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東海道

2012年2月 6日 (月)

白須賀宿と勝和餅

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二川宿本陣資料館で入手した3枚のパンフレットです。
二川の名物とされている柏餅が、実は白須賀宿の西の外れ猿ケ馬場の名物であったことは知る人ぞ知る。
広重のあとにも二川もしくは猿ヶ馬場の情景としてかしわ餅(もしくは勝和餅)の茶屋を取り上げていますが、どの絵も視点や描き方を変えているだけで実はみんな同じ物を描いています。
とっても笑えるけど事実です。
茶屋の脇に木が2〜3本立ち、山が迫っている。
看板には「かしわもち」の文字。
広重が二川の題材として猿ヶ馬場を取り上げたことは、二川に絵になりそうなポイントがよほどなかったからでしょうか。

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勝和餅のパンフレットを発行しているのは勝和餅研究会だそうです。
けっこう立派なパンフレットなんですが、主張が弱くて何が目的なのかよくわからない。
勝和餅の存在自体の知名度はそれほど低くないと思うんだけどなぁ。

2010年7月13日 (火)

平塚から東へ

朝からホテルで缶ビール1本。
腹一杯たべましたが、「ホームページの写真と違う」と妻は不満顔です。
いくら「写真は一例」だろうが、実際とはあまりに違うので写真は消したほうがいい>東横平塚。

雨がぱらつく中出発。妻はポンチョ、自分はかさ。
前日も降られてはいましたが、Tシャツは最初から汗でぬれてて関係ない^^;
リュックにレインコート。
時折強く降られたりしたけれど、かんかん照りよりは楽でした。
汗は止めどなくでたけれどね。
茅ヶ崎にはいっても、これといって特徴のない道をあるくあるく。
何カ所かあった大山道の道標は、そんな気持ちを叱咤するように建ってました。2個所くらいあったかな、そのたびに撮影会。
なぜか道祖神が多かったのも、今回の特徴ではありました。
拡幅する時に道路の端に寄せたそのまんまなんだろうなぁ。
東海道はそのまま一号線になり、東名が開通し、海辺にバイパスができる。
土木技術の進歩のおかげで道祖神は守られたか。
これも道中の慰みでした。

小田原から東へ

長い目でみれば、遠いようで近かった日本橋。
今回の小田原→藤沢に限れば、「近いようで遠かった藤沢」。
もう小田原以東は”消化試合”なのかな...とは思いたくないな。
今回の街道歩きはそんな言葉で総括できます。

小田原からすでに市街地。
どこまで歩いても市街地^^;
ところどころ史跡らしきものはありますが、後世それらしきものを再現したんじゃないかな。位置がおかしいし。

国府津では、割と古い建物が数多く見られて楽しかったなぁ。
擬洋風から始まった欧風化を日本家屋に取り込み、一種の「完成」をみた時期。
昭和初期くらいの建物でしょうか。
けど文化財としての価値はほとんどないですね。
町の歴史として保存するのは有りだし、それが国府津の個性と呼べる気がしました。

この区間でさみしいのは、道路自体に昔日の記憶がないこと。
すでに現代に取り込まれてしまっているところに「一里塚跡」と書かれても、感慨はわいてこない。もう完全に「跡」なんですよねぇ。
道路の形状にしてもほぼまっすぐにされてしまい、旧道特有のうねうねがない。しかも東海道の大半は拡幅され(旧)一号線にされている。
旧一号線の面影はあっても、旧東海道の面影はない。
うん、うまい言い回しだ(笑)
細い道がない。今も東海道が主要幹線道路であり続けている。
歩道を歩いていても後ろから自転車が頻繁にやってくる。
そういうつまらないことで注意力を割かれると、楽しい気分がだんだんと薄れてしまうんですよね。疲れ過ぎちゃう。
当然のことながら、平塚なんてなんも残ってない。
最初からまったく期待もしてなかったけどね。
大都市の旧宿場町なんてそんなものですから。
でもうちらはここで泊まり。

途中二宮のみせ吉本店で買ったガラスのうさぎという菓子と、黄まんじゅうをホテルで食べました。みせ吉本店の建物は悲惨なことになっているけれど、菓子はいたってうまかったです。うすーい求肥につつまれた白あんがいい。黄まんじゅうの生地も、ふわふわして良い感じ。そこらの町の菓子屋のまんじゅうとはちょっとレベルが違うなーと思うけれど、それで店が大きくなるわけでもないらしい。

2010年1月31日 (日)

豊橋(旧吉田大橋)に思う

先日発見した一個の道標に関連して思ったことを書き留めておきます。

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江戸時代の東海道は、吉田宿の西惣門を出て豊川に出る手前を左に折れて数百メートル西進したのちに北に折れて吉田大橋を渡っていました。
渡り終えた地点から西に向きを変えた東海道を200mほど進むと、豊川稲荷遙拝所っていうのが右側にありますが、ここは豊川への追分。知っている人は知っていると思うんですが、ぼくは知らなかった。ただ単に東海道を歩いていた旅人が豊川稲荷へ行かずして拝む場所だと思っていたんです。
つい先日このあたりで仕事をしたんですが、みつけてしまったんですよ、「とよかわ道」と彫った道標を。場所は遙拝所を北に折れて下地小学校と合流する地点。地図を見ると、道は遙拝所から豊川を向いてます。
地図を見たときに疑問。
江戸期の吉田大橋は現在の豊橋より200mほど下流に架かっていたらしいのですが、その部分の取り付け部分は一体どうなっていたのだろうという疑問です。

添付した地図のように、いくつかの考え方があります。
オーソドックスには(3)に比べれば、すべて妄想に近いんですが、
旧吉田大橋と豊川稲荷遙拝所の位置があまりに近いので、妄想してしまうんですよねぇ^^;
つまり、東海道は左へ、とよかわ道はまっすぐという考え方(1)です。
そもそも現代の道ではないから「曲がる」と「まっすぐ」の定義すら、かなり主観的になってしまうことは禁じ得ません。
しかもこの(1)にはオマケもあります。
地図下の船町交差点からもう少し西へ行って旧吉田大橋東詰にまっすぐ通じていたのではないかという想像。(図中1-2)
わざわざ橋を長くする必要もないと思うけれど、いちおう(2)も可能性として提示しておきました。

大正年間の古地図(年不明)には、豊橋の西詰めは行き止まりになってました。ただ豊橋は大正7年に架け替えられているために、地図の橋が架け替え前の橋か架け替え後の写真なのかがわかりません。

石碑の解説に、「吉田大橋を渡って東海道を西に一町ほど進むと〜」の一文があるけれど、これはどこから引いたものだろう。「豊川稲荷道という名前が太田南畝の改元紀行に見える」とあるから、出典は改元紀行なんだろうか。
これは改元紀行を読んでみれば解決する問題のようです(笑)

2009年12月 7日 (月)

箱根越え

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ついに箱根を越えました、自らの足で。
さすが天下の険と言われるだけのことはあって、かなりの難所でありました。
「西からの箱根は大変ですよ」という複数の声にびびりまくって、新しい靴を買ったりわらじの購入をまじめに考えたりしてましたが、そういう類のおそれではないことを今では知っています^^
今まで歩いた旧街道のうちでも難所と呼ばれる場所は何カ所かあります。
けれど群を抜いてキツイのは箱根。
勾配そのものは、他の難所にもありますが、箱根は長いんです。
いつまでも続く坂と石畳、そのふたつがとてもつらい。
石畳も草鞋で滑らないようにするための工夫であって、靴の人が歩くための物ではないんです。靴の人なら石畳よりも関東ローム層のドロドロ道路の方がよほどマシかも知れない。
箱根が天下の険と言われるゆえんはそこにあると感じました。
そして西坂の途中からは駿河湾が見える!

途中多くの人とすれ違いました。 うちのマンションの前の道路よりも人通りは多いくらい。 ヘンな時間帯にやってくる人たちは箱根湯本に泊まって歩くそうな。

箱根松並木で先の日記をあげた直後にカメラのストラップが切れました。
「ぶちっ」って見事な音がしました。
幸いストラップをつかんでいたので落としはしませんでしたが、とってもイヤな予感がしました。無事に帰れないんじゃないかと。
でもそれは単なる杞憂でした。
東坂を下っているとき、一度だけ石畳に滑って尻餅をつきました。
その時、方にかけていたカメラも当然落とした!というところだったのに、ストラップが短くなっていたので、フードがかろうじて地面にあたっただけ。
よかったよかったヾ(@⌒▽⌒@)ノ

これで長い静岡を出た!
宮宿から小田原宿まで歩いたことになります。
約280km! よく歩いたもんだわ!

箱根越え

1357633706_53 1357633706_251 1357633706_196 ついに箱根を越えました、自らの足で。 さすが天下の険と言われるだけのことはあって、かなりの難所でありました。 「西からの箱根は大変ですよ」という複数の声にびびりまくって、新しい靴を買ったりわらじの購入をま じめに考えたりしてましたが、そういう類のおそれではないことを今では知っています^^ 今まで歩いた旧街道のうちでも難所と呼ばれる場所は何カ所かあります。 けれど群を抜いてキツイのは箱根。 勾配そのものは、他の難所にもありますが、箱根は長いんです。 いつまでも続く坂と石畳、そのふたつがとてもつらい。 石畳も草鞋で滑らないようにするための工夫であって、靴の人が歩くための物ではないんです。靴の人な ら石畳よりも関東ローム層のドロドロ道路の方がよほどマシかも知れない。 箱根が天下の険と言われるゆえんはそこにあると感じました。 そして西坂の途中からは駿河湾が見える! 途中多くの人とすれ違いました。 うちのマンションの前の道路よりも人通りは多いくらい。 ヘンな時間帯にやってくる人たちは箱根湯本に泊まって歩くそうな。 箱根松並木で先の日記をあげた直後にカメラのストラップが切れました。 「ぶちっ」って見事な音がしました。 幸いストラップをつかんでいたので落としはしませんでしたが、とってもイヤな予感がしました。無事に 帰れないんじゃないかと。 でもそれは単なる杞憂でした。 東坂を下っているとき、一度だけ石畳に滑って尻餅をつきました。 その時、方にかけていたカメラも当然落とした!というところだったのに、ストラップが短くなっていた ので、フードがかろうじて地面にあたっただけ。 よかったよかったヾ(@⌒▽⌒@)ノ これで長い静岡を出た! 宮宿から小田原宿まで歩いたことになります。 約280km! よく歩いたもんだわ。

2009年12月 6日 (日)

小田原へ

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おはようございます。
今日は箱根から小田原まで歩きます。
大半は下りのはずだ!
夜半の雨で、空気もきれい。箱根松並木から見る富士もくっきりです!

箱根宿の夜 2

夕食が早かったせいか、疲れのためか、さっさとふとんを敷いた妻。異郷の土地で過ごす夜をそんな簡単に終えてしまうなんてもったいないと反発を感じながらも、いつの間にか寝てました。

ふと目が覚めたらNHK-BS1でサッカーをやってた。まったく興味がないので、チャンネルを変えたら、どこかで聞いたような歌声。
寝ぼけまなこで画面を見れば、やはりオリビア・ニュートン・ジョンだ!
ミニスカートにブーツ、わ、若いぞ!
今は還暦前後の歳じゃないだろうか。画面の中の彼女はスカートをひらひらさせ、中を披露してる。年甲斐もなく興奮する。

時は止まった。

外は白いもやに包まれている。寒くはあるけれど、身を切られるほどの冷たさではない。
過去、数え切れないほどの旅人たちも、こんな夜を体験したのだ。
箱根宿に同化したような気になった。
シンジくんが初号機に吸収されてしまったように。

2009年12月 5日 (土)

箱根宿の夜

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今朝未明にクルマで豊橋を出発。JRと伊豆箱根鉄道を乗り継いで、旧東海道に出ました。

三島市内も抜けないうちに登りにかかりました。
そこから延々ずっと6時間上り坂。
それも半端でない急坂ばかり。
石畳が足に堪える〜。

箱根宿を目前にして、とうとう雨が本降りになってきました。
幸いあたりの東海道は山のなか、それほど濡れずにすみました。
本格的に濡れたのは宿場に入ってから( ̄▽ ̄〃)

ちと早い時間だったけど投宿して横になり、手足を伸ばしました。
一時間ほど休憩して、箱根関所へ行ってみました。
帰りにみやげものを買いました。(画像参照)
そして今に至る。
明日に備えて早く休もう。

さあ箱根越えだ!

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暑いです。汗かいてます。