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2006年11月12日 (日)

功名が辻 (45) 三成死すとも

中村橋之助、あっぱれである!
三成に与えられた少ない機会で、可能な限りの力を注いで三成を演じ抜いた。見事というしかない!
「太閤殿下に拝謁...」のこざっぱりした顔こそ、石田三成が行き着いた信義の表情と心得るべし。

大坂へと向かう三成を表現するのに著名なエピソードを無機的につないだのは仕方ないにしても、つなぎが茶々では不愉快極まりない。
三成亡きあと、家康は茶々を利用して豊臣家を破壊していく一方で、強権を持って東軍に与した豊家大名を崩していく。
その重要なキャラクターである茶々に対して、家康があからさまな怒りを見せるはずがなく、むしろ、心の中でほくそ笑んでいたのではないとか思われ る。近江文治派と尾張武断派の対立は豊臣を内部から割るのだが、その核として茶々ということである。強烈なキャラクターとして、ああいう芝居が必要なんだ ろうかねぇ。あまりに醜い茶々ではある。

相変わらず影の薄い主人公たちではあるが、関ヶ原の戦いを通して、一豊は一回り人間が大きくなったと言うか、悟りの境地に至ってしまったという か、なんとも言いようのない人になってしまったね。あれが歴史的事実であれば、ここは隠居すべきだろうね。一豊が土佐一国に封じられて浮かれていたからこ そ、隠居などということは考えもしなかっただろう。言い換えれば浮かれていたことが、一豊の控えめな性格を表していたと言えるかもしれない。つまり感情の 起伏が小さいために、それを押さえきることができるんじゃないか。一豊はそういう男だった。
演じる上川は所作が年振りた感じがするねぇ。
「右府さまから働いているのは...」と家康に話しかけられたときにはまだまだ若造の顔だったのにね。いっぺんに年食っちゃったわ。上川は意識してやっているのだろう、大したもんだ。

六平太がいう。
「家康は一豊を試している」と。
天にゃんはむしろ、もっとネガティブに捉えています。
天正年間に秀吉が佐々成政を肥後に封じたことで、彼を間接的に抹殺したが、それと同じことを一豊にも与えた。このことによって土佐は「切り取り次 第」であり、「家康は悋気ではない」ことの証明になるからだ。しかも一豊が治世に失敗して混乱を招く様なことになれば即座に召し上げれば良い。それこそ一石二鳥!
しかし佐々は敗者、一豊は勝者、立場が違う。その分、失敗に対する許容範囲も佐々の案件よりは大きかったと思われる。一豊は長宗我部の遺 臣に対して、散々なことをするが、それも許容範囲であったと考えている。

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コメント

ねじぃは、天茶が歴史も抹殺するはずだった。
つまり三成へ武断利用しなかったよ。
しかもきょうねじぃは次っぽい利用しなかったよ。

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» 功名が辻、感想〜山内一豊、土佐一国ゲット!! [一言居士!スペードのAの放埓手記]
功名が辻ですが、石田三成の最期や徳川家康vs淀君、山内一豊土佐一国手に入れるなど盛りだくさんでした。三成のことも思ったより描かれていました。三成は、縄目を受けて、晒しものにされます。福島正則は、「なぜ自害せずに、縄目の辱めを受ける!」と三成の全てが気に食わないようですが、三成は「英雄たるもの最後まで望みを捨てず、再起をはかるものだ」と嘯きます。(功名が辻の感想、以下に続きます)... [続きを読む]

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