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2012年2月

2012年2月22日 (水)

二川・本駒屋

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豊橋市は宿場三点セットとして、馬場本陣、清明屋、駒屋を改修公開する方針で着手はしているものの、駒屋だけは手つかずでボロボロの廃屋のようになっていました。人が住むなり管理人が来て毎日風を通すなりしていれば、傷むのを遅らせるこ
とくらいはできるのに、ほとんど無管理。ひさしが落ちれば応急手当をするといったひどい管理で、いったいどうなることやら
心配していましたが、やっと億単位の予算がついたことで、改修も前進することでしょう。
修理することは簡単ですが、利用方法そのものを考えないと広い敷地をもてあましてしまいます。
以前参加した見学会の時も関係者からそういった声が聞かれました。
本陣資料館がすでにあって、活発に活動していることから、駒屋で何を展示するかといったことは重要だと思います。

二川が計画的に作られた宿場規格であることや、宿場の人たちの生活を展示するとかまだまだ展示すべきことはたくさんあると思いますけど、それを観光にしてかねもうけしようとなると商家ではインパクトが小さいですねぇ。
一般の人が知りたいとことと、街道歩きの知りたいことは違う。むしろ大学の先生がため込んだマニアックを知識を展示にしてほしいと思う。

2012年2月19日 (日)

古い橋の架け替え

今朝の東日で、市内の橋梁のいくつかが修理不能であり、新年度にも架け替えが行われると報じられています。
最も古い物は下狭間橋で、1927年。
そもそも水上ビルに架かっている橋には時代に応じたデザインがなされていました。
最も立派だったと思うのは最も線路側に近い橋でしたが、いつの間にか取り払われていて驚きました。
古き豊橋を想像できる物がなくなるのはさみしいですが、まあ仕方ありません。
機能本位のつまらない橋にならないことを祈るだけです。

新年度にも架け替えとか。
明日取り壊されても不思議のない早急さなので、近いうちに見に行ってきます。
橋を見て水上ビルが建つ前の町を想像してみよう。 

2012年2月13日 (月)

五家寶

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中山道ウォークのおみやげ、深谷宿内の五家寶という菓子です。
ぼくも妻も初めて聞く名前でしたが、関東では有名な菓子なんですね。
米をはぜたやつを固めて、きなこで固めたようなもの。
なかなかうまいです。
1本くらい食えそうです。 

2012年2月 7日 (火)

中山道ウォーク(23)槇ヶ根→北野神社

期待の区間!
今回はほとんどが山中で、中山道としての醍醐味が味わえる区間です。
観光施設などがない山の中にポツっと存在する宿場をオアシスのように感じる旅です。
クルマの通行も少ないと思われ、出発前からわくわくでした。

スタート地点の槇ヶ根に着いてみるとすっかり雪化粧。
八代○紀並みの厚化粧です。新しい雪を踏むと靴が半分ほどは埋もれてしまう雪に、うれしいやら悲しいやら。
東京から京都まで2年近くをかけて歩くのだから、こういうこともあるだろうと楽しむ気持ちがぼくを含め多くの人にあったようには見えました。
足下が雪で白いから、アスファルトであろうがなかろうが見た目はすっかり江戸時代です。
人工物もほとんどなく森の真ん中を切り開いただけの道をゆく。
雪はふわふわと引力のみに従ってゆっくりと降りてくる。
気温は低いんだろうけど風がないのでさして寒さは感じません。
今日は峠の連続です。
十三峠という大きな括りの中に存在するたくさんの”峠”、それを上っていると体温が上がってきて、しまいには額に汗がにじんできました。手もポカポカ。
妻など手袋をしているのに手は氷のように冷えてしまっていますが、他の人もみな同様に冷たいらしい。
自分の手だけがポカポカなんだって。

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出発してすぐに槇ヶ根の追分があります。
往時はかなり繁盛したところだと聞いていたので土地だけは広いかと思えば、意外と狭いスペース。

名古屋への下街道も細々とした道で、交通量が多かったとは想像しにくい。
いずれこの下街道も歩いてみたい。
名古屋までほぼ一日の距離でしょう。
うちらでは2日はかかるでしょうがね^^
乱橋は名所の一つ。
乱れ坂を下りた沢に架かる小さな橋だけれど、曲線とアップダウンと橋のバランスがおもしろくて、被写体としておいしい。
しかもいっしょに歩いている人たちが渡っている姿を捉えられるの上に雪という魔法までがかかっている!
そこまでわかっているのに3枚撮っただけとは...^^;

雪の中をとうとうと歩く。

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見所以外にも恵那市教育委員会が設置した○○跡っていう標識があるけれど、恵那市のやる気を感じるのみで、想像する余力がない。
というか下座切場と言われても、なんのことやらわかりません。
自分で調べろっていうことなんでしょうね。
まあ、それも楽しみのひとつということにしておこう。

土地が開けたら深萱の立場跡。
峠越えも一段落といったところでしょうか。
その手前に佐倉宗五郎の碑があります。
佐倉宗五郎は義民として有名だと思われますが、このあたりの人だったんですねぇ。
碑から北へ入ったところに芭蕉の句碑群があるらしいのですが、それは妻に任せて自分は常夜灯を見るとも「洞中安全」とある。
これは「道中安全」のことだと思われます。
日本人はそれほど文字に固執していなかったので、音だけが一致しているという例が珍しくありません。
自分の名前すら適当な字を当てる人が、明治頃にも少なくなかったし。
そしてこの常夜灯を立てたのが加納丈左衛門さん。廿四才建之とある。
これだけの常夜灯を建てるには金がいるだろうから加納さんは裕福な人だったんだろうなあと思いながら歩いていると、深萱立場の本陣家が加納家だと知る。その一族の人が建てたんでしょう。
だれかに教えられず、自分の中で帰結するとちょっとうれしい。

雪はやむこともなく降り続きます。
みなが歩いている姿は何かの訓練にしか見えません。
強弱に変化はなく、雪の硬さが変わるだけ。
霰っぽくなったり雨っぽくなったり。
手に持つ一眼レフはタオルをかけて雪よけとしていますが、そのタオルが時々凍ります。
凍ったりやわらかくなったりすることで、気温の変化を感じます。

坂をいくつもあがったり下がったり。
時にはひらけた土地を歩きますが、回りが真っ白で思ったほどの開放感は感じません。
むしろ雪の多さを強く感じてしまいました。
よっさよっさ降っている雪の中を2人くらいの旅人が時折歩いている。
広重の蒲原を彷彿とする点景です。

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いくつの峠を越したのか、どれだけの坂を上ったのか。
坂が体に染みついた頃、ふいに眼前に真っ白な集落が見えてきました。
やっと大鍬宿です。
十三峠最後の坂は東から来ると下り坂、この坂が大変な急坂で、一歩一歩踏みしめるように歩いてもつるつると滑るほどの坂です。
傍らにある「十三峠入り口」の碑までなかなか近づきがたい。
滑って転ぶことをおそれここはズームで。

  

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坂を下りきると宿場らしい雰囲気があらわれます。
「ご苦労様です。こんな天気になっちゃって大変ですねぇ」と地元の人。
ここに来て雪は一層強くなったような気がします。
最初のT字路を折れると今区は公民館になっている本陣跡があり、本来であれば空いてなかったはずなのですが、たまたま施設を
利用していた人があって中にはいることができました。が、「もうしわけないけど閉めます」と閉め出されてしまいましたw

大鍬、細久手という宿場は何もない印象を持っていましたが、実際は登録文化財に指定されている建物が複数あり意外です。
ただし木曾からやってきたわれわれの目には、それほど古い建物には見えません。
江戸時代の普通の商家っていうのかなぁ。いままでは目にしなかった形式の建物ですね。
それほど大きくない宿場に3つの登録文化財があると普通ならそれだけで特有の雰囲気を醸し出すものですが、なぜかここでは何も感じない。
雪が多いせいか?
そんな中におもだか屋という建物があり、内部を見学・休憩できるようになっています。
建物そのものは古いけれど、正面の体裁を街道から見ると、まったく現代の家。
このギャップはなんだろう。
きっと明治初期くらいでしょうね。くぐり戸と、管理しておられる方の笑顔がとてもうれしかった。
冷たい雪と対象でしたね。

軽いカーブを描いて、宿場を抜けるとかっちりとしたアスファルト道になります。
「アスファルトの道でも雪が隠してくれるから昔の雰囲気があるね」と妻が言う。
まあそういう見方もあるね。
ここから雪が増え、場所によっては30cm近く積もっています。
ただやはり雨よりはまし。ゴアテックスは雪による水の侵入を完全に阻んでくれています。

また山間に戻ります。
あの大鍬という集落は、本当に宿場だけの街なんだと実感しますね。
前後の雰囲気がほぼ変わらないんですからね。
十三峠というのは、いくつもの峠や坂の総称ですが、大鍬の宿場のそのなかに含めるべきだったのかも。
そんな感じのわずかな平地でした。

同じような雰囲気の土地ではありますが、こちらの道は拡幅されています。
犬の訓練場やいくつかの施設がありクルマが普通に通れます。
ただし今日は雪だらけでクルマ1台分の”舗装路”しかありませんが...^^;

中山道上ではゴールとすべき場所がないらしく、右へ折れて北野神社へと向かいます。
たぶん非舗装路ですが、雪舗装がなされているために泥で靴が汚れることもありません。
バスは北野神社の駐車場”らしき”場所に止まっていました。
運転手さんは帰ってくる人たちの雪を払い落とすのに忙しい。

それにしてもスタッドレスタイヤの威力というのはすごいもんだ。
20cmの雪の上を踏みしめるように動いていくんですからね。 

中山道ウォーク(21)中津川宿→槇ヶ根

中津川宿というか、前回の終わりからの出発です。
ちこり村って焼酎メーカーのアンテナショップみたいなもんだったんですね。
今回は開店直後だったんでいろんなものがありました。
今年は終わったと思っていた梨を見つけて買い込み、さらにチコリのスープも。
ちょいと辛いコンソメスープみたいです。
もちろんこれらはバスの中へおいといて出発です。
梨みたいに重いもん持って歩くのはイヤだ。

国道19号と分かれて住宅地のなかを行きますが、住宅があるのは道路に面しているだけでその背後はすべて田畑。
中央線があったり山々が見えたり伸びやかな風景です。
西へ進むにつれて家がとぎれとぎれとなり、その途中に六分地蔵がたっていました。
仏教系のものには今回あまり目を通していないので、ここも写真を撮るだけでスルーします。
津島にも似たような六角形のほこらみたいなものがあるけど、あれによく似た感じ。
こちらは石造りで露天ですがね。
引き続き似た風景の中を歩きます。
クルマが少し多いのでちょっと気分を悪くしますが、旧道は坂本で左へと分岐しクルマもぐっと減りました。

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このあたりの見所は篠原家と秋葉街道の常夜灯でしょう。
中山道よりも立派な道が篠原家を目印のようにして、南へ延びています。
家自体も本陣造りで、大変に立派です。

小さな坂にも固有の名前が付いています。
広久手坂と岡瀬坂は対になっていました。
なんかもったいないなあ(笑)
中でも大きいのが甚平坂で、広重が「大井」として画題にしたところ。
旧道よりも若干勾配を緩くした新道も脇にあるけれど、それほど大差ないような。
高校生が自転車をひいて上がっていくけれど、このくらいの坂は乗ったまま上がらなければ、男の子ではないぞ(笑)
ここから大井宿までは目と鼻の先、坂が邪魔して見えてないだけです。
関戸一里塚跡を越すと県道と合流しますが、この合流地点に大きな石塔がたっていました。
今回なんの石塔だったか確認しようとしてたのですが、何か宗教施設ができていて石塔が撤去されていました。
あの石塔は名古屋市西区盬町の伊藤萬蔵さんが立てたものだったのです。
常識的にあれほど立派なものを「廃材」として処分するとは思われず、どこかに移動したと思われるのですが、どなたかご存じありませんか?
右手に背の高い経塔を見て右手の坂を下りて行くと、大井宿が見えてきます。
もう宿場と呼んでもいいかな。
明智鉄道の低い橋桁を見れば、「鉄道省」の文字。

さらに進んで高札場跡にたっている復元高札。
高札に目がいって脇に立っている小さな「五妙坂」の文字を見落とすところでした。
この坂は短いけれど相当急で、西から来ると壁のように見えため息がでたものです。
今は東から、スタスタと下る。

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大井宿は本陣から始まります。
外観はしっかり残っていて雰囲気十分なんですが、家の中が見えてしまうのはなんとも^^;
でもあえて塀を高くしない居住者の方に感謝。
右に曲がると、歩道にはタイルがうめこんでありますなあ。
それにしても大井の人たちってしたたか。
明治になって街道が廃れ、恵那地区の中心であった宿場の人たちは率先して恵那市の形成に努力して大井の地位を守ったというその先見性(というのかな)。
今も宿場を地域活性化の材料として取り上げ、少しずつ効果を上げているようです。
ひし屋、広重美術館、それに旧伊藤家住宅。
しかもそれを拠点として、地元の人が集まってくる。
どれだけ統制がとれているのか外からわからないけれど、伊藤家住宅に詰めていた人たちの案内や態度を見ていると「待ってました」と言わんばかりです。
これは愛情の裏返しでもあるでしょう。
時来たりってことですか^^

ひし屋は見ての通りの建物で、改造後の姿をきちんと保存しています。
施設に関して一通り説明ができることも良さのひとつ。
人があるということは大したことです。
ひし屋の見学はそこそこに、明治天皇行在所も見学します。
これもかなり手が入ってるようですが、当時の面影は十分に残しており、一見の価値有り。
わずか2ヶ月前に改修なったというのだから、もうできたてのほやほや...じゃないな(苦笑)
荒削りな復元ではありますが、御座所そのものはほぼ原形のようです。
待ちかまえていたおじさんの解説がここで入りますが、くどくもなく細かい説明もないためにだれでも気軽に聞ける良さがあります。
また地元の話しもちょこちょこ聞けるのがうれしい。

さて、先を急がねば。
恵那駅付近で昼食を取って、広重美術館へ。
今回のメインのようです。みなここの版画で時間を食うらしい。ルート説明の時「時間に気をつけて」とくどく言われました(笑)
特別展を見て、2階で版画をスリスリ。
みんなやってるわ。
うちらもそれどれ1枚ずつ印刷して、ファイルに入れてお持ち帰り。
ちょっとした土産になりますが、絵はがき代わりにするのが最も効果的かつ正しい利用法のような気がしてます。
以前は1階の売店ではがきを扱ってたはずなんですが、今はやめたんかなあ。

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宿場を終え、恵那インターへ分岐交差点も過ぎて旧国道19号を進みます。
ずっと軽い上りで足がちょっと張ってる感じ。
バイパスへ出る手前で再び山中へ入ってしばらく行くと、キツーーーーイ坂があります。
十三峠入り口だそうな。
相当な勾配です。
これを終えると平らになって、槇ヶ根の一里塚です。
一里塚に木はありませんが、塚はふたつとも存在してます。ゴールは目と鼻の先なので、しばし休憩。南側は地形を生かした公園になって
います。興味深いのは、尾根が丸裸にされていることで、元の地形があらわになってました。山城を造る時に尾根と尾根の谷部分に竪堀を
掘りますが、その意義がよーくわかりますな。

槇ヶ根追分を前に通りに出たところでゴールでした。
槇ヶ根追分は名古屋への下街道を分岐する追分で、往時はとても繁盛したらしいです。
そんなのも次回の楽しみということで。 

2012年2月 6日 (月)

白須賀宿と勝和餅

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二川宿本陣資料館で入手した3枚のパンフレットです。
二川の名物とされている柏餅が、実は白須賀宿の西の外れ猿ケ馬場の名物であったことは知る人ぞ知る。
広重のあとにも二川もしくは猿ヶ馬場の情景としてかしわ餅(もしくは勝和餅)の茶屋を取り上げていますが、どの絵も視点や描き方を変えているだけで実はみんな同じ物を描いています。
とっても笑えるけど事実です。
茶屋の脇に木が2〜3本立ち、山が迫っている。
看板には「かしわもち」の文字。
広重が二川の題材として猿ヶ馬場を取り上げたことは、二川に絵になりそうなポイントがよほどなかったからでしょうか。

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勝和餅のパンフレットを発行しているのは勝和餅研究会だそうです。
けっこう立派なパンフレットなんですが、主張が弱くて何が目的なのかよくわからない。
勝和餅の存在自体の知名度はそれほど低くないと思うんだけどなぁ。

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