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2007年7月

2007年7月31日 (火)

バカなはなし

洗車から戻ると家人が知人の自動車屋の話をしていた。
「あれは昔からよう働いとったでな」
「子供たちも名大出とるし、前はトヨタディーラーに勤めとったし」
「人の倍働かな金は貯まるらん」
「うちは全然あかんな」

こんなバカな親と同居したくないんですがね。
毎月クルマが買えるくらいの収入がありながら一人に1/3を給料として支払っているから金がたまらんのでしょ。
ものさしでなぐらなければ引き算ひとつ教えられない人間にバカだなんだと言われたくないもんですな。
「今ならあんたらは間違いなく児童虐待で逮捕されとるな」とまではよう言わんけれど。
身近にいる人間がこれだもん、世間の人間がばかにみんなバカに見えるのはしかたないよね、みのさん(笑)

Cさんがうらやましい。

家庭内避暑

てめ〜の部屋があまりにあまりに暑いので、熱帯魚様の部屋に避難しています。
AirMacなのでPowerBookをもちこんでアクセスすることも可能ですが、帰宅して洗車したためそういう気力が残されていませんグ−グ−
いま何をしてるかってぇーと、仰向けに転がって携帯でこの文章を書いているわけです。ちゃんと音楽聞きながらね。
便利な時代になりました。

ほな。

2007年7月30日 (月)

週末まつり三昧

514006418_248 金曜日、仕事帰りのその足で円頓寺七夕まつりに行った。
アイリッシュパブでうまいビールを飲んでから、七夕飾りを見て商店街を闊歩。さらに商店街内の寿司屋さんで酒浸りとなり、午前さまとなって帰宅し2時頃寝た。

翌日平常通りに現場へ。
あまりのしんどさに死にかける。
が、それでも夜8時から津島天王まつりを見に行く。
人手もかなりすごいが、まきわら船はたいへんきれい。
終了後はまきわら船の改装風景を見る。提灯を提げていた設備を取っ払い、翌日の朝まつりに備え、新たな仕組みを載せる作業である。
15mもある主柱を降ろすシーンは、圧巻であった。
その後、神社で神事を見て帰る。
拝殿で雅楽が演奏され、しずかな境内が神々しさで満たされた。

514006418_152 514006418_251 日曜は朝祭り。
改装されたまきわら船が能をテーマとした人形たちを掲げながら天王川公園に入ってくる。佐屋からやってきた市江車(車といっても船)からは下帯一つの若者が池(川)に飛び込み、泳いで津島神社を目指す。彼らに続いて稚児や案内人たちが、列を成してお旅所にわたましあったご神体を津島神社へと戻す。
銭湯は案内人の天狗。
雅楽隊がそれに続き、ご神体である、御神輿がやってくる。
その中には素戔嗚尊(スサノオノミコト)の魂が乗っているのか。

一通り眺めて昼食を取った後は、名古屋城へ。
時間がないので、撮影スポットのみを回った。

またまた津島市内へ戻って市内散策。
途中で山車の世話をしているおじいさんと出会い、いろんな話を聞く。おじさんの話はとても長いが、祭りに関する話など、始めて聞くものばかりで大変に興味深い。市史としては疑いを挟む余地があるというが、こうした話の蓄積が歴史を後支えし、町の深みを増していくものだと思う。
まつりと同様だれかが継承していかなければならないものだろう。
「自分の代でやめるわけにはいかない」

5月に名古屋へ移転したと聞いた料理屋さんに明かりが灯っていた。
ここは津島の郷土料理を信長御膳と称して食べられる店だった。
詳細を訪ねたら戻ってきたとか(笑)
事情は知らんけど、これは思いもよらないGood Trouble!
メニューも見ずに「信長御前できますか」と
聞いてみる。
祭りの日しか提供されないメニューだ。
津島麩、れんこん、もろこ寿司。
普段は予約が必要である。

とっても濃い3日間でした。
二日間天王まつり次第をみて、津島神社の歴史の深さ、本当に偉い神社だということ、それに地元との密着性を感じました。
普段はほとんど人がいない神社境内は人にあふれ、雅楽の生演奏まで行われる神社はそうそうありますまい。
そしてスサノオくん、お疲れ様でしたっ!

2007年7月26日 (木)

選挙だよ、全員集合!

民主と自民が接戦だそうで。
それがどうしたの?
なにが「おもしろい選挙」なの?
自民が民主に変わったって何も変わるわけないでしょ。
民主は自民党内から分裂しただけなんだから。

政権交代?
あはは、笑わせちゃあいけない。
選挙に行かないやつが6割を越えている国で、保守の二大政党なんてどんな意味があるのさ。
たとえば清廉潔白になるかもしれないという期待を言う人もあるけれど、それがどうした。政治家に一番大切なのは清廉潔白なことなのか、と質問してみたいもんだ。
政治家は何か事を為すべきなのだよ、チミ。
金の問題は二の次やろ。

それをおもしろおかしく「アンケート」という形であおり立てているマスゴミもクソやね。
マスゴミマスゴミマスゴミ!

軍隊を海外に派遣に派遣しないという大変大きな問題に対して、選択肢のない「二大政党」なんてクソ食らえですがな。

「この選挙で勝てなかったら引退する」なんてバカみたいなことしかか言えないヤツ。
「この国の将来に責任を持つ」とほざく宗教党。
みんないらんわ。

ネットで見た一例。
「民主にやらせてみりゃいいじゃん。けどそれは支持者の責任の範囲内で」だって。
その前に自民が行ってきた政治の数々を総括してくれよ。
もう少しものを考えられないのかねぇ。
物事をうがって見ることができない からこういうことを言うんだろうね。これが日本の民主主義の実情さ。
笑ってくれ、血で民主主義を勝ち取った人々よ。

ゴミばっかりが渡辺福三設計の建物のなかでうずたかく積まれている。

2007年7月25日 (水)

Golden POPS(by Deagostini)のゆくえ

このシリーズも佳境に入ってきました。
当初予定で全60巻、最新が48。あと12巻24週で終わり(の予定)。
49巻までそろった現在、480曲/22時間/1.25GBに成長した。

最新48巻は、久々にメジャーヒットが満載。

Saturday Night/Bay City Rollers
Sky High/Jigsaw
That'The Way(I Like It)/KC&Sunshine Band
It Only Takes A Minute(愛のディスコティック)/Tavares
Have You Never Been Mellow(そよ風の誘惑)/Olivia Newton John
Coming Home/Glenn Campbell
Love Will Keep Us Together(愛ある限り)/Captain&Tennille
Hustle/Van McCoy&Stylistics Orchestra
Can't Give You Anything(愛がすべて)/The Stylistics
Sister Golden Hair/America

すごいぢゃろ!
S-A-T-U-R-D-A-Y Night!とみな叫んだもんじゃ。
わしゃ加藤君と山本さんに引き込まれたね、ローラーズの世界に。
「迫力がない」とあくまでビートルズに固執する小柳津くんはも「Rock'n'Roll Love Letter」はお気に入りだった。
レコードを貸しあってたのもこの頃やなぁ。

Sky Highなんて中学生でも口ずさめる曲で、運動会でも歌われたもんだ。当時ミル・マスカラスというやつが、入場曲に使ったからヒットしたというが、そんなやつは知らん。
中学生でも口ずさめる歌詞がよかったのぅ。

その後もすごいぞ。Have You Never Been Mellowなんて春になると必ずラジオから数回は流れるし、Hustle、Can Give You Anythingあたり、ディスコブームだった当時、知らない者はなかったな。
伊藤秀志司会で「ディスコでフィーバー」という番組があったのもこの頃。
踊れなかったけど、歌は大好きだった。
この頃からすでに洋楽にはまりかけていたから、この48巻は、まさしく天茶世代には「青春の歌」なのだ。

GoldenPOPSの発行順序から慮るに、この先も続きそうな気がしないでもない。淡い期待だけど。
希望は1985年くらいまで。
このシリーズはいいシリーズだなぁ。
買い続けてよかったなぁ。

2007年7月24日 (火)

続・7/22の日記

休憩終えて国道一号線と関西線を陸橋で越え、大岡寺畷を通る。
大岡寺畷って何を意味するか知らんけれど、今でもとっても風情あるいい景色です。
道は片道一車線のまっすぐな舗装道路だけれど、彼方には山が見える。草木が茂りたい放題茂っている鈴鹿川が流れていて、西へ行くにつれてきれいな弧を描く。
沿道には松に代わって現在は桜の木。
鈴鹿川を渡る神辺大橋に桜橋。
にっくきは名阪国道と伊勢道の高架である。
せっかくの風景をつぶしてしまっているのが大変に残念である。
鈴鹿川沿いの道を鼻歌まじりに歩く。
夏日の下、ただひとり歩く。
なんかとっても楽しい^^
行き着くのは国道一号線だが、すでに関宿の入り口は見えている。

久しぶりの関宿。
ワクワクしながら歩むが、人っ子一人いない^^
祭りは町並み保存地区で行われるようだから、この地域は関係ないのか。でも家々には「獻燈」のちょうちんが。
山車(関では「やま」と呼ぶ)は来なくても、関の人たちはまつりに参加してます。

ハードディスクのクラッシュで関の画像がすべて飛んでしまったので、改めて撮っていきます。
そうそう、「男」「女」とガラス戸に書いてある洋風のお宅の住人の方も表へ出ておられました。清水の舞台から飛び降りたつもりで、聞いてみた。
「お宅は昔銭湯だったのですか?」
ビンゴ!
品のよさげな奥さんが「そうですよ」と。
これで胸のつかえがひとつおりた^^

あとは祭りじゃw
ナガヲ薬局さんで一息入れ、再び町家に出没。
街道情緒が濃く残る新所へと向かいました。
ここは店がないので、ほとんど観光客が踏み入れませんが、軒の伸びた町家が連続していたり、高さの違う軒が乱雑に連続していて、被写体として大変におもしろいのです。
太陽光線とのかねあいでも違う表情を見られる、とても魅力的な場所。
多くの家が玄関を開け放ちている。
時にはおばあさんがいすに座って通行人に声をかけていたり。
そういえば子供の頃、辻におばあさんが立ってて「こんにちは」とか声をかけてたな。ここ20年ほどそんな姿は見たことない。
おばあさんがおばあさんでなくなってしまったか。
社会の潤滑油でもなく、ただの不要品に扱われてしまっているのか。
このおばあさんに二度もあいさつされたよ。
きっとこのあたりの言葉なんだろうね。
文字として言葉を捉えることはできなかったけれど、「よく来てくれました」という意味合いのことだったと思う。
方言という言葉は大嫌いだけれど、上町言葉が絶滅寸前の名古屋より、よほど血が通った町に感じられるのは気のせいか。それとも都会の空気に犯されすぎた証拠か。

新所では玄関先に四角いぼんぼりのようなものが置かれている。
すぐにはわからなかったが、これで街道をライトアップするんだそうだ。東海道を照らすぼんぼり。
立派なものは50cm角で、広重の絵入り。
電源は各家々から引かれている。

あとはまつり。

2007年7月23日 (月)

7/22の日記

夕方から関のお祭りを見に行きました。
それでもただでは行かない。ちゃんと亀山宿から関宿まで街道歩きを入れてみました。
昨日は宮から有松、今日は亀山から関。
まさしく東奔西走であります。

亀山宿といっても、JR亀山駅から北上したところから歩き始めました。これがいかにもな旧街道。
現代風な建物に、江戸時代の屋号札が掲げられていて、繁栄のあとが偲ばれます。ほぼ一軒残らず掲げられているという徹底ぶりは感動に値します。
駅や郡役所への道標、枡形など見所たくさん。なんかうれしくなっちゃうです。間違いなくにやけてました^_^

506935380_55 506935380_18 西の出口は広重も描いた京口門跡。かの絵が描かれた風景が目に浮かびます。
そして同時期の写真も関の玉屋資料館かどこかで目にしました。
感動です。

坂を下って左側に休憩所。
かき氷、ビール、軽食の看板があり、そそられましたぁ。
しかもこの家は旧家で、すべての間口が開放されていて、涼しそう〜。
でも歩き始めて十数分でビールを飲んどってはいかん!と自分を叱りつけて涙をのみました。
飲むならやっぱりビールだよ。

506935380_130 そして野村の一里塚。
植えられたのは椋。
大きな木に成長しているので、遠目に一里塚だとわかるほど。
まるで鷹がエサをつかむように、椋の木の根っこががっしりと塚全体をつかんでいる。
先に見た笠寺一里塚もなかなかのものですが、野村は塚全体が高いので、より立派に感じます。

この先、布気皇舘太神社で道にまよったんですわ。
で、道を調べるべく座り込んで汗を拭いてたら、後続の街道歩きコンビがやってきた。たぶん、ぼくのあとをついてきて、そのまま進んだんでしょうな。あたしは道路の向きがあまりに携帯した地図と違うために携帯のGPSで位置を確認した。
案の定、新しくできたと思われる道を歩いておったのです。間違えたのは100mほどなので、すぐに戻りましたが、おじさんらはそのまんま行ってしまった...
あなたたちの歩いたのは東海道じゃないです。
ごめんね、おじさん^^;

しばらく行くと国道1号と交差。
ちょうどレストランがあったので、ビール休憩です。
1杯目でのどを潤し、2杯目でくうーーーーっと体温が下がっていくのが体感できる。3杯目で汗が引いていく。
あぁ、生き返った...

2007年7月22日 (日)

今日は晴れたねぇ、みごとに!^^

これは明らかに雨の神様が遠慮したね。
昨日の予報では日曜日も雨だった。

昨日東海道を歩いてたとき手ぬぐいをゆすごうと、呼続の熊野三社に寄った。
「今夜盆踊りやるから来てね!」と突然声をかけられた。
そういえば中央に櫓が組んである。
でも...その時霧雨が降ってきた。
けっこうたくさん。

「あぁ、夜はたぶん大丈夫でしょ、できる!」と。
「明日はいい天気らしいから、もっと大丈夫だから!」
でもこの時点でウェザーニュースは雨だった。
なんでこのおじさんこんなに前向きなんだ?(都合の良い解釈とも言うw)
ところが、今朝の晴天だよなー。

今日は熊野三社だけではなく、あちらこちらで夏祭りがあるようだ。かく言う天ちゃも亀山の関宿へ”関の山”を見に行く。
そういったもろもろの七百九十九万九千九百九十九の神様たちが、わずか一人の雨の神様を説き伏せたんだろうね。
「わしらのまつりで雨を降らせるなぞ、許さんぞ」と。
「月夜の晩ばっかりじゃねぇぞ!」と脅したかもしれない(笑)

ふふふ、雨の神様の負け^^
今頃天空の端っこでいじけてるんじゃないか。
まぁいいやん、今年は梅雨にしっかり仕事したから、今日はゆっくりしときなさい。

2007年7月21日 (土)

7/21の日記

くもり時々雨。
比較的涼しい一日。

505056507_157 505056507_18 寝過ごしたこともあって、午前中はぶらぶら。
手ぬぐいのことなど考えていたら、どうしても有松へ行きたくなった。
向かった先は宮。
東海道最大の宿場、宮から鳴海を越えて有松宿まで歩くのだ。
ここは車で何度も通ったことのある区間で地図さえ不要。
それだけに道のりが読めてしまっているが、やはり徒歩での移動は車や自転車とは違う印象をもたらしてくれます。
いつもの町並みなのに、わくわくしながら歩いてました。
意外と国道や主要道路から外れていることも吉ですな。

鳴海宿はそのまま商店街になってしまって、それほど風情が残っていないのに、有松はかなり濃く残している。
20年ほど前の有松はもっとくすんだいろの町で、それなりに江戸時代のにおいがしたものだが、現代はもっとずっときれいになっていた。実はこの町に来るのは20年ぶりくらいのはず。
これを観光地化というか、「町並み整備」と呼ぶかは人によります。

その有松で、絞りの手ぬぐいを買った。
おばちゃんに有松絞りの話を聞いたりしてるうちに1時間以上たってしまった。
書けないような話も、古い産業故の話も、たくさん聞けました。

「真剣に聞いてくれる人はなかなかいないですよ」
と言われたけど、ただ頷いていただけですっ(汗)
でも話の大半は覚えてますから、参考にして、また有松を訪れることにしようと思いながら、有松駅から電車で神宮前に戻ったのでした。
徒歩4時間のところ、電車は10分/290円。
名鉄さん、ありがとう(笑)

急ぎ帰って飯を食い、F1ヨーロッパGP予選を観戦。
ルイス・ハミルトンが車両トラブルで事故ってしまった...
彼には悪いが、ここはゆっくり休んでもらって、デ・ラ・ロサに引退の花道を飾らさせてやってくれたまい。
去年もデ・ラオヤジは速かったんだぉぉ!

寝過ごしたよ〜

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う〜ん、今日は四日市へ行く予定だったのに。
先に桑名−四日市を歩いた時に、もう少し歩を進めておけばよかったな。

明日日曜は、亀山市の関まで「関の山」の語源である関の山車を見に行くのだ。
何度も行ってる関だから、街道らしく東海道を徒歩で関入りするつもりだった。四日市から関は25km以上あって疲れてしまうため、今日と明日で13kmずつ分けて歩こうと思ってたのに。
起きたら10時過ぎてた(哀)
でも明日は庄野(JR加佐登駅)から関までは歩く。
明日の天気予報もよくはないけれど、午後からは上がりそうだ。

ところで、関宿からはふたつの街道が分岐していました。
東の追分からは伊勢街道、西の追分からは大和街道。
このうちの東追分を、広重が描いています(隷書版)。
絵に描かれている巨大な常夜灯は今もその姿のまま。
鳥居もそのまま。
広重は雪景色を描いているが、もし雪がアスファルト道路を覆ってしまえば、現代に140年前の風景が蘇る。
関に雪を(笑)

木曽路北端の旅 奈良井→塩尻 (6)

そば屋を出て再開。
ビールが心地よく体を酔わせている。
昔の街道では、酒がおいてある茶屋もあったそうで、昼間から飲むのが普通であったらしい。
「昼間の酒」がタブー視されるようになったのは、一体いつの時代からだろう、と酒好きは目を三角にしてみたりする(笑

セブンイレブンで国道としばしの別れ。
左へと入って農村地帯をゆく。
左は一面の水田で、その向こうには山を背景にした奈良井川がある。
険しい木曽路をあとにした感慨がわいてくる。
平地が広がる姿は木曽路をイメージするものではない。

道は右に左にと緩く弧を描きながら次の洗馬へと続く。
中央線のガード下では枡形だったような急カーブになる。
さらに急な坂になる。
ここでちょっと右に寄り道。
言成地蔵だそうで、その名前がおもしろい。
これも坂を登った上にあり、なかなか風情あるお堂。
賽銭を入れて空拝む。
「足が良くなりますように」
近頃願いごとはこればっか。
たまにゃ嫁さん欲しいと言わないかんのに(笑
そして洗馬宿に到着。

高札場があったり、昭和初期っぽい建物があったりなかなかいいぞ!
本陣、脇本陣などの標柱も整備されていて、力を入れてるさまが伺える。

504262603_151 洗馬宿の入り口には枡形があって、かなり急な坂が入り口にあったり、宿場全体も坂の途中にあるような宿場だったらしいが、和宮降嫁、中央線開通な どの折々に、道路の拡幅、勾配の緩和工事などを施工して現状のようになったそうだ。このネタは沿道にある文房具屋さんでいただいた地元の有志によって編集 されたパンフレットによって知った。

504262603_130 洗馬宿出口は現在二股になっているが、明治以前は西善光寺街道側へ200mほど行ったところを右へ折れるのが中山道だったそうだ。
現在の追分は昭和の大火以降の中山道だそうな。もちろん知ったからには、正しい中山道を歩くべきである。
いにしえの常夜灯から右へ曲がり、追分から来た道と合流する。
どっちへ行こうが大差はないのだ^^;
これもパンフレットのおかげ。

504262603_228 邂逅の清水という井戸がある。
源義仲が今井某と出会った場所だという伝説がある。
義仲の馬の足をこの清水で洗うと馬が回復したというのだが、それが洗馬の地名の由来のひとつだとも。
民家が上にあるし、コップも置いてないからおそらく飲用不可ということなのだろうけど、少しだけ手にとってなめてみた。
んーやっぱりいい水だぁ!
そしてあせもだらけでかゆい腕を突っ込んでみる...
うぅぅぅ冷たすぎて、10秒といれていられない!
頭からかぶったり、体を拭いたりして、天にゃんも甦った^^

この洗馬に地元の人が昔から使っていた裏通りが
中山道と平行して通っている。
国道に対する地道のような存在ですな。

中山道に戻る。

昭和の新道と旧道の合流点に幽斎肘懸けの松がある。
勾配を上って行くとまた国道がやってきたぞ...

2007年7月19日 (木)

高齢社会でも...

きのう、いつものように防水作業してました。
ひさしの上でペタペタとウレタンを塗ってました。
住民のおばちゃんが家からよたよたって出てきたので、あいさつした。
「おはようございます」
「暑いのに大変だねぇ」
「今日は陽がないからまだ楽ですよぉ」

うちの作業員(家族だ)は住民とほとんど話すことがない。
顔を合わせてもあいさつしないことが多い。
つーか、住民の方が挨拶したがらないケースが圧倒的に多いのだけれど。
こと、市営住宅になると話が違う。
お年寄りが多いんだなー。
子供たちはみな巣立ってしまって、老夫婦がふたりきりで住んでいるというケースがままある。

あたしゃ、おしゃべりだ^^
人の話を聞くのも好きだし、人に話すのも好き。
ただし、人の話を聞かないヤツとは話したくないが。

昨日はおばちゃんと15分くらい話してました。
暑いだの寒いだの。
建設関係の人は一見するとよくないけれど、気のいい人は少なくない、とか。
「この間壁の色を塗ってくれた若い子たちはよく働く子だったよぅ」
「あたしね、年寄りだから。体力ないで、毎日こういうの飲んどるの。」
とリポビタンゴールドをくれた(笑)

お年寄りでもしゃべることでストレスが解消される人、少なくないだろうなぁ。
自分でもなんかできることはあるんじゃないかなあとちょっと思った。

2007年7月18日 (水)

お茶目な赤城さん

まじめなのか、なんなのかようわからん人でんな。
大臣といえど、別に農林水産業に精通しているわけではない、員数合わせの大臣など「大臣なんですから」(byマスゴミ)と持ち上げる(爆)こともないわけです。
真実などまったくどうでもいいんですけど、言わないならこっちで勝手に想像してみようということで。

今回のお題。
赤城徳彦農林水産大臣の絆創膏の真実を想像しよう!
であります(爆)

2007年7月17日 (火)

素浪人・月影兵庫

おっ
男前だねっ!
この絵十四浪!←ATOK2006は近衛十四郎を知らんか
いや、その息子、松方弘樹!
芝居の善し悪しなんぞどーでもいいっ
エンディングの殺陣はしびれたぜぃ!
くるりくるりと身を翻して敵を斬る。
時代劇全盛だった頃、市川先生(右太衛門)、片岡御大(知恵蔵)それぞれ殺陣に個性があったという。
今の時代それを求めるのは、もう松方弘樹と、北大路欣也くらいしか思いつかないようになってしまった。
その松方の殺陣。
あの殺陣を見られるなら来週も見るよ。
考証はボロボロだけど、見るよ。
カッコ良すぎだもん。
それと..東映なんだから福原の先生を忘れずに出せ!

松方バージョンの月影では、焼津の半次を小沢仁志という役者が演じているが、彼を見てわたしはすぐ思い出したぞ。
いにしえ、これを演じたのは品川隆二だった!
子供心にわずかに残る記憶の中に、近衛十四郎と品川隆二の連れだった姿が残っているのだ。
そしてこのドラマのナレーションが品川隆二^^
粋だよねぇ、東映さん(^^)v

2007年7月16日 (月)

とうもろこし

今年もとうもろこし取れた。
ことしも市中もとうもろこしより甘くてうまい。
でもカラスにたくさん食われちまった。
やっらが食ったあとは黒く変色してしまっている。
「カラスが食うとなんでか実が黒くなる」とは 製作者の言。
そう、わしらはカラスの食べさしを食わせていただいているのです。

ヤタガラス タマケリだけではあきたらず
我が家に来たりてトウキビくうたり。



ぶーーーーーっ!

2007年7月15日 (日)

いいものみつけた!

郡上へ行ったよ。
で、買ったおみやげふたつ。
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これがハンザのストラップ。
ハンザってたぶんハンザキの転訛だと思う。つまり、オオサンショウウオ。
オオサンショウウオって大好きなんだけど、なかなかグッズ化されていないのね。おまけに単純なひもで携帯につなぐタイプだから、じょうぶいしぃ。もう飛びつくように買いましたよ。
ハンザの表情も、胸に付けてる花もかわいいよね。

672696_1066689327
「見ながら踊れ」
郡上踊りの一つをデザインしたてぬぐいデス。
キャラクターがかわいい!
郡上踊りに行くかどうかはわからんけど、とにかく買った。
さて、これを使うかどうか、それが問題。
てぬぐいだから、使ってナンボだよねぇ。

2007年7月14日 (土)

木曽路北端の旅 奈良井→塩尻 (5) 本山宿

497139595_216 497139595_157 中央線を大きく越えていく高架道路を右に見送って、側道をぺたぺた行くと、ほぼ道は行き止まり。歩行者のみの道路となって中央線を渡り、19号と合流する。
またまた辛い国道歩きではあるが、すぐに本山宿入り口がみえていて、励みになる。
渓谷の南の崖に形成されたような本山宿。
なぜか川側に多く古い家屋が残されているが、おそらく山に向かって道路を拡幅した結果なのだろう。またここの古い建物は大変に特殊な作りで、いままでみたことのない建物になっていた。
497139595_6 最初に目にしたときは問屋場かと驚いたが、どこの家も同じつくりであるから、そうではないらしい。
入り口はほぼ中央にあり、半分は一段高くなって住まいらしいが、片側は、道路とほぼ同じ高さとなっており、間口には室内と同じように板がしかれている。
見たままでいえば、車庫の入り口だが、本来はなんのためにこのような構造にしたか。大変に興味深い。

672696_4192692315 自販機前に座り込んで、ジュースで一服。
時間はちょうど昼であった。
本山宿を含むこの集落は大変に長く続く。
国道との合流地点に石仏群。

国道に出ると物流センターなどの大きな近代設備が目に付く。
それらを相手にしたものか、そば屋発見。
そういえば近代のそば切りはここ本山宿で始まったとか。
宿場内の外れにも、そば屋があったっけ。

早速とビールとそばを注文する。
さすが本場といおうか、そばのいい香りがする。
そばと同時に豆腐も手作りだそうで、寄せ豆腐みたいなものも出されて、ビールが弾む(笑)

1時間の休憩の後、再び歩き始める。
休憩すると足が痛くなるのはなぜだろう。

2007年7月13日 (金)

七両三分の春駒

郡上へ行きたくなってきたよ。
「北海道です」
「奄美から」

そんな遠くからも来るのか。
瀬戸内海から踊りに来るのも何の不思議はないってことか。
例え河原にテントを張ってでも!(笑)

♪しちりょうさんぶのはるこま はるこま

とにかく風呂に入ろう^^

舞妓Haaaan!!!

おもしれーっ!
何も考えるな。ただ楽しめ。

駒子役の小出早織がただひたすらかわいいね。
京野ことみもきれいだったわ。
ふたりに比べると柴崎コウの舞妓はバケモンだ!
サダヲちゃん、「かわいーー」ってそれは大人のお約束なのか(笑)
堤真一はすっかりこのたぐいの役が板に付いてしまった。
他にも故植木等がいい味出してたなぁ。
都々逸くちずさみながら花街を歩く年寄りってかっこいいよ。
杖を「ステッキ」と呼ぶ舞妓の心遣い、それをさらに「そうか、わしはステッキ(素敵)かぁ」と投げ返すセンス。ちょい役だけれど、いいねえ。

ちなみに劇中で阿部サダヲがも持ち歩いていたデジタル一眼はCanon 30Dでしたな...

496260297_201 画像追加しました。
駒富士さんが練習すべき建物はこれですが、ロケ地はここじゃないかも。
京都市庁舎はじめ、気になる建物もいくつかありました。
メインのロケ地は金沢らしい。。。

追伸:
これで津島のTOHOシネマ、1本無料招待なんだけれど、すごく得した気がする。だって1本として規定料金払ったことないもん。大半は土曜の深夜で1200円。還元率17%とは以上に高いぜよ、TOHOシネマさん!w


ほなハート

2007年7月12日 (木)

東海道に関する2冊...滑稽本とは漫画である。

長雨に飽きて、本屋をのぞいてきました。
子供の頃に一度読んだことがある、東海道中膝栗毛と、広重の画集を買いに。
ありましたありました!
広重の画集はとんでもないとこにあった。
なんで日本地図の隣なんだ!?
いくら出版社が地図の出版を生業としているとはいえ、これは地図ではないだろう。
そんなわけで買った「広重の東海道五十三次旅景色」
もう一冊は...
東海道中膝栗毛。あるにはあったけれど、古典に類されており、古典文学全集の中にしかみつけられなかった。
この本の値段ときたら...Y(>_<、)Y

普通の本と違って文章は原文のまま、細かに注釈が付けられているというもの。
原文のままということは、江戸時代の日本語がそのまま載っていること。
清水の舞台から飛び降りました、アタクシ。
カウンターで値段を聞いたとき、涙が出そうになりました。

帰宅してすぐ「発端」を読み終えた。
これを子供向けに書き直した作家は大変だったろうな(笑)
弥次喜多はロクでなしじゃん!
過日、草津から大津へ向けて東海道を歩いた時、相方のひろっちを「きたさん」と呼んでいたが、自分をきたさんになぞらえなくてよかったよ(苦笑)。

いやぁゆかいゆかい^^

大荒れの天気

今週はすごいですなぁ。
月曜に天気が良かっただけで、あとはずっと雨。
たまにやみ間があるけど一時間と続かない。
おもに深夜に降らないのは、気温の関係なのか。

もう水曜からずっと雨。
予報では明日の天気も雨。
ウェザーニュースは100%の降水確率を出してる。
そして明後日も雨。

ウェザーニュースのメールサービスを受けているが、朝から一杯メールが来る^^
雨降りアラーム、雨雲アラーム、ウェザーニュース朝刊、警報メール、台風情報....
そのたびにゴジラが吼えるわ(笑)

2007年7月11日 (水)

木曽路北端の旅 奈良井→塩尻 (4) 桜沢

贄川駅を過ぎ、しばらくは悲しき国道歩きになる。
旧道を懐かしむ気持ちで、自然早足になってしまう。
道は前述した谷から上がってきた道が国道を横切る地点から左へと入る。
左へ曲がれば急な坂になっている。
息が切れるが、国道と離れたうれしさでにやけている。
急なカーブを右に曲がり、ひとつをひとつ上り終えると、先にヘアピンカーブが見える。
民家が2軒。
一軒は新建材による家、もう1軒は二階建ての木曾の家。
ヘアピンカーブは軽い上り勾配で、てっぺんに道祖神がある。
このあたりは中畑という集落らしい。
左側は一面の畑、右は民家が並んでいる。
水場もあるが、これはさすがに飲めそうな雰囲気ではない^^

494081108_93 旧道歩きはすぐにおわってしまって、また国道が合流する。
またまた奈良井川を渡って桜沢集落に着く。
いよいよ尾張藩の北端へ来た。
集落自体歴史的な香りはするのだが、桜沢地区の中山道は現19号線ではなく、山の手の道である。明治帝休憩碑から山には入って、10分ほど山中を彷徨う。
入ってすぐに馬頭観音が旅人を迎える。
やはり、中山道は山の中の道。まるで仙道(そまみち)のようだ。
畑を左におれて19号に戻る。戻ったところにちょうど「是より南木曽路」の石碑がある。この位置にあることは偶然ではなく、もともとこちらの道沿いに設置したところへ19号が通ったということであろう。
494081108_4_2 ここには休憩所が設置されているので一服していく。
持っている地図によると行程の約半分を歩いた。
時間には余裕があり、朝方買った非常食をここで食う。
そして水筒に詰めた奈良井の水も飲んでみる。
ひゃーっ!
まだ冷たい!
いにしえの旅人も竹筒に詰めた水を飲みながら歩いたんだろうなぁ。

494081108_40 また国道歩きになる。
深い谷で奈良井川を渡って日出塩への旧道に入る。
19号は高架をで右へ去っていく。さいなら〜っ!
日出塩の旧道は旧国道とあって道幅は広いが、人っ子一人いない。
右側に筆塚、道祖神が固めておいてある。
宿場ではなかったせいか、古い建物は一切なく、ただの静かな山間の町であった。
町の東の外れには神社の幟を立てる棒がたっているが、その土台の石には「戦勝記念 昭和十四年五月吉日」とある。
昭和14年て...
1年半も前の南京陥落のことを指しているのか?

2007年7月10日 (火)

木曽路北端の旅 奈良井→塩尻 (3) 贄川宿

493140315_247 軽い勾配を過ぎて、"旧枡形"であった地点を過ぎ、右手には国重要文化財・深澤家住宅が、左手には水場と道祖神などがある。
谷から上ってきたと思われる道がつきあたっている場所でもあり、宿場の中心部であったような雰囲気だ。
深澤家住宅主屋は嘉永七年の建築。
行商を行っていた家だそうだが、当主はなぜか関東に住むという。
家の前にはクルマが止められていたので、誰かが住んでいるものとも思われるが、そのために内部が公開されていないのかどうかはわからない。

493140315_85 水場で顔を洗う。タオルで顔を拭いていると、坂の下からおばちゃんがいそいそと近づいて、おもむろに入れ歯を取り出してブラシで洗いだした^^
おばちゃんは一番下の水で洗っていたが、入れ歯を洗うくらいなら飲めたのかもしれない。
そのは傍にはまたも津島神社。
津島神社人気は八幡様にも匹敵する。

672696_3545362633 493140315_85_2 広々とした宿場内を歩くと時折木曾らしい赤い屋根の建物がある。建物そのものは木造であるが、立派な建物で、学校などにも準じている。とはいうものの、それほど古い建物には見えないし、家族が住むような建物でもなく、用途不明である。
ちなみにJR贄川駅は歩いて10分ほどの距離、明治42年の開業だそうだから、建物の方が新しそう。
道は右へカーブし、国道19号と交差する。

その手前、分岐部に屋根に重石を乗せた平屋根の建物が見える。
「あぁ贄川関所だな」
中山道そのものは、左カーブではなく、まっすぐ進む。
この関所で入手したブックレットに載っている古写真には、古き中山道の姿、つまり「険しい山道状態」の中山道が見えており、その傍らに、この贄川関所が復元されている。今その道は拡幅され、アスファルトで舗装され旧情は失っている。

写真を撮るだけのつもりで近づいたものの、やはり近づけば中は入りたい。さっさと見て出てくればいいとの考えで中に入る。
内部は大きく4室に分かれており、検断所が並んでいる。
旅人は建物の外から検査を受けたのだろうが、その戸口が閉められているのでイメージがわかない。
係員のおねーさんは「なんでも質問してくださいね」というが、通りすがりには質問する知識がない。
窓口に並んでいたブックレット、「楢川の民話」と「贄川関所」の二冊を求め、関所を出た。
出たところで、関所と中山道を関係を知りたくなって、立ち戻った。
このおねーさんは大変な物知りである。たいていのことはすらすらと応えられるところはただ者じゃない。最初は単なる掃除のおばさんかなと思ってしまった^^;
関所の営業時間、だれも歩かなくなって、田んぼや林になってしまった谷沿いの旧中山道の話、関所があった本来の位置、贄川関所の具体的な使命や、福島関所との関係、最後には木材の質の違いまで解説してしまう知識の豊富さに脱帽。
結局見学している時間よりも、おねーーさんに話を聞いている時間が圧倒的に長かったらしく、1時間近くいた^^

中山道はこの復元された関所の脇を贄川駅へとすすみ、駅裏手から奈良井川への谷のふちへ降りて北上し、再び19号と交差して山側へと上るのだが、前述の通り、その区間は自然に帰しているそうなので、やむなく国道へと出る。
贄川関所から国道との間には中央線が堀割って通っているが、その10m程度のトンネルは煉瓦造りで大変に古いものだ。
おそらく開業当時のものと思われる。
しかしJRとしてはあれは隧道に分類されるのだろうか。

木曽路北端の旅 奈良井→塩尻 (2)

492943944_124 492943944_62 奈良井川を渡って国道19号と合流。
しばらく歩いて再び旧道に入ると、平沢の町がある。
ここは漆器で栄えた町で、木曽路では珍しかった工業都市のひとつである。
津島神社や道祖神、大木が西の端に固めてあり、町の入り口であることを示している。
町中はゆるやかなカーブを描いた中山道の両側ぎっしりに漆器店があり、どうやら繁栄は今でも続いているようだ。
町は意外と長く続き、果てたと思われるところで道は右には行って突然険しくなり、諏訪神社の前を通って役場の脇に出る。
諏訪神社には柱がたっていた。末社といえど、柱は立てるらしい。
はたにあった自然石を生かした灯籠もまた楽し。

しばらく歩けばふたたび国道19号と合流する。
合流地点には道の駅やセブンイレブンがあるが、早朝のこととて道の駅は開店前。セブンイレブンで非常食を買い込み、同時に景気付けのビールと豚串を1本...
朝のビールはうまいっ!

奈良井川を渡り、19号を左へと見送る。
長瀬は小さな集落だけれど、溝には水がほとばしっており生活用水に供されているような水場はいくつかある。水量は豊富で顔を洗ってみる。
たとえ飲料不可だとしても、冷たい水で一息つく。

492943944_188 国道に合流して中央線のガードをくぐり、押込一里塚跡に到着。
ここは3分岐。真ん中をゆくのが本来の中山道だそうで、あえてそれをゆく。家々の間を縫うように進んでいくと、「ここは中仙道」の道標が見えて、往年の中仙道の原型を見た思いがする。
中山道はこのまま坂を登っていって、再び19号に戻り、枡形から贄川宿に入っていったらしい。今日は時間的に余裕があるからそれを行こうとする が、道幅はあまりに狭いし、草はぼーぼー。大きな看板が行く手をふさぎ、国道から相当高いところまで上がっていくので、無理せずに一里塚まで戻って、中山 道が通っていたと思われる山の下に設置されている道を行くことにした。
中山道はどうやら尾根を通っていたようだ。
この中山道には津島神社がある。
かまぼこ型の石と社が並んで祀られているが、石に関しての説明は一切ない。ちょっと興味深いところではあるが、それを聞ける人も付近にはいない。

その迂回路をまっすぐ行くとそのまま贄川宿に入ってゆく。
おそらくこの道は明治以降に建設された道を、近世になってさらに拡幅したものと思われる。途中使われなくなった中央線のトンネルが口を開けていた。今は静かなこの地にもかつては列車の轟音が響いてのだ。

新しい住宅地を抜けて贄川宿に入る。
宿場入り口とおぼしきあたりにはやはり庚申塔と道祖神がある。

2007年7月 9日 (月)

木曽路北端の旅 奈良井→塩尻 (1)

492433393_115 約一月ぶりの奈良井宿、午前6時...

泊まり客とおぼしき客が散策している。
早くも開店準備をしている住民のひと。
家の前を掃除しているおばさん。
「おはようございます。お早いですね」
下町の井戸前で声をかけられた。
木曽路に恋する気持ちを見透かされたか。
「えへへ」と照れ笑いするしかない^^

492433393_11_2 井戸水をぐいっと一杯あおる。
ぷはーーーっ!
ビールじゃないって^^;
続けて2杯、3杯....俗に言う駆けつけ三杯か(笑)
甘くてころんころんとした水だ。
ミネラルウォーターを飲む習慣がない人には、カルキ臭のない飲用可能な水は不思議な飲み物である。
持参の水筒と、カラになったばかりのPETボトルにも水を詰める。
ちょっと生き返った心持ちがした。

予定では、塩尻まで電車で出て奈良井へと戻るはずが、あまりに早く着いてしまったためにそのまま塩尻に目指すことに変更。
1時間近くの待ち時間はあまりに惜しい。
人気のない奈良井の町を後にして、東を向く。
新聞配達が追い抜いていった。

前回訪れて以降に得た知識を以て、奈良井川を見た。
鳥居峠を分水嶺として、東へは信濃川水系の奈良井川として日本海に注ぎ、西へは木曽川となって伊勢湾へたどりつく。
木曽路の川は西へ向かうという先入観があるから、この奈良井川の向きは驚異だったのだ。ちょっと大げさに言えば常識を覆している。そんな気持ちで 見ていると、奈良井川は特別な川に見えてくる。小汚い印象の伊勢湾よりも、日本海に行けることは君ら幸せなんだよと水に語りかけてみて、「ばかじゃねぇ の」と一人つっこみをして唇の端をニヒルにつり上げてみた。
いや、アヒルじゃねぇ、ニヒルだよ。

2007年7月 8日 (日)

つかれた...

ふらふらでっしゃ。
夕べは0時に寝て3時半頃にはでかけたから、3時間ちょっとしか寝てない。それで往復350kmをクルマ(一般道と高速が半々)、25kmを歩いたというんだから、体力バカの面目躍如ですな(苦笑)
特にゴール目前、平出一里塚から全力であるいたために、いっそう疲れました。おかげで予定より1本早い列車に乗れたし、大河も半分くらいは見られたし、F1GBGPもオーブニングから見た。

でもやっぱりヒザがダメ。
以前とは痛みの種類も、環境も違う。
とりあえず湿布するしかないんだけど、困ったもんだ。 つかれた...つかれた...

うるわしの木曾路へ

490715543_185 きた!
水飲んだ!
水筒にも詰めた!

始発電車が遅いので、ここから塩尻駅を目指します。
行くぞ25km!

2007年7月 6日 (金)

今夜は.....

夏祭り日本の歌、今年も見ているぞ。
去年も見ていたぞ(笑)
西口久美子...きれいやなぁ。
誘われたらついていってしまうなあ。
そんなことありえへんけどW

青春ドラマはいいね。
年の割に「レッツビギン」は知らない。
青春ドラマは夕陽が丘の総理大臣やね。
漫画から入って見たドラマっていうのは生まれてこの方これ1本なのよね。
中村雅俊との出会いでもありました。
この後に「俺たちの旅」の再放送に思いっきり影響受けたんだなー。きっとそういう人、少なくないと思う。
そうだろ、40代のキミ!

今宵はプルスケッタ風のものを作ってみた。
きちんと作るのは面倒だから、バケットを5cm角にに切って軽く焼き、ニンニクをすりつけてバジルとトマトスライスを上からのっけて高級オリーブオイルをドバドバってかけて塩フリフリ〜^^

やっぱりうまかったです。
これってイタリアン?
スパニッシュ?
まあ、いっぱいやりなよ、ヤルノ(笑

たぶん間違っていると思うんだけど、バジルを買うのになぜかホームセンターに行ってました、自分(笑
スーパーで買えよって一人つっこみ。
突っ込みながら、花の終わったシンビジウムをも買ってしまった。
一株500円なんだもん。
相当大きな株で、バルブは40cmくらいの丈があります。
Bonanzaっていう種類。
どんな花が咲くんかな。
来年が楽しみです。

あ、明後日ね....奈良井かな、贄川かな。
うふふ。
木曽路の水がのみてぇ!

2007年7月 5日 (木)

夢見る木曽路

しゃぶしゃぶなんか食いたくなーい!

土曜日の雨は許す。
けど日曜は晴れてちょ。
晴れるのがイヤなら曇りでいい。
木曾のわき水が飲みたいね。

土曜日の昼前からぱらぱら降り出して、夜中だけざんざあ降り。
雨は未明に上がって日曜はすっきり青空っていうパターンが最高です、神様。
もし晴れさせてくれたら、道ばたの馬頭観音さまに5円差し上げますから。

2007年7月 2日 (月)

7/2の日記。カーテシランプ取り付け。

485205901_125 雨のちくもり。
朝から雨。
起きたのは9時前でした。
午前中はぐったりしたまま寝た。
いつもと同じパターン(笑)

昼過ぎにふと思い立ったクルマいぢり。
ずっと前に入手したまま取り付けていないメーカーオプションのマップランプと、カーテシランプの取り付けの段取りをしてみようと思い立ったのだ。
とはいうもののカーテシランプの仕組みはすでに調査済みで、部品を調達するのみ。
またまたカーショップへいそいそと行ってきましただ。
ディーラーにも寄って、カプラー端子の有無を聞くと無理だろうという結論を得る。

さて、配線関係の調査のため、サンバイザー、ルームミラー、ハンドグリップ、内張など、天井に関係するものをすべて撤去。これは天井のルームミラーから電源を引くため。
配線がおもいのほか単純だったので、そのまま取り付けてしまうことにしました。ちゃっちゃっちゃーっとね!(笑)

ルームミラーのカーテシ配線からふたつの回路を分岐させてそれぞれを車内まで引き込まれているドア側カーテシランプの配線に結線。
ただそれだけw
いたってかんたんな作業でした。
あとは現状復帰するだけ。
一発でランプが付いたときは思わず手を打ったけれど、実は小学生の電池の並列接続実験並みの作業であったことには恥ずかしさを感じてしまったのも事実。
「自動車のランプをひとつ増設した」
と聞けば、大人なら「おぉ!すげっ」というだろうけど、実際の作業と来たら...あぁはずかしい...。
しかしトヨタもケチやね。
車体からランプまで配線があるなら、あとはカーテシスイッチにマイナスをつなぐだけじゃん。それを「グレードの差別化」という名の下にけちるんだからねぇ。
今日の予算は0.75mmのコードを6mと、分岐タップを買っただけ。
500円ほどの出費でした。

ところで並列と直列の違いってなんでしたっけ?
小学生以下の質問ですけど^^;
配線時の抵抗と電流の計算方法すら忘れとるわ(苦笑)

イルミネーションをごてごて付けるのは好みじゃないけれど、カーテシランプは、後方車に対する安全のためにも有効だね!でも電球だから色がショボ イ。もう少しまともな色にするためには、蛍光灯のようにランプカバーが平均的に光る感じがいいんだけどな。色はむろん白で。LEDもいいけれど、極性があ るから配線がめんどうくさいし、なによりつぶつぶがイヤだ。
鳥肌が立ちそうだもん....

飲んだくれ 〜憑神をみる

昨日はよう〜飲んだ。
昼飯の時に大ジョッキ2杯と中ジョッキ1杯。
映画館へ行ってまた1杯。
鳥料理食いに行って4杯。
バーで4杯。

その割に酔わなかったのは時間をかけて飲んだからだろうけど、疲れは来てた。バスの中では発車直後から熟睡。
家に着いて一言も発しないまま風呂に入って寝た。
朝9時まで寝たままぢゃった。
雨に感謝。

妻夫木君の「憑神」をみた。
どんな映画だか全然知らんまま見た。
西田敏行が突然現れたから「これはコメディなんだ」と思った。
その後しばらく意識を失って気付いたら、彼の高笑いが聞こえてた。

コメディ要素が映画を見やすくしているけれど、これは浅田次郎作品に多い「人の生き様」ドラマ。時代背景や神様はその舞台。
とりたてて大切なものではないんだけれど、コメディ仕立てにすることで、時代劇を見やすくしたともいえよう。

幕府が瓦解したとき、不要になる市民=武士は選択を迫られる。
ひとつは幕府に殉ずる=死に様
新しい国家作りに尽力する=生き様
主人公には死に様を選ばなければならない理由が多すぎたのね。
でも「生きて、新国家で働く」選択もあり得るべきだと、現代人の天にゃんは思う。
なにしろ明治維新は新国家という体面にはそれほどこだわらず、日本の近代化にまっすぐ努力したのだから。つまり、「新国家に尽くす」ことが日本の繁栄のために働くことになると知っているからた。
ただ「直参市民」ばかりの江戸で、権力側であった人にそれを理解することは甚だ困難ではあったろう。
人材を失うことこそが、明治新政府のもっとも恐れるところであったはずだから。
「命を粗末にするな」という憑神たちのアドバイスにそれは表現されていた。

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