最近のトラックバック

2016年5月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
無料ブログはココログ

« 慶次郎縁側日記3(2) 空蝉 | トップページ | 今日の昼... »

2006年10月20日 (金)

覚王山散歩〜五百羅漢

覚王山日泰寺は釈尊のお骨を奉じた世界に数少ないお寺であり、日本ではほとんど唯一の超宗派のお寺です。仏教各宗派持ち回りで管理しているらしい。
しかし今回は時間がなくて、ちょっとはずれた五百羅漢と日露戦争第一軍の戦死者記念碑を見てきました。後者は遠巻きにしたことはあっても見るのは初めてなのですが、先に五百羅漢に触れたいと思います。

248428855_117 五百羅漢は、大正まで新出来町にあったもの。その存在を知ったのは、この間愛知県図書館で入手した地図によります。
明治44年現在、すでに出来町通りは存在しています。むろん非舗装で細い道だったでしょう。けれども存在したことに意義がある。現在の出来町通りはそれを拡張したことがわかりますからね。ひいては、古くから需要のある道であったこともわかります。
その出来町通りに徳源寺という寺があります。由緒は織田信雄だか織田信孝にさかのぼるはずですが、関係ないのではしょります(苦笑)
その徳源寺のはす向かいに「五百ラカン」と書かれているのがわかりますか?(地図参照のこと)今ではそういうものが存在しない、完全な市街地で す。とはいうものの地図にわざわざ記したほどのものを廃棄するはすがなく、どこぞへ移したんだろうとは思っていたのですが、こんなに早く移転先が判明しよ うとは。なんと城山にあったのです。城山というのは、古くは織田信勝の末森城のあったところ。本丸跡の北西あたりにあるというのですよ。あまりの偶然に驚 いて、昼の休憩時間に見に行ったのです。
覚王山で仕事をしなければ、覚王山について調べることがなかったのだから、これもまた縁なのでしょうな。

今でも「放生池」の碑がありますが、池は存在しません。子供の頃はあったのですが、埋め立てられて現在では駐車場になってます。姫が池という名前 だったのに、今やバス停にその名を残すのみ。末森城のお姫様がここまで逃げて来た(今川襲来?)とか平安時代のお姫様がここで世をはかなんで身を投げたと か、子供の時分からいろんな話を耳にしましたが、実際のところはどうなんだか(笑)
そこから東へ100mほど歩くと五百羅漢みちというものがあります。よくみると歩道に案内タイルが埋め込んであるので参考になります。
それを登りついたところが大龍寺。さぁて、ここで2度驚いた。
このお寺、幼稚園を経営してるんですが、ぼくが40年前通っていた幼稚園がこの幼稚園だったのですね!今では名前も変わってしまっていますが、間 違いなくこのお寺。まるで天守閣のような本堂に金ぴかの釈迦如来が鎮座しています。その両翼に建物がのびているというなんともお寺らしからぬつくり。
文化財案内によると、木造の五百羅漢だという。
木造なら室内に安置するだろう。ということは、本堂の"翼"の中にあるわけか。
頼んでみる時間もあるわけでなく、本堂前にある千手さんたちを撮影して次回に託す。

« 慶次郎縁側日記3(2) 空蝉 | トップページ | 今日の昼... »

まちあるき 散策」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/163414/12639862

この記事へのトラックバック一覧です: 覚王山散歩〜五百羅漢:

« 慶次郎縁側日記3(2) 空蝉 | トップページ | 今日の昼... »