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2007年6月19日 (火)

岐阜のこと 〜中山道余話

茶所駅で岐阜行き普通列車から降りたのは天にゃんひとり。
改札からもっとも遠い車両に乗っていた天にゃんが、名鉄の自動改札システムを過ぎるまで列車はホームに止まってた。
場内信号は青なのに。
「また岐阜のガントレットで詰まってんだろ」とニヤリ。
中山道にたって踏切をみれば、ポケモン電車が岐阜へ向けて走る。


駅からすぐ道標が見える。
道しるべなのか、なにかの記念碑なのか、とってもわかりにくいものが多い中、「東海道」「江戸 木曽路」と書いてあると、正体がすぐに判明してアホにはとてもわかりやすい。
この道標は鏡岩濱之助さんが建てたものです。
ちゃんと側面に銘が入っていて、「天保十二年辛丑十一月 鏡岩濱之助内建之」とある。
鏡岩さんは相撲取りでありながら行いが悪く、それを反省するために種々の善行(?)を行ったとか。
多くの人がすぎた中山道に名を残した人、鏡岩さん。
どんな人だったのか、想像しながら石碑を見る。
人にかけた迷惑を、「人のために尽くす」という形で返した鏡岩さんは人間的だね。人間、金じゃないんだね。

10数分歩く。
右に折れ、左に曲がる。枡形が十字路になっているが、あえて枡形を意識して通る。


旧加納町役場(岐阜市役所加納支所)の前でジョロを持ったおじさんがこっちを見てるよ。
役場は名古屋工業大学初代学長・武田五一の設計による。
洗い出しの壁は黒ずんでしまい、溌剌とした建物のイメージは失われてしまっているが、派手さのない洋風建築にむしろ時間を与えていて、悪くない。悪いと言えば、「立ち入り禁止」のトラ柵だ。

街道歩きで目があった人には、必ずあいさつしようと心がけている天にゃん。
ファインダーをのぞいている彼に、地元のおじさんから先に声がかかる。
「戦災ですべてをなくしたからあんまり楽しくないんです」と。
「そんなことないですよ。道標とか、加納城大手跡とか風情ありますよ」
「加納城といえば、発掘してますよ」
などと、歴史話でもりあがる。
20数kmを歩きたい天にゃんは実は話から逃れたい。
その反面、地元の話を聞きたい気持ちと、半々。
苦しむ天にゃんに「長良川を越えるとね、なかなかいいですから」とアドバイスするおじさん。
おじさん、ここまで詳しいのは、旧街道好きと見た。

加納町役場を、白亜の殿堂に戻してあげたい。
職人の手が生み出した洗い出し、電動ハンマーで作り出した洗い出し、型で作り出した洗い出しを見比べてみたい。
これを登録文化財に申請したのは岐阜市ではなく、おじさんのような地元の人じゃないんだろうか、とおもった。
とりあえず登録されたからには、壊すことはないだろう。
ちょっと安心。(昭和12年築)


1時間ほど歩くと、昭和初期っぽい建物に出会う。
建物の角には、おばさんが人待ち顔。
直方体に三角屋根が乗った機能的な建物で、まるで小型兵舎みたい。しかしながらてっぺんの瓦には「〒」が輝く。
これは間違いなく郵便局の建物だろう。
今では民家になっているようだけれど、その形は町の雰囲気にとけ込んでいる。町がなんとなくこの旧局舎に遠慮しているようにも見えた。
写真を撮っていたらおばさんは顔を伏せた。


すぐ近くに神明社があった。
八幡さんまでチェックする街道歩きはなかなかいないよ(笑)
内容物はともかく、社号標に注意!
「正二位 基弘書」とある。
正二位といえばお稲荷さんより格下(爆)だけれど、関白・摂政にもなれる、事実上天皇以外の最高の身分である。
「正二位は私しかいない」というこの大した銘ですね。

検索してみた。
たぶんこの人だろう。
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二条基弘
    生没年:1859-1928
    父:従一位関白 九条尚忠
    義父:関白内覧摂政 二条斉敬
        1884- 公爵
        貴族院議員
        宮中顧問官
        春日神社宮司
        正二位勲二等
    妻:前田洽子(父:加賀金沢藩十三代藩主 前田斉泰)
        -1900 徳基
        1883-1927 厚基
        1886-1936 邦基
        敬子(夫:鍋島直高)
    女:
        澄子(夫:小津茂郎)
        承子(夫:平光寿)
        元基
        建基
        恭基
        敏基
        1908-1942 随心院住職 勝元
        正基
        成基
        倫基

========================

別のサイトでは「書をよくした」とあるから、当時も引っ張りだこだったのかもしれないが、岐阜(鏡島村???)の片田舎のさして大きくもない氏神の社号標に彼の名が記されていることが、なんとも不審である。
この地になにかゆかりのあった人なのだろうか。
ちょいと気になりつつもそのままにしてしまっているが、社号標の日付までは見てないから、照合のしようがない。
また岐阜の町へいかなければならないか。

また、隣にあった国旗掲揚台には陸軍大将松井岩根の書が。
この人は好かれていたのか、書で有名なのか、こういうものにまったく造形のない天にゃんですら数回目にしている名前である。
今や陸軍大臣としてよりも、「書家」の印象の方が強い(笑)
それなのに、名古屋市内のある神社では、彼の身分がモルタルで埋められているのを見たことがある。
嘆かわしいぞ。

中山道は、果たしていつ頃まで「中山道」として機能していたのだろう。
こうした有名人の名を恥ずかしげもなく掲げられるほど、当時はこの土地に政治力や経済力、勢いがあったという証明になるのだと思うが、昭和中期生まれの天にゃんには、知るべくもない。
加納町役場のおじさんは、そうした「江戸時代の名残り」を見たのだろうか。

写真は河渡橋東詰から見た中山道と岐阜城。
江戸時代の旅人も、間違いなく中山道と稲葉山は見た。

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