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2007年11月29日 (木)

猶不知足 〜風の果て

正義の人、悪の人という言い方がある。
これは甚だ極論的な言い方で物事の真実を表してはいない。
人はさまざまな環境によって義と悪を使い分けて生きてきている。
ある人には、義が悪と映ったり、悪が義に見えることも決して珍しくはないし、それらを判断することに悩んだりするほど。
なにを基本に判断すべきか。

これは単なるドラマではなく、政治家のひとつの形を示している。
佐藤浩市演じる桑山は、いよいよ主席家老に登りつめたが、それと引き替えに友情を軽んじてきたという人たちがいる。
が、彼は友に友を斬らせたことを今でも悔やんではいるし、心の闇のひとつになっている。しかしそれと、家老になることは別の次元だという認識。
自分はあくまでも降る火の粉を払い、私心なく務めてきたと信じているのに、第三者はそうは見ない。自分自身を信じるあまり、そうした姿を自分への挑戦であると思う。
が、自らを第三者の目で見ればどう感じるか。
それがテーマのひとつかもしれない。
「だからといっていまさらどうするのか」
主席家老は苦悩する。

桑山を”かつての友”と言った野瀬は余命短し。
周りに別れを告げ、「みじめな人生であった」とつぶやく。
遠藤賢一の目は「友を斬った」という後悔そのものではなく、その事件に埋没してしまった自分自身への嘲笑を込めた哀しみにも見えた。
余命少なくなり、この世に未練もない野瀬のただひとつの希望は「友に斬られること」ではないのだろうか。
桑山は果たし合いに望む。
”さっぱりした顔をしていらっしゃる”桑山は、その野瀬の心に気付いたのだろうか。

権力、友情、初心....
彼らの人生と生き様が最終回に明らかになる。
桑山は単に第二の杉山忠兵衛だったのか。

http://www.nhk.or.jp/jidaigeki/kazenohate/

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