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2007年1月 7日 (日)

中山道を歩く 柏原→高宮宿(2)

311900155_248_2 久禮一里塚をたって、番場の宿を進みます。
番場宿は東と西に大別しなければならないほどの集落らしくて、沿道の案内板にもわざわざ「東番場」とあります。街道沿いは民家が途切れることはなく、鉄道が開通するまでの繁栄の跡を感じることができます。
番場に入ってしばらくすると左足に異変が現れてきました。
くるぶしの下が痛い様な痛くないような。
時にはかゆみのようなものに変わったりする。
痛くて歩けないほどではないからそのまま歩いていくと、「番場宿」と大書した石板と出合いここで一服。
311900155_95 番場宿の脇本陣跡で、米原駅へ向かう道と交差し、明治22年に開業した米原駅へのアクセス道路として作られたのでしょうか。
さぞ人でにぎわったことでしょうなぁ。

西番場に入ると左側に蓮華寺の大きな入り口が現れました。
足も痛いことだし、しばらく休憩するつもりでその中へと進んで行くと、民家の玄関先には祠に入った石仏さまがあります。1軒2軒ではなくて、1/3くらいの民家にはそれがあるのです。

歩き始めてずっと気になっていたのだけれど、民家のなかに置かれている祠はだれのものなのでしょ?大概は外に向けてあったり、玄関先に置かれていたりするのですが、あくまでも他人の家の敷地内で、前まで行って手を合わせることは気が引けるのです。
家と街道の中間点に置かれているという点で、美濃路界隈で見られる屋根神様と酷似しているような気がするのです。どういういきさつでああいう祀られ方をしているのか知りたい。
ひとつひとつきちんと手入れされていて前掛けは欠かしていないし、お化粧されている家もあれば、白木の祠だったり。自分の住む家よりも祠の方が立派な家すらあるのです。
正月らしく、ちゃんと鏡餅のお供えもされていて、なんとなく住む人たちの優しさを感じます。
お供えってのは一般に仏様に上げるものだけれど、現実には食い詰めた乞食のような人たちの救いの食糧となることもあります。つまり街道で食い詰めた旅人のための食糧と言う側面もあると個人的には考えています。だからこそこの地区の人の優しさや穏やかさを感じるんですね。

蓮花寺は静かです。
太平記や今いずこって感じで、頭上を名神が走っています。
雪も降っていないのにしんしんと冷え込むのは、気温だけによるものでもないように感じます。奥には自殺した北條仲時他将士の墓があるそうですが、詳しく知らない者が見ても得るところは少ないのではしょります。
番場には明治天皇の休息所やら鎌刃城あとなど見所も少なくないですが、全部カット!なんとしても日のあるうちに鳥居本まではたどり着かなければ帰れませんから。

番場宿を過ぎると峠越えにかかります。左側には名神が着かず離れず沿っており、不愉快(;^_^A アセアセ・・・
部分的には名神の側道でもあるのです。それでも人家さえない田舎道に祠があることで官道であること誇っているようです。
この峠越え手前で、中山道歩きらしきアベックに出会いました。

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