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2007年1月22日 (月)

宮崎県知事になる

メディアはいろいろと分析してるようだけど、県民というよりも、選挙民全体が腐った政党政治を否定し始めてるっていうことじゃないのかな。

大体選挙と言ったって、選択はほぼ3つしかない。
a.自民・公明の野合
b.利益によって分裂下に過ぎない民主
c.それに共産党。

aとbはなんら変わらない。
やつらの都合によってふたつの派閥になっているだけのことで、別に主義主張が変わる訳じゃない。
自民の税法上の問題が発覚すれば、同じように民主もやっている。
「二大政党制の到来だ」とメディアはあおり立てるが、大体保守の二大政党でうまくいってるのはアメリカくらいやろうに。民主主義の本拠地では多くが保守と革新の二大政党であるから、政策の振幅が大きい。「何かが変わるかもしれない」と積極的に期待が持てるというものだ。

茶番選挙はうんざりだってのが選挙民の本音だろうね。
自民だろうが民主だろうがなにも変わらない。どっちも政党政治の走狗でしかないってことを知ってるのが、「行ったってしかたない」とする人たちじゃないかとも思う。

よく例に引くけれど、ぼくは小村寿太郎がわりと好きです。
日露の現状をよく踏まえて命を賭けてポーツマス条約を結んだ。
われわれがよく知っている、「日本は戦争を続ける余力がなかった」ことを国民は知らなかった。だから小村は徹底的に国民にあざけられ、日比谷では電車の焼き討ちまでが起きている。
その小村。
「政党など百害あって一利無し。徒党に過ぎぬ」と言ったとか。
彼が恐れていたのは、現在の日本の"民主主義"ではないか。
政治家の理念が生かされない政治。
最大公約数的な政治になることを、彼は危惧したんじゃないか。
そうしたことを選挙民はいいたいんじゃないだろうか。
「知名度が云々」とか、それは受け皿としての要件でしかなく、政治そのものの問題ではない。
宮崎県には、むじな以外の候補者が現れたということなのだ。
むじなどもNO!

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