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旅行・地域

2011年2月 7日 (月)

初めてのバスツアー

旅行慣れしてますが、バスツアーは初めてでした。
お仕着せっぽい旅行が嫌いってのと、鉄っちゃんだったってのが大いなる理由ですが、旧街道歩きに鉄道って必ずしも便利ではない。東海道ならともかく中山道では特に強く感じられる列車の少なさ。木曽路歩きに鉄道なんてほとんど役に立たないものです。
2〜3時間に1本普通列車が来るだけなんて、地方ローカル線並み。
そんなものをあてにしての中山道ウォーキングは非常に時間と金のかかる遊びです。
そんなとこを巧みに突いたのが豊鉄観光の中山道ウォーキングですな。
今回はその第一回。
早朝豊橋を出て夜遅くに帰るという強行パターン。
乗車時間往復10時間で、東京滞在は4時間ほど、ウォーキングにあてられた時間は1時間45分。
けれども格安なんですねぇ。
東京往復でひとり6800円なんですよ。
中山道を始めるいいきっかけになりました。
といいつつ自分はもう距離で半分ほど歩いてしまっているんですが、今度はその補完の意味もこめて妻と歩くつもりです。

2009年7月27日 (月)

東京にぃ

知人の家では、すてに大勢が屋上で花火を見てました。
あたしゃ手すりのパラペットに座ってぼーーーっと見てました。
夏にもかかわらず風が涼やかで、先ほどまでの汗を持っていってくれました。
花火は9時過ぎに終了。
こんなに早く終わるとは思ってなかった^^;

あとは部屋の中で久しぶりに会った友人たちとぼーーーっと過ごしていました。
川越で飲んだビールが疲れを呼んだなぁ。そのわりに意識はしっかりしてましたが。
妻が風呂を借りているあいだに眠ってしまったらしい。

1237566061_37s 朝なのか夕方なのかわからないような頭で知人邸を辞し、以前名古屋に住んでいた友人に会いました。
本人は10年ぶりだと言ってましたが、そんなにたっていただろうかと思えるほど変わってませんでした。ちょっとやせてスマートになったかなという程度。
都電に乗り、昔話やら都電の話やらして11時半頃別れ、別の知人と昼食をとりました。
東京ってとこは会いたい人がたくさんいて、身一つでは足りないのだな^^;
この友人ともほぼ3年ぶり。
前回はお会いできなかった奥様とちぃちゃんに会えました。
子供が欲しいなーなんて切実な話になったりしましたなぁ。
ふぅ...
彼と別れたあとは明治通りを南下、首都高速・東名を介して大河ドラマが始まる前には余裕で帰れました。

楽しかった二日間。
引っ張り回しただけの妻はずっとニコニコしていたけれど、楽しかったんだろうか。
「金はかかるけれど、知り合いがあちこちにいるって楽しいだろ」と言うと、妻は満面の笑顔(これをスーパーからすちゃんと呼んでいる)でうなづきました。
遊んでくれた人たちに感謝します。
機会があればこちらへも遊びに来てくださいね!

書きたいことはたくさんあるけれど、かいつまんで記しておきます。
こんどはいつ上京できるのかな。

2009年2月16日 (月)

佐久島からの手紙

佐久島でボランティアやってきました。
ボランティアって言っても、実質は定員制観光宣伝に近い印象でした。
佐久島が展開している黒い真珠運動(詳しいことは自分で調べよw)の一部である、下見板のペンキ塗りや、梅園の手入れなどだれでもできる軽労働で、その上一色町連絡船の往復運賃と昼食が付くというおまけぶり。
プロのペンキ屋を少しかじっているヾ(@⌒▽⌒@)ノでも「ひどい仕事ぶりだな」と感じたけれど、塗っている人たちはみな真剣。しかも楽しんでいる。若い女性連れも「もっと塗りたいよねー」と言ってたし。楽しむってことがこのボランティアのテーマなのだ。ってことは、本質はボランティアじゃないってこと。
けど、地元の人たちはみんな親切で優しい。
通りがかるたびに、「ご苦労様です」とか「ありがとうね、助かります」と声をかけてゆく。うん、これなんだな、ボランティアなんだけどボランティアじゃない。それでいいんだ。
昼食に出た海鮮汁がとってもうまかった。
とにかくダシがしっかり出ていて、まるで魚介スープ。
スープだけで酒の肴になる。
あいにくと手元にビールがなかったのが残念だったよ。

1083452719_232 昼食後は自然解散で、ヾ(@⌒▽⌒@)ノは島内を歩きました。
大葉邸で中庭のある古民家を見て、浜に出ておひるねハウスでごろんと寝てみる。上で座っている人の足が上から降りてきてるけれど、黒いおひるねハウスと明るい海の圧倒的なコントラストの迫力にとけこんでゆく。ちっとも不快な感じがせず思わずシャッターを押した。
おひるねハウスと海。
子供たちは浜ではしゃぐ。大人も中に入って笑ってる。
なぜか不思議にみんながおおらかになる。
不思議な黒い箱だ。
たぶん都会に置けばただのじゃまな箱になるだけだね。
佐久島にあるから人の優しさを引き出せるんだろうなあ。
嫁も子供のようにはしゃいでる。
ちょっとはずかしかったヾ(@⌒▽⌒@)ノ

1083452719_75 西港と東港と結ぶメインロードに戻らず、浜沿いに歩く。
カキを拾った。
石でたたき割って海水ですすいで食った。
「おなか痛くなるのはふたりいっしょだよ」
嫁が笑った。

佐久島の庭というところに行ってみた。
時間がゆっくり動いてた。
のんびりと何かを作っている人、車座に座って話し込む人、いろいろ。
梅と水仙が満開でした。
その向こうに海がキラキラと。
江ノ島で見た海に似てたなぁ。
東港で少し遅めの昼飯を食った。
「今日はお客さん多くて、刺身ないだよ」というおやじさん。
「さっきメバルもらったから煮付け作ろうか?」
うんうん、そういうのが食いたい!
出てきたメバルは小さくて、たぶん売り物にならないような個体だと思うけど、身がホクホクで、甘くてすごくうまかった。
海ならではのうまさだよね。
うれしくってさヾ(@⌒▽⌒@)ノ

アートの島活動の核となる弁天サロンで、刮目すべきあるモノをみつけました。
びっくりした。
仮面ライダークウガに変身できなくても、五代雄介にできるコト。
五代雄介にならなれるかもしれないヾ(@⌒▽⌒@)ノ
もう少したったら新しいことを始めるつもりです。
猫と季節の花。

うふ

2008年12月 8日 (月)

奈良まちおこし結び会と今井町

日曜日、奈良へ行ってきましたのことよヾ(@⌒▽⌒@)ノ
奈良と言ってもまたまた大神神社。そこで行われている結び会(むすびえ)という集まり。実は奈良関連コミュで知ったのだけれど、町おこし団体の紹介が主体と聞いて、行かずにはいられなくなったのでした。

でも...どうなのかな。
おまつり騒ぎの色彩が強かったな。
けれどそれは理解のうち、手段のひとつ、戦略(笑
大半の人は町おこしなんぞに興味はない。あったとしても自分がその中に入ろうと思うひとは少ないし、この企画者もそこまでは期待していないだろう。
だから”余興”としての物産市がある。これがうまそうなんだなあ。
シシ汁とかうまそうだったよ。
あれだけの「物産」が集まれば人は集まる。
主催者の真の意図がどこにあるかは関係なく、ああいう空気の中で町おこしをテーマに掲げていることはすごいことだと思ったし、企画力を感じたなぁ。

それでも町おこし団体の紹介自体がしょぼい。
もう少しスペースをとって、メンバーが和気あいあいとした雰囲気を醸し出して、人が話しかけられる空気を作ってほしかったな。各ブース留守番のような人を置いているだけとはいうのは、組織や自分たちの運動自体に対しての気持ちの弱さと解釈されても仕方ないんじゃないかと思うのですが、いかが。
せっかく自分たちの活動を理解してもらう貴重な機会なのに、パネルやパンフレットを置くだけじゃさみしいんじゃない?
もっと踏み込んだコメントが欲しかったし、人の口から話が聞きたかったよ。
そういう世界に入っていきたいと思う人は一番気になることなんだからさぁ。
そんな中、一番注目したのは「困っていること」の欄。
それも予測された範囲のコメントだった。
金、人、駐車場....
もっと具体的な話が聞きたいのになぁ。

ちょびっと落胆しながらも、主催者の気持ちは多少受け取った気がするなぁ。
それでも不満が多く、おまつり気分になれぬまま会場を後にしたのでした。

その後は今井町へゆく。
実は今井町という隠し球があったので、前出のイベントでも気がそぞろだったんですよ^^;
昨年の8月に続いて二度目の訪問。
バッテリーを入れ忘れたカメラは車に置いたまま、3時間ほどくるくると回ってきました。建物の中を見学できたのは音谷邸だけ。二回目^^;
あそこのご主人と話すのは本当に楽しい。
今井町の町並み保存に対する気負いのなさが、言葉のなかから伝わってくる。
けれどその気負いのなさがどういうところから発生しているのかという疑問に対しては明確な答えが返ってこないのですね。
「今井町が好きだから」
それしか感じとれない。
けれど現代の煤にすっかり真っ黒になっているヾ(@⌒▽⌒@)ノにとって、それは明快な答えではない。
明快であるとすれば、町おこしなんてとっても簡単なはずだから。
今井町の秘密をいつか解き明かしてノーベル愛国賞をもらいたいと思うのでした。

2008年8月26日 (火)

妻籠

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年に何度も行ってると、だんだん違う面が見えてくる...というか、違う方向から見ようとする。へそまがりなんだろなヾ(@⌒▽⌒@)ノ
久しぶりに脇本陣奥谷邸に入ったら、家の背後に隣接して真新しい南木曽町資料館があるには驚いた。コンパクトにまとまっていて、とてもいい資料館でした。
時間がなくしっかり見てないけど、戦国期から現代までのことが広くとりあげられている点において、他に類がないんじゃないかと。
島崎藤村がいたるところに出てくるのはちとウザイが(苦笑)

意外と興味深く見たのは、最後にある映像コーナー。
妻籠がいかにして重伝に指定されたか、現代の名声や町並みを保存できたかなど。今一番興味がある分野なのですが、正直言って、「恵まれてるな」っ て思えてしまうのでした。いろんな紆余曲折があり、様々な意見の対立があり、時にはみんなで知恵を出し合い譲り合ったりして、今の体制ができあがったこと は百も承知。

・音頭取りのひとりが町の有力者であり、だれもが一目置く存在であったこと。
・始まったばかりの町並み保存にうまくのっかれたこと。
・指定されてから毎年何千万もちゃんと予算がついたこと。

914197535_130 結果、妻籠型の町並み保存が形としてできあがりました。
でもなんか違う。
ビデオを見てそう思いました。
資料館の中には、数こそ少ないものの「町並み保存前の妻籠」の写真もあるんです。その写真の中には昭和初期に建てられたと思われる郵便局もありましたし、床屋の写真もあります。バイクが走るほこりっぽい中山道の写真も。
けど、それは現代であって江戸時代の写真ではない。むしろ現代の妻籠の方がよほど江戸時代の情緒を感じられるのですよ。
何が言いたいかってね、これって町並み保存じゃないんでしょ、ってことなの。昭和43年から江戸末期の宿場情緒を残すなら保存じゃないやん!
例としてあげるならば、資料館の映像にある生駒屋さんの建物復元ね。
建物自体は江戸末期のものなんだけど、”町並み保存”行為によって、オリジナルに戻すってんだから、ちっとも保存じゃないよ。
じゃあなにか。
これって「テーマパーク」やんか!
江戸時代のテーマパークなのよ。
古い建物も新しい建物も共存するわけじゃない。
言い換えれば、「妻籠には江戸時代しかない」の。
住民の生活はないんだな。極論したら「死んだ町」ですね。
妻籠が目指すのは江戸末期なんだから、街道のアスファルトもはがすべきだ。
テーマパークなんだから、コンビニすらない。
訪問客はそれを江戸の宿場情緒を楽しむために来る。
ただそれだけ。
けど、ニセモノじゃないし、何事にも徹底してるから価値はあるし、人の心を奪うこともできる。けれど町並み保存じゃないことははっきりしてる。
誤解を生むような日記だけれど、ヾ(@⌒▽⌒@)ノは妻籠が大好き。
これが妻籠のあり方であり行き方なんだなと思うのみ。
予算があり、旗手がいて、古い建物があったことをうらやむだけ。
でも後世の人は妻籠を踏み台にすることができる。
妻籠にはないものを取り入れて本当の「町並み保存」をするだけさ。

2008年8月10日 (日)

奇跡の宿場

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今日は二川の本陣資料館の関野準一郎展と、桜ヶ丘ミュージアムの豊川海軍工廠空襲展を見に行くつもりだったけれど、とにかく朝からカメラがいじりたくて、被写体としての宿場がみたくて、ネットサーフィン。
見つけ出したのが飯田にある大平宿(おおだいらしゅく)。
ドライブとしては適当な距離か、と勘違いしつつ151号を北上。
途中旧田口鉄道鳳来寺駅付近で、崩壊寸前の近代建築を見つけたりして、有意義なドライブでした。

ネット上に大した写真がないんですが、今回ばかりは度肝を抜かれました。
大平宿に比べたら妻籠や奈良井ですら単なる観光地に過ぎない。つまり金儲けの道具。
大平は道路も建物も昔のまま。
生活用水として使われていただろう水量豊富な小川。

とにかく驚いた。
これほど江戸時代の宿場のイメージを残した地域は他にはない(と思う)
客なんてロクロクいない。建物にはだれも住んでいない。

東海道や中山道の明治前期の宿場写真ってのをたまに見かけるけど、そこまで規模は大きくない30戸程度しかない集落。
集落であり、旧宿場であり。
妻籠を評して「奇跡的に残った町並み」という人がいるが、そんなもの笑えてきてしまうほど。
よくぞここまで保存した!
これこそ奇跡だ!

緩やかな坂道にまばらに家が建ってる。
二階がせり出した、このあたり地区特有の建物型式。
木曽でもたまにみかけるけどね。
200〜300mの間に点在する家々。
先を行く嫁に「帰りたくない」とだだをこねてしまった旦那。

そんな保存家屋の玄関先にクワガタがいた。
「このあたりではクワガタは普通の虫なんだね」
せっかくみつけたクワガタなので記念撮影。
特別出演してもらって、建物の玄関につかまってもらった。
クワガタ+古民家+旧街道=....ゴキブリ(笑)
クワガタを立体感に撮れないと、クワガタもゴキブリも変わらない。
どっちも甲虫だ(爆)

帰りしな、唯一みやげもの屋と呼べる店に入っておばちゃんと話した。
「朝は寒いよ。窓はしめて布団かぶって寝るだぁよ」
「これが今頃の気候だよ」
端にあった温度計を見た。
針は20℃を指し示している。
「信じられん!」
ついつい叫んでしまった。冷たい風が坂の上から流れてきて、うっすらかいている背中の汗をなでてゆく。
たまらない快適さ。
「ここでも今は夏ですよね」
なんてバカなことを聞いてしまったおれ。

2008年7月13日 (日)

東三河の風景 怒りの新城

さて、次なる目的地は新城の国指定重要文化財、望月邸。
釜屋建てという、三遠南信あたりに見られる工法らしいけれど、詳しいことはわからないので、興味あるひとは勝手に調べてください。
ここに向かった理由は、「古民家が重文に指定されている」という一点。

嵩山からさして遠くはない。
ちょっと探したけれど、特異な建物なので、すぐに発見。
個人所有なので、土日祝のみの公開となってます。
玄関に行くと、だれもいない。
インターホンを押す、だれもいない。
えーーーーーっ!
重文だろ!
国から管理を委託されてるんだろー。
金もらってんだろー。
別にいいんですよ、個人所有のものを敷地に入ってみせていただくというのだから、図々しいことは百も承知。管理する方だって仕事じゃないから、不 在になることだってあるでしょ。けどね、「ただいま不在です」とか「何時までは不在にします」など、どういう状況で見られないのか知らせる必要はあるで しょ。わしらなんぞ、隣町から来ただけからまだいいよ。たまたま東京から見学客が来たら落胆するよ。重文なんだから、そういう可能性は十分に考えられる。

868584849_233 868584849_77 怒りの混じった落胆君ふたり、次は四谷の千枚田に向かいます。
新城の旧街道を抜けて、山中へ。
玖老勢、海老など、とってもそそる土地をひた走る。
ちょっと遠かった!
ほぼ10年ぶりの再訪だけど、当時とイメージは変わってなかった!
ただ田んぼは青々として、夏を謳歌してました。
でも単なる見学客で終わりたくない。
「耕作者以外は徒歩でお願い」と書かれた急なあぜ道を下る。
くだる、くだる。
なにかいいものがあるんじゃないかと(笑)
けどなにもなかったなぁ。
868584849_186 きれいに整備されすぎていて、興味を引く異状、おもしろみのある非合理みたいなものがなかった。先に見た小豆島の中山千枚田の方が不安定なデザインでおもしろかった。
光の加減も決して良好とは言えず、あんまりおもしろくなかったなぁ。
いろいろ巡っても、いいロケーションというのもなさげな感じ。
「また撮りに行くか」という気はあんまり起こりませんでした。

さて、今日の日記はこれでおしまいだよヾ(@⌒▽⌒@)ノ
忘れないうちにもうひとつ書くけどねw

東三河の風景 嵩山のひまわり

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葦毛湿原をあとにしていったん自宅に戻り、汗まみれのシャツを捨て、引き続き姫街道沿いに出現したひまわり畑を見学〜。
嵩山は、豊橋に3つある江戸幕府道中奉行管理下の宿場のひとつ。
そんな宿場と、姫街道、本坂の旧トンネルもついでに見た。

まあ〜ひまわりだわ、とにかくひまわり!
圧倒的なひまわり!
最近ではちんまりしたひまわりもあるけど、「これこそひまわりだぁ!」って断言したくなるほどひまわりでした。
一面のひまわり、黄色い海!
どうやら国から援助を受けたのは、NPOかなにかであるらしく、ご親切に、高さ2mくらいの展望台までが設置されていました。
親切だあ!
片隅には植木屋の使う脚立までが設置してあり、至れり尽くせりというべきでしょう。「自己責任でね」というのは当然の話ですぞ。

展望台に上がって、ひまわりの花づらを水平に撮る。
と、隣のおばさんも真似をしてしゃがみ出す。
山を背景にしようとすれば、同じようなアングルで撮ろうとする。
「真似すんな、おばさん!(笑)」

「あの通路の真ん中にたって」と、我が家のソフィア・ローレンを立たせる。
黄色に花に囲まれて、ソフィアはほほえむ、Vサインする。

「最初の頃はねー、ちゃんと太陽の方を向いてたんですけど、最近は、今の位置で固定しちゃいました」とおじさんの説明。そうか、やはり来るのが少し早かったか。というより、東愛知、東日は何やっとるんだん!ちゃんと地元に密着した情報を早めに出さんかい。
黄色い花といえば、菜の花。
けどひまわりはもっと自己主張が強いね。
そのわりに、同じ方向を向いている美しさはなんとも言いがたいものがあります。
おもしろい試みだよねー。
来年もがんばって!
ただしひまわりの切り花はいただけないよ。
どこに差すのよ^^
ジュースくらい売ったらいいのにねー、暑い季節だしさヾ(@⌒▽⌒@)ノ

2008年5月11日 (日)

小豆島紀行(前)

友人の結婚パーティのため、小豆島へ行くことになりました。
いまさら結婚式でもなかろうということか、友人だけを集めての披露パーティらしい。
5月10日夜、名鉄バスセンターから丸亀行き夜行高速バスで出発!
バスはハイデッカーの3列シート。
寝られるどうか心配だったけれど、大垣あたりからうつらうつらし始めて、いつのまにかまどろんでました。
乗客の数は多くなく空席も多々あり。
「空席はご自由にお使いください」と運転手が言うので、早速前後に客のない席に移って早々にフルリクライニング。
嫁の席からもヾ(@⌒▽⌒@)ノの顔が見えて安心だろう。

803459099_92 窓の外は雨♪
目覚めると淡路島南PA。
まどろんでいたために時間の感覚がかなり麻痺しているけれど、ずいぶんと長い時間止まっていた気がします。
それにしても運転手、途中休憩があるとはいえ名古屋〜丸亀間をひとりで運転するとは大変だわ。

高松中央で高速を降りたバスは市街地へ。
町は少しずつ大規模になり、高松駅には10分ほど早着。
バスターミナルには何台かの大型バスがたむろし、客を降ろしては去ってゆく。
わしらのバスのすぐあとからも四国高速バスの丸亀行きか来たけれども、この夜の丸亀行きは2台体制だったのだろうか。

803494089_33 早朝の高松駅、なにもない^^;
店があいているわけでもなく、食事すらままならず。
コンビニでかさを買い、琴電の高松築港をかすめて玉藻公園へと歩いてゆく。
物欲しげな顔をしたふたりが、フェリー乗り場を歩いていくさまは、それはそれは寒々したものだったろうと思う(笑)
外周を石垣に沿って回りながら、重要文化財であるところのやぐらを撮影してゆく。一周しかかったところで、玉藻公園(有料部分)の入り口にさしかかる。
実はこの公園有料なのだ。
まさか午前7時からあいているはずはないと思いながら、行けるところまで行くつもりが、なんと受付に人がいた!
「西口は5時半頃からあいていますよ」だって。
キャッチフレーズは、「日の出から日没まで」(笑)

803494089_54 803494089_194 中にはいるとなかなか落ちついた気分になれる公園で、広大な敷地の中がきちんと掃除され無駄なものが置いてあったりしてなくて広々としてる。やたらと植樹されているのはうっとうしいが、ここは公園なのだと言い聞かせて散策する。
公園内には旧藩主一族が建てた旧宅があったり、見事なツツジの株があったり、相当見応えはあって、有料は納得。
被写体としてもとてもうれしくなってくるけれど、いかんせん雨が強くて、気持ちのままに撮れないのが苛立つ。
嫁にかさをもってもらったりして、どうにか撮り続けてみる。
けど一番よく撮れたなと思うのは嫁のスナップだったりしてヾ(@⌒▽⌒@)ノ

調査・再建中の天守台を見て西口から出る。
朝飯を食おうと駅前の食堂に入ったらビールがない!
「ごめんなさい」といいながら次なる店を探すが、なかなかみつからないままに駅へ戻ると、なんだ、2階の食堂街の一部が開店してるじゃないか。
サンドイッチとビールで朝食をとっているうちに、友人のひとりがマリンライナーでやって来た。彼と合流していよいよフェリーで小豆島に渡るのだ!
待合室で待っていると、目の前を駆け抜けてゆく影!
これまた小豆島に渡る友人だった!
見事に合流できたもんだ!と感激しながら、フェリーに乗る。

2007年12月 3日 (月)

生粋の尾張人、三河弁をきく

純粋尾張人の天ちゃんは、名古屋弁しか話せない。
長州人が江戸弁と三河弁を融合させて人為的につくったいわゆる”標準語”は話せないらしい。
数年前、”標準語”で話す自分に、「天ちゃんは一番名古屋弁がひどい」と言われた時は愕然としたものだ(笑)
今となってはそれは勲章みたいなものだと思える。

近頃三河弁を聞く機会が非常に多い。
それも西三河あたりの”かわいげ”のある三河弁でなく、非常に濃い三河弁。
じゃんだらりんは名古屋あたりでも聞くから違和感はないのだけれど、「ら」が文章の最後に置かれる表現には正直戸惑う。

アイスクリームを食べて「これうまいらー」
「これうまいね!」の意味なんだけれど、とにかく聞いたことがない言葉だから。
三河は言語圏が特殊で、足助ではなぜか西遠江あたりと言葉が似ている。
岡崎、豊橋あたりの”軽い”三河弁。
豊橋の濃い三河弁。
たぶん、あの”濃い”三河弁は、三谷、蒲郡であたりでも話されているような気がするけれど、マイミクさん、どうでしょうか(笑)
つまりは、豊橋と名古屋とはあまり交流がなかったという証明でもあるでしょう。現に豊橋人は名古屋よりも浜松を志向しているように感じる。

「あんたも住めば、このことばになるに」
「いやぁ、そんなかんたんにはならんでしょう、尾張地区に44年も住んどったんだもん」

そうそう、仮面ライダー。
おれにも、歌わせてちょ。

ええがや、ええがや、すげえがや♪

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