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2010年1月31日 (日)

豊橋(旧吉田大橋)に思う

先日発見した一個の道標に関連して思ったことを書き留めておきます。

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江戸時代の東海道は、吉田宿の西惣門を出て豊川に出る手前を左に折れて数百メートル西進したのちに北に折れて吉田大橋を渡っていました。
渡り終えた地点から西に向きを変えた東海道を200mほど進むと、豊川稲荷遙拝所っていうのが右側にありますが、ここは豊川への追分。知っている人は知っていると思うんですが、ぼくは知らなかった。ただ単に東海道を歩いていた旅人が豊川稲荷へ行かずして拝む場所だと思っていたんです。
つい先日このあたりで仕事をしたんですが、みつけてしまったんですよ、「とよかわ道」と彫った道標を。場所は遙拝所を北に折れて下地小学校と合流する地点。地図を見ると、道は遙拝所から豊川を向いてます。
地図を見たときに疑問。
江戸期の吉田大橋は現在の豊橋より200mほど下流に架かっていたらしいのですが、その部分の取り付け部分は一体どうなっていたのだろうという疑問です。

添付した地図のように、いくつかの考え方があります。
オーソドックスには(3)に比べれば、すべて妄想に近いんですが、
旧吉田大橋と豊川稲荷遙拝所の位置があまりに近いので、妄想してしまうんですよねぇ^^;
つまり、東海道は左へ、とよかわ道はまっすぐという考え方(1)です。
そもそも現代の道ではないから「曲がる」と「まっすぐ」の定義すら、かなり主観的になってしまうことは禁じ得ません。
しかもこの(1)にはオマケもあります。
地図下の船町交差点からもう少し西へ行って旧吉田大橋東詰にまっすぐ通じていたのではないかという想像。(図中1-2)
わざわざ橋を長くする必要もないと思うけれど、いちおう(2)も可能性として提示しておきました。

大正年間の古地図(年不明)には、豊橋の西詰めは行き止まりになってました。ただ豊橋は大正7年に架け替えられているために、地図の橋が架け替え前の橋か架け替え後の写真なのかがわかりません。

石碑の解説に、「吉田大橋を渡って東海道を西に一町ほど進むと〜」の一文があるけれど、これはどこから引いたものだろう。「豊川稲荷道という名前が太田南畝の改元紀行に見える」とあるから、出典は改元紀行なんだろうか。
これは改元紀行を読んでみれば解決する問題のようです(笑)

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