写真にみる日本民俗の近代化
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↑を見ていて思った。
風俗に於ける日本の近代化っていうのは、各部門によって違ってます。
町家などは江戸初期から明治初期はそれほど変わりない。
内部構造や技術の発達による進歩はありますが、日本の風景としてみた場合は大きな違いはありません。変わりないといってもあくまでも従来の風致・環境をいかしたものであるということだけなんだけど。
時代は下る。
明治政府が西洋文化を積極的に取り入れる姿勢を見せ、銀行、諸官庁などの建物が西洋化されていきます。先進的な地方では、西洋文化を見よう見まねで取り入れ、和洋折衷のいわゆる「擬洋風建築」を生み出されていきます。
それによって風景は変わり、沿道の家は新建材による建物に変わっていきます。都会と同じように、密閉された家でエアコンによる空調で快適環境を得る。
ところが家を巡る環境というのは変化がないわけです。
いわゆる「うなぎの寝床」で、間口は狭く奧に深い。
このうなぎの寝床に入ったときいつもながら不思議に思うのが
意外と空気がよどまないということ。建物りの構造自体がまるで四阿のようで、四方のうち二方はほぼ開け放ちてある。こんなことで空気が動くのかと思うんだけれど、町の中が無風でも、家の中にはわずかな空気の動きが生じている。
屋根裏
の空間が断熱材になり、太陽熱を室内に伝えにくくしている上に、屋根材も微妙に熱い空気を藁の間にとどめているかもしれない。
なぜそうした造作が発見されたかはよくわからないけれど、地域の風土に合った作りであることはまぎれもない。
交通部門は、それに比べると後れを取ったと言えるかもしれません。
なにしろごく最近まで旧街道の風情がほぼ江戸時代のまま残されてきたのですから。
人々が踏み固めて黒光りしていた街道は轍に取って代わられたりアスファルトで舗装されたり。
鉄道が整備され、五街道がその機能を大きく変えていった時代は昭和40年前後からなのかもしれないと思うのは、当時の写真が数多く残っているからです。昭和40年といえど非舗装で松並木が残っていた箇所が多くのこっていたのではないかだろうか。
せっかくその時代に生まれついたのに、気付くのが遅かったのは返す返すも残念。
NHK街道てくてく旅の新作は奥州路&日光街道だそうだ。
よつもとなおみというとてもスポーツ選手とは思えないかわいらしい女の子が歩く。
奥州路は白河までだけれど、それ以北はなんて呼ぶのかしら。
ちなみにおねーちゃんは仙台まで歩くようです。
勅使河原嬢で味を占めたなNHK(笑)
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