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2007年11月19日 (月)

舞坂から浜松へ 波小僧もいっしょだよ!

翌日曜は車で弁天島へ。
スタートはあくまでも「東海道」にこだわって、今切りの渡しなどは”歩かない”。
当日はJRのさわやかハイキングでもあったのか、多くの人が今切りの渡しを”歩いて”いた。

629086843_215 629086843_25 北雁木(きたがんげ)からスタート。
雁木(がんげ)とは船の発着場所のこと。
往時は身分によって3箇所の雁木が用意されていたらしいが、現存するのは大名用の北雁木のみ。
雁木を出ると、東海道がはじまる。
寄るつもりのなかった脇本陣だけれども、やはり見ていると入りたくなる。
廊下が中央に1本どーーーーんと通る草津本陣型式の建物で、部屋が迷路のようになっている二川とは違う。
ここであーだーこーだと係の人にからんだりして、30分ほど楽しんだ。
今切りは現代でも健在だということを知る人は、意外に少ないかもしれない。
古い建物は少ないけれど、宿場の雰囲気は十分に残している舞坂。
あちらこちらにしらすの幟があがっていた。

672696_3250665531 波小僧を撮影して、松並木をゆく。
せっかくの一方通行なのに、車が中央で歩行者が側道とは納得いかんなあ。
松並木が終わると、たんたんとした住宅地が続く。

馬郡に春日神社がある。
涸れ池が見え、変わった雰囲気があって吸い寄せられるように寄り道する。
弁天様かと思いきや、巨大な石板には「水神」の文字。
なんだ、水神様か。
入り口にある常夜灯には、「江戸小舩町 遠傳」の文字。
はて、遠傳とはなんぞや?
わからんままに出発。

さて、こんどはお稲荷さん。女子中学生が人待ち顔だが、かまわず中に入って、古めかしい鳥居を見て、遠傳の疑問が解けた。
遠傳とは遠州屋傳兵衛のことだったのだ。
柱に寄進者の名前がちゃんと彫られている。
こんなしょうもない発見が楽しい街道歩き。

629086843_223 もっと歩く。こんどは右側に洋風建築物が見える。
「お医者さんみたいね」
相方が言う。
うん、確かに医者。
撮影していると、鬼瓦にアルファベットが刻まれていることに気付いた。
洋風建築に鬼瓦を乗せるっていうセンスだけでもすごいのに、鬼瓦にアルファベット。
ズームで寄って撮影してみたりした結果、鬼瓦の文字が判明した。
MIZU...水...つまり火事よけのまじないだったのだ。
なんかすっげぇな、この建築主。
もうむちゃくちゃ(笑)
擬洋風ということばについて、「洋風というのは形容だから、それに対してさらに意味合いをぼかす「擬」のかぶせるのはおかしい」という説がある が、こんなセンスを見ると、そういう論争がとても意味のないくだらないことに見えてくる。それほど日本人のセンスって自由だったんだなーと思うしかない。

国道と合流した後は、市街地の道となる。見所はいくつかあるが、車の騒音に集中力は奪われ、歩く力をそがれる。
それでも
諏訪神社近くの用品店で東海道てぬぐいを見つけたのは大発見だった。
「東海道 浜松宿」の文字がうれしいが、まだ浜松宿まで半里はあるぞ。

成子坂を上がると、そこが浜松宿。
なんの面影もない場所に「○○跡」の看板がたくさん立つ。
けれどうれしかったのは成子坂の「濱納豆」の看板だけ。。。

寒風が抜き荒れた浜松はただの大都市。
いくら東海道が駅の北を進んでいても、鉄道に乗って帰るしかないのだ。

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