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2008年1月17日 (木)

親鸞と浄土真宗

唯円が書いた歎異抄、今日医者の待ち時間に一気に読み切ってしまった。
親鸞の死後、”誤った”親鸞の教義が世間に流布するを見て嘆いた書とされている。
いろいろと具体例が掲げられているが、最大公約数的なものを求めるならば、
「阿弥陀仏はその慈悲心によって衆生を救うということをひたすらに信じよ」
悪人が救われる理由や、人間は煩悩のかたまりであるから修行が辛く感じるのは無理もないなど、宗教を信じない天ちゃんには真新しいものもあります。
それよりも無宗教者には、「ひたすらに信じよ」ということが真新しい。

阿弥陀仏には姿もなにもないと書いている。
もともと仏教に拝む対象などはなく、仏像はインドで生まれた仏教が日本へ伝わる過程で彫刻文化と出合ったために生まれたと「街道をゆく」で読んだ気がする。
親鸞自らが著したという教行心証も現代語訳があれば読んでみたいものだ。

なにか清らかなものを信じて生きると言うことは、自らを律し、きれいに生きることのようなもののように感じられる。信じる力が大きければ大きいほど、自らを厳しく律することができる。
人の力などたかが知れているのだ、と教えている。

後序として蓮如が筆を添えているが、親鸞だけでなく彼の後進たちが筵旗を押し立て武家政権と戦ったことをどう見ているのだろうか。
「行くも地獄、進むも地獄」
と、これは俗人歴史ファンの妄想。

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