最近のトラックバック

2016年5月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
無料ブログはココログ

« 自宅にいる人へ | トップページ | 食えない弁当 »

2011年6月28日 (火)

中山道ウォーク(9)日出塩→奈良井宿

Th_img_6056

今回は義母を含めた初の3人旅。
当初は雨模様だった日曜日の天気も、日頃の行いのおかげで日中は保ちました。
ありがたや。
雨が降っていないと気分が乗りますな。
日出塩から颯爽と歩き出したら、既に先頭は見えませんがな。
なんと速い!
19号と合流したら、義母も速い!
沿道の草やら虫の死骸をチェックしている間に、あっというまにおいてかれましたよ。
最初のうちは「きれいなちょうちょだね」などと付き合っていた義母も、そのうち立ち止まることなく先へ行くようになってしまった(苦笑)
人のペースに合わせるのはしんどいから、これでいいのだけれどね。

Th_img_6065

この区間を歩くのは4年ぶり。
今日はあま〜い藤の香り漂います。
前回の記憶もこの4年間でかなり薄くなっていたことに気付くが、ポイントポイントはちゃんと覚えているもんです。
桜沢。
ここが木曾と信州の境目。
ここからが尾張藩領(といっても、木曾は幕府からの委託領だと思う)であり、名古屋人には感慨深いものはあるが、まだ川は東に向かって流れている。
ここからは少し山に分け入る。
再び19号に戻ったところには、うち捨てられた中央線のトンネルと、道祖神があります。
前回もここで写真を撮っているんだけど、トンネルは気付かなかったな。
草が生い茂ってるからな(苦笑)
この先にある旧片平橋、今回初めて訪れました。

Th_img_6080

現片平橋を左に降りていくと、その橋はある。
下回りは確かにアーチを描いており風景にとけ込みやすい。けれどもコンクリートやね。素人にはその橋が造られた時代背景がわからない。つまり「現代のPCアーチ橋と何が違うのか」ってことがわからないと萌えない。
土木学会から土木遺産として推薦を受けているという事実のみではおもしろくない。
橋の楽しさはむしろ欄干にあります。
橋柱などのデザインがそれぞれにあって、それは時代に関係なく楽しめる。
ここもそうして楽しんできました。
橋は老朽化により渡ることが禁止されていますが、写真を撮ることは可能。
自分にとって一番大切な親柱の前に案内看板を立てるとはなんたる無粋!
土木学会ってセンスのないセンセばっかりの集団なんですかね。
しかも案内板の足には片平橋に似たデザインが施してある。
まったく意味不明。

しばらく19号をゆく。
集落があれば水がわいている。
ほてった手足を冷たい水で冷やす。
あぁ、気持ちいい。
クルマも滅多に通らない道で気分も弾む。

Th_img_6116

Th_img_6118

Th_img_6130

山道を降りて贄川駅に着く。
かつてはすべてが山中だと思いながら歩くと、鉄道がここを走っていることすら奇跡に思えてくる。
贄川駅を過ぎ贄川宿の入り口にさしかかる。中央線の上を橋で渡るが、この橋がレンガ橋。
この橋、今でこそ中山道のような扱いを受けているが、本来は中山道ではない。
中山道から山中に分け入るための道だったはずで、橋の作りを見ればそれはわかる。この橋に鉄琴を設置するのは、ちょっと間違っているような気がしないでもない。
その脇にあるのが贄川関所。
内部にはどこやらの脱藩藩士を逮捕したという展示があるはずだけれど、見たことがあるので今回は入りませんでした。
そこの前が本物の中山道。

宿場内にはいくつか古い建物は残されているけれど、どれもせいぜい昭和戦前な感じ。用途不明な旅館っぽい建物です。
そういうなか深沢家は重文に指定されているが、理由は不明。

そのさきを右に曲がると鍵の手。奥に歩道橋があり中央線を越える。
しばらく言って再び山中に入ってまた19号に戻る。
この繰り返し。
そのうちに平沢集落にはいる。
その入り口で義母はリタイヤ。
リタイヤシステムを利用して、一気に奈良井へと行ける。
徒歩に比べればどこでもドアに近い(笑)
歩けば1時間余かかるが、バスなら5分。

平沢に着く。ここはまだ諏訪大社の領域。神社に”御柱”がたっている。
中山道は諏訪神社の真ん中を通っている。
中山道が先か、中山道が先か。
現在では下に平らな道があります。

Th_img_6158

Th_img_6160

平沢は宿場でもないのに宿場風情が残る不思議な町。
実は宿場の風情なんてものは存在しないのかも知れない。
日曜とあってか、木曾塗りの店はほとんどあいてない。
箸を買うつもりだったが、ぼーっとしている間に町を抜けてしまう。
入りにくいんだよ^^;

ここからはほぼ奈良井川に沿って歩く。
楢川小学校は木造ではあるが、木造小学校の体をなしていない。

木造校舎と冠する場合は、それなりの要素を備えていなければならない。
なぜなら学校の木造建築というのは単に木を材料として建てたものではなく、ひとつの分野として確立されたものだと思うから。
だからこそ木造校舎で育ったオトナたちは、みな古の学校に郷愁を持てる。
コンクリート基礎の上に木で作られた建物がのっているだけである。
木造校舎の最も重要な要素、高い床下、下見板は見られない。

最近地方でよく見られる形式ですね、これは。
木造校舎への憧憬というよりも、ちょっと意地悪く表現するなら木曾の木材の宣伝。
もしくは住民に対する文化教育でしょう。
こういう材木が撮れる町に住んでるんですよ、と。
それはそれでいいものだから、否定するわけではありませんが、いわゆる木造学校建築とは呼べない。
趣味的には興味ゼロってことで。

橋戸一里塚は川の向こうにある。
古中山道は奈良井川の北を通っていたらしい。
そのため一里塚も北側にあるのだろうが、古中山道といういう名称が東山道をさすのか、近代の中山道を指すのかでどれを中山道とするのかこんがらかってきた。
一里塚というからには、江戸幕府が設けたものであることは間違いない。ということは一里塚にあったものが中山道と考えるのが妥当であるから、旧中山道という呼び名は現在中山道と認定されている南側の道を新道とするってことでしょうね。
ここから奈良井の宿場までわずかな距離だから、以前はもっとずっと手前、平沢を出てすぐ奈良井川を渡っていたのかもしれない。
山の裾野と奈良井川の間の狭い部分を通っていたと。
ふーむ。

そこからはすぐに奈良井であります。
”ならいじゅく”ではなく、”ならいしゅく”です。
なかせんどうを中山道と書くのならば、「しゅく」と読んで欲しい。
濁ると風情がなくなりますし、かつては「しゅく」と呼んでいたらしいけどねぇ。
なんでも濁るのは現代人の悪い癖だ。
その方が発声が楽だからね。

とりあえず荷物をバスへ。
その後宿場内に繰り出して、五平餅、ビール、そばの遅い昼食でした。
視線の先には鎮神社が見え、その向こうには鳥居峠がある。
また楽しみな峠越えだけど、和田峠や箱根峠に比べれば大したことはありませぬな。

次回は久しぶりの関東に戻ります。
初めてのお泊まりだわん。
「ご夫婦さまは同一の部屋で新婚さんの気分に戻っていただいて」ですって。
イヤン、バカ〜ンheart01

« 自宅にいる人へ | トップページ | 食えない弁当 »

中山道」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/163414/53616273

この記事へのトラックバック一覧です: 中山道ウォーク(9)日出塩→奈良井宿:

« 自宅にいる人へ | トップページ | 食えない弁当 »