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2011年5月15日 (日)

中山道ウォーク(7)和田宿→東餅屋

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今回は3/20の続き、和田宿から和田峠への道です。
さすがに5月ともなれば4月に危惧された雪も皆無でしたが、代わって新しい驚異、クマが俎上に上がりました。
中山道はたびたび熊が話題になり、大井以西でも出没するごとにJR東海のさわやかウォーキングが中止になるほど。
そういえば前回の解散の挨拶の時そんなことを聞いたなぁとのんきなもの。

和田宿は見所が多いです。和田宿本陣、旅籠のかわちや。近頃修復されている旧旅籠もいくつかあるそうです。
見学したのは上述の2個所。
和田宿は幕末に大火があって町の大半が失われましたが、和宮降嫁に伴う急速な復興により、宿場機能は復活しました。
現在残っているものは大体そのあたりの建物だから、古くて150年前後というところですか。

和田宿本陣はかなり立派な建物です。
二川本陣や草津本陣に比べると簡略化されているような個所が目立ちます。
貴賓の玄関である式台の規模が大変に小さい。たぶん2間(けん)でしょう。そこから三之間、二之間、一之間と続きますが、貴賓が宿泊するための一之間に上段がない。
欄間には品の良い透かし彫りがあったりする割りには、華美な設備は省略されているのかな。
二川や草津の場合、本陣家の住まいと宿泊施設としての本陣の間には土間があって分離されているんですが、ここは部屋続きになっていることに驚き。
宿駅制度が廃されてからこの建物は役場に転用されていろんな改造を受けて後、近世になって復元したものだから、きちんと元に戻さなかったのかもしれない。
もし正しく復元されていたのであれば、この簡略化は武家の力の衰えや商人や商人文化の台頭が建物にも現れているのかもしれない。
部屋上がるときの板がちょうなで削られていることが目につきましたが、いろいろと係の人に投げかけたけど答えは返らず仕舞い。板の表面はピカピカと鈍く光り、時代は感じられますが、建物と板の時代が合わないんですよ^^;
この板の表面、ちょうな特有の波が見られます。しかも下手(笑)。なにが下手って逆目に刃を当てているんですよ。ところどころ逆むけのようになった部分が盛り上がったり、節の部分がえぐれていたりそれはひどい(苦笑)削り方についての知識はないんですが、松本城の柱に見られるような均一で浅い刃跡に比べると掘りが深くかつ不揃いでした。
建物は大火後だから150年で幕末。
ちょうななんかはすでに江戸の中期くらいにはかんなに取って代わられたはずだから、どこからか持ってきたんでしょうね。もしくは”そういう雰囲気”で作ってもらったか。
実はこの後に訪れたかわちやにも同じものがあったんです。
よくわかんねぇ^^;

次に和田宿では中規模だったというかわちやへ。
中規模だなんてとんでもない、これは大旅籠です。
こんな大きな旅籠はおそらく二川のような小さな宿場にはなかったでしょう。
しかも中に入ってびっくり!
普通の旅籠のくせに玄関がある!門がある!
規模こそ多少小さいけどこれは本陣格ですわ。
基本、本陣には門と玄関が許され、脇本陣には門か玄関のいずれかが許される。
さらに驚くなかれ、内部には上座がある!
「ここは脇本陣ですか?」
でもやっぱりおかしいんですよ。
玄関を上がるといきなり二之間と呼ばれる控えの部屋があり、その奥には上座が。で、その二間は廊下に対して一段高くなっている。
もうめちゃくちゃ!
建物に奥行きがなさ過ぎ!
従来の形式をまったく無視した建物であり、むしろ大半が後世の改造によるものと考えた方が自然な気がします。
さて、かわちや本体。
これもいわゆる八尺作りのようで、部屋も建物も大きい。
天井は元々吹き抜けだったそうですが、それにしても天井の位置が高い。
街道に面した二階部屋も宿泊に供したと係のおじさんは言ってましたが、どうなんだろう。
半分を荷物置き場のようにして使っていたのならお客は泊めないんじゃないかなあ。しかも隠し部屋のように、戸口で入り口を閉じる構造ですよ。
街道に面した部屋は人を入れないというのが基本だったはずだけどねぇ。

12時半までには和田宿での見学は済ませて欲しいという話しだったので、大急ぎで出発。時間は12時20分。
そういえば回りにはもうだれもおらんわ(苦笑)

和田宿はずれには用水が大した勢いで流れています。
水の中では何か草が揺らめいている。
気になってその冷たい水の中に手を入れて少しちぎってみればカボンバでした。
よく金魚藻なんていう名前で売られている草。
外来種のはずだけど、しっかり定着してるみたいですね。
春の明るい日差しが透明感一杯の水に反射して緑が中に映えている。
なんと美しいんだろう。
和田宿はまだ風薫るっていうには早いと感じたけど、春の美しさはすでにあった。

和田峠というのはどこから始まるんだろう。
和田宿から既に上りは始まります。
鳥居峠も奈良井宿の終わりから始まっているのだから、もう和田峠へのアプローチは始まってるんだろうな。
なだらかというにはきついし、きついというにはあまりに楽な坂がずっと続きます。
沿道にはたくさんの花が咲き、家々はみな通に面して花を飾っている。
道祖神や馬頭観音は少ないけどそうした町の人の気持ちが歩く人を楽しくさせてくれます。

3km地点でそばの昼飯。
30年ぶりくらいにざるそばを食った。
うまかった。
食ってるうちに、添乗員さんが道案内を片付けているのが見えた。
けど経路が複雑なわけでもないし、時間はあるのであわないあわてない。
一休み一休み。

国道をしぱらく歩いて、いよいよ唐沢からいよいよ山中へ。
そう、熊の道(爆)
妻は「クマークマー」と時々口にしながら進む。
「おばばーおばばー」と答える。

坂を上り詰めたところに、唐沢の一里塚はありました。
木は失われているものの、回りの風景を含む環境は、ほぼ江戸時代の原形をとどめているのではないだろうか。
そこで添乗員さんに追いついた。
「うちらの後ろにもまだ二人ほどいます」とお知らせしておきました。
坂のせいで見えなかったけれど、ひときわ大きな声で「クマーー!」って叫んだんだよな。あれ、聞かれたかな、はずかしいな。
あとはずっと山の中。
接待小屋前のわき水を飲み、舗装こそしてないものの官道らしい立派な山道をえっちらおっちら歩き続けて、16時にゴールの東餅屋に到着!
力餅が食えなかったのはちょいと残念だったけど、まあ次回の課題にしときます。

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