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2009年10月11日 (日)

町づくりと二川

「歴史遺産と暮らす」というテーマで昨日講義がありました。
まつりにあわせて土日休みを取っていたので、たまたま聞く機会に恵まれました。
いつも土曜日ばかりなので、何とかして欲しいってとこなんですが、まあそれはおいといて。

まずは二川の町案内。
「おれに二川の町案内をできるのは建築のプロしかいないぞ」という自負はありました^ ^;
建物に対する年代測定とか改装前の調査のような技術的かつ学術的なことは素人にはわからない。わからない分、自分で感じるっていう最大の武器はあるわけですが、その自分に案内をしてくれるという。
テーマ自体「駒屋の再生」っていうことだから、ひょっとして駒屋に入れるかもぉなんていう期待はあったんですが、うれしいことに入れたー!

豊橋市は二川に残っている古い建物を3点セットととして整備することを考えていたんだそうです。
すなわち、二川馬場本陣、旅籠・清明屋、そして商家・駒屋です。
整備が遅れに遅れているのが駒屋というわけ。
先頃二川の町並み保存が一応の合意をみたため、この際まとめて俎上にあげようということですね。
駒屋はミセ、奥座敷、蔵など8つの主要な建物からなります。
店が江戸末期で、大半が大正から昭和にかけての建物。
これらを整備するという計画です。
でも具体論が決まってないらしい。
広い敷地もあり夢は広がるけれど、カフェだとか喫茶、地元の人が気楽に集まれる施設なんていう誰でもどこでも思いつくようなものにしたくないとぼく自身は考えています。二川でなければできなかったこと、気づかないこと、駒屋っていう特色を考慮にいれてもっと深みのある施設になるといいなぁと思ってます。しょせん素人の浅知恵、いろんな人から様々なネタを頭のなかに蓄積していかないとなかなか思いつかないものですし、何より二川住民が何を求めているかっていいのが最大のポイントなんでしょう。それをくみあげるだけのカオと人脈、知識が欲しい^ ^;
深く関われるはずもないけれど、自分なりになにか考えたいなとは思ってます。

見学会のあとは講義。
当日は二人の先生がお越しになりました。
一人目の先生は、倉敷での町づくりの話。
人それぞれの立場がある。
人の話を聞くことによってそれは気づかされるんだけれども、わかっていても具体的な話は経験者でないとわからないもんです。そういうものの穴埋めを自分の中でできた感じ。
ポイントポイントはほぼ自分の中では理解できていることでしたが、町づくりに携わった人たちの思い、行政との関係、建築士としてのなすべきことやできること、また考え方などを知ることができ大変有意義な内容でした。
また紹介されてしまうと、そうした人たちが作ってきたものを実際に見てしまいたくなるもんです。
自分たちの町に愛情を持って接してゆく建築士のあり方っていうのはね、やはり素晴らしいものです。
そうした意識を高めてゆくってことも町の文化の熟成化ってことになるんでしょう。

内容的にはそれを受ける形で、もうひとりの先生が話されました。
モディレーターといういわば町づくりでの調整役のような存在。
またそれを職業とされている人がいること、それがすでに驚きでした。
神戸の駒ケ林地区の町づくり再生。
住民と行政の間に入って活躍するモディレーター。
具体的な活動内容というのは一般人でしかない自分には新鮮で、どういう方法で住民とコミュニケーションをとっていくかということまで聞けました。
そして自分がそこに事務所を構えるにまで至ってしまったこと...。
裏付けは土地への愛情なんでしょう。
そして土地を通して住民の本質に触れることができる。
人を愛することによって、土地への愛情になる。
新たな土地に住むと言うことはそういうこと。
本来、静かだから、土地が安いからなんていう理由で自分の住む土地を決めるべきじゃないんですね。

その後聴講者からの質疑応答に移りました。
気になったのが、設計士だという人のこと。
「金をかけて整備してそれを取り戻せるのか」という質問。
これは質問なのか?
3時間の講義の間寝てたのか?
おふたりの先生方は、町づくりは金もうけとは違うっていうことを、お話のなかで繰り返していたのに、そのおっさんは延々その一点で押してくる。
しまいにゃ妻籠だとか小布施だとかいろんな地名まで出てきた。
おいおいここは二川なんだよ、江戸宿場テーマパーク妻籠とは違うんだよ。
20年前なら真砂屋など古い建物もたくさん残っていたから...なんていう話も余計なこと。失われたものを取り戻す必要なんて全然ない。それは町並み保存ではなくて、「作られたもの」なんですよ。
おふたりのお話のなかに何度か出てきた「違和感」ていうのは、うちらが「とってつけたような」と形容するものでしょう。
二川にそうしたものがないとは言えないけれど、そういうものまで長い時間をかけてひとつになっている現状で十分だと思うのです。言い換えれば江戸時代の宿場が、どう変遷したかっていうものを残せればいいと。
今でも二川には江戸時代の建物が相当数残っているそうです。それらは江戸情緒が感じられるように整備すれば良いかもしれないけれど、今普通に住んでいる人の住環境まで破壊したらそれはすでに町並みの保存ではない。よそがやっている観光開発に過ぎない。先にあげたおっさんなんかはそれにかなり害され居る。

========
主催の豊橋技術科学大学の泉田先生が冒頭に話されたことは、自分の胸のなかを透かしてみられたような気がしたと同時に、二川の町に対して持っていた「町の良さ」をもう少し具体的に教えてくれた気がしました。

「住んでいる人にはわからないことかもしれないけれど」と前置きし、「北には丘陵地帯、南には川がありさらに南には総合動物園(のんほいパーク)があるという立地の良さと環境、その良さを感じる人たちがたくさんいる」こと。
「丘陵地帯には多くの作家さんが住んでいる」とも。
二川っていう町は、宿場町であるってこともさりながら、そうした雰囲気をも醸造する環境をそもそも土地として持っているっていうことでしょうか。
それを感じたヾ(@⌒▽⌒@)ノは、やはり何かに飢えていたのかなぁとも思うなぁ。

人の話を聞くって言うのはやっぱり大切なことですね。
駒ケ林の先生の事務所っていうのも、一度訪ねてみたいし、彼らが作り上げた町そのものも見てみたくなりました。
観光地でもなんでもないようではありますがね。
人は土地、土地は人。

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