です。
ひさしの上ではなくてひさしの下にブラケットを設け、それに鎮座しています。小型故かちょっと愛らしい。しめ縄がはられているのはあまり見たことがないけど、名古屋市内とは多少風習が違うのか?
交通量が少ないことをいいことに、いろいろ工夫して青空を背景にしようとがんばってみたが、逆行の壁は高かった。結果曇り空を背景にくらーい感じの写真が撮れんかった。神様時代が東を向いているんだから、せめて午前中行くべきですね。再訪再訪^^

Asiga そうそう、清須市にはあしがるバスというものがあるそうです。
踏切と屋根神様の間でバス停を見つけたのだけれども、このキャラクターが妙にかわいいのでつい写真を撮ってしまいました。
あしがるってぇのは、街道沿いとは関係ないようだけど、織田信長から来る発想なのでしょうね。
バス自体は1乗車100円だけれども、本数が少な過ぎて、これを目的にしない限り、よそ者が利用することはむずかしそうです。しかも注意書きを見 ると「乗車時に降車場所を乗務員に伝えて」ほしいとある。深夜のバスでお客が自分ひとりの時は、運転士に降車バス停を教えたくなることはあるが、わざわざ 注意書きにしてあるのは珍しいと思う。でもこういうのが、今やローカリティとして自分では喜ばしいと思ってるのさ(笑)

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美濃路をゆく(4) 頑なな一里塚橋

268553320_30 さらに行くと、初めて信号がある。
普段なら青信号なら駆け寄って渡るが、街道歩きは違う。
余裕があるので、信号の2〜3くらい待つのも平気。
青信号でも渡らないできょろきょろしている男ってのは、通報対象かもしれない。

こんなところで警察のごやっかいになるのも本意ではないので、3回目の青信号で渡ります。
「素人にはPLフィルターは早いんだよな」
口のなかでぼそぼそと....
あ、そのおばさん、通報した方がよかったかもしれません!

「西枇のパン」と大書した菓子屋さんを過ぎると、橋のらんかんがありました。うん、欄干だけ。橋の実体はあるのかないのかよくわからない。というのも川がないから。
川がなくなっても橋だけが形骸化して残るってのは決して珍しいことではありません。港区役所のあたりでは運河を失った橋だけが生き残っている例を知っています。
ここの橋はおそらく用水路の上に架けられた橋なのでしょう。
コンクリート製のらんかんには名前が入っています。
「いちりづかはし」
それが彼の名前。
一里塚を失った今も「一里塚」を名乗っている。
一里塚をなくして数十年、いずれこの橋も「無用の長物」という形容の元に撤去され、ここにかつて一里塚があったということさえ忘れ去られていくのだろう。
「もののあはれ」とはこういうことを言うのでしょうか、本居宣長様....
川は、地形のみを残しています。
水があった形跡すら留めないけれども、橋と川の利害関係だけを留めている。それがなお一層世のはかなさを感じさせるのです。

ゆるいカーブ。
傍らには「橋を一人きりにはすまい」と今にも朽ち果てそうな木造民家が一軒、新建材の家に