水戸黄門からオールナイトニッポンへ
水戸黄門の再放送を見ていたら桜木健一が出ていました。
今ではあまりみかけなくなったけど、彼がテレビに出ていれば「おおっ」という世代ですから。
柔道一直線とか刑事くんでプチ一世風靡した人ですから。
で、そのお母さん役で出てた人がわからない。
よく出る人なんだけどわからない。
実家の母にわざわざ電話をして「これだれだ」と聞いてもダメ。
再放送についてのサイトがあるとも思えないし、いろいろ難儀して検索してみたら、荒木雅子かなとも思うけど、もっと重みのある芝居をする人だったような記憶が。
それにドラマに対するデータが違うし、共演者であるはずの高木ブーも見えなかった。
ただしwikiには西村黄門以降の全データがあり、桜木健一出演では該当する回が何度もない。
これはもう少し調べてみる(別にどうでもいいけどw)
話題は続く。
調べていると志垣太郎が何度か出ているが、彼が白坂紀子という女性とこの番組で知り合い結婚したとある。
白坂紀子....
どこかで聞き覚えのある名前。
何十年も聞いてない名前だけれど、深く記憶に残っている名前...
さして調べてはいないけど、彼女というのは鶴光のオールナイトニッポンでアシスタントをやっていたことがないだろうか。
はっきり覚えてないがそんな気がする。
さらにテーマを変えて続く。
オールナイトニッポンについて調べていると、www.allnightnippon.comに歴代パーソナリティが掲載されていた。
これを見たところでは、自分がオールナイトトニッポンを聞き始めたのは、1976年3月だとわかる。なぜなら加藤和彦とあのねのねがかぶっている期間だから。もっともラジオリスナーとなったきっかけは日本沈没のラジオドラマであったため、ラジオを聞き始めたのは日本沈没が放送開始した1973年10月以降である。
1973年といえば10歳。
日本沈没から欽ドン、のりのりだぁ歌謡曲というすごい流れになったのか(笑)
名古屋ではニッポン放送系列は東海ラジオであったから、日本沈没も東海ラジオで放送されたと記憶しているが、なぜ欽ドンに移っていったかは不明。当時話題になってた気もする。
鶴光師匠には大変お世話になりました。
ナマガキジュルジュルだの、「イク言うて」だの、やり放題でしたな。
楽しかったなぁ、あの頃のラジオ。
もう帰れないのかねぇ。
白坂紀子情報、桜木健一経由荒木雅子情報お待ちしています(笑)
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