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2012年1月

2012年1月31日 (火)

30D、再び修理へ

本命はセンサークリーニングです。
キヤノンは引き取り&お届けサービスっていうのをやってるから、ネット経由で申し込むだけ。
昨年7月にレリーズスイッチとシャッターユニットを交換して以来ですが、修理から戻ってから合焦ランプがつかなくなってるので、それの修理やピント調整もやりたいんですが、こちらは予算次第。
一応普段使っているmacro100mmと17-40を同梱しました。

いつまで30Dを使うつもりなんだ!っていう声が聞こえてきそうですが、去年15000円も使って直してるんで、もうしばらくは使う予定。あと5年くらい?
ちなみにシャッター回数はちょうど4万回を越えたところ。

2012年1月29日 (日)

中山道ウォークみやげ

Th_img_0050

みやげというものはほとんど買わないんですが、今日は買わずにいられない気分になりました。
伏見宿の浮世絵マグカップでヤンス。
御嵩、伏見、太田といった地味な宿場にはほとんど期待していなかったのですが、期待に沿うが如くの惨敗ぶり....と思いきや、御嵩にも伏見にもさりげなく宿場風情が残っておりました。
このマグカップは、そんな伏見宿にあった「らくだ」というまちづくりセンターで買いました。この施設、一目で郵便局だったとわかる建物で、となりの残っている大きな建物に付属している建物でした。
郵便制度発足当時は施設の建設が追いつかなかったのか、地元の大家が郵便局を担ったことが多々あり、これもそのひとつです。隣は味噌や醤油を扱っていた松屋という商家であり、その東側に増築されていました。
しかも商家による管理のため、内部は商家とつながっています。
旧街道を歩いていると、こういう例は意外と多いのですが建物が残っているのは割と珍しい。
旧醒ヶ井郵便局も同じ例であると言えます。

伏見宿は上州に始まる山岳部最後の丘陵部にあり、北には三留野以来の木曽川を臨んだ高地に位置しています。尾根道を上がりきった平地で、下がるまでが宿場だったでしょう。
本陣付近に残る風情は皆無。「まあそんなもんだろうな」と半分あきらめモードでありましたが、脇本陣跡から3〜4軒大変に立派なお屋敷が並びました。
その東端にあるのがこの「らくだ」。
大変に愛想のいいおじさんと話す妻。
この郵便局跡、木造建築に付属しているのに、木造建築ではない。
なんだかヘンな具合ですが、瀟洒でかわいらしい建物でした。
何もないかのような伏見宿にもやはりナニカがありました。
その記念に購入したマグカップ。レギンス・ザビに代わって、早速現役です。

2012年1月16日 (月)

細久手宿 提灯祭り

Th_img_1861

昨日の中山道で細久手宿を通りました。
ここの鎮守は津島神社らしい。
公民館の前には祭りの様子が描かれた壁画があり、山車が曳き出されることを知る。
妻が聞いたところでは、提灯をぶら下げた山車が、中山道を江戸方から京方に向かって曳き下ろすとか。

一軒しかない宿大黒屋もその日は休み。なによりここの鎮守が津島神社というのが驚きで、津島から遠く離れたここまで御師が布教にきたと思うとちょっと感動する。
ここの人たちはよほど深く津島神社を信仰していたようで、祭りは7月の第4土曜、山車には提灯がぶら下げられるなど天王祭をきちんと模倣している。
津島市は知らなくても、津島神社は知っている。
意外と名前の通りがいいのかもしれない、津島。

ただし細久手の津島神社はいたって小さな祠でしかなく、信仰心が現在も生きているのかどうかはわかりません。

2012年1月14日 (土)

中山道ウォーク(20)板鼻宿→横川(2日目)

二日目。
朝風呂に行くと人が倒れていました。
すぐに救急車がやってきましたが、あのおじさんはぶじだったのかしら。
朝からちょいとびびった。

温泉宿泊といえど、朝は早い。
せっかくだから10時くらいまでゆっくりしたいところですが、8時には弁当を受け取って出発します。

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中山道に戻れば、夕べは見えなかった妙義山が行く手をふさぐように見えています。 ゴツゴツとしていて、岩山ですね。造山帯がぶつかりあった衝撃で盛り上がってしまったような山景です。
異様な偉容....^^;;;;;
進めば山が右に左と移動し、被写体にはまったく困りません。
空は雲ひとつない気持ちのいい青空〜♪
古い造りの家があったり柿が干されていたり、温泉でゆっくりできたこともあり、なんだかすごく気分がいい。
しばらくすると、国道18号と合流します。 ここは妙義道との追分で、常夜灯を兼ねた道標があります。
元々の位置からは移動しているそうなのですが、常夜灯は国道と妙義道らしき細い道との交点に立っていて、位置的には大変ふさわしいところに置いたものです。 ただし現在妙義道はなくなってしまったのか、地図を見ても確認できないためにその細い道がそれであるかどうかは不明です。
歩きたくなる道ではあるのですがねー。
「あのおじさんね、いつもおじじのあとで写真撮っとるんだよ」と妻が言う。
どうもぼくが撮った後で同じ場所から同じような角度で撮ってるらしい。
つまりバクリか(笑)
あとで聞いたところでは「ここでも撮った方がいいのかなぁ」とつぶやいていたそうな。人にまねされるとはおれも偉くなったなあ(爆)
「おじじが普通の人と違うとこで写真撮っとるもんで、気になって真似しとるんだと思うよ」ってさ。
人それぞれ違った見え方がするんだから、同じところを歩いていても人の数だけ写真は存在する。でも人の真似をするのは簡単だけど難しいんだなー。
旧街道を歩くことすら人によって目的も感じ方も違う。
急ぎ足で見向きもせず歩く人もいるし、すべての見所をまめにたどる人もいます。
写真もそれと同じで、その人の目的を示すものでしょう。
また歩いた記憶としても大変に有効なものです。それらを全部ひっくるめて写真を撮ってるぼくなんかは、欲張りすぎなんでしょうね。自覚はしてます^^

18号と分かれて松井田の町の中へと入っていきます。
ここもやはりそのまま拡幅されてしまった宿場で、広い道路が印象的です。
広い道路、なだらかな坂というのがこのあたりの宿場に共通しています。
結局碓氷峠へ向かってずっと上り続けているんだということにこのあたりでやっと
気付いています。なにより足の張りがいつもと違うところに来ているのが気付くきっかけでした。妙義山の風景に惑わされてきたかな(゚ー゚;

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宿泊地の磯部温泉は安中と松井田のほぼ中間地点のためか、あっという間に松井田に着いてしまった印象です。
その松井田、道路拡幅はよほど早い時期だったのか、かなりの数の古い立派な家が残っています。
松井田町道路元票のたっている家は、なにやら由緒ありげな古い建物ですし(医院)、家の裏までずらりと蔵が並んでいるすさまじいばかりの豪邸もありました。よほど裕福な町だったという印象を受けます。
その中に築300年の家があります。
「みなとや」という屋号で、内部公開を兼ねて休憩所となっています。
この日、係の方が不在と言うことで入れないはずだったんですが、Good Troubleがあったようで、休憩に寄れました。
土間に板を張ったりしてかなり改変されてはいますが、よくよく見れば材料の種類や色合いで、元々の様子を想像するのはさして難しい作業ではありませんでした。

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ここから横川までは何もない道...でもなく、ところどころに道標が立ってます。
そんなのをこそこそ見つけたりしてるとけっこう楽しい。
妙義山が少しずつ姿を変えていくさまも楽しい。「確かに進んでますよ」って。
あたりの谷はだんだんと狭くなり、いよいよ碓氷峠だ!の気持ちが強くなってきます。
もっともこの日は横川で終わり。碓氷峠越えは来年の6月ですがね。

横川駅が中山道に面しているとは今回初めて知りました。
まだ信越線として機能していた頃、あさま53号で通りかかったはず。
まったく記憶が残っていないことを再確認しました(笑)
横川駅には大きな駐車場があり、バスはそこで待っていてくれました。
辺り一帯は大きなさら地。
いろいろに使われてはいますが、建物はなく機関区時代を彷彿とします。
そして鉄道文化村の中にある資料館がかつての横川機関区です。

荷物だけを下ろし、急いで鉄道ぶんか村に入っていったものの....
展示車両の内部には一切入れず、何しに来たのか分からない状態。
もっともキハ20だの10系普通車などどうでもいいんですがね。
マイネ40の内部が見たかっただけなのに...
機関車などの外装はまだまだきれいですが、旅客車は見るも無残。そんなに遠くない将来朽ち果てそうです。
雨ざらしではダメですな。
この日はお客が少なくて、まるで墓場のようでした。
無料だった中部天竜駅のレールパークとあまり変わりがない。
横軽文化の保存という使命があるだろうし、それ以外にも総合資料館として機能しているとの認識はちょっと間違っていたなあ。
せめて113系やキハ28系列、それに165系は欲しいところでしょう。
それ以上古い車両は現存しないだろうから展示も難しい。

あとはまたバスに揺られて6時間半、帰るだけです。
峠の釜飯をみやげにしたのは、言うまでもありますまい。 

アスファルトトーチとウレタン防水

Th_dsc_0121

今年の初現場終了。
今年初といっても去年からの引き続き。
パラペットのあごが深すぎて、アングルが打ちにくいことこの上ない。
なんにもない現場だからもう少し早く終われると思ったのになー。 

2012年1月12日 (木)

マキタのハンマードリル HR2300

Dsc_0119

ハンマードリルを買いました。
HILTIはどう考えても高すぎる。
今回も好きな国産工具メーカー、マキタの製品を買ったけれど2万円をちょっと切るくらい。HILTIの同等製品は4万円しますからね。貧乏人には手が出せません。
世にはHILTI信者という者がいて、なんでもかんでもHILTI製品を買う人がいますが、実際のところは国産メーカーと信頼性の上でも大差ないんですがね。
今まで使っていた日立のハンマードリルは、力が衰えたといえまだ使えますからね。
もう20年近く使ってるんですから、HILTIにこだわる必要なんてサラサラないわけです。

今回もネット通販で安いところを探しました。
大阪の金物屋さんですが、ご親切にマキタの総合カタログを同封してくれました。
ネット上でもPDFで閲覧できますが、やっぱり紙媒体の方が見やすいし、すぐに見られますから。
ま、見ていて楽しいってのもあります。

追記

Yesといえば、Steve Howe、Steve HoweといえばASIA、ASIAといえばJohn Wetton、John WettonといえばKing Crimsonですな。
Wikipediaでプログレあたりをあさってると必ず出てくるリンクですが。
ASIAではほとんどボーカルばかりで、ASIAから入った自分なぞ彼がベーシストだという認識もまったくありませんでしたし、ベースなんてそれ自体を聞く物じゃないと思ってましたから、気にも留めてなかったんですが、まあChris Squireのおかげ(せい)ですかね。
そのJohn Wettonのベースが聞きたいと思って、King CrimsonのLarks' Tongue in AspicをiTunes で探したわけ。
でもなぜかないの。
これだけじゃなくて、クリムゾンの曲そのものが極端に少ない。
なんだかとっても残念なままYes songsを買ったのでした。

Yes songs購入

相変わらずYesにはまったままです。
iTunes Storeで毎月1枚程度を人気順に買い集めてる状況。
Tormatoを買うつもりだった今月、「最強ライブアルバム」の呼び声高いYes songsを買いました。
最近のYesしか知らない者には、このライブはすごい。
現在の彼らは、たいていの曲についてアルバムのよりも演奏速度が遅い。
Fly From Hereはまさか遅くはないだろうけど、特にハウ爺から始まる楽曲の場合、遅さが目立つ。彼自身のために遅くなってるのではなさそうだけど、これがとっても残念なのだ。
まあ39年も前の演奏、彼らもまだ20代だったんだねぇ。
早い早い^^;
アルバムよりも早いんだよ。
走りすぎだよ。早く帰りたいのか?(笑)
ハウ爺のギタープレイも目立つが、Chrisのベースの響きも心地いい。
確かにブリブリっていうかゴリゴリっていうか、そういう音を発しているんだねぇ。

そういうわけで、相変わらず社会復帰できてません。
素晴らしきかな、Yes!

2012年1月 8日 (日)

足助のまち

先日足助へ行く機会がありました。
ご存じの方も多いかと思いますが、飯田街道上の宿場町です。
道中奉行管理下にはない地方街道なので本陣などはありませんが、加茂郡の中枢として長年機能した町です。
父がここからさらに国道153号線を上った旧阿摺村の出身で、子供の頃は歩いて足助の町へ行ったという話しを聞いたことがあります。
その父が言うには「なんにもないよ」と。
数年前一眼レフを購入して間がない頃に姪や甥を連れて行きました。何もないというのは地元の人の意見であり、実際には古い町並みが残っているなあという認識は確かにありました。
ところが再度訪れて、足助の待ちの西口から東口まで歩き通したらあまりに多くのいろんなものが詰まったおもちゃ箱のような町であることに驚きました。
いかにも宿場といった風景、蔵造りの妻入り商家、江戸期とおぼしき旅館に、木造の料亭のような建物を改造したモダンな食堂、木曾で見られる崖屋造りもここには各家に備えられ、河原に降りて風景を楽しめるというおまけ付き。
江戸時代から現代まですべての風景を擁しながらも、今でも人が住む町として機能している事実。つまりは生きている町であり、動態保存でもあるわけです。
コンデジしか持っていなかったのでマトモな写真が一枚としてない。
それでも風景を切り取ることが楽しくて、1時間足らずの間に200回以上もシャッターを切ったことです。

あまくみてました。
以前下した評価すら甘かった、俺の目はただの節穴だったと頭を垂れるほどの町でした。
「中馬のおひな様」という企画が毎年行われています。
今年も2/11から始まるので、ぜひとも足助に行き、今度こそは一眼でまちもな写真を撮ってきます。できれば町の空気をかぐためにも一泊したいところです。

2012年1月 6日 (金)

Yes!

4月、大阪まではるばるYesのコンサートを見に行くのですが、アルフィ好きの妻も参戦するために、休みを取ります。 中山道ウォークも重なるために、なんと4連休を取るのだとか。
日曜も合わせて5連休?! まぢですか。
その下工作のため、上司と話しをしたそうです。
妻「水木は中山道ウォークです」
上司「そっかー。で、土曜日は?」
妻「コンサート行くんですよぅ」
上司「だれの?」
妻「YESです。」
上司「YES好きだったんですか?じゃあキング・クリムゾンとかうんぬんかんぬん...」
妻「いや、私じゃなくて旦那が^^;」

上司はギターが好きらしいので、Yesのような凄腕ギタリストがいるバンドを知らないことはないでしょうが。
「あのグルーブは曲が長いですからねー。もちますかねー(苦笑)」 だそうです。
世間の認識そのままですな(笑)
でもたぶんおじいちゃんばかりなので、長い曲はやらない(やれない?)と思う。
今回はニューアルバムFly From Hereのツアーなんで、Trevor Hornの曲が多くなってます。ホントはClose to the EdgeとかThe Gate Of Deliriumが聞きたいけど無理だろうなぁ。

2012年1月 4日 (水)

コンデジと足助へ

実家の帰り、そのまま帰るのも惜しい気がして、おやじの実家がある足助町へと足を伸ばしてきました。
一眼レフを持ってきてなかったけど、コンデジは持ってるからそれで多少なりとも代用できるだろうと思ったのですが、甘かった!
カメラを始めて7年目、少しはうまくなったと多少自信を持ってたからこそ「コンデジで代用を」したのに。
撮ってるときはそれなりに楽しくて、どんどんシャッターを押して200枚近く撮ったのに。
自宅に帰ってパソコンで確認してみると、自分で撮ったことが信じられないほどひどい。
水平も垂直もまったくとれてない。
しょせんスナップだから、ボケ味にまで期待したわけではないけれど、なんも味のない写真ばかり。
ひどい、ひどすぎる!
目の付け所は悪くないはずなのに、自分の意志がまったく反映されていない写真!

スナップのような写真では、お手軽にそこそこきれいな写真が撮れるんだけど、自分の感じたことはまったく反映できてない。
知識が深い人ならきっとすぐにコンデジの使い方を理解できるんでしょうが、絞りと明るさシャッタースピードを自分の体でしか理解
表現できない人には甚だ難しいもんです。

教訓:バッテリーは常に充電しておこう。 

2012年1月 1日 (日)

中山道ウォーク(20)板鼻宿→松井田宿(1日目)

関東への1泊2日は中山道ウォークは”遊び”の色が濃くなってきました。
もともと土地を知るということを最大のテーマにして参加してきているつもりなので、泊まりでの歩きは「お疲れちゃん」な意味合いではありますが。
板鼻という地名もなじみがない理由は、今ではすっかり高崎市内に組み込まれてしまったからでしょうか。
このあたりが豊橋からは一番遠いんですよね。
鉄道を使うのは早いですがすさまじく運賃がかかる。まさしく「時間を金で買う」のを具現化したようなのです。
新幹線で豊橋ー東京を往復するだけで運賃が...ねぇ^^
泊まり付きでの17000円は非常にリーズナブルと言えるでしょう。
NEXCOのサイトでは、中央道から上信越道で松井田妙義に出るのが一番近いとか。
それでも4時間強、ゆっくりペースの大型バスでは、いったい何時間かかるやら。
走ったことのない上信越道の景色は楽しみのひとつでもあります。

途中事故渋滞などもあり、スタート地点の達磨寺に着いたのは13:30でした。
スタートはなんと14時前!
距離そのものは12km程度だから、夏なら明るいうちにゴールである磯部温泉に着けますが、もう11月の半ばともなれば、5時を過ぎれ
ば真っ暗。部分的に風景が見えなくなるのは必至ですが仕方ないですな。どうせ中山道すべての風景が頭の中に記憶されるわけでもない
と開き直るしかありません。
大半の参加者は達磨寺へと向かいますが、われわれは早速中山道へと出ます。
しっかりバイパス化されている国道18号で、すぐにみつけた山岡ラーメンで遅い昼食です。
一発食べておかないと体力はともかく気持ちが荒れて余裕がなくなります。
店を出ると達磨寺を見学した人たちといっしょになりました。
これで互角だw
かねつ橋供養塔っていうものがあります。
バイパスが中山道であったことを証明してくれるもののひとつですが、なにしろ字が読めないので写真だけで過ぎます。
字が読めるようにすれば後世に残らないし、字が読めなければ意味が分からないというジレンマですかな。
「壬戌春3月 木嶋七郎左衛門」とあるから、1862年3月に建てられた物。
日本では文久2年にあたります。坂下門で老中が襲われたり、8月には生麦事件が起きたり、混沌とした世情の中建てられたんですなあ。
もっともこの地域の人にその情報が届いたのはいつのことかはわかりませんが。

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Th_img_8849

Th_img_8866じきにバイパスとも旧18号ともわかれて宿場内に入っていきます。
この分岐付近を見ても中山道が幹線道として一時的に使われていたことがわかります。
つまり、拡幅されたり道路の改変がなされたということ。
道路が変われば家も変わる。
個別の物は残されているようですが、想像したとおりで宿場の雰囲気をあまり残してはいませんでした。
本陣跡には和宮が泊まったとされる書院が保存されています。
ぽつんと残された書院を外から見ても仕方ないですねぇ。
提灯屋という屋号の建物は土蔵造り。よほど手入れがなされていたか漆喰が剥落した部分からのぞく土壁はクラックもなくいい状
態でした。二重屋根を上げてありいかにもお金持ちといった家です。
途中「彰忠碑」と大書する石碑が見えたので、近づいて写真を撮っていました。
由来はよくわからないけど、書は大島健一陸軍中将によります。
通常の人は関係がないらしく、背後から「なにかあるんですか?」との声が。
振り向くと、同じく中山道ウォークの人です。
偉い人の書だから写真に撮っていますと応えると、「そうなんですか。いつもみんなと違うものぱかり撮られていたから写真館の人か
と思っていました」と言われました(笑)
まあ、メモ代わりの写真ですね。
「ずっと写真館の人って呼んでたんですよ」って^^
そういえばうちらもビリチームの人だの、カラオケチームの人、下り番長だのとヘンなあだ名をつけて呼んでるなぁ^^;
先には榛名道の追分道標があるのですが、これは電信棒に囲まれて、甚だ撮影がしにくい。
オリジナルの場所を尊重しているのか、邪魔だから道路の端に寄せたのか。
建物の残り具合から明治以降拡幅したとすれば南側だと思われますが、真ん中にたっていた可能性も否定できず、わざわざ見えにくくし
ているような感じてしまいますな。
名物とか和宮の遺跡といい何かやりかけようとしてるのかしら。
道標ってあとから作った物はすぐわかってしまうために、古いものはけっこう重要ですけどね。
宿場外れに用水が見られます。
いわゆる宿場用水(そんな言葉はないかw)で、街道に面した家々の裏手に張り付くように流れています。
生活用水であり、防火用水でもある。
宿場の用水というのは、往時街道中央を流れていることが多かったそうですが、ここはどうなんだろう。
宿場外れで姿をみせた用水こそが、宿場の雰囲気を想像させてくれました。
既に落ちかけた夕日と冬枯れの山々を背景に、豊富な水がとうとう流れている。
これで救われた感じです

宿場を出て旧18号を利用して碓氷川を渡ります。次の信号で右へ折れて中山道に戻ると再び旧街道の雰囲気あり。
そのあたりの地名は”中宿”ですが、板鼻宿と次の安中宿までは3kmほどしかないために、ここはほとんど中間地点。
宿場中央の意ではなく、宿場と宿場の間ほどの意味でしょうか。
旧18号が碓氷川に橋を架ける以前、ここは歩行(かち)で渡っていたのか橋が架かっていたのか。
板鼻の宿場があまりに近いのでここも宿場内だったのかなと考える材料として気になります。
せっかく渡った碓氷川を再び渡ります。
河床もそれほど低くないし、至近距離で再度渡ることを思えば、橋は架かっていなかった可能性が高いかな。
ただし板鼻宿は北側にかなり山が迫ってきており、かつ鷹之巣橋のあたりでは現在こそ山の際まで道路が敷かれているものの、
当時あそこを歩くことができたかは疑問ではあります。
渡り終えたところがJR安中駅です。
ん?
安中駅の開業は明治18年。
この頃まではまだ幹線としての中山道が機能していたと思えば、鉄道の駅も新しい「宿」として捉えることができる。
現に豊橋駅の住所は「花田町西宿無番地」で、吉田宿に変わる「宿駅」として鉄道の駅を認知している。
それを思うと、先の中宿の地名は駅に由来する可能性もある。
と考えるべきかな。
閑話休題。

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さて二度目の碓氷川を過ぎるとなだらかの上り坂の途中に安中宿はあります。
宿場が勾配の途中にあったためか、安中藩の施設は北にあがった尾根にあります。
うちらのコースとしては本陣跡から尾根に上がって、碓氷郡役所、新島襄記念館、藩士長屋などを見学します。

郡役所は閉館が4時半。あと10分ほどで閉館という時間でしたが、快くみせていただけました。
きれいに整備復元されておりこの先長く使えそうです。
新島襄記念館は教会敷地内にあり、見学不可。
柵の外から眺めただけ。
安中城趾は安中小学校にあったようです。
校門前に石碑あり。
郡奉行の役宅は驚くほどに保存状態が良く驚きました。
部屋の内部も見学でき、有料とはいえ価値ある施設。
そういえば
それでも碓氷郡役所と郡奉行役宅それに侍長屋を見学茅葺きの武家屋敷は下諏訪以来久しぶりに見ました。
藩士長屋とは意外に立派な物で、2間に台所が付き、床の間まであります。
江戸に住む官僚侍の家よりもよほど立派かも知れません。
見学者曰く、「今日のハイライト」だそうで^^;

ここからはひたすら歩きます。
原市あたりで相当日が沈み、風景は見えなくなりはじめました。
途中お寺の鐘が云々ということでしたが、適当にやり過ごして道を急ぎました。
案内によって南に折れ、ホテルへと急ぎました。
あたりはすっかり真っ暗ですが、時間は5時過ぎなせいかだれもあわてず。
急坂を下りて川を渡りホテルに到着。
宿泊は磯部ガーデンホテルで、「初めてのまともな泊まり」だそうで。
部屋も広いため、夫婦での宿泊は叶わず、男女別の部屋割りでした。

この日は折しも日本シリーズ第七戦。
食事もそこそこに部屋に戻って野球観戦していました。
敗戦が決まるとそのまま眠りの世界へ.... 

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