最近のトラックバック

2016年5月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
無料ブログはココログ

« 2007年4月 | トップページ | 2007年6月 »

2007年5月

2007年5月30日 (水)

意外性の一日 (2) 諸戸氏庭園見学

諸戸氏庭園へ行ってきました。
春の公開ですね。

450204695_54 重要文化財の店で受け付けをすませて順路通り進む。
庶民のくせに「御殿」がある。玄関がある。
玄関は寄せ木の床だし、ふすまには絵も。
いや庶民ではない、これは実業家の屋敷。(いわゆる成金かw)
東京で言えば三菱邸のようなもの。
庭園のしょうぶは少し早かったけれど、客は自分ひとりなので、全体像など見て楽しんだり、うまい構図などを探し求めてみる。
内部は庭園だけでなく、いくつかの建物もある。
中でも目を引いたのは、まるでジョサイヤ・コンドルが手がけたかのような洋館。これは店本館に接続されている建物であるが、素人が見ても、明らかに諸戸邸をパクっている。パクっているという表現は正しくない、これはコンドルの作品なのだから....とその時は思った。
テラスの形状などほんとうによく似ているのだが、あとで受付で聞いてみると、「コンドルではなく、彼の孫弟子で名古屋の大学の先生」と言うものだ から、武田五一かと思いきや、違うらしい。「鈴木...」というので、鈴木禎次ですか、と問えば「そんなような名前でした」とのこと。
鈴木禎次は辰野金吾の教え子であり、その辰野はジョサイヤ・コンドルの教え子。つまり孫弟子。
ということは、鈴木禎次は、あえてコンドル設計の諸戸邸のエッセンスをこちらに持ち込んでデザインしたんだな、ということがわかった。窓の形状などは違うし、内部の造作はまったく違うのだけれど、全面デザインはまさに諸戸邸の小型版。
祖父師匠への恩返しだったのかもなあ。
あたしはこの建物にご執心です。
しつこくおねーさんに、言い寄ってみました(笑
「内部は公開してないんですね」
「内部はこれまたすごい造作ですねぇ、宮殿みたい」
するとおねーさん、
「イベントなんかは時々あって、そんなときは中に入れることも」と教えてくれました。
「よろしければ、メールアドレスを記帳してくだされば、情報を送ります」とのこと。
わーーーーーい!
うれしいなっうれしいなっ。
中は白塗りで、柱の1本1本にもきらびやかな金色の模様。
マイテ49の超豪華版です。

さて、御殿。
この規模の大きさよ。
ぼくの嫌いな三流元勲山県有朋や、福沢さんなどが訪れたことのある「御殿」は、30万石大名の風格。
彦根の庭園に見る。御殿よりも二回りほど大きい。
「上がらないでください」と注意書きがあるけれど、150cm程度の身長の人は、縁側にすら背が届かず、内部を見ることが困難です。
それほどでかい。

庭はしょうぶがいっぱいなのですが、つぼみが多い。
時期が少し早かったようです。
公開は6月いっぱい。
「うち近いし、また必ず来ますから」とおねーさんに言い置いて帰途につきました。

家を出るとき、諸戸氏庭園も候補に挙がったのですが、「庭なんか見てもしょうがない」と却下したものです。主体である東海道歩きがしょぼいままに終わり、諸戸氏庭園でフォロー。
なんとかいい雨の休日になりました。

苦しいな(笑)

意外性の一日 (1)東海道・桑名〜四日市

夕べの予報は、「昼過ぎから雨」
今の現場は一日晴れていないとまったく進められない現場なんで、「今日の既設防水撤去は中止」と早々連絡がありました。
さて、あたしはどうするか。
早速と出発の準備ですわ。
東海道の旅。
今日は桑名から始めます。
結局歩き始めが9時40分になってしまったので、内部駅はあきらめて、四日市宿(四日市駅)が目的地になりました。
パラパラ雨の中、七里の渡し跡公園から。

桑名近辺こそなかなか風情がありましたが、だんだんとただの田舎になってきた。
狭い道に車がどっしどっし入り込んできてうざい。
落ち着いて歩くこともできずに半分むくれてましたよ。
富田には間の宿があったというが、面影はまるでなし。

さっさと歩いて、四日市宿に入る手前で、遅いランチ。
今日もビールを飲みましたが、中ジョッキいっぱいね。
二杯飲むとしんどいんだわ(笑)

四日市宿も面影はほとんどなし。
幅員が一定でなかったり、道がまっすぐではないことで、かろうじて東海道の雰囲気を見いだす、ちょっと辛い旅でした。
四日市駅から近鉄の急行に乗って桑名に戻りました。

つづく。

2007年5月29日 (火)

尾張の山車まつり

週末、山車が出ます。
尾張のからくり車です。
よその地区では氏神様のまえで、手拍子したりしますが、尾張国では、山車に搭載したからくり人形が神様に芸を披露します。

今度の土日、3箇所でそんな祭りが行われます。
全部見られない(号泣)
しかし名古屋市内の山車は名古屋祭りでも見られるので、今回は見送ります。
ちなみにその3箇所とは、筒井町、出来町、西枇杷島。

山車祭りでいいなぁ〜と思うのは、まつり囃子ね。
子供やら女の子、時としておばさんたちがぴーひゃらぴーひゃらと吹きまくる。
氏子のおっさんたちが木遣りをうなる。
「そーーれっ」のかけ声でいっせいに山車が動き出す。
あの緊張感。たまらんのね^^
西枇杷島出身のマイミクさんに見せられたビデオには感動した。
だから今年は必ず見に行きます。
あの一体感は間近でみないとわからない。
年寄りも若者もひとつになれるんだぉ。
素晴らしいです。

西枇杷島にはね、屋根神様という尾張独特の神棚があります。
それを当日お祭りするのだ。
一石二鳥、三鳥じゃないかっ!
西枇杷島へ行くしか天にゃんの生きる道はない。

2007年5月28日 (月)

奈良井 (4) 鳥居峠

案内書のおじさんは「鳥居峠はそれほど険しくないから」と言っていたが、どこと比較しているんだか。
一般に中山道でもっとも険しいとされているのは和田峠であり、続くのが碓氷峠、鳥居峠だ。
なのに「それほど険しくない」とは。
何かの謎かけか?(笑)

447682021_13 奈良井史料館を出て脇道にはいるのが中山道だが、いきなり目を疑った。
そびえるばかりの急坂。しかも天にゃんの苦手な石畳である。
数歩上がるだけで息が上がる。
「どこが険しくないんだよぉ!」とおじさんをなじる(笑)
しかし大半の責任はビールを飲んで歩いている自分にあると言えよう。

それはきつく、すでに「うっちゃんなんちゃん」のかけ声すら適用できず、えっさほっさと息を吐きながら上がっていく。

あ、地元のおばちゃんや。
「こんにちは〜けっこうきつい坂ですねぇ」
「えへへ、どこまで行かれるの?」
「薮原まで」
「気をつけてねー」
知らない土地の人と話すのは意外と気分転換になる。

447682021_235 447682021_123 坂、坂、坂...
あまくない坂である。
石によって足がアトランダムに「動かされてしまう」石畳は、ひざもを不意に動かされてしまうので、要注意である。一歩一歩踏みしめて歩かないと、突然ひざに激痛がくる。
さすがに若さを誇る天にゃんも、アルコールには勝てずに随所で休む。
これがなんともいえずに気持ちいいのだ。
露天風呂に入ってる気分に似て、自然に返った気がする。
体はほてって暑いけれど、通う風は冷たく、体を冷やしてくれる。
そしてあちらこちらにあるわき水が頭や体を冷やすのにもってこい。
しかも一部は「飲めます」と表示があることも大変にありがたい。
こんな山中を歩くのだから、散策者は飲み物くらい持参しているのは当然だが、その水を飲むことで山と深くふれ合った気になるのだ。
「どうだ、おれは懐が深いだろ」と山が天にゃんに自慢する。

中の茶屋跡には休憩所がある。
なんだか落書きがすさまじいが、よくみるとほんわかする。というのは、落書きには付きものの、「バカ」とか「オマ○○」などというくだらない落書きではなく、「ここに着いた!」というたぐいの落書きだから。
昭和50年代の落書きが特に多いように見受けたが、その頃からすでに中山道歩きを実践していた諸先輩がいたようだ。
もう少し上がれば鳥居峠の頂上である。
道ばたにはテンナンショウがたくさん花を咲かせてた。

鳥居峠頂上付近には、音をあげて流れてくる豊富なわき水に隣接して、大変にきれいな休憩所が設けられている。
冬期は閉鎖とあるが、それ以外は24時間開放されているのだろうか。
まずはわき水で顔と頭、腕など露出している部分水で流す。
わき水の量がすさまじく、はねた水で靴が濡れる。
つめた〜いじゃなく、つめたっ!ですわ^^
その冷蔵庫で冷やしたような水を飲む。
ぷぅ〜うまいっ!
ここに住みたい!
決して不便とも言えまい。
10m先をダンプがゆくのだから。

快適な空間に身を置き、落書き帳をめくってみる。
どうもここに泊まっていく人がいるようだ。
「夜空に身をさらし」なんてしゃらくせー形容を使う者もいる(笑)

ムッシュかまやつの底力

NHK「鶴瓶の家族に乾杯」での一場面。
ムッシュかまやつが最後に歌った。
「じゃあお礼に一曲歌わせていただいていいですか」とムッシュ。
「下手なくせにやめとけ」うちのおやじ。
そしてそれに心で拍手を送っている天にゃん。

でも今日のムッシュはうまかった。
基本に返ったのか?と思ったらそうでもない。
一生懸命うたっている風でもない。
なのに胸を打った。
「あれ!うまいがや、どうしたんや!」おやじ。
「おっかしいなぁ、こんなにうまいはずないのに」と天にゃん。

今宵のムッシュの歌、本当に「お礼」だった。
心がこもってた。
力まず、気負わず、素のままに丁寧に歌っただけ。
歌に彼の人生が込められているようにも感じた。

今まで聞いた中で、今日の「我が良き友よ」は間違いなく最高で、生涯記憶に残ると思う。
ムッシュ、一流の仲間入り、おめでとう。

主権者として国会議員に最低限望むこと

そんな弱い人間に人の数だけある要求を調整することは、無理だったのさ。
農林水産大臣は夢への第一歩だったのだろうけども、手を尽くした結果、自殺を選ばなければならなくなったのは自業自得というよりも、手腕不足であったろう。
自殺の原因は今のところはっきりとはわからないけれど、もし私的理由であるならば、公僕として失格のステッカーを貼ってあげよう。
一連の報道によるのならば、無能のステッカーを貼ってあげる。

公僕として自殺したのなら、なんの救いもない。
地元の期待を裏切り、国民の期待を裏切った代償は大きいと自覚せよ。

任期中に自殺するような人間は国会議員になどならないようにくれぐれも強く望む。 

2007年5月27日 (日)

東海道を東へ

夕べはホテルに着くなりシャワーを浴び、バスタブにお湯を張って、入浴剤を入れた上で30分ほどゆっくり浸かりました。
その後は足に湿布をぺたぺた張って、7時過ぎから横になっていました。
寝たり起きたり夢うつつで、午前2時頃までそんなことを。

447042149_213 447042149_74 朝は7時にキショーッ!
「草津本陣に行って、交流館へ行って、電車に乗って帰るの」
と何度復唱したことか。
でも追分の風景があたしを変えましたね。
「とりあえず交流館へ行って旧街道の情報を入手しよう。話はそれからだ」と。
交流館では「近江の中山道・東海道ルート」と称したパンフレットが売られておりました。
実物を見て、「これなら歩ける」と確信。
草津の東隣の宿場・石部までの距離を係の人に聞いたら「11kmです」。
約3時間。足の遅い天にゃんなら4時間か。
決定を先延ばしにしてとりあえず草津本陣へ。

本陣はすばらしい建物でした。
撮影できないことが唯一残念。
一通り建物の説明はあるんだけれど、客の質問に答えられそうな人がいないことが残念。
あんな若くてきれいなおねーちゃんに聞くのは野暮という物だろ?(違うかw)

本陣の中で街道パンフレットをみながら10分ほど考え込んでましたよ。
結論を先送りして、とにかく草津駅へ行ってみた。
たとえば石部まで歩いたあとに電車にのって家に帰る時間とか。
その結果3時間で歩けば、名古屋には6時過ぎに着くことがわかった。
「石部から名古屋まで。関西線経由で」
となりのカウンターではおばちゃんが愛知環状鉄道に乗りたいと係員に絡んでました。
気の毒なカウンター君...

そうそう、草津ではちゃんとうばがもち買ったよ!
でも感動がない。
あるべき位置に店がないんだからね。
土山で買った蟹ヶ坂飴の方が感動したくらいのものです。
天にゃんにとって、街道で買う菓子は味じゃないのです。
いかに往年の姿を楽しませてくれるかというのが大切なこと。
だからとっても残念、うががもち。

447042149_21 12時ちょうど
草津駅を出発!
とにかく一生懸命歩いた。
足はさして痛くはないから歩いた歩いた。
途中いろんな撮影スポットがあって、やはり足を止められてしまうね。けれどもどうにかキッチリ3時間で石部に着いたよ。
天にゃんの賢いところは、石部宿には踏み込んでないところね。
宿場は撮影ポイントが多いから、時間食うの。
かといって風景を見ると、撮影ポイントに対する反応が鈍る。
そこでさっさと石部駅へ。
駅横のコミュニティハウスでパンを食いながら競馬中継を見る。
そう、日本ダービー。
けれども列車は15:34。
出走を見ることなく、列車に乗った。
すんげえ悔しいがや!

名古屋には無事定刻着。
街道歩きは楽しいなぁ。
暑かったし、なにもない所の方が圧倒的に多いんだけど、なぜかやめられないぞ。

2007年5月26日 (土)

東へ西へ あわあわの国をゆく

米原行き区間快速で武佐宿へ向かいます。
この列車、先の中山道歩きの時今須峠で見た列車だけれど、青春18シーズンオフの今ではガラガラです。

夕べは2時頃まで起きてたから眠たいよ〜(^o^)

今日は武佐から終点草津ま約17kmを歩きます。
草津にとまるかどうかは未定。

おととい鳥居峠を無事越えられたことが、足への信頼になっています。
近江路は平坦だもんね!
これが無事にクリアーできれば、歩くことに限定すれば、足はもう大丈夫ということで!

2007年5月25日 (金)

奈良井 (3)

445163111_96_3 445163111_172_3

445163111_187

西の果てまで来たw
鎮神社(しずめじんじゃ)は宿内の最高地、ここから写真を撮ると、鍵の手あたりまでは見通せる。
右手には水場と道祖神、それに高札場。
絵になる風景ではある。

腹が減っては戦はいくさはできぬ。
いや、10時頃P.Aでそばなどを食った物だから正直腹は空いてなかったが、今後のことを考えて昼飯をとることにする。
食べることも大切だが、それ以上に歩き回った体を休めることが大切なのだ。
だからビールを飲む。
おばちゃん、もう1本ね!
今日はそばやのごへい餅を右手。
木曽路に来るといつもごへい餅だなぁ。
でもここのごへい餅はちょっと違っていて、おにぎりより少し固めに丸く握った生地をあぶった上に味噌をのせたもの。
こいつは酒の肴にはいいなぁ!
高菜の漬け物がついていて、おやきとごへい餅をいっしょに出されたみたい。
あまりに口に合うのでついつい3本目のビールに手が出る。
うひっ!
「ビールもう1本ね」と言ったら、左のカップルが異国語でなにやらひそひそ。
君らも飲めばいいのに。
右側の初老のご夫婦はそばを注文。
「ごへい餅食べたいねぇ、ここのは少し変わっているようだよ」と聞いたこともない言葉で話している。尾張人からすればこれも異国語と言えよう。

だめ押しにそば定食。
そばと麦とろじゃな。
これでフルコースやっ!
昔は観光地の定食ものなどまずくて困った物だが、近頃ではどこでもたいそううまいものを出してくれる。むしろ下手なチェーン店よりもずっとうまいぞ。
ビールを飲みながら考えた。
「3本も飲んでまったぞ、これでは車に乗れん。夕方までうろうろしても、3本分のアルコールは抜けまい。いっそ泊まるか...」
ふだん動かない天にゃんの脳はこの時とばかりに回転を始める。
が、「バカの考え休むに似たり」とはよく言ったものだ。
まるで天にゃんのために存在するような名言だな。
しかしまあ体は休めたのでそれで良しとしよう。

精算している間に入り口を見ると「うちの店の誇り」という看板があった。酔っぱらっていたのでよくは覚えてないけど、立派な看板なので写真を撮らせていただいた。
どうやらこのそばやさん、以前は櫛問屋だったらしい。

ついでに「ここから薮原まで4時間くらいで行けますか」と聞いてしまった。
あ〜あいさつ代わりにこんなこと言うなんて。
「そんなにかかりませんよぉ、3時間でおつりが来ます」
そのおつりをくれ(笑)
「どうかしたら2時間でも歩けます」となっ。
でもその場では決めない。
おねぇさん、何か勘違いしているかもしれない。

とにかく宿場内をうろつく。
それには観光センターだ。
「こんにちは〜パンフレットくださ〜い」
気軽にこんなことが言えるのは酒の力である。
偉大なるかな、アルコール!

「薮原までどのくらいかかりますか」
またやってしまった。
「鳥居峠越えですね。2時間半くらいです。3時間はかかりません」
やはりそうか。

「え゛、行くのか?」と右膝あたりから声がした^^;

楢川村史料館には入館する。
すでに歩くことで頭がいっぱいで、マリア地蔵のことなどすっかり忘れている天にゃんであった。

奈良井 (2)

444734963_5 宿場に戻る。
奈良井の建物は木曽路らしく二階部分が突出しているがその量が少なく、しかも先端にはカーブしたひさしがついている。それを金具でつり補強してあ る。そのひさしにも飾りがついているところをみると、実用性がそれほどあるわけでもない中途半端なうだつのようなものかもしれない。
平日とあって宿場内は静かで、聞こえるのはおばさんのでっかい声と、酔っぱらいの声(天にゃんは含まれずw)。
みやげもの店も半分ほどは店を閉めている。
いくつか目を引く建物を撮影しながら西へと歩く。
なにしろ1kmあるから歩き甲斐はある。
いつもだと、もう終わりじゃないかとびくつきながら歩く宿場だが、今日は長い。
まずは枡形。
枡形といっても街道の家並びに四角い石垣が築かれているだけだが、これがなぜ枡形?

444734963_231 途中にある水場の水も遠慮なく飲ませていただいた。
冷たい!
うちにもこんな水道が欲しい!

山を背景に緩やかに続く宿場はいかにも美しい。
日差しは強くても、時折冷たい風が流れてきて快適である。

444734963_12 上問屋史料館を見る。
問屋とは荷物を継ぎ立てる運送業者のようなものであるが、公認業者なのでその地位が高く、宿場役人を担当していることが多い。
つまり中山道を送られる荷物は、宿場宿場に常置されている馬と馬子によって、東ならば贄川、西なら薮原まで送られ、またそれぞれの問屋によってさ らに隣の宿場に送られるといったシステムだが、のちに「中馬」というものが発生する。これは送り先まで直接ひとつの業者が運んでしまうシステム。中山道の 問屋はこの中馬にずいぶん泣かされたらしい。逆に中馬が発展したのは距離面で有利な街道で、中山道沿いの問屋は中馬の制限を何度か幕府に求めていたよう だ。
時代は繰り返す。
国鉄貨物もかつては車扱と呼ばれる継ぎ立てのようなシステムを中心としていたが、スピードが求められるとフレートライナーのような直行貨物が中心となり、車扱いはついに駆逐されてしまう。
それらのいいところをすべて吸収して効率的に運んでいるのが宅配業者である。いやぁ、よくぞここまで成熟したなっていう気がするのだ。

そんな話はともかく、宿場のシステムを知ってから見る問屋は興味深いものだ。
1日にどれほどの荷物を継ぎ立てていたものだろう。店先は旅籠の店先と同じ程度のスペースしかない。
運送店としての機能を中心として見たが、どうもただの商家に見える。
そこで係のおっさんに荷物の置き場を聞いてみると二階だという。
二階は6畳間が4つほどあるが畳が敷かれているし、床がある部屋もある。
そんなとこに荷物を入れるのかい?
ちょいと信じがたいけれど、奧も同じような部屋ばかりだからおっさんの言うとおりなのかしら。
階段は箱階段も含めて3箇所あり、それはそれで機能的には作られてはいるが...
箱階段を使って二階に上がり、街道を見た。
この風景が一番街道を感じさせる。

街道に戻って鍵形に至る。
鍵形は枡形とは違うただのなだらかなクランクで、かなり安上がりな防衛システムだろう(笑)
しかも角地にきちん建物がたっていなので視野が通ってしまっている!
しかし天にゃんは行く。
とりあえず西の端まで行って、先のことは考えよう。

奈良井 (1)

中山道制覇する上で、観光とのバランスはいつも葛藤するところ。
街道歩きはそれのみで十分に楽しく、「また来ればいいや!」などと安易に構えたりしているけれど、実はなかなか機会に恵まれないもの。
奈良井は見所も多く、それだけで1日を要してしまいそう。
順序は逆となっても、街道を通過するときの宿場と、宿場だけを目的した場合でも違った印象が残る。
山間をゆくことが多い中山道では、宿場は「オアシス」でもあるから。

大半の人が絶賛するだけあって、他の宿場とはスケールが違う。
妻籠の拡大版ですな!などと比較はしてみるけれど、宿場を売りにしている、馬篭、妻籠、奈良井の3つを比較すると、それぞれが個性的だと感じられるのは、努力のたまものなのだろう。

駅から出るとさっそく正面に「二百地蔵」の看板がある。
それほど遠くはなさそうなので、旧道を登っていく。
ちっちらおっちら...なんだ坂こんな坂...うっちゃんなんちゃんw

444502571_144 444502571_14 444502571_166






着いた...
入り口にはツツジが咲き誇る。
うちの近所ではすっかり終わってしまったツツジが、奈良井では満開だ("▽"*)
さらに杉の大木たちに迎えられる。
これは人間社会を超越した空間だ...

本当に200あるかどうかはわからないけれど、たくさんの石仏が並んでいるのは壮観である。
中には庚申さんや二十三夜塔などもある。
顔をひとつひとつ眺めてみて、苔にむした頭をなでてみたりする。
なかなか年季の入った苔じゃな^^
さわったくらいではびくともせん。

背後にはにそれらを支配するかのように祠があり、地蔵様かいくつか安置されていた。
「いいものを見せてもらいました」ってな心づもりで賽銭の10円をいれようとしたら、手元から100円玉がコロコロと。
「そうですか、100円の方がいいですか」
とそのまま賽銭箱へ。
なんとも愛嬌ある仏さまたちだわ^^

森閑とした木曽山中に静かに過ごす石仏さん。
国道や鉄道の敷設時に”邪魔”となってここに集められたとか。
景色のいいところに仲間と肩寄せ合っていい人生じゃないですか。

2007年5月23日 (水)

名古屋城障壁画展 at 名古屋市博物館

んーむ、名古屋三昧ネ^^
見てきましたよ、「名古屋城障壁画展」。
よぅく調べたら第4火曜は休みでした。
つまり博物館、月に一度は連休ということだったのですね。
もう少し大きく書いといてくれぇ(T^T)

結構な人手でした。
名古屋市博物館の常設で、あれほどの人を見たことはない!
博物館などどこでも似たようなものですがね、一部の博物館をのぞいては。

出展作品の大半が重文とあって、お客も質が高い。
いや、年齢が高い(笑)
ゆっくり見るのはいいんだけど、障壁画って絵に顔を寄せてみるものなのですか?
絵の見方なんてさっぱりわからない天にゃんは、有料テープ解説に聞かないと何もわからない。
部屋の真ん中で平伏する、顔を上げる(部屋の用途によって動きは違うけれど)という一連の動作の中で、何らかの意図を持って絵を見せることが目的の一つであろうと思うから、意図を感じたいなら、その視線にならなければならないはずなのだが、みんなガラスにくっついてたw
一部には、そういう見方をしてた若いおねーさまがたがいた。
お友達になりたいなぁと思った(笑)
その一方で「タッチが違うよねー」と顔を寄せるおばちゃんもいた。
ほんまかいっ!^^

粘っこい筆質...?
さわやかな筆運びが狩野○○ではないかと...??
全然わからーん!
わからんことが悲しいぞ
。・゜゜⌒(≧◇≦)⌒゜゜・ふんぎゃああぁ!
とりあえずは満足した。
あとはうちにある戦前のモノクロ写真で復習してみます。

お楽しみは猿猴庵さんの本です。
猿猴庵...本名は高力重長という300石取の侍です。
この人がいろいろと江戸時代の名古屋近辺の様子を絵と文で紹介しているのです。それを収集した名古屋市博物館が、「江戸時代の名古屋を知ってほしい」という意図で、原寸大で出版しているのです。これがなんと、名古屋市博物館でしか買えないという代物...
今回は彼が江戸へ下った時の東海道の様子を記したものの第一と、おかげ参りの様子を表したものの2冊を買ってきました。
彼が扉で言うには、「尾張国外へ出る機会のない者に楽しんでほしい」としている点、広重の芸術性よりも、現実主義(?)と見ていいんじゃないかと思う。
江戸時代の風俗、人々の表情、店の看板など、いきいきと書かれていて楽しいねー。
ただし、絵の解説は重長くんのみなので、登場人物が何をしているか、腰からぶら下げている物はなに?いった疑問も出てくる。
それはまぁ博物館で聞くも良し。
博物館の学芸員というのは、歴史好きのなかのほんの一握りの幸せ者なのだから、聞いてないことまで教えてくれそう。

ところで、名古屋市博物館、民間信仰の展示が少なすぎ。
どうせ客の入りなんて期待できる施設じゃないんだから、もっとマニアックな展示も欲しい。仏像のレプリカが3体ではあまりに悲しい。
津島神社や熱田神宮のような日本的スケールの神社に全然ふれてないのは、やはりさみしいよね。よそから来た人が何を求めて博物館に来るかを考えたら、もう少しやりようはあるんじゃないだろうか。
信長や秀吉といった人材を排出した土壌を示すこともないし、おしなべてうすっぺらい展示というしかない。
博物館という文化施設に対して認識の低い愛知県では、新規・大規模の博物館建設は期待できないからこそ、ここが文化発信の中核にならなきゃね。

2007年5月22日 (火)

ひさしぶりの名古屋城

CMOSに付いたらしいほこりを除去してもらうために、 朝一で名古屋のキヤノンQRセンターへ行く。

待ち時間に税関係の書類を出して名古屋市博物館へ。
目的は名古屋城障壁画展と、売店で売られている猿侯庵の本。
けれど博物館は休みだった。日通の人がたくさんいたから展示替えなのかも。
仕方なしに床屋へ行くと、また休み!
「今日火曜日だがね!」
そうだった。てっきり水曜とばかり…

意味なく円頓寺へ。
こうして天寅の天ぷらを食ってます。
ビール飲んだから車は駐車場に放置だな。

さて。
円頓寺から名古屋城まで歩いちまった。
さらに外周一周ときたもんだ!
実は北側の深井壕からじっくり見たのははじめてで、どんな風に見えるのか楽しみでしたが、格別なことはなかった^^;
その代わり、立体的な石垣の構造が、「天下の城」を感じさせてくれました。

441911904_36 現在、北西隅櫓を特別公開しています。
清洲櫓とも呼ばれ、清洲城天守を移築したものだと言われています。
実際のところこのようなでかい櫓を清洲城に置くのはバランス的におかしいので、移築といっても、部材を使って再構築したということではないかと思っています。
そこらのしょぼい城ならば、明らかに天守を勤めあげることができる風格と大きさを備えた櫓でおます。

城の周りをぐるぐる回ってた時に、いくつかおもしろいものを見つけました。筋違橋の南にある水道大樋。堀の水量の調節するものだそうで、オーバーフローした水は常に滝のように堀川に落ちていたとか。

441911904_253 朝日橋のたもとでみつけた変な石仏。
一体の石仏に顔が3つ。
千手観音?馬頭観音?あたりには何も説明がなくわからずじまい。
「こりゃなんだ?」と前掛けをめくって中をのぞいてしまいました。
(>ω<) いや〜ん (≧▽≦ )いやん♪
なんと下にはアンスコはいてた!(爆)
本丸の再建もいいけれど、もっとこういうところに手をかけていくべきじゃないかといつも思うのね。
西の丸にしたって本来巨大な馬出があったのに、鎮台さんがやってきたときに、つぶしてしまった。まずそれを掘り起こして再現してみせてほしい。
本丸再建ていうのは、仏作って魂入れずなんだよな。
「とりあえず仏を作れば見てくれる人もいるだろう」なんていう話にはならない。まず魂がなければ、仏は成立しないってことを、再建関係者はよくよく知らないとダメなんだよね。
もっとも再建そのものに反対というわけじゃないから、売店でピンバッチ買っといた。これで500円の寄付だ。
なにやら本丸御殿跡では発掘調査も始まっているようだ。

2007年5月20日 (日)

美濃路・八坂神社祭礼

夕方の山笠提灯と大提灯を見てきました。
神社の本当の祭礼とは、こういう耳目集めではないと思ってはいますが、娯楽が少なかった時代、氏神の祭礼にこと寄せて大騒ぎしたっていうのが、発生の根源でしょう。
何にしても、派手な祭りです。

439196650_137 予定の18:30頃から山笠提灯の火入れが始まります。
てっぺんに立つ縦5連のちょうちんのみが電球で、あとはみな本物の火!
ひとつひとつ火を入れては、一段ずつ上げていく。
ときに提灯に火が移って燃えてしまうのもご愛敬。
「おい!ついたついた!」と言いながら素手で火をたたき落としてる(笑)
約30分かけて5段の山笠提灯が完成!
すべてが上がったときには客から拍手が上がりました。
20mの高さがあります。

知らないうちに大提灯も上がってた。
道切りのような木組みにぶら下げられた大提灯は高さ5mで、周囲は10m。
真ん中に「八坂神社」と書かれている。
これは時代物だにゃ^^

439196650_230 能舞台では、笛・太鼓が奏でられ、巫女さんがお祓いをしてる。
中央には缶ビール(笑)
お供え?(爆)
脇には神輿。
明日の祭礼に使うのかな。

この祭礼は長寿延命、豊作祈願。
神社は子供の守り神として有名だそうです。
どおりで子供が多いわけだ。
この神社の氏子範囲はおおよそ西は国道22号まで、東は200m程度。
マンションにも家々にも「獻燈」と書かれた提灯が下がり、玄関を開け放ってたりするし、沿道の会社では飲み会をやってるとこもありました。

439196650_85_2 氏子区間にも屋台が出てて、子供のおかげで大繁盛。
子供が興味を持たない串カツやなんかはすいてましたな。
あたしもせめて祭り気分に浸るため、串カツとどて、それに牛串を買って自宅で飲みましたよ。

この祭礼、二日目は惣兵衛川に葭船を流すんだそうですが、惣兵衛川には水がないはず。元々農業用水として引かれた川ですが、どうすのだろう?
東には笈瀬川があり、国道22号がなかった昔は、川に挟まれた地域だったと、いまさら気づいたり。
そういえば、この地域の東には葭原というところもあったなぁ...。

2007年5月17日 (木)

ボルケーノ

なんじゃこれw
火災現場へ行ったことがないやつらばかりが作った映画やな!
火災よりも温度が高い溶岩から10mも離れてないような場所で、人間が生きておれるとは。
火そのものではなく、熱によって皮膚は焼かれ髪を焦がす。

水蒸気爆発の知識はないけれど、高温の溶岩に大量に水を一気にかけたら大爆発を起こしそうな気がするんですけど、そんなことはないの?

こりゃ茶番やね。
目くじら立てるなといってもこれはレベルが低すぎ(爆)

八坂神社に思う 〜美濃路をゆく (完)

美濃路に戻ってゆくと、民家の壁に八坂神社祭礼の交通規制やら餅投げの張り紙。
餅投げなんて懐かしいなぁ!
昔瑞穂区に住んでいる時に2〜3度体験しただけで、それも40年前のこと。
時間は今日の4時やん!

436166532_143 436166532_15 436166532_179_2






餅投げはともかく、八坂神社に興味がわいた。
そそられる名前だよね。
わくと同時にすぐに現れるところが、「美濃路」という主要街道を持った土地の特徴である。
鳥居前には用水桶が積み重ねられ、旗幟が2本たっている。
おや、その奧にはさらに高い木組みが見えるじゃないか。
地元の人ばかりで入りにくい雰囲気だけれど、中に入ってみよう。
高さは15mもあるだろうか。三角錐を作るための骨格のようなものが立てられている。
近くのおばちゃんに聞いてみた。
「あれに提灯を下げるんだよ」
「ものすごいきれいだで、見にこやぁ」
5/19の6時半頃提灯に日が入れられるそうな。
こりゃあ見物だ!
「店もいっぱい出るでね」
そこで天にゃん、返した。
「古い町ってこういうお祭りがあっていいですねー。押切の津島神社でも祭礼があるらしいし...」
するとおばちゃん、堰を切ったような話し出した。
どうやらこの界隈では、この時期まつりだらけらしい。
このおばちゃんの口から5つほどの神社の名前が出た。
そのすべてが見たいぞ。
発見した「いいもの」とはこの祭りのことでした^^

祭りにもいろんな形式がある。
先日マイミクさんが東京のまつりを紹介してくれたけれど、神輿を担いで氏神にたどりついても、手締めを奉納するだけなんだそうだ。
でも見よ、この地区ではからくり人形が奉納されるし、美しい織物で飾られた巨大な山車を引きずり回すんだぞ。
まつりは「モノ」じゃなく、住む人たちの気概であり愛情だけれども、対比されたときつい自慢したくなるのは、やはりこの土地への愛情なんだろうか。
美濃路をあと数百メートル行けば夏にド派手な西枇まつりがあって、からくり車が引き出されるのね。
ぴーひゃらてんつくな木遣り。
あぁ、早くみたいなぁ〜!

(終)

2007年5月15日 (火)

欲望

ゴジラが現れた。
町をさんざんに破壊したゴジラは高層ビルのてっぺんに座り込み、下界をながめている。
そのわきには、山田さん(仕事関連の実在の人物w)の顔をしたゴジラジュニアが「もう暴れるな。あれだけ破壊したら十分だろう」と懸命にゴジラを説得している。
ゴジラは唸ったまま下界を見下ろして時折熱線をはき続けている。
「ゴジラジュニアは前はもっとかっこよかったのに、おっさん顔になっちまったなあ」と意味不明の感想をつぶやく天にゃん。

場面は変わる。

GUYSのメンバーふたりに連れられたスーパーで働いているおねーさん5人とサラリーマン1人と出会う。
「おい、逃げ道を知らないか!」
「あ、さっき逃げてきた避難地下道があるから案内します」
しかしその地下道は一部でゴジラの真正面へ出ることになる。
「ゴジラは高いビルの頂上にいるから、走って通り過ぎれば気づかれないでしょう」と天にゃん。
ゴジラの前にでた。
ゴジラは相変わらず目を閉じたままうなっている。
「寝てるのかな」と思った瞬間、目があき熱線が飛んできた!
一行の一部は熱線を浴びたらしい。

話は継続しているが、場面は変わる。
ゴジラが襲っている町なのに、少し離れたところでは選挙運動の真っ最中。
「ゴジラにやられたー」と言っても辺りの人は笑って相手にしてくれない。
「おまえらにゃわかるまい。そのうち襲われるわ」と話すことをやめて、選挙事務所を巡る。
そのついでに体調の相談をすると、「早く医者に行きなさい」と言われる。
「やはりそうですよね」といいながら、「そんなことしか言えんのか」と別の選挙事務所に行く。
そこは古い木造商家で、いかにも繁栄した天井の高い木造建物。
中に座ってあたりにいる人の話を聞いていると、「どうされましたー?」とお茶を持ってくる三浦理恵子。
「○○の調子が悪いんです」と体不調を訴え、「あちらの事務所では医者へ行けなんて当たり前のことを言われましたよ〜」。
彼女は笑顔で「だからあの候補者はダメなんですよね。こちらへ来て。私なら簡単に治せちゃうかもしれません」。
なぜかスケベ心いっぱいでついて行くと、期待に違わない行為があったあと、「手術してあげるね」といいながら、事務所裏で彼女による手術がある。
「わたしねーオ○ムなの〜。みんなひどいよね。オ○ムはなんにもしてないのにさー」と意味不明なことを言う。
んーかわいすぎる!

「はい治ったよ〜」
「ついでにこれも取ってあげる!」と脂肪の固まりも取ってくれる親切な彼女w
それも20x20x50(cm)ほどの脂肪片を二枚も。

気づくと自分の体が目の前にある。その体は4本の足をついたまま立っていて、どう見ても犬。
しかし頭がついていないというか、頭がついているべき箇所がない。
体は背中がまっすぐに開かれていている。
信号交差点の脇にそれは立っていて、ずっと横で見ていたらしい女子高生ふたりが、「ちょっと中を見てもいいですかぁ?」
といいながら、切開した部分を押し広げて内部を見、きゃっきゃっと笑ってる。そのうちさらに内部に手をかけて内蔵までを見ようとしている。
「もういいから早く元に戻してよ」と三浦に言っても彼女は笑っているだけ。
「大丈夫、治りますよ〜」と。
きゃっきゃっ言いながら天にゃんの体の内部を見る女子高生。
その光景を見て「死ぬかもしれない」と思い、「やめてくれ〜」と泣き叫ぶ天にゃん。

ゴジラ、山田さん、選挙事務所巡り、三浦理恵子、古い木造商家、脂肪、女子高生...ひょっとしてお医者さんごっこも入るのか(笑)

興味のあるモノばかりが登場するわりにゃロクでもないオチやん...
夢占いが無意味なほど、ストレートな欲望の夢や!

2007年5月14日 (月)

白山神社と笈瀬川 〜美濃路をゆく(2)

かつての笈瀬川の流路の東には白山神社がある。
433720334_163 この神社では傍らにかかっていた権現橋の構造物が柵として再利用されれている。
リサイクルだということを恥じるようすなどまったくなく、むしろ橋桁であったことを誇るかのように入り口に向かって「権現橋」の文字が向けられている。
これも橋に対する愛情の表れだろう。
橋という構造物は、本来川がなければ成り立たないものだけれど、石造りの橋は川を失っても見応えがあるのは不思議なことですな。
手で触れると賑わいが聞こえてくるような気がする。
車のエンジン音じゃないよ^^;
中に入ってみると、お札があったので「足が治るように」と書いて指定の賽銭を入れてみる。
御利益や、いかに!

433720334_246 八坂町付近に達すると、道幅が狭くなる。
屋根神様を探しながら歩いていると、どこからか太鼓の音が聞こえてくる。
音に誘われてみると、津島神社祭礼の練習だそうで、大人子供が津島神社とおなじ敷地内にあるお寺の境内でたいこをたたいたり、鉦をたたいたりしてる。
けたたましいその音は石取り祭りの呼び名もあると境内の張り紙にある。
石取り祭りとは本来何を意味をするのか。
桑名市固有のモノではなく、一般名詞なのか。

2007年5月13日 (日)

風林火山(19) 呪いの笛

カメちゃんおかしい、浮いてるよ。
決してカメちゃんの芝居は悪くない。むしろああいうイメージで作ってほしい希望は、「信長」の頃からあるけれど、他の人たちが平成の雰囲気で芝居してるのに、彼一人だけが「歌舞伎=戦国」の雰囲気で演じちゃって、変なんだよなあ。

相も変わらず貴人である信繁を「信繁様」と平気で呼ぶ神経。
日本には昔から貴人に対しては名前で呼ばないという風習があるのだから、いい加減にしてほしいんだけどなぁ。

正直言っておもしろくなくなってきたなぁ。
カメちゃんのよくわからん晴信と、いかにも現代風な勘助にどこまでついていけるだろうか...

船旅がダメなら歩け! 〜美濃路をゆく(1)

七里の渡しは、極端に嫌われていたようだ。
これを回避するために、幕府は佐屋を経由して三里の渡しに縮めてみたり、中山道へと回らせるルートを作ったりしている。
前者は佐屋街道と呼ばれ、美濃路は後者。
東海道宮宿から分岐して名古屋城の大手道でもある本町通りを経由して名古屋宿に至り、西へ折れてのち垂井宿にいたる。
垂井側の中山道と美濃路との追分は、先日通過したばかり。

432514575_249 伝馬町から歩き始めた。
一号線と平行する1本西の道。
突き当たりが美濃路の出発点で、東海道は左に折れて宮の渡しへとつながる。
これを右に折れて1号線を越すと、熱田神宮の入り口になる。
その手前の蔵福寺では、七里の渡しで使われていた鐘を見る。
その向かいにはひつまぶしで有名なあの店。
開店前から並んでいる暇人が数人。

美濃路が主要街道として機能していた頃は、熱田神宮のなかを抜けていく人も少なくなかったらしいが、天にゃんはまじめに美濃路をたどるため19号線を行く。
熱田さんの中を通ると、頼朝生誕地の碑が見られないよ。
ところで頼朝はよく右大将と言われるけれど、これは右近衛大将のことだろうか。

432514575_60 ここからひたすら北上。
金山で佐屋街道を左に見送り、古渡を越えていよいよ本町通。
なにもないので歩くのみ。
そのうちに札の辻に着くが、ここが名古屋宿の跡らしい。
今やただのビジネス街に過ぎず、さっさと通り過ぎる。
ここを左へ。

伝馬橋を渡って北へ折れ、堀川に沿って北上。
五条橋で1本西の道へ移ってさらに北上。
サンゲツを西へ折れて幅下公園の中を通ってまたまた右へ曲がる。
突き当たりを左へ行けば、あとはまっすぐ西進。
まっすぐ。

432514575_92 で、ここまでなにがあったかというと、宮での分岐道標(←写真)、林桐葉邸跡、岡部又右衛門家跡、笠亭仙果出生地、白鳥御陵道標、源頼朝出生地、青大悲寺など。
しかしあまりに車の多い幹線道路脇だけに、うんざりすることも事実。もっともこの片道5車線ある道路が、かつての美濃路を拡幅して設けられたとは知らんだろうなぁ。

で、西区にあったという大木戸近辺で遅いランチ。
途中から日が照ってきて、ハイキング日和でしたから、のども渇いたー。
ビールもうまかったし、ガーリックミートソーススパもうまかった!

2007年5月12日 (土)

さくらんぼ

五条を歩いてたときに、路上でみつけたもの。
さくらんぼ

あんまりいっぱい落ちてたので上を見上げると、大きく手を広げた桜の木。いや、ここはひとつ彼女の名誉のためにさくらんぼの木と呼んであげよう。
だって観賞用の桜の木には、食べるに値するさくらんぼはならないもの。

拾い食いは人目にも悪いので、手の届く範囲のさくらんぼをちぎって食ってみた。
はぁ〜いい香りがするわん(*ё_ё*)きゅん・・
もひとつちぎって口に。
はぁ〜ほのかな甘みが体に優しいわん(*ё_ё*)きゅん・・

だれひとり食べないさくらんぼを今年は天にゃんが食った^^
さくらんぼ、今年は成仏できるね、かあさん =^∇^*=

♪愛し合うふたり いつの時も
 隣どうし あなたとあたし さくらんぼ♪ by愛 

2007年5月10日 (木)

好きです五条

奈良では日本人の宗教観について、二つの特別展示が行われています。
ひとつが国立博物館の「神仏習合」であり、もうひとつが橿原考古学研究所の「山の神 山の仏」です。
時間的に余裕があった今日は、より遠い橿原で決まり。
そしておまけに町歩き^^
検索したら五条・新町がヒットしたので、今井町と天秤にかけた結果、「ドライブも楽しむのだ」ということで、これもより遠い、五条に決まりました。

「山の神 山の仏」
展示を見ていて、「日本人は神仏を区別できない」と笑っていた自分がはずかしくなった。いやぁ、実はぼくもなんですよ(爆)
日本の在来宗教は、三輪山そのものをご神体とするような、自然神に近い物で、神体というものは本来抽象的な存在であり、神が宿っているから三輪山 がご神体なのです。本来は抽象的なものであったはずの仏教もアジアに広まっていく過程で西からの文化と交わって、仏像というものを生み出していく。「拝む 対象=アイドル」を作り上げたことで、仏教はある種特異な存在になっているような気
がするが、反面、「仏教といえば仏像」くらいの認識になってしまっているのが現実だろうと思う。
と小難しいことを書くとまたそっぽを向かれるのでこのくらいのしとく(笑)
展示は、その痕跡を見せる物でありました。
また天にゃんの新しい「おもちゃ」が増えた気がします。
それは山寺、そして廃寺。
いい加減にしとかないかんよ>自分

適当に切り上げて五條・新町へ。
適当というわりには2時間以上もおった。
説明文を読んで実物をにらむだけで2時間では足りないボリュームなのです。地元民であったなら、余裕をかまして、半日以上はゆったりと楽しめますな。

429699780_123 新町は120軒ある民家のうち2/3が江戸時代のものだとか。
ほんとに飽きません。
やはり「ここがクライマックスやな!」っていう部分はありますが、それは「あぁ〜イクっ!」っていうまさしく絶頂で、それ以外にも楽しいところ盛りだくさん。少なくとも町歩きを趣味とする人々は1日あっても足りないでしょう。
よそでは珍しがられるけれど、ここには腐るほどあって、しまいにゃ見向きされなくなるものふたつ。
うだつ
虫籠窓
こんだけたくさんあるとありがたくもなんともないです(笑)

「イク〜」のは、てつやはし付近の風景でしょう。
江戸中期から操業する酒蔵と、大正初期からやっているという餅屋さん。橋を挟んで対角に位置する。
当然酒蔵は地元の名士のふさわしいミセと、建物を持ち、庶民代表である餅屋さんは、小さな土間の奥でおばちゃんが餅を作っています。

酒蔵では、地元が協力して作ったという柿ワインを買う。
餅屋さんは残念ながら、「作った分がはけたらおしまいやねん、ごめんねぇ」だって。
看板も上から塗り直したような雰囲気で、建物は隣に流れている川にせり出して建っている。現在ではきっと許されないであろう環境が、法を超越しているように気分になる。
法律<時間。
おばちゃん、きっとリベンジするからこんどは頼むよ!

429699780_82 もうひとつだけふれておきます。
奨励会とかいうすっかり寂れきったいい味の商店街があるんですが、路地を少しはいると井戸がありました。
一般のわれわれが知っている井戸ではなく、もっと大規模なもの。
上屋ももうけられていて、名を「桜井」というらしい。
昔はここに人がたむろしてにぎやかだったんだろうなぁ。
あとでちょっと調べてみるけれど、あの場所の空気は見た人にしかわからないし、たまたま散策していて見つけたという事実は、まるであの井戸を自分が発見したような錯覚に陥る物であります。

この町の特徴をもうひとつ記しておきます。
路地がすごい。
路地が縦横無尽です。
その路地にも虫籠窓の家屋があるから恐れ入る。
路地の楽しさってホント、発見する楽しさ。
あたしゃ路地で営業する小さな八百屋さんと、たぶんワイルドの日本の在来サクラソウを見つけました!
時間があればすべての路地を巡って地図ーに残したいほど、その変化が楽しくってたまりません。

わし、また行きたい。
いつか路地を制覇したる!

タイトルはね、酒蔵さんでいただいたステッカーの文句です。
けっこうきれいなステッカーで、もったいないから張ったりはしないけれど、我が町もこんなんできるといいなぁとうらやましくなってしまったことでした。

2007年5月 9日 (水)

車の補修

428453485_225
長いことかかりましたが、やっとめどが立ってきました。
塗装の下地が仕上がり、あとはスプレーで塗装するだけになりました。
外したままの水切りもやっと取り付けられる^^;
長い間むき出しだったAピラーアンテナ撤去のあとも、きちんとパテで補修し、手で触ってもわからないくらいになっています。
まぁ物事なんでもやる気だな(笑)
もっとも傷が小さいかったり、目立たない部分だから「きれいに仕上がったように見える」だけのことで、プロから見たらお笑いの仕上がりです(笑)
詰めが甘いしね。
でもどうせ14年落ちの車だし、いまさら穴埋めくらいで人に頼めるかっていうの。
古い車に乗るって言うのは、そういうこと。
これでまた愛着が深まったよ(*⌒3⌒*)ちゅ〜

2007年5月 8日 (火)

ふるさと納税制度

また安倍君はえらいこと言い出しましたなぁ。
なに考えとんだ、この人。

ふるさと納税制度とは、住民票がある自治体以外にも納税できるという制度らしい。
なんのためにそういう制度を創設するのかはさっぱりわからんが、住所地以外で所得税を払う人は、もちろん税金を納めた自治体の行政サービスを受けることになるんですよね。
警察も、教育も、消防もすべて地方自治ですから、そちらで受けてくださいってことですよね。
そんなことは当たり前だよね。
税金を払ってないやつに行政サービスを提供する必要ないもの。

人口密集地の方が行政サービスは高いのが当然である。
育児補助金だって自治体によつて違うし、交通機関などのサービスだって違う。
そんな「不公平」な環境であるのに、それをどう是正していくのか。

安倍君、体外受精の問題とか、赤ちゃんポスト問題とかもっとやることがあるんじゃないのかね。

2007年5月 7日 (月)

ネット利用意識の低さ

先日、CoCo壱番屋で宅配注文したんですよ。
そしたら「宅配はやめました」とのこと。
でもネットで調べるとやってることになってる。
再度電話すると、「2/15で終了しました」とご丁寧なお詫びの言葉まで。
じゃあネット情報はなんだ?
Formから聞いてみた。
んーむ、24時間たっても音沙汰がない。
立派なホームページなのに、素人より反応が鈍いのかい。
本質的に「田舎の食べ物屋」なのですか。
人事情報はきちんと更新しても、店舗情報には目が行きとどかないって、ダメな会社じゃないですか。
人事情報まで公開したって、一度信頼を失ったサイトなども信じられないのですよ。

ときたま見る自治体のサイトにもそれは言える。
「観光情報」なのにリンク先がなかったりなんてこと、ちっとも珍しいことじゃない。そんなのいちいち人の手で調べなくても、ソフトで巡回すればわかることだと思うのだけれど、いったいそういう人たちはこのネット社会、どういう意識を持ってネットを利用しているのだろう。
もっともパソコンソフトを開発・管理している会社ですら、4日後しか返信してこないのですからね、一般の会社など「推して知るべし」といったところかもしれません。

ウルトラマン プレミアステージ

舞台芝居というものを初めて見た。
それも中日劇場という大きな(?)箱で。
いい年をして一人で見に行くはずがない...と言ったら隣に座っていたアベックに失礼だろうか。

特撮劇をどういう形で舞台で再現するかという点のみが気になってました。映像を使ったり、芝居の流れの中で暗闇を作り出したりするんですね。セット換えが何度もあるのに子供の注意をそらさない技術はさすがです。
これ以上の再現は無理でしょう。

前座のおねーちゃんたちも司会のねーちゃんもかわいい。
これはおかあさんといっしょの舞台のスペシャル版といえばイメージできる。つーか、そのまんま。
どうみても比較にならないほど豪華だけど(笑)
短いスカートでチラチラされるとそちらばかりに気が行ってしまうのがおじさんw
見えてもいいんだろうし、そもそもどんなに短くとも二階席から見えるはずがない。

それと、擬斗です。
あれはかなり危険な物に見えました。
まず受け身、跳び蹴り。
それを間良く再現するのだから、熟練の技がいる。
ましてや、体の外に突起部を持つ怪獣たちは大変。
ウルトラマンとのからみで自分の体が邪魔になったりする。
そういうものをお互いフォローしながら戦うことは、「プロフェッショナル」というしかありませんでした。怪獣ごっことは違う!

ステージは値段相応だったんけれども、施設が古すぎる。
座席が狭すぎ。
最新シネコンの半分くらいのスペースしかない。
これで3時間半は大変にきつい。
あたしゃ足が短いし、通路側だったので、適当に足を伸ばせたけれども、そうでない人はかなり疲れたんじゃないだろうか。
「またここきっと会いましょう!」と森次晃司は言ったが、はっきりいって中日劇場は勘弁してほしい。

それにしてもウルトラマンてたくさんおるんだなぁ。
あんだけ揃うとマックスすらわからん^^;
ましてやメビウスなんぞさっぱり。
ウルトラマンの第一世代である天にゃんですらこれです。
甥に聞く始末です。

ステージが終了後、玄関先でサイン会が行われていました。
GUYSの退院のでぷっちょ、背の高いヤツ、アマガイコノミ、森次、黒部各氏がサインに応じていました。
高価なプレミア付きのクオカードを買うとサインしてもらえるらしいが、あたくしはこういう商売は嫌いなので、絶対に買わない。
サインなんて金払ってまでしてもらうものじゃありません。
ただ彼らがお客の顔を見て笑顔で手を振ってくれればそれでよろしいのです。
ちょうど人混みの中から甥を差し上げた時にでぶっちょがこちらを向いて手を振ってくれました。
運がよかったね。
いつもは「やっぱり帰りたい、ママがいい」という年長の甥も、ずっとステージに集中したままでした。
それにしてもアマガイコノミ役の平田弥里は空恐ろしいほどにかわいい。地球上の物とは思えんよ...

それで、このショーは名古屋だけなのかな。
パンフレットに製作・中日劇場のクレジットが入っているんですけど。

















やっぱりゴジラなんだよ....

2007年5月 6日 (日)

眠り病

朝10時頃起きた。

12時半、冷凍室にあった半端ものをあっためてビールを2本飲んだ後、やきそば食った。

また寝た。

ラジオからのやかましい絶叫野球中継で起こされたのが5時前。

こんなに寝たのにまだ眠い。

2007年5月 4日 (金)

津島藤まつり〜山車巡行

Th_img_7153 一日山車のストーカーしてました。
笛吹いてる子のストーカーじゃねぇよ、くれぐれも(笑)

朝行ってみると、すでに津島神社周辺の道路に山車は引き出されていた。せっかく古い町並みで撮影しようかんがえていたのに、だめでした。こうなりゃ帰りを狙うしかねぇなと心中深く秘める。

午前中のからくり、車切を見て、一服。
警備のおっさんに聞くと、津島神社周辺に戻ってくるのは2時半頃だというので、しかたなくじかんつぶしに津島上街道を少し歩いてみる。20分ほど北上したが、意外と古い建物が残っていて驚いた!
井戸のポンプなんてのも放置してあるに過ぎないが、水槽の上に置いてあると、今にも水がくみ出せそうな気がする。

そんな一角でHONDA CB750Fourをいじっている人がいて、思わず声をかけて写真を撮らせていただく。
「子供の頃から憧れていた一台だったんです」
と言ったら、にこやかにいろいろと話してくれました。
「免許とって一緒に走りましょう」とも。
あぁ、そうしたいなぁ...

Th_img_7280 津島神社前に戻って神社で座り込む。
おはやしに続いて警備のお巡りさん出現。
「来たな!」
ここからは解散までずっと山車について歩いてました。
何よりも上街道のトノ割地区を通過したことがうれしかった。
古い町並みが一番まとまって残っているところだから。
モノクロでも撮ってみた。
ノイズを入れたら100年ほど時代が下がりそうだ。

Th_img_7317 市神社を氏神とする3つの山車が奉納を済ませると、ふたたび天王通へ戻って東へ。
道路中央で、拍手と万歳の中で解散。

山車を中心とした集落のまとまりっていうのはいいもんだねぇ。
ヤンキーみたいな兄ちゃんも、ハゲのおっちゃんもリーダーのかけ声ひとつで動く。
形式だけかもしれないけれど、氏神では全員が山車から降りてお参りする。
こうやって日本の社会は成り立ってきたんだなーと痛感する。
あの若者たちが、この先もずっと山車を町の誇りとしてくれるように、わしらも応援していかねばなるまいて。
あの山車には長い人と街の歴史が籠もってるのだ。

帰宅して3時間たって今も、耳にはお囃子が聞こえている^^

今日の藤まつりに山車が出る!

今日は市街地の山車が5台引き出されて天王川で車切り・展示されます。
観光パンフレットには「山車巡行10時〜16時」とあるので、たぶん各町内から津島神社を経由して天王川へ出るものと思われます。

広い場所で車切りを見るのもいいけれど、古い町並みを縫うように進む山車もこれまた良いものです。
古い町並みをすっかり失ってしまった名古屋の山車に唯一勝てる風情かもしれないので、今日は一眼2台体制で撮影に臨みます。

2007年5月 3日 (木)

今日も今日とて藤まつり

Th_img_6753 いかに暇だかわかってしまうねw

今日は甥・姪を各一連れて。
藤よりも露店ですね。
「金魚すくいするっ!」姪と甥が叫ぶ。
「だれがその金魚を飼うんだ」とおじさん。
「んじゃボール釣りする」と、ものわかりのいい姪に対して
「金魚すくいやるって!」としつこい甥。
それでいて、なんか食うか、と聞いても金魚すくいしか言わないふたり。
ふぅ〜^ε^;

Th_img_6756 今年の藤は花が降りてこなかったために、子供が直接においをかげない。
抱きかかえて花の前に顔をやれば「うんうん、いいにおいするー!」
幼稚園年長の甥は不思議そうな顔w

どうにか金魚すくいはあきらめさせて、一服だぁ。
お待ちかねの牛串とビール!定番ね!
子供らにはみたらしとジュース。
「肉はいらん」という子供たち。
でも子供の言うことなぞ信じてはいけない。
おじさんの牛串は甥に9割方食べられた(×_×)

Th_img_6797 姪は「寿司が食べたい」という。
甥は「帰りたい」と。
見るほどのものは見たし、帰るか。
駐車場への道すがら、築250年の重文堀田家がある。
「このおうち、250年前に建てられたんだぞ。」と吹き込んでみるw
「250年前っていつ頃?」
「じいちゃんの6代くらい前のじいちゃんが生きとった頃かな」
「中入れるなら見てみた〜い!」
ふふ、洗脳策第一弾、成功(笑)
わしゃ5/1に見たばかりだが、何度入っても落ち着く建物である。

堀田邸を出て、帰路につく。
途中見える東海道・脇往還佐屋街道の解説をしてやる。
「ここは江戸時代の終わり頃江戸の将軍様が通った道だよ。嘘みたいだろ。」
なにも知らない者がにわかに信じるはずがない。
なにしろただのアスファルト道路なのだから。

「そういえば日本が昔戦争したでしょ」
「外国とは4回しとるね。日清、日露、第一次大戦、第二次大戦」
「ちがう、そういうのじゃなくて。ほれーダイイチダイマンなんとかって...」
姪は大一大万大吉のことを言ってる。
つまりは石田治部少輔のことであって、戦争とは関ヶ原の戦いのことなのだった(苦笑)
「クラスの目標がダイイチダイマンダイキチなの。クラスの○○くんていう子が提案して決まった」そうだ。
なんともはや高尚な目標やな(笑)
いつも「ママがいい」と駄々をこねる甥を切り離して回転寿司へ。
6皿でひぃひぃ言う天にゃんを尻目に楽々15皿食う姪。

その後本屋行くと「欲しい本があるんだけどあと190円足らんで、ちょうだい」。200円渡してやると「あと10円足らんかった」。
スーパーへ行くと、「お菓子ひとつ買っていい?」。
ずいぶんむしり取られたなぁ...

明日はいよいよ津島市内のからくり山車が天王川公園に引き出される。明日もそれを見に天王川へ行くつもり。
どうにか天気は保ちそうだ。

2007年5月 2日 (水)

某酒蔵にて

先日、市内でスタンプラリーをしていた時の話。
珍しく蔵の玄関が開いてました。
ここもスタンプポイントのひとつだから当然でっす。
いつもは玄関がぴっしり閉まっていて、とりつく島もない感じ。
酒は上品でうまいだけに、直に売ってほしいのだ。
この日はとんでもなく珍しく試飲をしてました。
一種類だけ^^

天「おたくの酒はあんまり売ってないですよねー」
酒「市内だと数軒で置いていただいてます」
天「セントレアでしか見たことがないんですよぉ」

すると、おねーさん、置いている店を教えてくれました。
キャー!ラッキー!!!
「いまならほとんどのラインナップがそろっていると思います」
だって。
きゃーきゃー!!!!!
でも「新聞紙を巻いただけ」とか、「酒酵母番号」が商品名に代えられているような酒は怖くて買えませんよ^^
なんだかうれしい悲鳴です!

この酒蔵、知人と散策している時も立ち寄りました。
またまた珍しく玄関あいてたんだもん^^
公的には江戸後期の建物と言うことになってるらしいけれど、聞けば江戸中期だという。
中津川の枡形にあった某酒蔵も店の方は「江戸後期」と言ってたように思うけれど、内部の部材にはちょうなで削った黒光りの美しい材料が見られた。 ちょうなはかんなによって淘汰されたから、それが普及する以前の江戸初期からちょうながほとんど見られなくなる中期にかけての木材じゃないかという疑いを 持つことができる。
いい部材は捨てることなく、何度も何度も使い回してきたのが、日本人の木材文化でもある。
今回の酒蔵にもそういうことがいえるのかもしれない。

内部に入ると現役の箱階段。しかも手すり付き!
ミセの土間には秤が設置されていた穴もあってびっくりした!
しかも知人は、店先の馬輪まで発見!
なんとも目の付け所が鋭い!つーか、まだまだ地元をなめていた自分の負けということですね。

2007年5月 1日 (火)

医者の言うことを聞かないヤツ

420420261_168_1 今日は、一種のオフでした。
朝から津島神社→市内徘徊→ギャラリー見学→堀田邸見学etc...
そして東海道の脇往還・佐屋街道も少し歩いてきました。
今日は同じ趣味を持つ知人と同行。
普段はひとりよがりな街道話も、今日は共有できてすごくうれしかった。

420420261_184_1 町並みの背後にあるものを見ようとしているのは、天にゃんだけではなかったことが、なによりうれしいのです。
背後にあるモノは具体的には菓子だとしても、それをひとつの文化と考えた場合、すべてが人間の歩みとなる。
背後にあるモノは趣味や興味の対象によって違うけれども、それは嗜好の問題であって、考え方の相違ではないと言うこと。
だから意気投合してしまうのでしょう。

420420261_76 佐屋街道・埋手追分から、南下して巡見街道に合流して佐屋宿へ。
史跡は残ってはいないけれど、いつもの「妄想」で勝手に盛り上がって歩き続けました。
やはり街道歩きは楽しいな。
やめられない、とまらない。

長谷川先生、言うこと聞かなくてごめんなさい。
明日はリハビリ行きますから^^;

« 2007年4月 | トップページ | 2007年6月 »