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2009年6月14日 (日)

徳川家康と豊臣秀吉の違い

新三河物語読み続けています。
著者(この場合、原著と思われる三河物語の著者大久保忠教をさすか、宮城谷昌光氏をさすべきか自分でもわからん)の見方が大変に偏ってきたと感じるのは、自分が秀吉ひいきだからでしょうか。
秀吉が「織田の天下を簒奪した卑怯者」だの「信用ならない真田」など、家康の敵にまわったものへの攻撃が著しい。家康だっていずれ「豊臣の天下を簒奪する卑怯者」であることは史上はっきりしているのに、これをどう肯定するのかがみどころでもある。

個人的に二大悪書としているシリーズがある。
ひとつが早乙女貢の会津士魂、もうひとつが山岡荘八の徳川家康であるが、山岡荘八の著書よりも相当にましなのは、家康自身の行動がそれほど美化されていないことにある。それでも家康の行動が「天下万民のため」なんていうニュアンスの表現があり、うへっと思わせられることもあるが、まぁ、山岡作品のようなひどさはないのであります。
地震で徳川攻めが中止になったとかいう苦しいいいわけは、だれの考えだろうか。宮城谷氏のオリジナルかな、それとも昔からそういう解釈があるのかな。
早期の惣無事こそが秀吉の戦略だと思っていたのですがねぇ。
近頃はすっかり不勉強でイヤハヤ...

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