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2012年4月

2012年4月29日 (日)

YES 大阪公演

松山が期待以上の町だったので、すっかりテンションが上がったままホテルにチェックイン。
それでも時間が近づくにつれてテンションがあがってきました。
コンサート前には軽く飲んで軽く食事して入場しますが、ジョッキ1杯のビールで頭が上気し、あっという間に酔いが回りました。
興奮のために脈拍は軽く100回/分を越え、めまいかっ?!っていうほどの興奮状態。
グッズを買うつもりがないので、開演10分前の入場でした。
彼らはすぐに出てきました。
落ち武者、デ○、ハゲ、そして大男(笑)
ギターのスティーブ・ハウは一昨年のASIA名古屋公演以来です。

技術的なことはさておいて、やはりすばらしい、YES!
来日前の体調不良で、突然起用されたリードヴォーカルのJon Davidsonも、丁寧に歌ってて好感が持てました。
とてもアメリカ人とは思えない(爆)
好みで言えばBenoitよりも好きかなあ。Benoitは彼なりに一生懸命やってたけど、ムリしてAndersonってぽい声を出してるような気がし
て、それが心地よく感じなかった。だからFly from hereは割と彼の個性が出てて好感持ってます。
歌っているときの気色の悪さがJon Andersonによく似てましたが、歌のうまさ(?)はとてものことAndersonに及ぶところではありま
せんでした。
どうせならケープをまとえばよかったのにね(苦笑)

コンサートではベースのChris Squireが右、その後ろにドラムのAlan White。
向かって左にSteve Howe、背後にGeff Downes。
ぼくらの席はSteveのほぼ正面であったので、Chrisがよくみえなかったのですね。
Steveはええです、ASIAでも見られるから。
なんとしてもChrisが見たい!
遠目に見ていたら、一度だけやって来ました!
Starship TroopersではおなじみのChrisのベースソロ。
Steveのそばまでやって来て、ちょっかいを出すそぶり。
「なんやねん、おまえ」という表情のSteve。
この掛け合いはお約束です。
昔はどうだったのかねえ。

あっという間の2時間。
エンディングは総立ちで、Starship TroopersとアンコールのRoundabout。
もう熱狂の渦でした。

選曲に対する不満は、多くの人が書いているようにOwner of a lonely heart。
この曲はいらんでしょう。
Siberian Katruだって聞きたいし、Machine Messireだって聞きたい。
この曲のギタリストはSteve Howeでもないし、この曲をやる必然性が見当たらない。
後ろの座席の人は奇声を上げて喜んでいたけれど、大半の観客は落胆したんじゃないだろうか。

組曲Fry From Here、これはCDよりもよかった!
Youtubeなどで見る限り最近の演奏はスローペースだったのを心配していたけれども、実際にはそんなものほとんど感じなかったなあ。
うまさばかりが目立つステージだったように思います。

あとはJon Andersonを見ることですね。
下手でもなんでもいいから、Steve 、Jon、Chrisが3人並んでコーラスするところを見たい。
できればClose to the edgeで。

2012年4月28日 (土)

Unbeaten Tracks in Japan

Isabella Lucy Birdの日本奥地紀行を寝る前に少しずつ読んでいます。
妻が勤めているデイケアの利用者さんが、「妻に読んでみる?」と貸してくれたとか。
うちら夫婦が中山道を歩いていると知っていての好意だったようですが、あいにくと妻は本を読む習慣がありません。
そもそも妻は自分で読むのではなく、ぼく読ませるために持ち帰ってきたようです。
4000円なんていう高価な本、今のぼくには買えません^^;;

訳本のおもしろさは翻訳者の力によるところもあると思いますが、多少不満でも資料としての価値もかなり高く、中山道ウォークでの妄想資料に役立ちそうです。
今夜の少し読んで寝ることとしよう。 

2012年4月26日 (木)

過去の日記へのコメント

もう6年も前に書いた記事について、コメントをいただきました。
http://suki.tea-nifty.com/tobe/2006/09/4_84ad.html

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このビルについては当時は情報がなく、現在の店舗が入る前は印刷関連の会社が入っていたは友人から聞いていて知っていましたが、新たな情報をいただき、元々どういういきさつの建物であったかを知りました。

ホームページにこの記事を書かなければ、この建物がどういうプロフィールでだったかということも知らず過ぎたと思うと、情報発信してよかったなーと思うのでした。

この建物、現在はブティックのようです。
戦前のモダーンな雰囲気がとても特徴的で、このために建てられたような印象すら受けます。
ところが元はいえば結核予防会の診療所でした。
結核予防会のホームページによれば、このビルが建った昭和12年当時結核は国民的な病で、その克服が課題であった。
戦争に突入していく時代背景の中でもそんな動きがあったんですね。
そして名古屋の城下のはずれにこの診療所が建った。
お寺というのは、時として救済事業をやってることもありますが、立地に対してなんらかの影響関与があったのだろうか、などと余分なことまで考えてしまいますな。
いやはや、楽しい妄想の世界です(笑) 

2012年4月25日 (水)

伝建・松山

YESの大阪公演に合わせて、久しぶりに近鉄に乗りました。
長く名古屋に住んでいたのに、ほとんど乗る機会がないのが近鉄です。乗った記憶も特急だけ。
大阪へ行くには様々な手段はあるけれど、近鉄を選んだのは最も安かったから。
近鉄全線乗り放題の週末フリーパスというのを利用しました。
事前に広小路のkntツアーさんで購入。当日購入できないんで注意が必要です。

目的地は阪神尼崎。
そのまま素直に行ってはつまらないので、沿線で観光地らしきものを探してみました。
いやいや、いわゆる「観光地」はいたるところにあるんですが、ぼくが希望するのは、古い町並みとかそういうたぐい。
見つけたのが平成18年に重要伝統的建造物保存地区(以下伝建)の指定を受けた松山です。
宇陀市内にあって、榛原駅からバスで15分とあります。
バスも終点で降りれば良い上に、終点は道の駅大宇陀。
初めての人にもわかりやすい環境なので速効で決定です。
町の散策時間を予想するのは非常に難しく、町のスケールに建物のおもしろさなどが絡み合いかんたんに決められません。
目安となるのは伝建指定で、今まで行ったことのある伝建地区の妻籠、奈良井、平沢、足助、関を思えば1時間では絶対にムリ。2時間でも厳しい。
その上にアクセス時間を重ね合わせると、余裕ある見学時間は4時間になります。その4時間を捻出するために、朝7時前には豊橋駅を出発しなけれ
ばならなくなりました。
それでもまだ足りず、名古屋から榛原まで特急を利用。
当初の「最も安価な方法」という理念はどこへやら(笑)
それほどぼくの中での伝建の価値は重いです。

途中伊勢中川での乗り換えがあって、名古屋から1時間半あまりで榛原に到着。20分の待ち合わせで大宇陀行きのバスに乗り、15分で道の駅大宇
に到着。道の駅は車があふれかえって盛況です。
パンフレットがないので、地形を見て集落の位置を判断します。
川沿いにはいきなり造り酒屋があり、写真を撮ろうと一眼を取り出せば、バッテリーが入ってないっ!!!
しかたなしに妻のコンデジを借りて撮影していくことになってしまいました。
コンデジを取り上げられた妻はスマホで撮影。
「バッテリーあんまりないかもぉ」ですと。
一眼が一番タチの悪い「捨てられないゴミ状態」になってしまいました。
道の駅から東へ、橋を渡って最初の通りが伝建地区の中心部のようです。

まずは南へ。
宿場町の風情です。
どうしてこんなに古い建物が残っているのだろう。
土曜日のせいか観光客は皆無です。
たまに造り酒屋さんで酒を買う人が出てくる程度。
杉玉がある、虫籠窓はある、普通の平成の町ではありません。しかもその合間に近代的な家が存在する。
しずかなしずかな町でした。
翻って北へ。町作りセンターとなっている旧内藤家住宅を見学し、通りを行きます。
まあ見る物に事欠きません。
すべての家がおもしろい。
みな平入りで通りに水を落とす仕組みになっています。
これがいいんだな。
建築年代によって、建物の高さはまちまですが、どこかに一貫性がありきれいです。
通りの両側には防火用水がかなり速度で流れており、いざというときせき止めるための板が至るところに準備されていました。
この町はとてもきれい。
ゴミが落ちてない。古い住宅の中には朽ちかけみたいなものはありますが、どうにか立っている(笑)
なにより不思議なのは、未だに町が生きていること。
妻籠のように結果的に観光目的の伝建となってしまったところでは、通りに面した家ではなく奥の家に住み伝建の体裁を保っている町が少なくありません。でもこの町は商売している家がある。元の家の生かした新しい家だったり、通りのイメージを壊さないような家造りなんていうものが誠実に履行されているように感じます。そうではない家というものもあるにはあるんですが、後ろに下がるなどの心遣いがあります。
例えそれが町作りの形のない圧力だとしても、それが町の形でもあります。
そういう町を見ていると大変に心地よく気分がいい。
何も根拠のない自己主張ばかりの都市の醜さは今や救いようのないレベルにさしかかっていることを思えば、ここの町の美しさというのは奇跡としか言いようがない。

などと思いつつ妻と散策。
慶恩寺まで出て、町の雰囲気が一変したのを確認して戻ることにしました。
実はこの町、本通りばかりが町ではありません。
西の通りに入っても、もう1本西に行っても古い町並みが残っています。
つまりこの町は、古い形態の町が息づいているのだ!
信じられないことだけど、バス通りはすべて古い通り!
バス通りからも山と山の狭い谷間を埋めるように瓦屋根がぎっしり。
はぁ、ため息がでますなあ。
見なければならない通りが何本もあるので、想像以上に時間がかかりました。
腹減ったーと路地をのぞいたら「本善食堂」という文字が見え、そこで昼飯を。
この建物もとても味があり、昭和30年前後の建築っぽい。
中に入ると野球ユニフォームの先客が数人。
内部は喫茶店の体裁で、老夫婦がふたりでやっているようでした。
中華そばと親子丼を頼んで待つこと数分。
昔懐かしい中華そばとはこれのこと!
予想を裏切る量で腹一杯です。
「コーヒーがつきますが、お持ちしていいですか?」
え、この値段でまだコービーがつくの?
出てきたコーヒーには小さなカップケーキがついてました。
いやーーもう食べられなーーーーーい!^^
ただしこの店の良さはそこではない。
古い建物をきれいに掃除して使っていること。
いすはへたれてケツが落ち込むし、店内も薄暗いけど、店内はきれいに掃除されていて、花がたくさん飾られている。
すっかり日本人が忘れ去ってしまったものがここにはあるような気がしました。
古い物を大切にすることこそ、日本の美徳。

道の駅へ急げば、予定よりも1本早いバスに乗れました。
宇陀・松山、今まで見た伝建の中で、最も血の通った地区でした。
なにより生きているのがうれしい。
地元の人を聞きながらゆっくりと過ごしたい町です。 

2012年4月24日 (火)

喫茶文化

お茶という植物がある。
これを乾燥・精製し焙煎するとお茶という飲み物になる。
お茶という植物から作られるからお茶のはず。
ウーロン茶、紅茶すべてお茶の葉っぱから作られる。だからお茶という。
ところが麦茶という妙な飲み物が存在する。
茶の葉を使わないのになぜお茶なのか。
近頃ではハーブ茶などいう得体の知れない物までが存在するようになった。
もっとおかしいのは、だれひとりとして「なんでお茶と呼ぶのだろう」と疑問に思わないこと。
言葉を商売にしているひとすら平気で「麦茶」など書く。
文化もへったくれもない、なんというなげかわしさなんだろう!なんてことは実はどうでもいい。お茶を飲み物の代名詞に変えるほどお茶という飲み物が日本人の中で定着したというから。

ところが。
なぜかコーヒーだけはコーヒー茶とは呼ばない。
まったく日本人というのはいい加減な民族だわ。
言葉については大昔から寛容だけれど、ちょっとはずかしいのさーー。 

続 ASIA来日決定!

さすがASIA、やはり名古屋にも来てくれるのね!
箱はZEPP NAGOYA。
会場がタイトでいいみたいであるけれど、小さすぎじゃないかい?
なにしろ椅子席だと500あまり、オールスタンディングで1700。
実績からして2000は必要だからオールスタンディングってことでしょ。
ASIAのファンは年齢層が高いのに、こういう入れ物が妥当なのかい?
2時間たちっぱなしってしんどいぞ。
しかも500円値上げされたし、入場時にはドリンク券を買わなければいかんらしいし。
YESを見て、自分がASIAに求めていた物を思い知った今ASIAに従来ほど期待していない。
この環境は厳しいなぁ。
文句言いながらも見に行くんだろうけどさぁ。 

2012年4月17日 (火)

ASIA来日決定!

今日からYesが東京・渋谷公会堂でJapan Tour開始!4本じゃTourでもないか。
そして9月24、25日にはASIAが来る!
ダブっているふたり、Steve HoweとJeffrey Donwesは二度目の来日ね。
気になるのはASIA公演の日程で、毎回きちんと名古屋に来ていたけれど、今回東京でやったあと大阪直行なのでひょっとしたら名古
屋は飛ばされるかもしれない。
どちらも好きなバンドでありながらも、自分の中でASIAはYESより格下だと思ってます。
YESが名古屋を飛ばしたからそれにならったのだろうか。
ASIAもえらくなったもんだ(笑)

どうか名古屋にも来てください。
今日は税務署の青色申告指導会、明日から2日間は中山道ウォーク、一日おいて尼崎アルカイックホールでYesの来日公演。
金も大変だけれど、体も大変。
モチベーションが持続できるかどうかが問題。
世界が広がると何かにつけて大変です。

2012年4月15日 (日)

花園商店街・謎の道

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春風に誘われて、駅から自宅まで歩いて帰りました。
3kmくらい軽いもんですヾ(@⌒▽⌒@)ノ

店は一軒もあいているはすがありませんが、花園商店街も通りました。
こんな個所を見つけました。
なぜにクランクになってんでしょうか。
すごく気になります。

15日、路面電車のクイズラリーをやりながら、再び花園商店街のアノ道へ行ってみました。
やっぱり不自然だわぁ。
東西の家の境界がそろっているか、どれが元の道かなどを考えてうろついてもらちがあかんので、あたりの人に聞いてみました。
都市計画による家屋の井戸や、区画整理、アーケードの取り付けなどの複数の理由でこうなってしまったらしい。
なんか妙なことになってしまいましたねー。

その昔よく見たような看板が残っているのもこれまた町の歴史のひとつ。
こんどは花園マーケットやってるときに行ってみたいなー。

2012年4月12日 (木)

実写版宇宙戦艦ヤマト

特にヤマトヲタクというわけでもありませんが、やはり宇宙戦艦ヤマトといえば見ずにいられない。
アニメ版なら見ませんがね。
だってそういう世代だもん。
打倒!グレートマジンガー!!!(爆)

ま、これ異常期待してくれるな!というほどのできだとは思います。
製作側の「これ以上は2時間ではムリ」っていう開き直りする感じました。
波動砲発射口のふた、第三艦橋の爆破など、アニメへのオマージュも随所に埋め込まれニヤリとさせられました。
キムタクと黒木メイサのキャラ設定は悪くないんだけど、終盤抱き合ったりする表現はどうなのかな。
英雄色を好むといいます。
生きるか死ぬかの時に生殖行為に走るという話しもあり、パルス銃で気絶させた森雪をいただいてしまうのかと思いましたよ。
だってあのエロエロの体ですよ!
しかもご丁寧に”まな板"の上に置いて...
結局古代が死ぬことへの伏線だったわけですね。
まぁイヤらしい。
あのあたり陳腐すぎて一気に冷めてしまいましたね。
前半うまくだまされてきたのに、現実に戻されてしまったかな。
古代を中心としたストーリーもとても好感持てたし、むしろ似たようなことをだらだらと続けているアニメ版よりもすっきりしてて好きかもしれない。
逆にその分他のすべてが犠牲になりました。
ガミラス人の都合、ヤマトという物体への擬人化。
ヤマトにとってこのふたつはかけがえのないものなのですが、表現する時間がないですよね。
やたらと登場人物を消してゆく設定も必然性が感じられずに「なぜ?」の連続。
そもそも最終的な致命傷となった波動砲の発射口に打ち込まれたフタ、イスカンダルからの長い航海中放置していたのですか?
それだけで司令官失格ですよ、あ〜た。
個人的には十分及第点出せます。
けれど納得できなかった部分を続編で表現していって欲しいな。
登場人物は大半死んでしまったけれど、立ち位置を変えればいい。

ところでこの作品て、昔からモノに対する執着がないですよね。
「この船は私たちのために再び戦ってくれる」って、ゴジラVSキングギドラに出てくる帝洋の権藤会長のような感傷的な言葉はないのですかね。
それとこれも発進時。
劇場で見たかった!というほどのCGだったのかなあ。
CGばかりに力を入れて、 音楽がなおざりになってない?
発信したばかりのヤマトに唐突にミサイルが飛んできて波動砲で打ち落とす。
この作品最大の見せ場なんですよ。
音楽で盛り上げながらゆっくりと浮上するなかにも、スピーディーさが欲しい。
映画なんだからもっと意識して欲しかった。
最大の見せ場がドラマの一番最初に来てしまうのがこの作品のヘンなところ(笑)
CGのヤマトは実写版でも、そのあたりの表現のコストパフォーマンスを思ったら、映画全然ダメね。

宇宙戦艦ヤマトはかっこいいかもしれない。
でも戦艦大和の方が圧倒的に美しい。
お話になりません。 

2012年4月11日 (水)

中山道ウォーク(23)北野神社→謡坂一里塚

さて、今回の中山道ウォークは山の中。
前回のゴールであった北野神社から始まります。
先々週降った雪は未だ溶けきらずに凍り付いており、あちこち避けて通らなければいけませんが、実は道路から浮いていて、踏むとパリッパリッと音を立てて割れます。

早速緩やかな上りが来て、三面の馬頭観音がたっているのは焼坂が馬頭観音。
憤怒の表情だそうですが、正面の顔は欠けてしまってよくわかりませんでした。
他の顔は怒ってる....と思う。
なぜ怒ってるのかなんてことはいっさい分からず。いや、毘沙門天のように恐い顔をしているんじゃないか。

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焼坂を下ると池があり、池中にはジュンサイやらカキツバタが植わっているらしいです。
水は凍り付いて鏡になっており、対岸の木々を映していました。
もう少し日が照っていれば、けっこう見応えのある風景です。
太田南畝が壬戌紀行に書いた弁財天も現存しています。

このあたりの中山道は、下街道に旅人を取られていました。
幕府は何度も下街道を利用しないように呼びかけてますがあまり効果なく、ついには明治になり下街道がメインルートとなって、中山道
は廃れることになりましたが、幕府の力が弱まるに従って通行量も減ったと推測すれば、このあたりの風景も当時とさして変わりがない
ということになります。茶屋など旅人相手の産業は消え去るのみですが、風景や道路の形状というものは変わる必要もなくなるというこ
とです。
また江戸−京間の新交通システム(鉄道)が東海道経由となったことから、一層衰退に拍車がかかったと考えられます。
どうにか幕府の力で保っていた区間ということができるんじゃないかも思えます。江戸幕府がわざわざ作った道ですからねぇ。
道という物はもともと自然にできるものであって、作る物ではないということを証明しています。
尾根道をトロトロと歩く。
交通史やら合理性を考えながら、変化のない道をニンマリしながら歩く人たちでした。
他の参加者のおばちゃんたちに「おねーちゃん(妻のこと)」の写真も撮ってあげなよー」と冷やかされながら。
その上道路端には落ち葉が重なっていろんな葉っぱが積み重なっている。
妙な花が咲いているんじゃないかと目をやるから忙しくも楽しい道中です。
ただしみるほどの物はありません。集落がないのだから、人文的なものは何もない。旅人相手の馬頭観音や道祖神ばかりです。
その罵倒さんや道祖神ですが、ここは石垣に保護された祠に納まっていることが多いのです。
しょせんは石なので、わざわざ囲いを設ける必要もないと思うのですが、どういったつもりでこんなことをしているのか。
他の地域では見られないだけに、不思議な感じがします。

なだらかなアップダウンをいくつも繰り返して歩くと、細久手宿はすぐです。
工場が表れると次は民家。
民家がそのまま細久手宿です。
宿場の入り口には「日吉第二小学校跡」の文字がありましたが、記念碑自体が新しいし、命名の方法から古い小学校ではないとわかると
過疎化による廃校しかなく、静かさと相まって寂しさが漂います。
宿場ともなればこのあたりの中心であったろうに、なぜに細久手学校などと名付かなかったんだろうなぁ。
日吉小学校のホームページによれば、大正2年(1913・癸丑)に日吉小学校から細久手分教場として分離し、昭和58年(1983・癸亥)
に閉校されたとあります。

細久手は坂の宿場です。
古い家はほとんど残ってなくて40年くらい前の農村のよう。
古いホーロー看板がちょくちょく放置されたような町ではあるけれども、家々はきれいで新しい家が多いのは、瑞浪や土岐、多治見などの都市が通勤圏にあり、留まって暮らせるからでしょう。

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宿場として目を引くのは、やはり大黒屋でしょう。幕末安政年間に建てられたというのだから、築150年越え。宿泊客がいなければ見学
できるっていう話しは以前から聞いていましたが、この日見学できるとは思っていなかったので、大したもうけもんです。
諸サイトではボロボロだということばかりが書かれていますが、それよりも格式の高さに驚きます。1階には相当りっぱな書院があり、
そこは上段の間となっています。2階にも書院があるのですが、これはどういう使い方がなされていたのか。
控えの間とおぼしき隣室にも床の間が用意されており、例えば二川本陣の上段の間よりも格式で言えば高いじゃないだろうか。部屋の
構成吹き抜け等、他で見たことのない構造で大変に興味深い。
「尾張藩定本陣」というが意味合いがよくわからない。
尾張藩公が江戸へ下るならば、東海道を利用することになっているはず。大黒屋のサイトでの解説には「他の大名との相宿を嫌った」とあるが、大名同士の相宿などあり得るはずがない。たぶん尾張藩の公用役人が利用したと思うけれど、それにしても豪華すぎるつくりです。
見学可能な部分はすべて見学しました。
一番古びた部屋が”書院”で、底冷えがする感じ。
夜は何か出そうな感じ^^;
他にもきれいな部屋はたくさんあるんですが、多数ある部屋の中から泊まるならここしかない。
寒さも旅のひとつの要素ではあります。
「必ず泊まりに来ます」と言うと、「ぜひ季節のいいときにおいでください」と。
いや、細久手との初対面が冬なのだから、ぜひ冬に。

細久手の町外れを北に入ったところで、昼食。
ここから少しきつい上りを上がります。西の坂というらしいが、相当きつい。
肩で息をしても間に合わないので、息を”つく”。
腹一杯食べてはいないけれど、胃に血液を送るためにも無理をしてはいけない。
ここからはそんな坂が続きます。
上ったり下ったり。
下りもけっこう急な上に落ち葉が多く、路面が見にくくなっていたところで、足をクキっとやってしまいました。痛いと言うほど痛いわけではありませんでしたが、これが歩いているうちにだんだんとはっきりした痛みに変わり、すこしばかり不安。

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下り途中に山内嘉助屋敷跡っていう更地があります。
石垣が残るのみですが、広い土地が面影を語ってくれます。古には津橋集落の経済的心理的中心だったところでしょう。
そんな力強さがありました。
津橋の集落を過ぎると急な上りが始まりました。
これが大変に見通しよく、上り坂が延々と見えるので戦意喪失してしまうんですなあ^^;
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時折止まってはどうにかあがる。
追い抜いてきた人が後ろにいてもがけの下にいるようにみえる、それほどの急坂です。塩尻峠より厳しいで、これ!
上りきったところにはなんとケーキ屋さんがあります。
妻はそこのケーキを楽しみにがんばってきたらしい。
「バスの中で食べます」とか言って3つのケーキを買ってきた妻。こんなものを持って歩くなんて気が知れんわ...

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唄清水を過ぎてゴールの間近な謡坂(うとうざか)で、木曾街道御嵩宿のモデルになった場所がありました。

いや当時の風景が現存しているといっても過言ではないでしょう。
木賃宿の前でなにやら洗っている老婆。
「宿場内の絵ではないんです」というのもわかる。木賃宿などいう低級な宿は宿場内でも外れにあったりするもんです。
洗い物をしている川は今その位置には存在しないものの、この坂を下りる途中には池か沼のあとが見え、また排水やパイプがたくさん出ていて水があった形跡をみせており、かつては坂の上から水が流れていたかもしれない可能性を示している。見た目は変わっていても水の跡を探すことで、広重の頃が蘇る。最後に妄想が現実化したような気がしてうれしかったです。

今日はこの先の坂を下りたところでおしまい。 


2012年4月 4日 (水)

スーパードライブラック

夕べ妻がアサヒスーパードライの黒ビールを買ってきました。
うちではビールとして扱われないスーパードライの欠点は水っぽさ。その水っぽさで黒ビールを作るとどうなのか。
大変に興味津々で、また期待もしていました。

まず結論から言えば、これは悪くない!
スーパードライの水っぽさがあまり感じられず、かといっておれは黒ビールだっっっ!っていうほどの主張もない。
ずっとシェアを落とし続けているサッポロビールファンにこのビールの位置づけはかなりやばいなぁ。
ハーフ&ハーフのうまさを知っている人は、これを飲み出すのではないか。
もしくはこれとヱビス琥珀でハーフ&ハーフで作るならば、最強のビールになる気がする。

そういえば、アサヒの復刻版も発売されているね。
こちらも濃くてビールらしい味がする。
スーパードライが嫌い者にもちょっかいを出すアサヒビールです。 

2012年4月 1日 (日)

豊橋産紅茶

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二川のJA産直センターで買ってきました。
後藤製茶さんの紅茶、大好きです。
とにかくコストパフォーマンスが高い!
この香りでこの値段?!っていつも思います。
クリーミーな香りがたまりません!
 

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