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2012年5月

2012年5月 4日 (金)

前芝探検隊

Th_img_1612


こそーーーっと入隊してきました。
大きい名札が恥ずかしいので、普通に写真撮ってました。
集中するので、ゴミを拾う余裕がありませんでした。
ゴミんなさい(_ _)


人にはそれぞれの視線や個性があります。
それぞれの視線から前芝の風景を切り取って保存していこうという趣旨には大変に強く賛同できます。
写真を趣味にしていながら古写真を見るばかりで、「今」を保存しようとしない自分に疑問は持っていても、それもひとつの個性と割り切っていましたが、こういう企画があれば飛びつきます。

撮影する写真に関してテーマがあるわけではなく、手当たり次第に撮ればいい...ですかね^^
第一回の時に撮られた写真を見て、自分に撮れる写真を考えながら町の中を散策していました。
1.物だけを撮っても仕方ないので、なるべく線で捉えること。無機な物を有機的に結びつける。
2.生活や人の生きた証しを善悪なく捉える。
結果的には大した写真は撮れていないので、一枚だけ添付してみました。
写真の中心あたりにかつては港があったようです。
港町の風情は残っているけれど、漁師町の雰囲気は今にも消えそうです。
都市に組み込まれた小さな町はこうなってしまう運命なのでしょうかねえ。 

2012年5月 2日 (水)

中山道ウォーク(24)謡坂一里塚→今渡

前回のゴール地点にあったマリア地蔵像は、いわれのあるものだったんですね。
いつも帰宅してから足跡を振り返るんですが、それは地中から掘り起こされた物と聞いて反省。
今回は彼女の写真を撮ることから始まりました。
謡坂を降りていくと激しい崖崩れの脇に耳神社がありました。
耳は遠くないし、人だかりがしていたので通り過ぎました。
牛の鼻欠け坂も東から来れば下りなので難なくクリア。
楽勝なんですが、これで松井田あたりから長く続いてきた中山道の山岳部が終わります。
まだ横川から塩名田の区間が残されているので楽しみは続きますが、塩名田から延々と歩いてきたアップダウンがなくなると思うとさみしさで、胸がキュンと鳴りそうです。そして御嵩新道と呼ばれる江戸幕府が開拓した御嵩ー大井間の中山道も終わりです。
合流した道は国道21号のようですが、交通量はそれほど多くなくてよほどお気楽に歩けます。
御嵩宿を抜けた後にまた合流します。
中山道は御嵩宿へと曲がっていきます。
住宅地が宿場になり、変化が宿場の中心部へと誘い込みます。
中心部に向かって少しずつ古い家が増えていき本陣跡あたりが最も宿場の雰囲気を残しています。
竹屋という建物を公開しているというので、見学します。
間口が広く、奥行きもすばらしく深い。聞いたところでは奥行きは現在よりも深かったそうです。
宿場や町家は間口幅によって課税されていたというけれども、課税制度などは管理部署によって違っている。宿場もすべてが幕府直轄ではないので御嵩がどうであったかはわかりませんが、奥行きが深いのは例外なく、間口が大きければそれこそが大家ということになります。
店も住まいもきちんと手入れされているのは、この家の住人がよほど大切に扱ってきたからだと、内部の展示写真を見れば気付きます。
建物を背景にして人の写真を撮ると言うことは、建物自体に思い入れがあるということ。内庭に突きだした桟敷などにもそういう気持ちがくみ取れます。
とにかくきれいに管理されているのが気持ちいいところです。
隣は駐車場のようになっていますが本陣跡だそうで、竹屋と隣り合わせだったとか。
ちなみに竹屋の元の大きさというのは、Yahooあたりの地図でも確認することができます。
さらにとなりは中山道みたけ館。
1階が図書館で二階が資料館、宿場がテーマのひとつとあっては通過はできません。
無料とは思えない充実した内容です。
宿場以外には亜炭の展示が目立ちます。
そういえばここから高蔵寺あたりかけては亜炭鉱があり、地面が陥没したというニュースを子供の頃聞いた記憶があります。
でも今は昔。静かな里になりました。
みたけ館の前におそらく枡形があったと推察されるのですが、入り隅側を削って道路を拡幅したために枡形はなくなっています。
まっすぐ行けば名鉄の広見線が突っ込んでいます。
こりゃあ露骨だなあとうれしくなる配線です。
鉄道の向きは宿場の南側を抜けたそうですが、そもそもこの鉄道が何を目指したのかよくわかりません。
多治見からわざわざ鉄道を敷くほど御嵩は繁栄していたのだろうか。
まさかこの先大井まで敷こうと考えたのではありますまいな。
宿場を抜けて何度か折れ、国道21号と合流します。
時々旧道を分かちながら西進していきます。
伏見宿への上り坂を前にして国道21号を外れて側道に入り、名鉄八百津線の廃線跡をまたぎ、のぼり上がった地点が伏見宿の本陣跡でした。広い土地が本陣の敷地であったことを感じさせてくれるだけで、それらしき雰囲気は皆無です。
この宿場にとって不幸だったのは、中山道が相変わらず主要道路として利用されていることでしょう。
二桁の国道としては車は少なめだけれど、時に大型車までが通る。
絶望的な気持ちで歩けば、すぐに商家が見えてきました。
ちょうど上ってきた坂の頂点の平地になるのかしら。
古い商家が左右に固まって残っており、その一端にどうみても郵便局にしかみえない小さな建物がみえました。かつては醤油屋に付属していた建物であることは一目瞭然。
大家が郵便局を兼ねていたのでしょう。
今で言う特定郵便局かな。
そこが地元のふるさとづくりセンターが拠点としている”らくだ”という建物です。
中ではほぼ原形を保ちながら喫茶店を営業している。
うちらはみやげに伏見宿の浮世絵がデザインされたマグカップとてぬぐいを購入。
妻籠でも馬籠でもなく伏見宿のマグカップ。
ちょっとおしゃれ?そうでもない?^^
この郵便局跡の付近だけが、宿場であったことを主張していますが、表の手入れがなされておらず、ただのボロ屋になってしまっているのが大変に残念です。
ところで、この建物群の前の国道は、道幅が普通に国道幅(?)ありますが、街道の両側に古い家々があるということは、宿場時代からこんなに道幅が広かったのでしょうか。
調べてみると元禄頃に作られた新しい宿場らしいので、最初から高規格で作られたのかもしれません。
ここまで来ると坂を下りて今渡を目指して歩くだけ。
ちょっと規模が大きすぎるかもしれませんが、ここも木曽川の河岸段丘といえるのでしょうか。
三留野以来の木曽川です。といっても中山道から水面は見えませんが。
下り着いてゴール。

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