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2011年5月

2011年5月30日 (月)

中山道ウォーク(8)東餅屋→下諏訪宿(後)

そんなこんな苦闘の末、どうにか和田峠を制覇!
雨が流れる街道に苦労はしたけど、「箱根よりマシだね」という点で妻と一致。
それほどに箱根はキツイ。

そこからしばらく国道歩き、国道から旧道に入ったりするが、アスファルト道路が続く。アスファルト道路は歩きやすいなあ。
でも雨量が側溝の許容量をオーバーし、ここもやはり道路が川となっている。
途中から歩道が現れてからも傾向は変わらない。
靴は濡れてゆく。

御柱の木落坂も中山道沿いにあります。
次回に使われる柱か、レプリカかは知らないけれど、坂の上に設置されていました。
柱は意外と短く、坂は急でありました。
その先を下れば中部電力の落合水力発電所があります。
その麓にはちゃんと碑があって、ここが諏訪地域で初めの発電所であることを伝えています。
「牟呂用水にあった豊橋電灯の発電所はもっと小さかったんだよ」と妻にお仕着せの解説をする。妻は興味がないのか、快い返答がない。
牟呂大西に残る豊橋電灯の堰の跡。
なんの説明もないのは文化水準の低さ故か。
長野は教育水準が高いと常々思う。

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下諏訪を前にして右に入れば諏訪大社春宮がある。
町を一望の下にして道なりに左に折れてゆくと、いよいよ下諏訪宿である。
旧旅籠が保存しながら客をもてなす休憩どころ伏見屋があるんだけれども、足がズクズクなので気が引けてしまう。
隙間からのぞき込めば、同じバスツアーの人たちが入り込んでいるようだが、遠慮しておく。
きれいなところでは座ることすらままならない^^;

そして下諏訪宿に到着。
これで塩名田から日出塩までつながったことになる。
ホテル山王閣前に駐車中のバスに着いたのは15時20分。
出発まで1時間半もあるうれしさよヾ(@⌒▽⌒@)ノ
さて、問題はフリータイムの使い方。
ツアー特典で、下諏訪歴史民俗資料館が無料に、下諏訪宿本陣岩波家が400円のところ300円で入場できる。
休憩する場所のなかったために昼飯も食っていないので、それらをどうするか。

その前に水と泥にまみれた体をなんとかしよう。
バスが横付けしていたホテルにも温泉はあるんだけど、ここはこぎれいな温泉よりも、地元の人が通うような公衆浴場へ行きたい。下諏訪はその類の温泉が複数あるはず。
バスにつくまでに旦過湯(たんかのゆ)と、遊泉ハウス児湯の2軒を見つけてあります。
前者は銭湯然としているし、後者はプチスーパー銭湯な感じ。しかも後者ははやってます。
ここは銭湯を選ぶしかない。
秋宮から徒歩10分弱です。
ホテルは500円だけど、ここは220円。
「うちのお湯は熱いってご存じですか」と聞かれる。
知らない知らない。
湯が熱いっていったって、銭湯だから入れないってことはないだろと言葉を濁す。
妻は意を得たりとばかりに笑っている。
そのまま男女に分かれて入る。
体を流して湯をかぶる。
熱いというだけあるわ、と湯船に入れば....
熱い!熱くて動けない!
他の客はおそらく地元の人でしょう。
歯を食いしばったりすれば「こいつなんも知らんで来たな」と思われるのは必至。
ここは何事もなかったかのようにやり過ごすしかあるまい。
とにかく熱い。熱いのか痛いのかがわからない。
ところがじっとしていると、人の体というのは慣れてくるのか、痛みも熱さもそれほど感じなくなってくる。
「ふふ、熱さに慣れたな」と足を伸ばそうとしたら、また激痛!
熱いんだよぉぉぉ!
熱さと痛さは表裏一体?紙一重?
それでも3分ほどは入ってたと思う。
不思議なことに風呂を出ても大変に快い。
あのつらさが逆ベクトルになって、気持ちいい。
外は強い雨。その雨に冷やされた風が高い窓から入ってくる。
心臓はバクバク言って、口から出てきそうだけど、心臓より下までしか浸かってなかったせいか、頭がぼーっとしたりはしない。
乾いた下着、ジーンズに替えると生き返った心持ちがした。
足の疲れも感じなくなり、軽い。
10分も入ってなかったのに、風呂の効果はすばらしい。
妻が出てくるまでの間、ばんだいのおねえさんと少し話した。
3分ほど入れたというと「がまん強いですね」と言われたヾ(@⌒▽⌒@)ノ
地元の人はあの湯に浸かるんだと。
近々隣に新しい建物が建つとも。
妻は風呂の中でいろいろと話したみたい。
「この雨の中和田から来たん?!」という声がこちらまで聞こえた来てたよ(笑)
和田じゃないけどね^^;

さっばりすると、下諏訪の町が先ほどとは違って見える。
ポカポカする体と流れて来る風の温度が均衡して、この上なく快適。
雨天とは思えない。
通り道にある酒屋さんで、地ビールと地ワインを買った。
今夜はこれを飲むよ。
たまには宿場でワインていうのもいいでしょ。

帰りの車中ではShall we ダンス?を見た。
映画も含めて、非常に楽しい一日でした。
大雨の中歩くのも良い経験でしたが、あんだけ降ったら、江戸時代の旅人ですら、歩かないと思う。よほど急ぎ旅の人を除いてはね。

今回、一眼はやめました。
さすがにあれだけの雨の中で取り出すと、いっぺんにずぶ濡れになってしまうから。
で妻のコンデジで撮ったんだけど、これで充分やん。
苔むした倒木がとても美しく、なんども撮ったけれど、さすがに一眼の表現力には遠く及ばない。もっとも何も設定してないからですけどねw
しかもズーム機能があるのに、なぜか被写体に走り寄って撮っている。
バカだなあ、おれ(笑)

中山道ウォーク(8)東餅屋→下諏訪宿(前)

昨日の天気は二転三転したあげく、結局台風がやってきて雨。
しかも大雨。
今まで7回、どうにか雨を回避できたのにここにきてとうとうやられたなって感じ。
まぁしかたない。
あらかじめわかっているのだから備えるしかない。
前日からスポーツショップへ行ったものの、ズボンの裾を保護するスパッツ、いいものを買うと4000円もする!
妻はゴアテックスの靴とポンチョを。
街道歩きがカッパなど着て歩けるはずがない。
風邪さえ引かなければいいという開き直り、それです(笑)

それにしても和田峠、そもそも当初の予定では4月末であったものを、残雪があるとのことで5月の予定と入れ替えている。その上の大雨か!
町からの事前情報では西餅屋一里塚付近でクマが目撃されたという。
こんなに楽しみにしている和田峠なのに嫌われているのか。
それでも行く。
そこに峠があるから(笑)

スタートは前回のゴール東餅屋の茶店から。
茶店のご好意で、店内でみな着替えている。
えっ?!みんなカッパ?
カッパ着てたら写真撮れんじゃん!
それでいいの?
コースの地図もクリアファイルにいれてテープでしっかり封をしているようだ。
でも今回のコースもおそらく地図は不要だと思われる。
なぜならこの地区は官道でなくなってからほとんど開発されていないから。
それに加えて主催者のコース案内も道々掲示してあるのだから。
前回買えなかった峠の餅を購入してバスに置き、出発したのは11時半頃だった。
支度に30分もかかった!
東餅屋は上り坂の途中で、歩き始めるといきなり道路には水が流れている。
降っている量に比べればまだまだ少ないかなと自分に思いこませる。そう思わなければ前途が多難すぎる!
すぐに山道となるが、道の真ん中には水が流れ、沢と化している。
もう騙しようがない^^;
部分的には沢というよりも小さな湿地という方が近い個所もあり、足の踏み場すらない。
真ん中には水がたまり、水がない部分は先達たちが踏みしめてドロドロ。
いったいどこを歩けば汚れないんだろう。
ビーナスラインの下をトンネルでくぐれば、道の半分は水路で半分が道。
もともと半分が水路ではあるが、すべてが水路になってしまいそうな勢いです。
ビーナスラインとからみつつ和田峠を登る。
道幅が広く、空間が広いので、傘を差すことが可能でした。
その分だけ濡れるのが遅かったかな。
まぁ気持ちの問題(笑)

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峠にたどり着く。
頂上付近は突風を伴った大雨でえらいことになっとる。
東餅屋から峠までは20分程度、そこからは下りになるという情報にすがってここまで急ぎ足で来たけれど、心臓がばくばく言うてます。
少し腰を下ろしたいけど、そんな場所はない!
道標にもたれたまま冷たい風に吹かれていると、なんとなく落ち着いてきた気がしてきたので、いよいよ待望の下りに入ります。
ところがこれ、相当に急な下り!
大きさのそろってない大小の石がゴロゴロしているし、石のない部分は水を吸った土が滑る滑る。
時間を稼がないと、という焦りの気持ちがついつい大股にしてしまう。
ツルっ!
滑った!
しかし若さですばやく反応、身を翻して地面に落ちることは免れた。
ふぅ..........

下りは続く。
中山道は水道(みずみち)であったり、斜面を切ったりして、どうにか歩くスペースを確保してある。たまに平坦な部分があっても降り積もった枯れ葉の下には水がたまっていたりするので、たえず靴に水がかかる。
が、さすがにゴアテックス、水が内部に入ってくることは一切ない!
驚きですね。
でも歩くにつれてポンチョから落ちた水滴がズボンにぬらし、その許容量を超えた分の水が、靴の上部から染みてくる。
これではさしもゴアテックスも勝てない。
「わたしももうぐちゃぐちゃ言っとるよ」
ゴアテックスの新靴をはいている妻は言う。
ま、想定の範囲内だな。

道を流れる水を排除するために、道と垂直に溝が設けられている個所があり、一時的に路面状況は好転するも、すぐに水が流れよる。
水が豊富な中山道の短所なんかもしれんねぇ。
近日クマが目撃された西餅屋一里塚に着く。
4人程で固まって歩いてはいたけれど、時折は「くまーくまー」と叫んでました。
「雨の音の方が大きいわ」と妻は笑う。
「派手なポンチョ見たらクマがビビるんじゃない?」と。
そう、おれはピンク妻はオレンジ。
派手か?

油断した。
さして危険でもないとこで滑った!
こんどは若さを発揮する暇がなかった!すってんころりんと右の肘から落ちた。
ジーンズの右膝から下は泥がべっちょり。
でもへこたれない。
「そのうち水滴で流れてまうわ!」と。
それに下諏訪に早く着ければ温泉に入ることができる。その時に着替えればいい。
準備万端である。

2011年5月28日 (土)

こんとなとこにこんなものが!

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車の修理ケース見たら、こんなものが入ってた。
なんだ、これ助手席側のドアロックじゃないか(笑)
しかもアウターハンドルをつなぐステーのみがぶらさがってる。
神のお告げか?(爆)
自分で直せってことか?
写真には1本だけステーが立ってるが、このステーこそが、今回の故障の原因。
こいつがアウターハンドルから脱落たあとにパワーウインドウで下へへし曲げてしまったということ。
構造はみな露出してるんだけど、機械オンチな自分にはよくわからない。
電気仕掛けだからねぇ。

問題のステー、これかしめてあるね。ということは分解不可(大汗)
ドアロックを取りだして元に戻せばいいってことか。
壊れてもいないドアロックを交換するのももったいないよね。
12000円はするからな^^;
ちょっと光明が見えてきた。
実際に部品を見て検討することは、大切なことだにゃ。
やる気になってきたぞーー!やるぞーーー!

それにしても、なぜこんなものがうちにある?^^;;;

2011年5月27日 (金)

おとなのおもちゃ

やるか。いつやるか(笑)
この間破損したような樹脂製リンクの全交換。
それにグリスアップだのガラスレールの掃除なんか、やってみる価値のある仕事だと思う。
部品代は1000円くらいで済みそうだし、クルマネタで久しぶりに遊んでみるか。
その一環にむろんこの間のドア修理も入ってる。
ドアの雨合羽(笑)もこの際新しく作り直したりとか。

不器用な自分は、かんごうを外すというのがとても苦手です。
既にパワーウインドウのスイッチを二つも割ってしまいました。
機能的にはなんも問題ないけど、あまりにかっこ悪い。
自動詞や部品てのはタチが悪くて、接着剤がきかない。
パワーウインドウのスイッチもおそらくPP(ポリカーボネイトか?)だから瞬間接着剤も効かない。
有効な接着剤はないですかね←だれに聞いてるのかw
PP用プライマーを使った瞬間接着剤持ってるけど、聞くところによればさして長持ちしないという話し。
新品はけっこう値が張るしなぁ。
修理して使うしかない。

ドアカーテシランプも配線引いて後付けしたんだけれども、これも点灯しなくなってる。
どうなっとんねん!
単にランプが切れただけか。
この際LEDに変えてやる。
LEDウェッジ、余ってる人くれ。

アドヘシブ1324が欲しいのだが、だれか持ってないかね。
ロクに使いもしないものに、2500円は厳しいぞ。


要するにやっぱりおもちゃなんだな、うちのカリーナはw

2011年5月25日 (水)

18年間休まず

ホーン、やっぱり鳴らない。
配線が間違ってるとは思えないので、純正を再度取り付けて様子を見る。

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新しいトラブル(;^_^A
運転席側のドアが開かなくなった。アウタードアハンドルとロックユニットをつなぐロッドが外れたかなと推察、明けてみればビンゴ!ロッドとユニットをつなぐ樹脂製のリンクが割れていた。
破損部分ははっきり目で確認できるし、修理そのものも簡単だけど、いかんせん手が入らん。これはいさぎよくプロに任せるべきだ。30分で直りそうだよ。

写真は18年間がんばって働いたリンクちゃん。よくがんばりました。
律儀なヤツです。

2011年5月24日 (火)

水戸黄門からオールナイトニッポンへ

水戸黄門の再放送を見ていたら桜木健一が出ていました。
今ではあまりみかけなくなったけど、彼がテレビに出ていれば「おおっ」という世代ですから。
柔道一直線とか刑事くんでプチ一世風靡した人ですから。
で、そのお母さん役で出てた人がわからない。
よく出る人なんだけどわからない。
実家の母にわざわざ電話をして「これだれだ」と聞いてもダメ。
再放送についてのサイトがあるとも思えないし、いろいろ難儀して検索してみたら、荒木雅子かなとも思うけど、もっと重みのある芝居をする人だったような記憶が。
それにドラマに対するデータが違うし、共演者であるはずの高木ブーも見えなかった。
ただしwikiには西村黄門以降の全データがあり、桜木健一出演では該当する回が何度もない。
これはもう少し調べてみる(別にどうでもいいけどw)

話題は続く。
調べていると志垣太郎が何度か出ているが、彼が白坂紀子という女性とこの番組で知り合い結婚したとある。
白坂紀子....
どこかで聞き覚えのある名前。
何十年も聞いてない名前だけれど、深く記憶に残っている名前...
さして調べてはいないけど、彼女というのは鶴光のオールナイトニッポンでアシスタントをやっていたことがないだろうか。
はっきり覚えてないがそんな気がする。

さらにテーマを変えて続く。
オールナイトニッポンについて調べていると、www.allnightnippon.comに歴代パーソナリティが掲載されていた。
これを見たところでは、自分がオールナイトトニッポンを聞き始めたのは、1976年3月だとわかる。なぜなら加藤和彦とあのねのねがかぶっている期間だから。もっともラジオリスナーとなったきっかけは日本沈没のラジオドラマであったため、ラジオを聞き始めたのは日本沈没が放送開始した1973年10月以降である。
1973年といえば10歳。
日本沈没から欽ドン、のりのりだぁ歌謡曲というすごい流れになったのか(笑)
名古屋ではニッポン放送系列は東海ラジオであったから、日本沈没も東海ラジオで放送されたと記憶しているが、なぜ欽ドンに移っていったかは不明。当時話題になってた気もする。

鶴光師匠には大変お世話になりました。
ナマガキジュルジュルだの、「イク言うて」だの、やり放題でしたな。
楽しかったなぁ、あの頃のラジオ。
もう帰れないのかねぇ。

白坂紀子情報、桜木健一経由荒木雅子情報お待ちしています(笑)

鶴瓶の家族に乾杯、被災地へいく

オープニングにはいつもお客の拍手で始まる番組、お客の声もしない。
画面の中にはスーツの鶴瓶、さだまさし、アナウンサーの3人。
バラエティの雰囲気じゃないです。
前日コンサートを終えて仙台までやってきたさだまさしは目が腫れてる。
寝起きの顔でもないので、ずっと起きていたのだろうと推察できる。

被災地へ行ってどんな顔をすればいいのか。
家族が行方不明ですっていう家族にどんな言葉をかければいいの?
そんな厳しいところへ踏み込んでいき、みんなに元気を与えようとしたふたりに感動する。
さだまさしが「歌手なんて芸人みたいなものだからこんなとき何もできない」という。
まさしくその通りだけれど、元気な人たちには彼らは必要だ。

ひどい目に遭いながらもなんとか笑顔を作る人々。
戦災で焼け出された子供たちをふと思い出した。 

2011年5月23日 (月)

残った咳

咳のしすぎで腹筋が痛い。
夜中に自分の咳で目が覚めてしまう。
なんだこりゃ。

2011年5月22日 (日)

Pirates of Caribean

映画としてはおもしろいね。
ちょこっと見ただけなのに、そのまま引き込まれてしまいまで見ちゃった。
ジョニーデップもよかったが、疑問に思うところもかなりあった。

孤高の海賊という設定。
一匹狼の海賊ってあり得ないんじゃない。「そういう設定だから」とかいうのは困る。海賊ひとりで何ができる?
海賊という点で見た場合、ワンピースに遙かに譲る。
キャラ設定にパクリっぽいとこもあったし、ストーリー的にも超常的な部分があっても中途半端。これならば思いっきり常識を逸脱してしまっているワンピースの方が優れている。
方向性もなんとなくワンピースと似た方向を向いており、一層落胆。
最後の戦闘シーンがムダに長すぎる。
ゴジラvsスペースゴジラ並みだよ。
特殊撮影を見せびらかしたいだけにしか感じなかった。
まぁあんだけの映像をみせられれば、「今度は劇場で」と思うのは普通だな(笑)

カリブの海賊っていうより、海賊の大冒険じゃないかな。
タイトルは映画の内容を表していないと思った。

ジョニーデップの話し方はテレビの吹き替え板みたいなおちゃらけた話し方だったのかな。ちょっと鼻についた。
まあディズニーだからな。

ホーン続報

朝からステアリング回りをばらしてみました。
ふたつあるホーンスイッチのうち、ひとつはスプリングが入ってない。
なぜ?
現在付いてるステアリングはメーカーオプションの機械式エアバッグ付きステアリング。パッケージはステアリング部分とエアバッグ部分、それにホーンスイッチASSYだったと記憶してる。
ホーンスイッチはカプラを接続するだけだったから、スイッチをばらすはずなんてない。
今朝はずしたとき左のスイッチからはスプリングが飛び出したけれど、右のスイッチからは何も出てこなかった。
さっきディーラーでパーツリストを見たら両方のスイッチに入っているので、ないはずないんだけどなぁ。
普段の使用でスイッチ外に出て行ってしまうということは絶対あり得ない構造だし。

本来スイッチが壊れているか否かかはターンシグナルスイッチとアースの導通を試みることで確認できると修理書にはあるが、このターンシグナルスイッチカプラーがメーターパネルの後ろにがっちりとはめ込まれているらしい。一目でやる気なくした。
どうみてもインストゥルメントルパネルばすさないかんのだもん。そんなことはめんどうくさすぎ。
断線かリレーの故障かはっきりはしないけれど、少なくともスイッチの故障ではない。
リレーを交換して鳴らないならあとは配線がどうにかなっているという結論になる。
大変な苦労をして動作確認するより配線を引き直した方が早いやね、こりゃ。

で、ホーンスイッチ内のスプリングを2コとホーンリレーを発注しました。
ホーンスイッチですら出ないかなと心配していたのに、なんと内部のスプリングだけで発注かけられたのは驚き。平成5年にエアバックなんてそれほど普及してなかったのに部品があるというのは、他の車種でも多用している部品なんだろうと推察する。
ディーラーねえちゃん、800円ばかしの部品のために15分以上の手間をかけさせてごめんよ。

どこのティーラーにいっても車検証のコピーを取られるが、これはきっと部品供給
のためだろうね。ちまたに何台の19系カリーナが残っているかという調査。

2011年5月21日 (土)

Dr.ELBOW

ドクター・エルボー買いました。
もう危機的状況です
スポーツショップに普通に売ってました。
これは肘用のサポーターなのね。
サポーターというよりコルセットな感じですが。
かなりひじへの負担が軽くなってます。でも大ジョッキを持ち上げるのはムリだった(笑)
もう少し早い時期に買うとよかった。
本来痛かった部分をかばっているから、それ以外の個所に痛みの中心が移ってしまったんですね。
それでも自宅では湿布、仕事中はドクターエルボーになりそうです。

これ、サイズ小さすぎです。
SMLの3サイズなんだけど、いちばん大きいLサイズですら、28〜30cmなんですよ。
おれの腕回り32cmあるんですが....^^;

2011年5月18日 (水)

小指が痛い♪

仕事から帰ったら左手の小指が痛いのに気付いた^^;
夜遅くなってからははれてきた。
湿布を貼ってもらいながら考えた、どこかで打ったかなあと。
そういえば何かで挟んだかぶつけたような記憶がある、ようなないような...

右腕の痛みはだんだんと好転してきてるように思います。
仕事中も右腕を酷使しないように気をつけてます。
前歯の痛みも薄れて、今夜は鎮痛剤も必要ない。
突然ある瞬間から出た痛みは、突然消えるような気がすると思う。
なんの根拠もないけど(笑) 

2011年5月17日 (火)

中山道ウォーク(6)塩尻宿→日出塩

この日(4/24)、塩尻宿の終わりから歩き出したんですが、いい加減歩いてから気付いたのが塩尻宿の範囲で、今回のスタートとなった阿礼
神社にある「是より塩尻宿」の道標は西の端を示している、つまり前回の終わりに塩尻宿の大半を終えていたのですね。柿沢集落から現国
道153号に合流したあたりに阿礼神社の御旅所がありました。あそこが塩尻宿の中心に近かったのでしょう。
それでも阿礼神社以西にも、堀内家住宅のような国の重文に指定されているような建物があります。明治新政府が新しいルートを開いたお
かげで中山道の風情が残されたというべきでしょう。
塩尻宿は意外と奥が深い。

153号と合流して三叉路を左にとり、さらに行くと軽いのぼり勾配が続きます。
これをしばらく行くと桜が満開だった昭電の工場を過ぎ、4年前に歩いた平出一里塚です。
大半の人はこの先から平出遺跡へ向かったために、うちらはほぼ単独行動のような形になりました。
ぶどう畑の真ん中をとっとと歩く。
今日は道中での食事のため時間を稼がなきゃいけません。
塩尻宿から中央線を二度越え、今度は国道19号線と合流します。
昭和50年前後ここを歩いた中西慶爾氏の「巡礼中山道」によれば、その頃にはまだ往時の面影があったようです。
19号に入ってすぐのラーメン屋で昼飯。
なんだか落ち着かない雰囲気の店でとてもビールを飲む気にはならず、ラーメンだけを食ってさっさと出てきました。
地方に行くとまだまだ禁煙の店が少なくていらつきますな。それだけでも店を出たくなってきます。

ちょっと気分を悪くして歩いていると、「山野草 野生らん」の文字があって、迷わず店内に飛び込みました。
フジスズムシソウと、屋久島黄色カキランと書いてあるを購入。
「どちらまで行かれるんですか?奈良井?」
やはり地元の人には、おおよその目的地がわかるようです。
もっともこの日は日出塩でしたけど。
植物たちは袋に入れてしっかりと口を縛りリュックにぶら下げて歩くことにします。
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ガソリンスタンドの裏を通って信号から再び旧道に入ります。
肘掛けの松を経て善光寺西街道との追分を曲がって洗馬宿へ。
先日長崎大学のデータベースで明治頃の肘掛けの松の写真を見ました。
松の木は変わったけど、少なくとも写っている範囲は現在とあんまり変わりがないみたいです。
洗馬は昭和の初期くらいの建物がけっこう残されている町ですが、ここもなかなかいい。
特に宿場の入り口が好きです。
東には道標や庚申塔などが多数置かれ、西は坂の枡形の上に中央線が通っています。街中は全然見通せない。まるで起伏まで利用した城門のような枡形です。

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宿場を出ると再び国道と合流しますが、だんだんと山が近づいてきて谷を作り始めます。
この谷が木曾へと続くんだと思うととてもうれしい。
国道歩きはすぐに終わり、本山宿に入ります。
この宿場も好きな集落で、古い建物が多数残されています。
塩尻までは出梁が目立っていましたが、洗馬からは玄関のような造作が建物の一部に設けられています。普通の民家に玄関など許されるハ
ズもなく、かつ入り口は別にあるため玄関ではありません。どこの家にもあるために賓客用の玄関とも思えません。体裁は武家屋敷の玄関
を小さくしたものですが、あれがなんのためにあるのか知りたいものです。
そして本山といえば川口屋を含めた出梁4重連。
谷口をどんどん絞る山々との風景がなんもいえずすばらしい。
時間に余裕があるので、ゆったりとスピードを落として歩きます。
北は急峻な谷で、街道沿いの家々の裏手は崖下に中央線が走っていて、そのさらに下には奈良井川。
街道の家は崖に石垣を築いて平地を作り、その上に家を建てていたのでした。
中山道から建物内部に入ると、下り勾配があるという構造だったでしょう。
本山宿の東見附には勢いよく水が噴き出すように溝を流れ、その上には水神ではなく秋葉さん。
ここが宿場の入り口だと主張しているかのようです。

再び国道歩きだけれども、これもさして長くない。
旧19号は高架を上がって日出塩の町に入っていきます。旧中山道は線路沿いに進む。地元の人の話を立ち聞きしたところでは、線路が中山
道だったようです。
今街道歩きが中山道として歩いているのは、旧道の高架の下を沿ってすすみ、踏切を渡って会社敷地に沿って日出塩に入る道ですが、実は
旧道の線路寄りの道だったらしい。
おやじの実家は新旧の飯田街道(いわゆる中馬街道)に挟まれています。
旧道は幅1mもない道で、古には敷地内を通っていたそうですが、裏にバス道と呼ばれる新道ができたために、飯田街道はそちらに移った。
その話しを思い出しました。きっと全国にはそんな事例はいくらでもあったんでしょう。

日出塩に入れば道はまっすぐなので、待機中のバスがかなり遠くから見えます。
わざとゆっくり歩いても、バスまではすぐ。
もっとゆっくり歩けばよかったか。
時間調整は難しいですな。
それでも発車30分前の到着。 

あたり前田のホーキンス

近頃よくわからんのです。
死ぬのが恐いのか、死に至る過程が恐いのかが。
つまり死に至る痛みや苦しみの方が恐怖の対象になり、イコール死への恐怖にすり替わってるんじゃないかと。
人は常に「死ぬことが恐い」っていう固定概念を持っている。
けど逆に「死ぬことなど恐くない」とムリでも思えば、なぜ死ぬことが恐いのか分からなくなる。
生きようとするのは生物の本能だとかいうけど人間は生物としての本能を超越したところを「ユートピア」などと呼んでみたりする。
それを実現したいのなら生き物としての本能は捨てなきゃ。

昔交通事故で死にかけた時に思った。
気を失うということは本人にとって既に死と変わらない。
回りが「生きている」とみているだけのことで、目覚めなければそのまま死んでしまう。
そのまま死ねば自分が死んだことすら理解しないまま死ぬ。
他人が「くじら山が死んだ」と言ってくれることで、自分は死ぬ。
なのになんで死ぬのが恐いんだろう、と思う。

死んでしまえば何もない。
むしろ死というのは、本人よりも残された者が苦しみ悲しみ嘆く。
そこに至るまで生き続ければいいんじゃないかな。
あたりまえじゃねえか、という答えこそが真実なんじゃないの。

物理学者が神や死後の世界を否定するのは当たり前のことですね。
中学の時物理の渡辺先生はこうのたまいました。
「物理には昔から神様はおらんことになっとる」と(笑)
蓋し名言であります。

2011年5月16日 (月)

肩たたき

ここ数ヶ月、ずっと右腕が痛いです。
GWが明けてから整形へ行ってテニス肘だと言われました。
痛い部位の動きはなるべく回避するよう言われましたが、事務職ならともかく防水屋ではいかんともしがたい。
湿布を貼ったりもらった薬を塗ったりしているけれどもいっこうによくならない。

昼頃から前歯が痛くなりました。
突然に。
夕食時もものをかむと歯が当たって痛いので、量は少なめに。

さきほど妻に肩を叩いてもらいました。
指の先まで響く。
頭の中まで響く。
歯の痛みも減退する。
つま先までぽかぽかする。
碇君にもぽかぽかしてほしい。

肩こりの原因は腕なのかもしれない。 

18回目の誕生日

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ゆうべはボーズの18回目の誕生日。
中山道ウォークから帰って、サーティワンでアイスクリームケーキなるものを買って来て誕生日のお祝い。

おめでとう、ボーズ^^ 

2011年5月15日 (日)

中山道ウォーク(7)和田宿→東餅屋

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今回は3/20の続き、和田宿から和田峠への道です。
さすがに5月ともなれば4月に危惧された雪も皆無でしたが、代わって新しい驚異、クマが俎上に上がりました。
中山道はたびたび熊が話題になり、大井以西でも出没するごとにJR東海のさわやかウォーキングが中止になるほど。
そういえば前回の解散の挨拶の時そんなことを聞いたなぁとのんきなもの。

和田宿は見所が多いです。和田宿本陣、旅籠のかわちや。近頃修復されている旧旅籠もいくつかあるそうです。
見学したのは上述の2個所。
和田宿は幕末に大火があって町の大半が失われましたが、和宮降嫁に伴う急速な復興により、宿場機能は復活しました。
現在残っているものは大体そのあたりの建物だから、古くて150年前後というところですか。

和田宿本陣はかなり立派な建物です。
二川本陣や草津本陣に比べると簡略化されているような個所が目立ちます。
貴賓の玄関である式台の規模が大変に小さい。たぶん2間(けん)でしょう。そこから三之間、二之間、一之間と続きますが、貴賓が宿泊するための一之間に上段がない。
欄間には品の良い透かし彫りがあったりする割りには、華美な設備は省略されているのかな。
二川や草津の場合、本陣家の住まいと宿泊施設としての本陣の間には土間があって分離されているんですが、ここは部屋続きになっていることに驚き。
宿駅制度が廃されてからこの建物は役場に転用されていろんな改造を受けて後、近世になって復元したものだから、きちんと元に戻さなかったのかもしれない。
もし正しく復元されていたのであれば、この簡略化は武家の力の衰えや商人や商人文化の台頭が建物にも現れているのかもしれない。
部屋上がるときの板がちょうなで削られていることが目につきましたが、いろいろと係の人に投げかけたけど答えは返らず仕舞い。板の表面はピカピカと鈍く光り、時代は感じられますが、建物と板の時代が合わないんですよ^^;
この板の表面、ちょうな特有の波が見られます。しかも下手(笑)。なにが下手って逆目に刃を当てているんですよ。ところどころ逆むけのようになった部分が盛り上がったり、節の部分がえぐれていたりそれはひどい(苦笑)削り方についての知識はないんですが、松本城の柱に見られるような均一で浅い刃跡に比べると掘りが深くかつ不揃いでした。
建物は大火後だから150年で幕末。
ちょうななんかはすでに江戸の中期くらいにはかんなに取って代わられたはずだから、どこからか持ってきたんでしょうね。もしくは”そういう雰囲気”で作ってもらったか。
実はこの後に訪れたかわちやにも同じものがあったんです。
よくわかんねぇ^^;

次に和田宿では中規模だったというかわちやへ。
中規模だなんてとんでもない、これは大旅籠です。
こんな大きな旅籠はおそらく二川のような小さな宿場にはなかったでしょう。
しかも中に入ってびっくり!
普通の旅籠のくせに玄関がある!門がある!
規模こそ多少小さいけどこれは本陣格ですわ。
基本、本陣には門と玄関が許され、脇本陣には門か玄関のいずれかが許される。
さらに驚くなかれ、内部には上座がある!
「ここは脇本陣ですか?」
でもやっぱりおかしいんですよ。
玄関を上がるといきなり二之間と呼ばれる控えの部屋があり、その奥には上座が。で、その二間は廊下に対して一段高くなっている。
もうめちゃくちゃ!
建物に奥行きがなさ過ぎ!
従来の形式をまったく無視した建物であり、むしろ大半が後世の改造によるものと考えた方が自然な気がします。
さて、かわちや本体。
これもいわゆる八尺作りのようで、部屋も建物も大きい。
天井は元々吹き抜けだったそうですが、それにしても天井の位置が高い。
街道に面した二階部屋も宿泊に供したと係のおじさんは言ってましたが、どうなんだろう。
半分を荷物置き場のようにして使っていたのならお客は泊めないんじゃないかなあ。しかも隠し部屋のように、戸口で入り口を閉じる構造ですよ。
街道に面した部屋は人を入れないというのが基本だったはずだけどねぇ。

12時半までには和田宿での見学は済ませて欲しいという話しだったので、大急ぎで出発。時間は12時20分。
そういえば回りにはもうだれもおらんわ(苦笑)

和田宿はずれには用水が大した勢いで流れています。
水の中では何か草が揺らめいている。
気になってその冷たい水の中に手を入れて少しちぎってみればカボンバでした。
よく金魚藻なんていう名前で売られている草。
外来種のはずだけど、しっかり定着してるみたいですね。
春の明るい日差しが透明感一杯の水に反射して緑が中に映えている。
なんと美しいんだろう。
和田宿はまだ風薫るっていうには早いと感じたけど、春の美しさはすでにあった。

和田峠というのはどこから始まるんだろう。
和田宿から既に上りは始まります。
鳥居峠も奈良井宿の終わりから始まっているのだから、もう和田峠へのアプローチは始まってるんだろうな。
なだらかというにはきついし、きついというにはあまりに楽な坂がずっと続きます。
沿道にはたくさんの花が咲き、家々はみな通に面して花を飾っている。
道祖神や馬頭観音は少ないけどそうした町の人の気持ちが歩く人を楽しくさせてくれます。

3km地点でそばの昼飯。
30年ぶりくらいにざるそばを食った。
うまかった。
食ってるうちに、添乗員さんが道案内を片付けているのが見えた。
けど経路が複雑なわけでもないし、時間はあるのであわないあわてない。
一休み一休み。

国道をしぱらく歩いて、いよいよ唐沢からいよいよ山中へ。
そう、熊の道(爆)
妻は「クマークマー」と時々口にしながら進む。
「おばばーおばばー」と答える。

坂を上り詰めたところに、唐沢の一里塚はありました。
木は失われているものの、回りの風景を含む環境は、ほぼ江戸時代の原形をとどめているのではないだろうか。
そこで添乗員さんに追いついた。
「うちらの後ろにもまだ二人ほどいます」とお知らせしておきました。
坂のせいで見えなかったけれど、ひときわ大きな声で「クマーー!」って叫んだんだよな。あれ、聞かれたかな、はずかしいな。
あとはずっと山の中。
接待小屋前のわき水を飲み、舗装こそしてないものの官道らしい立派な山道をえっちらおっちら歩き続けて、16時にゴールの東餅屋に到着!
力餅が食えなかったのはちょいと残念だったけど、まあ次回の課題にしときます。

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2011年5月12日 (木)

ホーン交換顛末

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結局、BOSCHのラリーストラーダを買いました。
アルファ2ユーザーが意外に多かったってのもあるけど、まあ通販での行き違いで、メーカーにもよくない印象がついてしまったということで。

BOSCHはすごいね。
メーカーサイト見ても商品にも取り付け説明がない(笑)
箱の裏に配線図が書いてあるだけなんだもん。
まあ社外品はアースをとらなければならないことは、大昔から知っていたので、大した問題にはなりませんでした。
純正は1本で配線を引き、本体でアースを取るという形式なので、配線はそのまま使用し、アースのみを新設しました。
で、ホーンスイッチを押したんだけど、鳴らない。
なぜに鳴らんか。
配線は間違いようがないほど単純だから、あとはスイッチかリレーに故障があるかもしくは断線してくらいしか思いつかない。

よくみるとホーンボタンのひとつがヘタれてる。
それは壊れているかもしれない。
ただでさえ使わないホーンだし、ふたつあるボタンでも滅多に使わない側が原因になるってのも可能性が低そうな話。修理にはステアリングをはずさんならんので、後回しにして、先にホーンリレーを調べてみる。
要は「本体に電源を流した」状態でないと調べようがないので、一人ではあまりに危険と判断し、妻の帰りを待ちました。
そして再開。
バッテリーマイナスを解放、リレーのふたをとってテスターで調べてみる。
「ぷわっ!」
突然ホーンが鳴りました。
でっかい音でびっくりした!
ただしここでリレーが故障したと判断するのは早計。
つまり、手で押して直接をつないでしまった可能性がある^^
もうあたりが暗くて、リレースイッチにテスター棒の先端をあてることができないのね。

今日はここでやめました。
どうみてもスイッチよりも経年劣化起こしそうなリレーに原因がありそうに見えるけれど、スイッチもよく調べてみたいと思います。
リレーか、スイッチか。
ステアリングをはずすためのSST、行方不明だと思ってたらトランクの中にあった!
原因が特定できればこれで自力修復可能です!

配線図によればホーンスイッチ自体はターンシグナルスイッチとつながってるようには見えないけど、ホーンスイッチがそこからアースをとってるみたいなのね。ターンシグナルスイッチはハザードといっしょだから、ハザードのヒューズが切れたのは、何かこの辺に原因があったのではないかとふと思ったけど、システム別の配線図ならある程度理解できても、他と絡んだら全然わからない。
だから「思うだけ」です。

また後日。

2011年5月11日 (水)

九六式二十五mm機銃とASIA→老眼

明日大雨の予報。
休みになりそうなので、ちょいと夜更かしして23時頃から趣味の模型作りしてます。
なにしろ細かい部品ばかりなので老眼鏡のお世話になりながら、耳にはiPodをかけ小一時間やってましたが、疲れたのでちょいとPCに向かってたら、ディスプレイの文字がにじむ^^;
度数の違う老眼鏡をかけ直してもどうにも焦点が合いませぬ。
こりゃはっきり疲れ目だ^^;;;;;;;;;;
この模型、”老後の楽しみに”なんてとってあったけれど、もう今が限界です。
これ以上老眼が進んだり、目が疲れやすくなってはとても作れません。
気分転換にアリイの1/50蒸気機関車 C11も平行して作ろうかと思います。

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ちなみ今作っているのは、数年前に発売されたデアゴスティーニの「戦艦大和を作る」です。
96式25mm機銃を作っています。
はっきりいってやんなった(苦笑)
4コでもうんざりなのに、これを全部で52コだぁ! 

2011年5月 9日 (月)

AMAZONで

先月の27日に注文したアルファII、結局キャンセルです。
27日に注文したものが5/9になってもまだ発送されてないって、そんなことがAMAZONのショップでもあるんだと、かなり印象悪くしました。
AMAZON本体ではなくTHANKとかいうショップ。
在庫1とあったから27日早々に申し込んで以来なんの音沙汰もなし(苦笑)
発送は5/2-5/9で、到着予定が5/11まで。
今日発送してないということは、当然11日は着かない。
昨日の昼にこちらから送った催促&キャンセルメールにキャンセルの案内が来たのもついさっき。
いくらGWはさんでるからとはいえ、2週間近く連絡もないままほったらかしっていう例をおれは知らない。

こういう通販会社って多いんだろうか。
こういう会社に自社サイト内で出店させているAMAZON自体も思っいたほどたいしたことがないな。

2011年5月 8日 (日)

中山道ウォーク(4)芦田宿→和田宿(後)

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長久保宿に入り、一福処濱屋で休憩。
われわれのハイキングに賛同して、特別に開けてくださったそうです。
感謝。
明治のはじめに旅籠として建てられたけれど、衰退する中山道を見て営業をやめたとか。
中山道や東海道等旧街道は鉄道が開通するまでは幹線道路として機能したはずだから、明治の初期というのがちと眉唾ですけど、建物自体
は大旅籠で素晴らしい。
ここからずっと竪町として坂を下っていきますが、当時の面影がこれでもかというほど残されていてうれしくなってしまいますな。
横町との交点付近は、いろんな時代の旅館建築がそろっていてとても楽しいです。
「わくわくするなぁ」と言ったのは、マリだけではないよw

長久保を出ると、国道と付かず離れず併走するだけで何もない。
山と山に挟まれた狭い地域をクルマと人が別の道を進んでいるだけの話。
でもそこは中山道、道祖神や馬頭観音がまばらにあって街道歩きのモチベーションは維持できます。

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いつの間にか空に晴れ間はなくなり、風が吹き始めてました。
芹沢一里塚跡付近でとうとうパラパラと来た。
急ぎ足で和田宿に入り、本格的な雨になったところで集合地点の道の駅に到着。
今日は1時間も早く着けました。
バスに乗ってみると、あの下り番長は後ろの席に座っていた。
びっくりした(苦笑)

次回は4/10、2週空きます。
しかも当初の和田峠越えではなく、下諏訪へ飛ぶらしい。
和田峠の雪がまだ残っているそうだから、順番を入れ替えたらしい。
というわけど次回は下諏訪宿から塩尻宿だげな。 

2011年5月 6日 (金)

気賀産紅茶

先日の姫街道歩きの深蒸し茶と共に買ってきました。
以前嬉野茶の紅茶を飲んだことがあり、日本で作られる紅茶も捨てたものではないってことは熟知。
でもなかなかお目にかかれないんですよね。
なぜに緑茶メーカーは紅茶を作らないのだろう。
で、気賀紅茶ですが、うまい。
お茶は赤くてとってもきれいだし、甘みがあってクリーミィ。
熱湯状態を維持することがうまさのポイントですね。

以前CBCのそこ知り・板東リサーチで、豊橋でも紅茶が作られていると聞いた記憶があるんですが、いっぺん手に入れて飲んでみたい
ものです。
技科大近くのノーキョーにあることを聞き込んだので、今度の日曜あたり探しに出てみようと思っています。 

上腕骨上顆炎

じょうわんこつじょうかえんと読むんかい?
腕の痛みはこれでした。
痛い部位を使わんようにと言われ、注射1本。
一番痛い個所にぶちゅっと打たれました。
あれ、注射ってこんなに痛くないもんだっけ?
おらブロック注射とか筋肉注射しか打たれたことがないので、こんな緩い注射は久しぶりだわ。
で、その注射でウソのように痛みが引いてしまいましたが、効力はやっぱり3時間くらいだったなあ。今は元に戻ってる。

腕の使いすぎだと。
独身者じゃあるまいし、なんで利き腕が使いすぎなんだよぅ。
心当たりというか、原因ははっきりしてるけど言わない(笑)

ご心配おかけしました(_ _)

2011年5月 5日 (木)

中山道ウォーク(4)芦田宿→和田宿(前)

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4/10、予報通り暖かな一日でした。
前回の続きからスタートです。
日曜休みの醸造業・酢屋茂を過ぎ、金丸土屋旅館を通過。
これに本陣を加えた3つの建物がこの宿場の見物だと思われますが、個人的にはやはり町全体の雰囲気を感じて欲しいと思います。
建物だけでなく坂道も加えて欲しい。
町ってそういうものですよね。

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芦田宿を出てさしたるまもなく笠取峠に入っていきます。
松並木は天然記念物指定の価値を感じませんでした。
大木はなく、枯れ木や倒木状態のも見受けられました。なんか荒れ放題って感じ。
石畳風に舗装した道路でかろうじて雰囲気を維持しています。

峠の始まりから峠まで休むことなく上り。
いつものようにどん尻グループの一員でした。
がたいの大きな青年(老けてみえるが)は、資料を見ながらひとつひとつ見所をチェックしているために、うちらと同じようなペースに
なってます。
もうひとりおばあさんがひとりで歩いてました。
この人たちが序盤の”仲間” 。
おばあさんは長い坂に、自分の腰を支えながら必死で上り、時折足を止めて休憩しとります。うちらはなにしろ最年少ですから、その気
になれば速い。あっという間におばあさんを追い越したものの、そのペースの遅さと様子に彼女のことが心配になりました。
ビリになって焦るんじゃないかとか、倒れてしまうんじゃないかとか。
ゆっくり歩いておばあさんのペースをつかんだ方がいいなと話しているうち、くだんの青年がおばあさんに追いついた。
これで一安心、まあ彼に任せておればいいかなと再び足を早めて笠取峠を越えました。
ところが下りになったとたん、このあばあさんも青年も追いついてくる。
長久保宿の前でとうとうふたりとも追い抜いていった!
なんと!
おばあさんもそこそこのペースで歩いているし、青年はがたいがしっかりしている分歩みも早い。
妻曰く、「ありゃ下り番長だわ」と(笑)
なんかとってもいい命名で、この後ずっと彼を下り番長と呼び続けました。
けれど最後まで抜き返すことはできなかった(汗)
笠取峠、制覇。
「いつも夫婦で歩いてるの?いいねー」と昼食中のおばちゃんたちに言われてました。
妻がね^^

下り番長がうちらと競ったのは長久保手前の山中。
明治に新しい道が造られて、うち捨てられた旧中山道です。
右は新しい”中山道”、真ん中は単なる山道の中山道、左は新道。
その真ん中の道を転びながらも下ってゆく。
そこに道祖神があったりすると、これぞ旧街道歩きの醍醐味!とつい叫んでしまいます。
やはり東海道よりも中山道の方が楽しい。
もうだれがなんと言おうとこれは変えないし、変えられないヾ(@⌒▽⌒@)ノ

峠を下り長久保宿に近づくと、松尾神社があります。
中山道はその境内地を通っています。
この神社由来があるようですが、それよりも場違いのように立派な日露戦争忠魂碑をみつけました。
なにげなく「希典書」とある。
こりゃあの乃木希典の筆によるものだ!
二人の死が記されていましたが、ぼく以外はだれも気にも止めない。
日露戦争の忠魂であるにもかかわらず、また乃木さんの筆によるにも関わらず。
世の中こんなもんですかねえ。
日露の犠牲者はこんな扱いなんですかねえ。
寂しい国ですねぇ。

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ちょっとかわいい潮吹きくじらの蛇口から水があふれていました。
蛇口は朽ちているのか閉められないまま。
温泉なら”掛け流し”と呼ばれる状態ですね。
顔を洗ってさっぱり!
橋を渡って神社を出たところに鳥居と神社名が掘られた石柱が立っていて、「奉納石合平右衛門」とある。石合の名前に聞き覚えがあっ
たので写真を撮って前に回ったら、今度は「伯爵祐亨云々」とある。伯爵なんてそうそう大勢はいないから祐亨といえば日清戦争時の連
合艦隊司令長官・伊東祐亨しかいない。
黄海海戦で活躍したあの人です。
乃木といい伊東といい、どういういわれで筆を起こしたのだろう。
大変に興味深い。
ちなみに石合家は長久保宿の本陣職を勤めた家で、記憶というのはここに真田信繁の娘が嫁いでいたから。
何かの小説で読んだんでしょうな。記憶のかけらがよみがえってたというわけでした。   

2011年5月 4日 (水)

東海ラジオからの贈り物

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先日「年リク」という番組にFAXを出しました。
長い番組なので最後まで聞けませんでしたが、今日写真のグッズが送られてきました。
小林シャチ子っていうストラップなんですが、説明がなくて何もわからない。
非売品なのか、限定品なのか。
いや、「以下の Qコードでゲームがダウンロードできます」ってあるから、きっと普通に売ってるんだろうな。
よくわからんけど、ありがとうヾ(@⌒▽⌒@)ノ 

実家みやげ

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5/1から実家に行ってました。
「帰る」という表現ができないほど、こちらの人間になってしまいました。
独身時代の荷物がまだ大量にあるんですが、今回はSLのプラモデルを持ってきました。
たまにゃ機関車やプラスチック製模型も気晴らしになるでしょう。
ところが作り方の説明書がない!
出したような記憶もないことはない...
うーーーん、なくても作れるかなあ?

先月プリンターが壊れまして。
これまた実家に置いてきたプリンターを持ってきたところ、驚くべきことに10年前のプリンターだった!
7年ほど前のプリンターじゃなかったのね...
こんなん捨てるしかないがな。
けっきょく買わないかんらしい。
高速は朝から渋滞していていたので、23号から1号線経由で帰りました。
空いていたといっても3時間弱かかってしまいました。
途中で友人と会っていたので、その分を引いたら2時間半。
休日の早朝なら1時間のところ。
まあそんなもんですか。 

2011年5月 3日 (火)

カキラン救出

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実家に来ています。
ホームセンターへ行ったらカキランの根茎がパッケージ売りされていてびっくり!
うちにもたくさんあるのに、また買っちゃった。個体差があるから、開花が楽しみです! 

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