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2012年2月 7日 (火)

中山道ウォーク(23)槇ヶ根→北野神社

期待の区間!
今回はほとんどが山中で、中山道としての醍醐味が味わえる区間です。
観光施設などがない山の中にポツっと存在する宿場をオアシスのように感じる旅です。
クルマの通行も少ないと思われ、出発前からわくわくでした。

スタート地点の槇ヶ根に着いてみるとすっかり雪化粧。
八代○紀並みの厚化粧です。新しい雪を踏むと靴が半分ほどは埋もれてしまう雪に、うれしいやら悲しいやら。
東京から京都まで2年近くをかけて歩くのだから、こういうこともあるだろうと楽しむ気持ちがぼくを含め多くの人にあったようには見えました。
足下が雪で白いから、アスファルトであろうがなかろうが見た目はすっかり江戸時代です。
人工物もほとんどなく森の真ん中を切り開いただけの道をゆく。
雪はふわふわと引力のみに従ってゆっくりと降りてくる。
気温は低いんだろうけど風がないのでさして寒さは感じません。
今日は峠の連続です。
十三峠という大きな括りの中に存在するたくさんの”峠”、それを上っていると体温が上がってきて、しまいには額に汗がにじんできました。手もポカポカ。
妻など手袋をしているのに手は氷のように冷えてしまっていますが、他の人もみな同様に冷たいらしい。
自分の手だけがポカポカなんだって。

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出発してすぐに槇ヶ根の追分があります。
往時はかなり繁盛したところだと聞いていたので土地だけは広いかと思えば、意外と狭いスペース。

名古屋への下街道も細々とした道で、交通量が多かったとは想像しにくい。
いずれこの下街道も歩いてみたい。
名古屋までほぼ一日の距離でしょう。
うちらでは2日はかかるでしょうがね^^
乱橋は名所の一つ。
乱れ坂を下りた沢に架かる小さな橋だけれど、曲線とアップダウンと橋のバランスがおもしろくて、被写体としておいしい。
しかもいっしょに歩いている人たちが渡っている姿を捉えられるの上に雪という魔法までがかかっている!
そこまでわかっているのに3枚撮っただけとは...^^;

雪の中をとうとうと歩く。

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見所以外にも恵那市教育委員会が設置した○○跡っていう標識があるけれど、恵那市のやる気を感じるのみで、想像する余力がない。
というか下座切場と言われても、なんのことやらわかりません。
自分で調べろっていうことなんでしょうね。
まあ、それも楽しみのひとつということにしておこう。

土地が開けたら深萱の立場跡。
峠越えも一段落といったところでしょうか。
その手前に佐倉宗五郎の碑があります。
佐倉宗五郎は義民として有名だと思われますが、このあたりの人だったんですねぇ。
碑から北へ入ったところに芭蕉の句碑群があるらしいのですが、それは妻に任せて自分は常夜灯を見るとも「洞中安全」とある。
これは「道中安全」のことだと思われます。
日本人はそれほど文字に固執していなかったので、音だけが一致しているという例が珍しくありません。
自分の名前すら適当な字を当てる人が、明治頃にも少なくなかったし。
そしてこの常夜灯を立てたのが加納丈左衛門さん。廿四才建之とある。
これだけの常夜灯を建てるには金がいるだろうから加納さんは裕福な人だったんだろうなあと思いながら歩いていると、深萱立場の本陣家が加納家だと知る。その一族の人が建てたんでしょう。
だれかに教えられず、自分の中で帰結するとちょっとうれしい。

雪はやむこともなく降り続きます。
みなが歩いている姿は何かの訓練にしか見えません。
強弱に変化はなく、雪の硬さが変わるだけ。
霰っぽくなったり雨っぽくなったり。
手に持つ一眼レフはタオルをかけて雪よけとしていますが、そのタオルが時々凍ります。
凍ったりやわらかくなったりすることで、気温の変化を感じます。

坂をいくつもあがったり下がったり。
時にはひらけた土地を歩きますが、回りが真っ白で思ったほどの開放感は感じません。
むしろ雪の多さを強く感じてしまいました。
よっさよっさ降っている雪の中を2人くらいの旅人が時折歩いている。
広重の蒲原を彷彿とする点景です。

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いくつの峠を越したのか、どれだけの坂を上ったのか。
坂が体に染みついた頃、ふいに眼前に真っ白な集落が見えてきました。
やっと大鍬宿です。
十三峠最後の坂は東から来ると下り坂、この坂が大変な急坂で、一歩一歩踏みしめるように歩いてもつるつると滑るほどの坂です。
傍らにある「十三峠入り口」の碑までなかなか近づきがたい。
滑って転ぶことをおそれここはズームで。

  

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坂を下りきると宿場らしい雰囲気があらわれます。
「ご苦労様です。こんな天気になっちゃって大変ですねぇ」と地元の人。
ここに来て雪は一層強くなったような気がします。
最初のT字路を折れると今区は公民館になっている本陣跡があり、本来であれば空いてなかったはずなのですが、たまたま施設を
利用していた人があって中にはいることができました。が、「もうしわけないけど閉めます」と閉め出されてしまいましたw

大鍬、細久手という宿場は何もない印象を持っていましたが、実際は登録文化財に指定されている建物が複数あり意外です。
ただし木曾からやってきたわれわれの目には、それほど古い建物には見えません。
江戸時代の普通の商家っていうのかなぁ。いままでは目にしなかった形式の建物ですね。
それほど大きくない宿場に3つの登録文化財があると普通ならそれだけで特有の雰囲気を醸し出すものですが、なぜかここでは何も感じない。
雪が多いせいか?
そんな中におもだか屋という建物があり、内部を見学・休憩できるようになっています。
建物そのものは古いけれど、正面の体裁を街道から見ると、まったく現代の家。
このギャップはなんだろう。
きっと明治初期くらいでしょうね。くぐり戸と、管理しておられる方の笑顔がとてもうれしかった。
冷たい雪と対象でしたね。

軽いカーブを描いて、宿場を抜けるとかっちりとしたアスファルト道になります。
「アスファルトの道でも雪が隠してくれるから昔の雰囲気があるね」と妻が言う。
まあそういう見方もあるね。
ここから雪が増え、場所によっては30cm近く積もっています。
ただやはり雨よりはまし。ゴアテックスは雪による水の侵入を完全に阻んでくれています。

また山間に戻ります。
あの大鍬という集落は、本当に宿場だけの街なんだと実感しますね。
前後の雰囲気がほぼ変わらないんですからね。
十三峠というのは、いくつもの峠や坂の総称ですが、大鍬の宿場のそのなかに含めるべきだったのかも。
そんな感じのわずかな平地でした。

同じような雰囲気の土地ではありますが、こちらの道は拡幅されています。
犬の訓練場やいくつかの施設がありクルマが普通に通れます。
ただし今日は雪だらけでクルマ1台分の”舗装路”しかありませんが...^^;

中山道上ではゴールとすべき場所がないらしく、右へ折れて北野神社へと向かいます。
たぶん非舗装路ですが、雪舗装がなされているために泥で靴が汚れることもありません。
バスは北野神社の駐車場”らしき”場所に止まっていました。
運転手さんは帰ってくる人たちの雪を払い落とすのに忙しい。

それにしてもスタッドレスタイヤの威力というのはすごいもんだ。
20cmの雪の上を踏みしめるように動いていくんですからね。 

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