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2006年10月

2006年10月31日 (火)

愛国心

町の発展に尽くした人、神社に願い事をした人、寺に寄進する人、仕事をした人、商売をした人、まつりを楽しんだ人、山車を引きたくて友人と殴り合った人、記録した人、飯を食わした人、家を建てた人、人をもてなした人...etc

町を歩くと人の顔が見える気がする。(妄想だってば)
石を刻む職人の姿が浮かぶ。
石町のかたわらの小さな店でどなっている声が聞こえる。
「おい、くわ!その狛犬の耳はどうなってりゃーす。まぁちょっとやわらかできんか!おみゃーさんの腕を見込んでやらせとるんだでな。100年も200年もおみゃーの名前が残るんだで、恥ずかしないもん作らなかんで!」なんてね。
額に汗した佐口鍬三郎さんは、上気した顔で親方の顔を見るわけだ。
「へい、親方!」
なんか自分の中でドラマができあがとるがね(笑)

人が生きた証は町のあちらこちらにある。
地名だって一朝一夕にできたわけではないし、由縁もあり、そこにも人がからむ。
記号じゃないんだよね、地名も。

おれって.....
ひょっとして名古屋が好きなんか?
「名古屋城天守はまがいもの」だの、「愛知万博はクソ」だのぼろくそ言って、腹の中でも小馬鹿にしているのに、町の隅々を掘り返すことばかり考えてる昨今です。

太閤記

せっかく中村橋之助を使っておちゃらけですか。
もうこの手のドラマははっきり勘弁してほしい。
昔からある形通りの秀吉伝説をかいつまんでつないであるだけじゃないか。
連ドラだから、これから見せ場あるだろうが、この調子では見る気も失せる。
そもそも大河で石田治部少輔を好演している橋之助をこんなとこで無駄に浪費すんなーってかんじ。

相変わらず今川義元は気違い扱いだし、どうしようもないドラマだな。中村橋之助を以てしてもこれも見るに能わず!

MOTTAINAI!
おれに作らせろ!

名古屋城外堀に沿って(5) 円頓寺で昼飯!

256764313_44 円頓寺は何度目だろう。
自分の中ではすっかり親しんでいる商店街になってしまいました。
商店街の情報誌「ポゥ」ももうすぐ第三号が発行されます(無料だよ)。8月の終わり頃からだから、まだ2月にしかならないのに、すっかりはまってます。

円頓寺に来たら行く店は「はね海老」です。
海老フライがウマい!と円頓寺コミュでもオススメ。
さすがにビールはなしだけど、迷うこと無しに入店してランチを食う。
アタック25をみながら食う。
あー海老がぷりぷりだぁ!
見た目は大したことないが、食べるとうまい!
これでビールを飲めたらしゃーわせなのになぁ!
ぱくぱくぱく。
昔はこういうタイプの食堂ばかりだったなぁ。
食い物のうまさと店の作りにはなんら関係がないことがわかった。

256764313_157 もうひとつがその向かいにある丸小精肉店のコロッケ。
とりあえず二個買った。
傍らには名古屋ローカルテレビ番組のステッカーがペタペタ貼付けてあったので、写真を撮らせていただく。
食い物屋で写真を撮るのは、「第1回大人の遠足・一宮市萩原」以来だなぁ。あんときゃ串ものだった。
「ビールはっ!?酒屋はどこだっ!!」
みんなで叫んだ思い出が残ってます(笑)

256764313_85 コロッケをかじりながら、四間道を一人ゆく。
円頓寺に来たらちゃんと屋根神様にあいさつしないとね!
まいどまいど。
毎月来てます<(_ _)>
秋葉さん、熱田さん、津島さん。
ご利益よろしく(^_-)---☆Wink

2006年10月30日 (月)

名古屋城外堀に沿って(4) 皆戸町のひみつ

256705012_151 長者町の次は長島町通り、次は桑名町通りと続きます。

外堀通りは古くからあったようですが、幹線道路として整備されたのはさして古くはないでしょう。なのに比較的古い染物屋さんらしき店を見つけたー。
日曜はお休みですか?
とりあえず古びた看板をぱちり。

次が伏見通り。
この通りも古いけれど、戦後拡張されて、城内をぶち抜き、美濃路と名古屋中心部を直結しました。この通りのお陰で御門としての御園橋の風情がまったく失われています。でも伏見通りに架かっている橋は「新御園橋」
由緒ある御園橋は、たぶん怒っているでしょう。
「なんて失礼な!」
「わたしは300年の歴史があるのよっ」(なぜ女性なんだ?)
名古屋城から南へ出る門は本町と、御園門しかありません。
御園橋は、今でも伏見通りの西隣に並んでいます。
むろん「御園橋」からの通りだから御園通り。今や敷地には愛知県図書館がたち、その出入り口と化しています。

256705012_110 御園通りの次は堀川沿いの木挽町通りになりますが、
実はこの間に1本、外堀通りまで抜けていない通りがあるのです。
それが皆戸通り。
皆戸という字が当てられてはいますが、地理的に見ても港が転化したことは間違いないと思われます。堀川の西に並ぶ地名は大船町、舟入町など、港に関する地名ばかりなのですから。。。
ここには土で塗り固めた耐火仕様のお屋敷があって、あたりの雰囲気を一手に形作っています。
この屋敷の北側にあった溝には、レンガによる突堤のようなものが。
一体これはなんだ???

256705012_52

なぜかここまで気付かなかった、円頓寺(笑)
昼を少し過ぎて飯を食うにもちょうどいい時間帯。
駐車場へ戻る前に商店街で飯を食って行こう!
お城と円頓寺ってこんなに近かったのだ!
通りで四間道を築かなければならなかったはずだ!

名古屋城外堀に沿って(3) 那古野神社

256443894_162 さて、続ける。
本町通と外堀通りの交差点南西角は産業貿易館が建っておりますが、ここは旧尾張藩評定所あとです。維新後は当時の日本で唯一世界レベルであった本草学の伊藤圭介をして医学校になったとか。
(立て札の受け売りですw)
次の通りは長者町。
長者が多かったのかしらん、まるで象徴するが如く名古屋銀行協会が建っております。全面タイル張りで、きれいですなぁ。1本だけ見える化粧石張り の柱が大変に美しく、存在感あります。屋根の上にはなぜか帝冠風の銅板屋根が載っているみえます。よくは見えませんでしたが。モダニズム調で、現代風の建 物が多い中、大変に目立っております。

その向かいには那古野神社です。
神社そのものが新しい印象を持っていること、あまり寺社仏閣自体に興味がなかったことから、今回初めて足を踏み入れました。数年前、目と鼻の先の現場にいたにも関わらず。
中には、名古屋東照宮をはじめとしたいくつかの神社があります。
あぁ、藩校跡の碑がありました。
尾張藩の藩校は名倫堂といいます。
現在の明和高校がその末だと聞いてます。
一応モデル代として東照宮にお賽銭を差し上げました。
「家康ごときに...」と口の中でつぶやきながら。(わずかな布施で恩着せがましいことを言うやつですσ(ε;) )
ちなみに明治44年の地図には「スサノヲ社」「東照宮」と記されております。

256443894_74 256443894_172_1
神社の楽しさは、過去の名古屋の姿や、人の姿が垣間見えること。
今ではなくなった地名が寄進者の横に書かれていると、寄進者がおぼろげながら見えて来る。

明治中期の広小路町ってどんなとこだったの?
夫婦連名で狛犬を寄進した理由ってなんだろ。
大店の旦那さんだったとか...
石工さんの銘入り灯籠なんて持ち帰りたくなっちゃう。
ほおずりしたくなっちゃう。

2006年10月29日 (日)

名古屋城外堀に沿って(2) 本町橋

旧22号を名古屋市内に入ると、床屋→帰宅という時間の使い方が無駄に思えて来る。例えば2〜3時間町歩きしても夕方前には家に帰れる。
となれば行く先は外掘通りやね。
南北と東西の通りが整然と並んでいる江戸自体の区画そのまま。
通りが交差点を点描していくだけなんだけどね。

255691051_135 京町に車を捨て、伊勢町通りからはじめました。
伊勢町通、呉服町通、七間町通。
そして名古屋城大手道でもある本町通り。
昭和初期の郵政会館があったり、本町橋があったり、それほどディープじゃない、観光施設的なものはそろってます。
本町橋を渡ると護国神社があります。
今日は祭礼か何かだったのか、右翼の街宣車が一台静かに止まっており、あたりはお年寄りでごった返していました。

255691051_170 本町橋では橋の欄干を撮ってます。
そしてかつては電車が走っていた堀の底にも降りてみた。
レンガがアーチ状にくまれているのは美しい。
でもあたりが草ぼうぼうというのはいただけないな。
せめて草くらい刈って、橋が下から見られるようにしたいものだ。
もっとも古い橋というのは、本町橋と御園橋のふたつしかないけれどw

名古屋城外堀に沿って(1) 週末の過ごし方

土曜日は知人からのお誘いで、飲みに行ってました。
ドタバタあって、忙しい週末だったなー。
ホテルもとって、万全な体制で臨む。ここのところ体力が減退気味で、平日も緊張感が持続しない野田英樹。
で、日曜はなにしてるっていうと、毎週カメラ下げて歩き回ってる訳で。
まったくINAZOめ、楽しいことを教えやがって!
このままだと、訪れた先で行き倒れになりそうだよ(笑)
昨日の場合は、一宮の東急インに泊まった。
翌日は床屋に行くという予定だったから、クルマで。°゚°。。ヾ( ~▽~)ツ ワーイ♪
チェックアウトの10時、フロントへ行くと「立体駐車場が不調で車が出せないのです。お時間は大丈夫ですか」ですと。復旧する間部屋で待っていてもいいというので、部屋に戻ってテレビ見てた。
東海テレビ...CBC...中京...テレビ愛知...
いつものとかわり映えしねぇなあ!(爆)

255593858_200 車を出して、一路名古屋へ。
気分にすごく余裕があって、バイパスに出ず、旧22号線を南下する。途中で赤池地蔵様を見つけたよ。
傍らには、佐藤良二さんが植えた桜があった。
佐藤良二さんは国鉄バスの車掌さんで、名金線で勤務されてた。その関係で、「名古屋と金沢を桜で結ぼう」と思い立ったのだとか。そのうちの1本が、赤池地蔵と並んでいる。
忘れ去られたようで、少し寂しい気がした。

2006年10月28日 (土)

いまの着信音

「あぁ東京の灯よ、いつまでも」(新川二郎)です。
着メロサイトあさってたらふと見つけちゃいました。
新川二郎といえばこの曲しか知らないけど、一曲でもあるってことは需要があるってことなのね。自分以外にもそんなやつがいるんだなぁと驚いた。
情緒があってとっていい曲だよ。

よ〜るの外苑 夜霧の日比谷♪

あぁ、霧に煙る日比谷が見えるようだ...

みんな、着信音を披露せよ!w
と書きながら下手に下がる((((((((((`▽´;)さささ

2006年10月26日 (木)

忌野清志郎と和田アキ子とBilly Joelと天にゃん

松浦亜弥のオールナイトニッポンに和田アキ子が出た。
「曲かけろよ」と「♪雨上がりの夜空に」を強要したw
和田アキ子のキャラも嫌いだし、今時の歌をさも上手に歌っているようにみせる姿も大変不快だが、彼女のブルースってとってもいいんだよ。最近彼女 自身が気に入った歌ばかり歌っているのを耳にするがどれもいい。「あの鐘を鳴らすのはあなた」より「雨上がりの夜空に」の方がはるか〜にイイっ!
彼女にはああいう歌が合ってると思うの。
そればかり集めるなら、CD借りてもいいな。

さて、ここから芋づるネタ。
忌野清志郎のこの曲は当時放送禁止になった。
何がって歌詞がきわいどかったからやね。

♪こんな夜におまえに乗れないなんて
♪こんな夜に発車できないなんて

彼は間違いなくわかってやっていた。
おそらく放送禁止になるだろうということも覚悟の上。
世間ではこういうのを「確信犯」というのだろうが、それは用法が違うから、該当した人よくよく勉強するように(爆)

彼はきわどい歌を出すことで、統括する組織の愚かさを明らかにしたんだね。音楽の楽しさよりもきわどい歌詞を重視した音楽界の重鎮たちを笑い者にした。放送禁止と知って、彼は勇躍しただろうな。
してやったり!

今や時代は彼の頭ごしに流れているけれど、そうした彼のチャレンジスピリッツはいつまでも生きる者のなかに生き続けると思う。
って今頃になって気付くおれって一体どうよ(笑)

12月にBiilyが来る。
それに備えてたまにアルバムを聞いてるが、彼の真骨頂ってのは、やはりAOLっていうよりも、街角のへんてつもない風景を歌にできることじゃなか ろうか、と思い始めている。ヒット曲はよく練られていてポップで歌いやすく、中にはHonestyのように名曲扱いを受けている曲もあるのだが、リズムの 中で飛び跳ねているBillyを想像できるのは、PianomanとかScenes From An Italian Restaurantなんだよなぁ。
歳を取ってスキな曲の嗜好が変わって来たかな?
いや、そんなことはない。
未だにASIAのオペラチックな大げさな音の作り・キャッチーな曲は大好きだし、Edward Van Halenのギターには血湧き肉踊る。

改めて聞いてもやはりBilly Joelはいいな。
さみしいから「これが最後?」なんていうなよ、プロモーターさん。

覚王山に遊ぶ(後)

253386189_158 参道を日泰寺の方に戻る間にも赤いポストがあったり、和風塀の向こうに二階建ての洋風建築が見えたりなかなか油断なりません。
人がいないから店は閉まっているんだろうけど、人がいないからこそこうした風景を落ち着いてカメラに収めることができる。しかも歩道の真ん中に突っ立っていてもだれも文句言わない。
こんなことくらいしかネタにできないほど、うらさびしい覚王山って...^^
なんて前向きなんだろ、おれ(笑)

縁日の日にはご開張されていた、鉈薬師へいきます。
鉈薬師の名は、堂内に円空が鉈一丁で彫ったといわれる木像に由来します。内部は縁日に拝観させていただいたので、今日は通りすがりの顔をして雰囲気を味わってみよう。

253386189_222 四観音道からそれて急な坂を下る途中にそれはあります。
高架道路建設反対の看板がやかましい地域を過ぎて左側。
中国風の像に守られた門があります。門扉は徳川家の家紋入り。
ここは明人・張振甫のお寺です。
上野村にあった薬師堂をここに移したのが彼。
お堂も中国風とは言えないまでも、異国情緒を感じます。(画像左)
まぁお寺そのものが日本人にとっては本来異物であるけれど(;^_^A アセアセ・・・
このお寺は崖っぷちにたっています。
入り口以外はすべて崖。隣家があるけれど、隣家の向こうはおそらく崖でしょう。

人っ子一人いない鉈薬師を出て日泰寺方面へと戻る。
床屋へ行きたいんだもん。
ここで友人から新情報がもたらされました!
梅花堂の鬼まんじゅうがうまい!と。
今いる場所とは反対なので、帰り道に、ということで、札所順と姫ヶ池通りを飛び越えて、墓地の真ん中にある第三の「札所集落」へ移動。

墓地の真ん中の道...
今では自由ヶ丘まで抜けているこの道も、昔は細々とした一方通行の道でした。本来の街道は姫ヶ池通りを北上し、第一軍戦死者記念碑の裏にあります。焙烙街道と呼ばれていたそうですが、由来までは知りませんゞ( ̄∇ ̄;)ヲイヲイ

そして、この墓地の道のいにしえの道の北側にお堂と仏像が、お墓にまぎれて並んでいます。墓地と仏像が混在している混沌としたいい加減さこそが、日本人の宗教感の根本なんでしょうね。さらにそこに神様を平気で置くと言う神経。「神様、仏様、稲尾様」も同次元かもなぁ(笑)

253386189_209 ここの共同墓地群は、名古屋の歴史がつまっています。
名古屋に東海道線を引っ張ってきた吉田禄在の墓があれば、財界著名人や企業墓地(?)もある。
なによりも胸を揺さぶるのは、軍人さんのお墓でしょう。
旧道入り口すぐに墓石の傍らに軍人像が並んでいるのがすぐ見えますが、これは兄弟の墓なのです。どちらも中国戦線で亡くなっている。そして墓を建てたのが長兄...なんと悲しい話なんだろう....
兄は下の二人の兄弟を戦争で亡くし、悲しみに身悶えながらこの墓を建てたのでしょう。
胸がつぶされるような思いがしました。

さぁ、今回はこれで帰ろっ!
床屋へ行かなきゃな!

あ、鬼まんじゅうのお店は閉まってましたよ。
ふんっ!

床屋?
それも休みでしたよ。
ふんふんっ!

_s(・`ヘ´・;)ゞ..

2006年10月24日 (火)

覚王山に遊ぶ (前)

251620979_202 まずは日泰寺やね。
日泰寺にはいくつかの無料駐車場がある。
無料で監視がなくても、目的外の者がこれを使うことはモラル心が許さないが、主体は日泰寺八十八カ所だし、日泰寺そのものものぞくのだから問題はないだろう。ね、お釈迦様。(^_-)---☆Wink
まずは日泰寺・舎利殿へと入る。
現在の日泰寺は姫ヶ池通りに分断されているが、開創した時分は四観音道によって結ばれていた。由緒あるお寺を分断してまでも道路を作らなければならなかった名古屋市に、仏舎利を提供したタイ国の人や、関係者は幻滅したのではないだろうか。

当日はおエライ人の葬儀があるようで、参道にテントが張られてました。警備員に通行可能なことを確認して仏舎利殿への階段を上がります。
実はこの奥に仏舎利殿 ー釈迦のお骨が収められているー があるのだが、その設計者が東京駅を設計した辰野金吾の教え子の一人伊東忠太です。この近辺では数少ない伊東忠太氏の作品を見ようとして日泰寺に仏舎利殿に来たのが事実なのですが、やはり見ることはできませんでした。日泰寺には本堂、仏舎利殿ともに貴重な建物がいくつかあるんですけど、そのすべてが非公開。なんと!
一体何を考えているんですかんねぇ。
仏舎利殿はふたつの門を隔てた彼方にあり、土台しか見えません。どうせ仏舎利は完全に密封されているんだし、見せてくれりゃいいじゃねぇか。しょせん石のカタマリだろうが!と悪態をついておこう...。・゚゚・(>_<;)・゚゚・。

251620979_141_1 日泰寺八十八カ所がおもしろそう。
知多にも八十八カ所参りはあるし、当地西尾張にもあるけれど、なんとしても時間がかかり過ぎるから気軽に行けないのね。いいんだけどさ、別に途中でやめても。ただ近在のお寺ばかりなのに中止を前提に行くのはおもしろくないような複雑な気持ちなのです。
日泰寺はその点良い。ほぼ6km前後のルートに点々とあるから、うまく行けば一日で回れます。
仏像もたくさんあるし、いかにも民間信仰って感じで楽しそう。

251620979_36_1 狭い地域だから、せめて順番に回るくらいの制約がないといけませんね。そこでまず日泰寺の大門の前にある1番札所から5番札所まで見て回ります。札所...お堂はあるんだけど、カーテンがしてあるなぁ。ここは何するとこなんだろ。
ここだけでも仏像が50体くらいありました。キーホルダーの飾りみたいなちっちゃな仏様までいる。それどころか布袋さんらしき者もいるぞ。ここは一体なに?!
次は日泰寺に沿って東へ行ったところにたくさんかたまってるんだけど...柵がしてある(-_-;ウーン。しかも入り口の扉は鍵までかかってる。どういうこと?お寺が休みか?!
乗り越えて入るわけにも行かず、日泰寺八十八カ所参りはこれにて中断。日泰寺参道に戻って店を冷やかしてやろう。
ところが、店が...しまってる^^;
ステンドグラスの店....しまってる!
歩くうちに広小路まで出ちまった!
なんもないじゃん!
仕方ないからえいこく屋で昼飯を食う。今日は車なのでアルコールのかわりに紅茶とする。
えいこく屋は紅茶専門店でもあり、インド料理店なのね。
チキンカレーとチャイのセットを注文する。
ここはナンと行きたいところだが、ナンでカレーを食うと自分的には酒のつまみなのだヽ( ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∇ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄;)ノ

チャイの紅茶が濃くて、大変にヾ(@⌒¬⌒@)ノ ウマヒィ
目の前で高みから牛乳を注ぐと言う芸当はないけれど、十分に熱いしうまい。もうほっぺがとろけそうな香りと苦み。サイコーでしたわ。でも回りのお客はみんなコーヒーだったな。「紅茶専門店が経営するインド料理店でコーヒーですか?」と聞いてみたい気分でした。インド料理にこだわってナンを注文したんじゃないのか...
チャイに気を良くして大好きなダージリンも注文した。たっぷり2杯で500円弱。
う〜んいい香りだわぁ。
昼下がりにうまい紅茶で休憩しながら、後の行程に思いを馳せる。
あぁし・あ・わ・せ。

チャイの紅茶についてレジで聞いたら、隣の店舗(販売部門と喫茶部門が隣あってる)にありますよ、というので行ってみた。
(見た目)インド人の店員さんに「チャイの茶葉ってどれでしょ」というと、「チャイ、これですね」と標準語のアクセントで教えてくれた。
ダージリンを買わんわけにも行くまい。
「新茶ってどれだろう。香りがいいものがいいんだけど」
「今うちにあるので一番は、これですね」と指差したのは700円。
おっ、意外に安いじゃん!
「これ、セカンドフラッシュですけどね、おいしいです。もうすぐ次の便がきますけども」と。
「じゃあ、この700円のを...」と言いかけて驚いた。
うまい話には裏があるヽ(´〜`; ォィォィ
10gで700円なのだ。
つまり100gで7000円!!!
息が詰まった。
「量り売りできますか?」
「はい、できます。どれくらいにしましょ」
「じゃあ10g...」
「はい、今量りますね」「少し多めにいれておきましたから」
おぉ、いい人だ!(笑)
うまそうな紅茶をデイパックに放り込み店をあとにした。

2006年10月23日 (月)

携帯買い増し

明日SH903iが発売されるというのに、今日SH902iSを買いました。たった一日だけの最新機種です。

貴子ちゃん(ドコモショップのおねーさま)はわざわざ教えてくれました。
「明日SH903i発売なんですよぅ」
パンフレットを持って来て、「こんな機能があります」と親切に解説してくれたけれど、あたしには皆目必要のない機能ばかり。しかも903はマイクロSDカードなので、新しく買わなければならない。
断りましたよ、ええ。
SH902iSがぴったりなのです。
ボディカラーはブラック。
遠出するときは、SH901iSとSH902iSの併用になりそうです。

2006年10月22日 (日)

姉さん、大変です!月曜日の予定です。

ねーさん、こんばんは。
明日は雨でしょうか。
夕べまで「明日の天気は100%雨」だったのに。
翌日の天気くらい当てろ!

明日雨なら覚王山へ行きます。
ナニしにって聞かないで。
絶対笑うから。
覚王山の参道でランチ食って、チャイと少しのビールを飲んで、ステンドグラスの店へ行くの。
ガラス製品に心とらわれている最近の天にゃん。

夕べの引き出物がガラス製のぐい飲み3個入りでした。
あけてみると梅の模様が彫りつけられてます。
サンドブラスト?リューター?
よくわからないけれど、細い線がなんとも美しい。
デフォルメした梅が愛らしい。
光に透かすとよどみのない梅が白く浮かび上がる。
(´▽`)はぁぁ・・♪(うっとり)
さて、ここでクイズ。
梅が最初に出たらあとはすべて梅でしょうか、それとも松と竹だと思う?

ガラスがスキなんです。
当然ステンドグラスも大好き。渋さも加わって一層の魅力を放ちます!

http://www.sukima.com/02_nittaiji99/10reijo.htm
霊場めぐりって各地にあるでしょう、あれなんです。
ところがここは私設(笑)
回り近所の人が勝手にやってることらしい。
ご利益なんてあったもんじゃない!
でも仏様って時々愛らしく微笑む個体もあるの。
口の端までが笑ってたらうれしくって100円寄付しちゃう!
こんな参り方もご利益ありませんがね、お互い様ですわ。

それで雨が降らなかったら...
やっぱり覚王山へ行くと思います。
ただ間にトップコート塗りが1時間ほど入るだけ...だと思う。
明日は明日の風が吹くさね!

2006年10月21日 (土)

名古屋高速を走って来た

オイルが古くなると明らかにエンジンのふけが悪くなる。
100km/hからの加速が音ばかりで加速度がついて来ない。
てきめんだね。
これではせっかくのハイオクが使いこなせてない。
早急なるオイル交換を!>天にゃ

明道町カーブを90km/hで回った。
タイヤが鳴った。
わたしは泣いた。
今のタイヤ、もうダメだな。
滑り出すのも時間の問題か。
溝というよりも、ゴムが硬化してる。
どんなに手入れしても3年半だから、やっぱりダメか。
タイヤウォールはある程度メンテできるけど、接地面だけはどうしようもないもんなぁ。まだヒゲだってついてるし、ウォールを見る限りひび割れもないけど、例え制限速度でカーブを回るにしても、車各部がちゃんと機能するものでなければ楽しくない。
また金かかるなぁ...

今日の昼...

今日まで覚王山。
覚王山日泰寺は縁日でした。
おもしろいものをさがしに出たけどなんもなかった。
縁日というより出張スーパーで、野菜、乾物、服、地方の産物、花等、そういうものを売る店がたくさん出店してました。冷やかし相手の食べ物露店もあるにはあるけど、トウモロコシやら五平餅なんてビールなしではうまさ半減。しかも弁当食ったばっかり。
すごい人出でね、参道をずーっと歩いただけなのに疲れちゃったよ。

歩くのもやっとだというのに平気で日傘をさすバカ、何考えとるんだよ。
ありゃ人ごみでたばこを吸うことと大差ないぞ。
日傘をさすヤツに限って背が低く、かさの骨がちょうどわしらの目の位置になる...危険極まりないぞ。

縁日に合わせて開張しているお寺はいくつかあるらしいです。
その中の一つ、明国出身の尾張藩医師・張振甫の持仏堂と言われる鉈薬師もみてきました。撮影禁止とかで見学のみね。外観はいつでも見られる様なので、特に写真も撮りませんでした。
門扉には葵の御紋。
まさしく尾張徳川家じゃ。
薬師堂内部には手彫りの仏様が12体ありました。
北海道の木彫り人形の巨大化したような仏さま。
円空が鉈で掘ったと言う噂であります。
いや十六神将だったか?
ようわからん。。。

今日はそれだけ。
ちなみに現場監督も一足先に縁日を見に行って、ササゲと銀杏、干し椎茸を買ってきました。
なにやら世帯じみてる(笑)

収穫は覚王山アパートの市を確認したこと。
安室ちゃんオススメの串カツ屋を確認したこと。
ステンドグラスの店があったこと。
まぁ、覚王山へ行く楽しみが増えました。

2006年10月20日 (金)

覚王山散歩〜五百羅漢

覚王山日泰寺は釈尊のお骨を奉じた世界に数少ないお寺であり、日本ではほとんど唯一の超宗派のお寺です。仏教各宗派持ち回りで管理しているらしい。
しかし今回は時間がなくて、ちょっとはずれた五百羅漢と日露戦争第一軍の戦死者記念碑を見てきました。後者は遠巻きにしたことはあっても見るのは初めてなのですが、先に五百羅漢に触れたいと思います。

248428855_117 五百羅漢は、大正まで新出来町にあったもの。その存在を知ったのは、この間愛知県図書館で入手した地図によります。
明治44年現在、すでに出来町通りは存在しています。むろん非舗装で細い道だったでしょう。けれども存在したことに意義がある。現在の出来町通りはそれを拡張したことがわかりますからね。ひいては、古くから需要のある道であったこともわかります。
その出来町通りに徳源寺という寺があります。由緒は織田信雄だか織田信孝にさかのぼるはずですが、関係ないのではしょります(苦笑)
その徳源寺のはす向かいに「五百ラカン」と書かれているのがわかりますか?(地図参照のこと)今ではそういうものが存在しない、完全な市街地で す。とはいうものの地図にわざわざ記したほどのものを廃棄するはすがなく、どこぞへ移したんだろうとは思っていたのですが、こんなに早く移転先が判明しよ うとは。なんと城山にあったのです。城山というのは、古くは織田信勝の末森城のあったところ。本丸跡の北西あたりにあるというのですよ。あまりの偶然に驚 いて、昼の休憩時間に見に行ったのです。
覚王山で仕事をしなければ、覚王山について調べることがなかったのだから、これもまた縁なのでしょうな。

今でも「放生池」の碑がありますが、池は存在しません。子供の頃はあったのですが、埋め立てられて現在では駐車場になってます。姫が池という名前 だったのに、今やバス停にその名を残すのみ。末森城のお姫様がここまで逃げて来た(今川襲来?)とか平安時代のお姫様がここで世をはかなんで身を投げたと か、子供の時分からいろんな話を耳にしましたが、実際のところはどうなんだか(笑)
そこから東へ100mほど歩くと五百羅漢みちというものがあります。よくみると歩道に案内タイルが埋め込んであるので参考になります。
それを登りついたところが大龍寺。さぁて、ここで2度驚いた。
このお寺、幼稚園を経営してるんですが、ぼくが40年前通っていた幼稚園がこの幼稚園だったのですね!今では名前も変わってしまっていますが、間 違いなくこのお寺。まるで天守閣のような本堂に金ぴかの釈迦如来が鎮座しています。その両翼に建物がのびているというなんともお寺らしからぬつくり。
文化財案内によると、木造の五百羅漢だという。
木造なら室内に安置するだろう。ということは、本堂の"翼"の中にあるわけか。
頼んでみる時間もあるわけでなく、本堂前にある千手さんたちを撮影して次回に託す。

2006年10月19日 (木)

慶次郎縁側日記3(2) 空蝉

楽しみにしているシリーズが再開したよ。
先週も見た、今週もみた。

津田寛治はめいっぱい熱演だなぁ。
冷静ななかに泡立つ感情も収める、挫折したまっすぐな男を見事に演じた。
起伏を外に出さない分難しい役だと思う。
彼はガメラで好評を得たが、今日の芝居の方が明らかに難しい。
しかも大半がかたせ梨乃との1対1の勝負だから、相当に役作りにも努力したんだろう。

この作品は、人間の持つ細やかな心の動きをテーマにしている。
隠している部分、表に出す部分、その差分でドラマができあがっているようだ。
それだけに役者が選ばれるんだろうね。
だてに受信料とってないよね>NHK

毎回しびれるのは奥田瑛二の芝居なんですけど。
普通ね、クールごとに多少違う表現があると思うんですよ。
水戸黄門なんかそうやって形が変わって行き、確立したと思う。
ある部分ではよくないことだろうし、反面歓迎される部分もあろう。しかし彼は腹の中にマムシを飼っているに安定した吉次を出す。口を開けて腹に力を入れるとマムシの吉次がうが〜と顔を出すような。
これはもう役と言うレベルじゃない、二重人格というべきじゃないか、と。これは奥田瑛二だけでなく遠藤憲一についても言えることなのだが、吉次は恐喝屋という側面があるために、人格表現がいっそう複雑なものとなるはずなのだ。それがあの不気味な顔に出ている。

2006年10月18日 (水)

テレビと和辻哲郎

今日のテレビはまた一段とひどいねぇ。
一体なにを見ろというの?

1(フジ系):クイズヘキサゴン
5(アホTBS系):激闘大家族
11(クズテレ朝系):カメラが見た決定的瞬間
25(旧東京ローカル系w):まんが
35(大連立ウジ家系):笑って許して

もう聞き流すにしてもひどい。
音を聞くことすらむかっ腹たつような番組ばかりね。
日本のテレビ番組っておそらく世界で最も低俗で、くだらないんじゃないか。
特にTBSの番組はすばらしいやね。
5人も子供があって、お父さんは子供たちを温泉旅行に連れて行くんだと。お母さんはフルーツポンチみたいなんを作りながら「正直苦しいときもあった」と涙を流す。
日本人の経済感覚ってむちゃくちゃやな。
うちのおふくろなんかもっと苦労してるけど、子供には涙さえ見せんかった。温泉旅行どころか、一泊旅行だって会社の慰安旅行だけだし、どこかへ遊びに連れて行ってもらった記憶なんて一切ない。
なのに、フルーツポンチを5人分作って「苦しかった」なんてね。
笑えてしまうほどに軽い。
努力というのは相対的なものではないから、本人が苦しかったといえば確かに苦しかったのだろうけれど、それより大変だった人を知っていると薄笑いさえ出て来る。もっともこれを「大変」と認知したのは番組製作側であろう。
おまえんち、金持ちやん!

そういう豊かな時代になったのだ、ということなのかもしれないよね。
でもそういう番組を作って何がおもしろいっちゅう話だ。
人の家庭の中なんぞのぞき見たくはない!
昔一億総火の玉といった愚かな人があったそうだが、今や一億総白 痴化。
あぁ。

そういう世にも愚かな番組をよそ目に和辻哲郎に関しての文章を読んでいた。手紙によって人の思いが伝わってくる。気持ちがあふれている。出した人が透けて見えてくる様な気がする。
29才で自分より遥かに卓越した観察眼を持った男と比べ、自分とどこが違うのか、どうすれば観察眼が備わるのか考えてみる。
大道芸人の舞踊ひとつ理解できない自分に、そんな能力はもともと備わっていないのかもしれないね。

名古屋まつり2006(終) 〜愛すべき大道芸人たち

あめ細工を見てたら、4時近くになりました。
傍らの看板で見た文長会場へ急がなければ!
ここではいよいよガマの油売りが行なわれるのです。
「はいはい、ここの線から入っちゃいけないよ、ハブを出すからね」というあのインチキくさい(というかインチキなんだがw)ガマの油売りを見られるのです。
うれしいなったらうれしいなっヽ(  ´  ∇  `  )ノ ♪
会場にはまだ空席あり。
空席ったって養生シートが敷いてあるだけ。でも演者の顔がなるべく近くで見られる位置に陣取る。

246448920_66 おうっはじまった!
子供をネタにしたり、おっさんをからかったりすると、ブロックに座っていた客が後へひっくり返って笑いを取るヽ(´〜`; ォィォィ
「おいしいとこをもって行かないで」とは演者の石原耕。

とここで携帯が鳴る。
友人ふたりが到着。
大須の地理がわからんので、どこどこの通りにいると言われてもわからないし、ここにいる!と言う訳にも行かない。てっとり早く大須ういろまで迎えに行き、油売りを再び3人で見る。
すでに佳境で、お客を引っ張りだして刀で腕を切る。
「切ってしまったら終わりなのがガマの油売り」だそうだ(笑)
どうせなら、ガマの油と称してあめでも売ればいいのに。
すご〜くおもしろかった!
全編聞きたいし、ネタにもされたい(違うかw)
インチキ商売独特のしゃがれ声も聞けたし、とりあえずは満足じゃ!

その後ビールと餃子を食い、なおもふらつく。
「金粉ショウはどうなったかな」と大須観音の境内へ行ってみるといくつかの人垣ができてる。ありゃなんじゃ!と近寄ってみると金粉ショウの出演者方ではないの。
なんだかよくわからないその人たちはただの被写体になっていました(笑)
写真に撮らせては投げ銭を要求する(笑)
表情はとても明るくて、淫微さなどみじんも感じさせないけれど、その姿はいかにもエロい。男女ともにいわゆる「下帯ひとつ」なのだから。
女性ダンサーもいて、やっぱりTバック(ひもパンだよなw)。
ごとん!と音をたてるほどの硬貨のかたまりを放り込んだ兄ちゃん、おねぃちゃんの股間を堂々とビデオカメラで撮影してたけど、どうすんだい?(笑)あれほど堂々としていると笑うしかないのね(;^_^A アセアセ・・・

茫洋として歩いていると、大光院に着いた。
たぶん、最終と思われる時間帯のショーです。
シーンとした会場内。中をのぞくと、おっさんがひとり衣装をつけているようにみえる。
よくわからんままに中へ入って行くと、彼の名前がギリヤーク尼ヶ崎だということがわかった。「つボイノリオが尊敬してるといった、芸人さんやん」 というけれど、何をするのかわからん。顔はどこかで見たような気もするけど、この静けさ。彼の芸を待っているピンと張りつめた空気が彼の大きさを示してい るように思えて、準備が整うのをじっと待つ。
「念仏じょんがら」と書いた紙を掲げてかれは暴れ始める。
踊りはまったく理解できないので、何を表現したいのかわからないが、気迫だけは感じる。客は笑っていたり涙ぐんでいたり、一体なんだろう?と。
演技が終わってから客は彼を取り囲む。
中央で、一番はきはき話しているのがギリヤーク氏だった。
「どうもありがとうございました!」
天にゃんにとっては気迫の人だったのかもしれない。
76才だと知ったのは、彼から離れた時だった。

こんど彼の踊りを見れば何かを感じるかもしれない。
もっとも何も感じない方が、真実を得られるかもしれないけれど。

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2006年10月17日 (火)

名古屋まつり2006(5) 〜あめ細工職人

どこでなにが行なわれているかわからないのは、前述の通り。
それでも本町通りでたたずんでいてはなにもはじまらない。
大須のホームページを見ると、どうも天にゃんが行動パターンこそが、主催者の望むところのようです。
あてもなくぶらついて、発見したもので楽しむ。
なんかa(a+b)=0みたいな感じですな(何言ってんだよ)

主たる大道芸人まつり会場は本町より西にあるのは確かだから、西へ行く。
人はやはり多い。
広いとも言えない通りを歩くとあめ細工のおっさんがいた。酒飲みとしてあめ細工がなんぼのもんやねん!程度のものだけど、天にゃんはあめ細工にトラウマを持っている(笑)
さかのぼること約20年、江戸府下浅草寺であめ細工を営む若者の姿をテレビで見たのだ。友人と「あれ、いいね!見に行こか!」と総勢5人くらいが初代レジェンドに乗り込み上京したものです。
ところが当日は雨模様。
あめ細工はいない。
近くのテキ屋さんに聞けば「天気が悪かったりすると来ないよ」だと!
がっかりして帰ったことは言うまでもない。
その話をあめ細工のおっさんに話したら笑われた。
「おれかもね(笑)」
おい、おまぃさんかい!(爆)

245550918_125 おっさんは黙々と仕事をしてる。
回りの子供たちは「なんでもできるのー?」と。
「たいていのもんはできるよ、言ってみな」
「トトロー!」「怪獣!」

作ってるところを見てました。一見粘土細工のようでもあるけれども、独特の粘りをもったあめらしいのび方をしたり様々にこねくり返したり、はさみ を使ったり。しかし粘土ではあそこまでにゅーっとのびることはないね。やはりあめ独特の動きだと思う。難しくはなさそうだけど、実は造型を作るこ と自体にも相当に力量が必要だと見た。
単に物の形を表現するんじゃなくて、トトロならトトロらしい部分を再現すること、特徴をつかむこと、それがむずかしいんじゃないか。

子供たちはあめ細工屋台にへばりついてるけども、その保護者は2歩ほど下がってる(笑)「この子供はうちの子ではない」と主張しているような(爆)要は買いたくないんだろうな。
あめ屋は大道芸人と言っても、だれも寺銭などくれない。あめを売ってなんぼだから、作業風景なんか見せたところでしかたない。
それがわかってない者が多過ぎちゃうん?
完成品のなかには龍があった。
時節柄、場所柄、最もふさわしい商品が龍だと思うの。
ヒゲやツノのような細工が細かくていい値段だけども、見せ物料金としてはそれほど高くないようにも思わないんだけどなぁ。ましてや子供たちはへばりついておっさんと話してるんだから、安いものでも買えばいいのに。
空気の読めない客ばかりでおっさんも大変だわ!
そういうわけで天にゃん、できあがったばかりの怪獣(どうみてもゴジラやんけ!)と龍を買いました。
とりあえず、中日日本一の祈りを込めて(;^_^A アセアセ・・・

2006年10月16日 (月)

名古屋まつり2006(4) 〜おいらん道中と紙張地蔵尊

いつの間にか赤門通りを歩いていた。
なんだか行ったり来たりしてる気がする(;^_^A アセアセ・・・
みんなまつり気分なのか、歩行者専用道路でもないのに、車道にも歩道にも広がって歩いている。もっとも今日まつりがあるとわかっていて、ここをクルマで通る人間というのもずいぶんと非常識な気がする。

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本町通りまで来ると、右側でなにやら人垣ができている。それを警備するはおまわりさん。人垣を守るようにして車道にたち、「車道に広がらないでく ださい!」と叫んでいるが、態度ほかからはどう見ても「こんな日にクルマで通るなよ!」と言ってました。だって車の方を向いて「車道に...」って言って るんだもん。
で、人垣の正体を探るべく、伸び上がると、おいらんご一行様でしたヽ(  ´  ∇  `  )ノ ♪
すんげぇきれいなおねえちゃんが3人!w(( ̄ ̄0 ̄ ̄))wワオッ!!
ツンと済ましたところがなんともステキよっ!
あんなすてきなおねーさまにぶたれたいわ!
大須においらんがいたのかどうかはともかく、これはこれでいいなぁ!
陽が高過ぎて、淫微な感じがしないことがマイナスと言えるかもしれない。いたって健全なおいらん道中なのでありました。
おいらんご一行様は本町通の(今日は)狭くなっている歩道をしゃなりしゃなりと歩んでいきました。
あぁ、確かにきれいだ!

245359463_167 その後はどう歩いたものか、紙貼り地蔵にたどり着きました。
外からひょいとのぞくと、なんだか風情ありげな雰囲気。奥を見ると近所のおばさんらしき人が事務所に顔を突っ込んでなにやら話している。
なにしろ信仰対象ではないので、紙がぺたぺた貼られている理由を探し出して写真を撮る。すると事務所に突っ込んでいた顔を出して、「写真を撮るのはお参りしてからだよ〜」という。
無宗教者だからお参りする気などさらさらないが、とりあえず遺産としての保存料名目&モデル料としてお布施。

ついでにいくつか話を聞いてみると、元々地蔵堂があり、そこに陽香院というお寺がやってきたという。うちの古地図には載ってないので、大光院あたりの塔頭だったのかもしれない。
ついでにお地蔵さんにも紙を貼ってきました。
2枚で10円なのに、持ち合わせがなくて100円をちゃりん!
50枚貼ったろうかしらんと思ったけどめんどくさいので2枚ね。
紙にはお地蔵さんの絵が押されています。
なんかほのぼのしちゃうのね。
近代医学なんか普及してない時代の祈りが、遊びの要素も取り入れて庶民間に普及した。並んでやってくる人々の思いがなんだかかわいげだと思いませんか?

右足と頭にはっときました。
お地蔵様、よろしくね。
100円いれたこと忘れずに(*^o^*)
そういえば頭が長いな、お地蔵さん。
みんな頭ばっかり張るなよ(爆)

出ようとしたら若いおねーちゃんたちの集団が入ってきた。
「ここだよ、ここ!」
なんだ!観光地なのか、このお寺。

名古屋まつり2006(3) 〜ノミの市

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大須に着いた。
方角と相当大ざっぱな地理感覚のみで移動する。
目的とする「ガマの油売り」も時間で移動するために、どこでやるかわからない。とにかく行き当たりばったりです。それは夕方遅くまでやっているという安心感かもしれず、あるいは酔っぱらいの根拠のない余裕というやつかもしれず(笑)
これも根拠なく大光院というお寺を目指して歩いています。
大須の中では北にあります。
とにかくそこへ行こう。
ところが途中いろんなものがあるので、気が散って仕方ない。
まずは本町通に並んでいた露店たち。
いわゆるノミ市というのかな、骨董品なんか置いている露店があったんですよ。露店なんぞどうせ手が出ないものだから、適当につらつら眺めて通過していた訳ですが、ふと目に留まったのは古いはがきたちです。絵はがき=写真ですね。
おっさんは大半が戦前だという言い張るけれど、細かく見て行けば90%は戦前の写真で、昭和一桁くらい。
「うさんくせぇおやじだな」と思ったが、向こうも「うさんくせぇ客だな」と思ったろうな(笑)
めぼしいものもいくつかあり、あとから着色したような古いはがきもあったけど、100〜200円では買えそうにない。そこでおおよその値段を聞いてみたらやはり一枚300円。
それは高すぎるだろうと思ったが口には出さんかった。
おっさんの価値観と自分の価値観にはズレがあって当然だからだが、古物商にしては物の価値を知らんのじゃないかと思ったのも事実。10枚ほどめぼしいものを持って行ったら「2500円ね!負けとくわ!」という。
単価で一枚250円だよね。
だからあたしは2枚抜いた。
これで2000円にしてよ、と。
でも抜いた写真は、現存する建物の写真だから、古いと言うだけで価値がそれほどあるとは思われない。なのにおっさんは値段として500円引いた。なんだ〜、どれに価値があるのか知らんのじゃないか!
絵はがきだから、基本的に使用済みはがきは切手を貼ってあるわけね。だから使用済み切手としての価値もある。消印もきれいに残るように切手をはが きから切り取れば、切手単体よりも価値が上がる。切手や消印の残存状況など程度にもよるが、50円より安いと言うことはあるまい。最初はそれを考慮して未 使用のはがきを拾っていたのに。
さらに価値を求めるならば、使用済みはがきの内容について。
軍用郵便もずいぶんとあったので、軍隊内での暮らしがわかるものなどもあったかもしれないこと。知らなかったことを知ればそのはがきの価値は上が る。もっとも昔の人はみなつづけ字で読みにくいし、いちいち内部閲覧されているということもあるから、それほどの重要な情報が残っているとも思われない が...。
おやじさん、一体なにを基準に価値をみとるのか、教えてちょ!
自分が買った物は8枚。

聞天閣(金閣を模した、鶴舞公園にあった迎賓館・戦災消失)
金城女子専門学校新講堂(現・金城学院高等学校栄光館)
東洋紡績知多工場・娯楽堂(おそらく現存せず)
鶴舞公園(奏楽堂と池・現存)
東本願寺山門(戦災消失)
箱根ホテル(詳細不明)
北海道庁本庁舎(ドームなし)
淡路屋&大学病院(詳細不明)

ついでに箱の写真、全部でいくらか聞いてみた。
8枚で2000円なのに、約300枚が25000円だと。
「大まけに負けて2万!」だって(;^_^A アセアセ・・・
買おうと思ってしまった自分は....
でも価値があるのはあの中のほぼ1割かな。
大連の師団本部とかよくわからん写真もあったし。
でもその筋で1枚1枚さばけば楽に元は取れるね。
手間を考えたら「もうけ」とはいえないけれど。
おっさんには「考えとくわ」と言って店をあとにする。

詳細不明な二枚。情報お願いします。

名古屋まつり2006(2)〜山車揃補足

245040051_145 結局全9台のうちの、3台が見られなかったらしい。
その中の一台は花車の二福神車だったから、見られなかったのは2台ということ。もっとも山車を見て名前が判別できなければ、"アレ"を見たという証左にはならんわけですが。
からくり人形についても勉強不足で、何を表現しているのかわからないといった始末。喜び勇んで見に行くくらいなら、その程度の知識は必要でしょうカニ。
そんななか、筒井町の神皇車だけは、屋根うらには漆が塗られているように赤かった。金ぴかの書院風もいいけれど、赤を多用した王朝風(?)もいいなぁ。
山車は栄交差点で向きを変えて三々五々散って行きます。
名駅へ帰るものは南大津通をそのままゆき、他の車は東へとまがってゆく。

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ここで速報日記をMixiに送信するため、縁石に座ったら若者がやってきた。
なんかくれるんかな、 と思ったら、名古屋市のアンケートだった。
どこから来たか、とか予算など。
はたまた名古屋市内の施設で行ったことのあるものの記入とか。
設問を見て「地元の人間だけどいいの?」と聞きましたわさ。
行ったことのある施設、すべて○。
今回の予算2000円(爆)
ウソは書きたくない(*^o^*)
なんかボールペンもらったよ、うん!(^^)

さて、大須に向かって歩くベし。
車道は歩行者のために開放されているのに、人はなぜか肩をぶつけそうにして狭い歩道を歩いているよ。

なぜ?貧乏性ですか?

自由な発想のできない人たちだなあ。
こんな広い道路を普段は車だけに使わせてるんだよ。
わしらの税金で整備した道路なんだから、開放されたときくらいのびのびと歩こうよ!
ぼくは3車線ある真ん中の車線を胸はって歩きました。
当然じゃん!(笑)

2006年10月15日 (日)

名古屋まつり2006(1) 〜山車揃

名古屋まつりっていうよりからくり山車を見に行ったようなもんでした。
バスで名駅へ出て、さらに基幹バスに乗り換える。
「本日名古屋まつりのため、矢場町には止まりません。白川公園の次は栄臨時停留所まで止まりませんので、ご注意ください」
何度も案内がありました。
普段経路となっている、南大津通〜大津通は全面通行止め。
一体どこを通るのか、栄の臨時停留所とはどこなのか。
バスは白川公園を伏見通りへ入り、さらに日銀前を右折して桜通を東へ。
久屋通りを左に曲がったのは見えたけど、あとはどうするのやら。
栄の停留所に降り立ったとき、ちょうど目の前を一台の山車が通過していました。
この間の泥江とはちがうぞ!
取り巻きが多い!
100人以上はいるし、大人も子供もいっぱい綱を引っ張ってる!
しかも木遣りをうなりながらの移動は、時代絵巻ということばこそふさわしい。通りすぎて行った山車を5台鳥瞰すると、まるで時代錯誤な人になれます。
錯覚男。
しかも今日は大津通貸し切り!
片道3車線の道路をすべて人だけで埋め尽くして進む山車。
屋根も高く上げられ、人形の動きもよく観察できます。
迫力だねえ!
すごいねえ!

名古屋まつり2006(0)現場から東海林のり....

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とりあえずお目当ての山車は終わりました。
神楽も来るけど大須へ移動します。
いつもは車が完全占拠している「道路」が今日だけは人が取り戻してる。
愛知の中心点には思えません。

写真は山車のしんがり、筒井町の湯取車です。
神楽がさわがしいなー(^0^)

月下美人と紅葉狩り

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おとといの夜。
花車のからくり車が車庫に戻ったあと、ぶらぶらと江川のあとを歩いていたら、花車神明社とは違う方向から笛が聞こえてきました。
誘われるようにふらふらと歩いていくと、甘く強い香りが漂ってきました。
ユリにも匹敵する強い香り!
香りの方を見るとサボテンらしき植物が。

月下美人!

恥ずかしながら、月下美人の花を見たことがなかった。
小さい苗は時期になると売ってますけどね。ここの月下美人は丈にして2mあまり。暗くてよくわからないけど、オフホワイトの花がいくつもついてました。思わず鼻を近づけてにおいを吸い込んでみました。
あぁ!
この香りの濃さはまるで麻薬。
脳髄をしびれさせそうな強い香りです。
花をくんくんしてみると、ずいぶん遠くまでにおっている様な...
月下美人の香りが漂うところで、笛の稽古をしてました。
花車のもう一台のからくり車、紅葉狩車の保存庫だったのです。
すでに山車は組み立てられて、どこかに止めてあるのでしょうな。まだ山車に載せられていないからくり人形を台に載せて練習してました。またそれをみるひとたち。
笛の音に惹かれて、しばらく練習風景を拝見したあと、蔵をあとにしたのです。

なぜ、見もしない月下美人を判別できたかというと。
まずは株姿ですね。そして花の形。
いかにも多肉植物系らしい葉と、花と、香りで月下美人ではないとか思いましたが、本当に月下美人なんだろうかね(笑)
月下美人は確か夜にしか咲かないのですね。
そして実は食用になる。
ドラゴンフルーツだったけか?
記憶があやふやだわ。

2006年10月14日 (土)

花車神明社例祭宵祭り

花車神明社の出発には間に合いませんでした。
着いたときにはすでに19:30を過ぎてました。
「もう着いちゃったか!」と折り返し地点の小学校に行ってみても、まだ人の気配すらない。「ほんとうに来るのか?」と思いながら、間に合ったと一安心。コースを逆にたどって行くと、いました!泥江町交差点で信号待ちしてた!
青になってそろそろと動き出すからくり車。回りを車に囲まれて動きにくそう。名駅を前にして信号を右折。折り返し地点の新明小学校へと向かう。その時脇から脇から大声で叫びながらやってくる男がいる。警察官だ(笑)
「こっちへ来い!」と腕をつかまれて引っ張られて行く男は股間が黒い。なんじゃ?と見ればスッポンポンでないの。男は自分で脱いだろうに、なぜかち○こを隠しながら引っ張られて行く。
どうせ脱いだなら見せて歩けばいいのに(爆)

243175814_120 からくり車は曲がる時が一苦労である。操舵装置を付ければいいのにね。一旦停止し、前方を持ち上げて、力任せにぐぐっと方向を変える。2軸ある木製の車輪はごりごりっと音をたてる。
からくり車の移動は息があっていなければならない。
リーダーのかけ声で機敏に行動する引き手たち。
かっこいいぞ!おとこまえっ!

243175814_29 小学校に着くと、いつの間にか人がわらわらと集まって来る。100人はいたろうか。車の中では女の子が休まず演奏を続ける。からくり人形はくるくると踊っている。約15分顔見せして、花車への帰路につく。
さすがに泥江のような大きな交差点だと、二段階右折する(笑)

向きをわずかに変えるだけでも息を合わせないと動かないので大変である。違法駐車があるたびにそりゃっ!と声をかけなければならない。
泥江まで来れば「あとは楽だ」
桜通りを通行することはやはり気を使うようだ。

自宅に戻ったからくり車は、提灯を外されて、明日の神明社例祭に備える。
晴れるといいね。
あたしゃ見に行けないけど(泣)

からくり車が笛とツツミを流しながらゆく様を見ていると、名古屋じゃないような錯覚に包まれる。もしくは、過去の名古屋の雰囲気が感じられる。名古屋高速の下、煌煌と照らす街頭が提灯より明るくても、車が行く手を遮ろうとしても、そこには古き良き名古屋が感じられた。
そんなことを思った自分ににんまりし、車を今まで大切に管理してきた先人や、今日車を引いた人たちに感謝する。

2006年10月12日 (木)

第52回名古屋まつり

こんどの土日ですよ。
仮装行列(郷土英傑行列とも言う)がメインだけど、そんなものに興味はない。

本物を追求する向きは、やはり山車揃えやね!
最近お気に入りの旧花車町からも3つの山車が出る。
花車神明社から、四間道を通って円頓寺商店街まで山車を引き回すのだ。当然桜通は一時的に通行止めになるでしょう。
つまりは、いにしえの通り進む訳です。
それを見たいと思ってたらなんと山車の引き回しは土曜日なんだと!
日曜日は栄近辺で筒井町あたりの山車も引っ張ってきて、からくりをみせてくれるんだそうです。
また花車町では、金曜夜に町内で展示するそうな。
うぅぅぅぅぅ見に行きたい。。。

どうも説明を読むと、山車の引き回しはパレードの一環であるらしい。つまりいくつか山車、神楽、子供隊などが順番に歩いくようだ。つーことは、すごい人ごみの中で待たなければいかんということか。ん?!

わしゃ花車神明社の祭りだけでよい。
山車が四間道をゆくのを見たい。
土曜日、休みたい!

2006年10月11日 (水)

Canon VS Nikon

Nikon D200を手に取ってみた。
重いっ!
それほどでかいレンズがついているわけではないのに重い。
材質は鉄か?ヽ(´〜`; ォィォィ
キスデジの軽さに慣れているひ弱な男には驚きの重さ。

でも大きさはちょうど男性の手の大きさにすっぽり入る感じ。
「女性の胸は手に収まるくらいの大きさが良い」という芸能人がいたけれど、乳もカメラもいっしょか。結局手に捉えられるサイズがぴったりサイズということなのだろう。

早速ぐいっと持ち上げてファインダーをのぞいてみる。
ズームリングを回したりピントを合わせてみたりする。
うちの18-55mmよりも動きが上質。
質感がいいので、安定しているように感じるし、重さも安定感に寄与しているみたい。
それにファインダーが一回りくらい大きくて明るい。
微妙にピントのズレもはっきりと視認できるほどに見やすい。
ファインダーの種類が違うこともあるけれど、このファインダーだけは憧れるな。キスデジのファインダーはとてもマニュアルでの使用に耐えない。ビンポケがわかんねぇんだモン。

買うとしても2〜3年先だから、今決めるもんでもないけど、NIKONもいいなという話。
一方のCanonはキスデジXと30Dしか展示してなかったのでのぞきもしなんだ。
Canonなら5D。近々出ると言われている7D。
その辺りがターゲットです。
でも...モデルレベルが違うかな?(笑)

SH903i

明日発表だそうな。
素人が知ってるのにDocomoショップの店員が知らんはずなかろうw
写真も一部で公開されてるけど、またサブウィンドウがなくなるんだね。時間を確認するにもいちいち開かないかんわけです。
マイナスポイントだなあ。
しかも記録媒体がmicroSDになるという。
つーことは「買え」ということか。
そんなものはいらん出費だな。
そんなことでやはりSH902iSしかないようです。

今日別のDOCOMOショップへ行ったら12000円の追金が必要だと言う。隣の大手量販店では「5000円程度」。端末価格が2000円しか違わんのにこの価格差はなんだ(笑)
そもそもPHSユーザーに送られてきたクーポン券をよく理解してないDocomoショップがあるということにも驚いた。
近所のショップとは割引率が違うのでDOCOMOに問い合わせたら「FOMA(音声電話)への買い増しならどれでも2万円引きます」という話。
認識の低い店では買わへんけど、これだけ値段が違うなら店によっては現状でも無料になりそうです。
ただし、手数料なんかが若干不足しそう。
903が出ることで、どこまで値段が下がるのか。
とりあえず様子見になるのかな。
たかが携帯電話のために奔走するのは、アホらしい(笑)

ディープインパクト年内引退

ウソやん!
なんでー?
タネも年を取ったらダメなのか?

マイケル・シューマッカーを見習えよ!
ファンを楽しませろよ〜!

死刑

人を殺しておきながら未だ生きながらえようとする者には有効かもしれないが、そういう思念は生きていてこそのもの。この世に未練のないものにとって、死は唯一救われる道ではないか。
ましてや「死刑にしてください」という犯罪者を死刑にして何の意味があるのだろう。検事は「刑に納得したのではないか」と何ともバカなコメントを出している。

司法の問題なのか、法整備の問題なのかはわからない。
昨今は「被害者感情を考慮して」とよく付け加えられるが、法は人を生かすためにあるのだから、遺族感情と刑法はベクトルが異なっている。
要は犯人に罪の重さを自覚させることにある。望むべきは更正。
犯人には絶望を感じさせることが、被害者の意志に応えることじゃないだろうか。また法的にもそれが最も現実的じゃないのだろうか。。死に希望を持つ人間を否定したところに法の限界があるのだ。

死を覚悟した者は、社会においてなんでもできることになってしまう。もっとも死刑になるから殺人を犯さないという世の中になればすでに人が生きて行ける国ではなくなっていると思うが。

高校講座情報A

「プレゼンテーションソフトの使い方」というタイトルで、なんとPowerBook(じゃなくて、Macのノート)が出てきた。
すげえぞ、APPLE。
今やどんな分野でもMacが秀でている部門はないと思っていたけれど、未だAPPLEは健在だったのかしら。

しかし出演者の操作には問題が残る。
ノートでもマウスを使う人がいることは知っているが、ここでもキーボードで文字を入力して、クリックするときはわざわざキーボードから手を離しマウスをつかんでいる。
おいおい、先生、それでいいのかい(笑)
慣れればマウスみたいなものよりトラックパッドは特段に使いやすいと思うが、単に慣れ?

まあこの人は普段ノートを使っていなこということにしておこう。
それよりも、Macのノートに接続されている腐ったマウスはなんだ?
お願いだ、せめてAPPLEの純正マウスを使ってくれ。
Macノートのデザインが台無しだぁ...

今やMacBookとMacBookProの区別もつかない。
だめだこりゃ...

2006年10月10日 (火)

カルメ焼

生まれて初めて食った。
黒糖の香りがしてうまい。
黒糖大好き!

黒糖をあぶって空気を閉じ込めてサクサクにしただけの菓子だけれど、シンプルな分ストレートな味やね。

コスモスと五百羅漢

240322495_174 午後からちょいとおでかけ。
東員町の方までコスモス見物です。
400万本てすごい!

人もそれほど多くなく、自由に見物できました。西方に山があって、空気が澄んでいれば山を背景にできるかなと期待したんだけど、あいにくと午後からはうっすら雲が山を隠してしまいました。
240322495_254 大迫力ですね。さすが400万本!
一面のコスモスは畑ですの。ピンク、赤、黄色、白がちりばめられていて、山内千代のパッチワークみたい。
錦繍とは違うけれど、パステルカラーっぼさがおとぎの国みたいでした。
写真を撮っていれば飽きないけど、同行者が「もういい」というので、五百羅漢へと移動。 
ナビさん、お世話になります!

672696_3647421055 ナビに導かれてなんだか狭い道へ。乗用車がとてもすれ違えない道なのに4t車もくるという時代遅れの幹線道路(らしい)。
大社橋を渡るといっそう幅が狭くなる。
交差点で安全確認したらふっと洋風建築が見えた!
あわてて車を止めると、あたり一帯がこれまた古い風情。洋風建築の流れには軒先の低い日本家屋が4〜5軒並び、反対側にはきれいな川が流れ、錦鯉やはえが泳ぐ。驚いたことに幅が30cmほどの狭い水路にもこうした日淡魚が泳いでいたのだ!
むろん水もきれいで、ぴかぴかしてました。
水がきれいだと、町にまでぴかぴかが伝染するみたい。
とってもきれいな町でした。
角地には昔ながらの木造よろず屋があって、一層旅情を誘う!
東員町にもこんなところがあったんだと驚きました。
でも東員町のサイトには何も載ってない。
自分だけの秘密の場所にしとこうかな(@⌒ο⌒@)b ウフッ

672696_1928320920_1 洋風建築の方は旧東員郵便局ですね。入り口には板が打ち付けられていて、侵入を阻んでいますが、東員郵便局(右書きです)の文字は残っていて、判別は簡単。
小さな町にも残っている洋風建築。初めて行った小さな集落でこんなものを見つけるなんてすんげぇうれしい!
砂浜でダイヤのかけらを拾ったみたいです。
(* ̄ ̄ ̄ ̄ー ̄ ̄ ̄ ̄)フッ
ナイショにしとこ^^

672696_157669148 五百羅漢は四日市と関ヶ原を結ぶ旧道と、菰野と東員を結ぶ旧道のの交差点にあります。敷地内には道標があります。
小高い山に仏様がいっぱい!かと思いきや、大黒さまや天狗らしき方もいます。なんじゃこりゃ!
もともと日本の寺社は神仏混合で敷地内に合祀されていることが多かったけど、明治政府の廃仏毀釈で分離されたという経緯があり、たいていのは場合仏様が放り出されてしまいました。
ここでも何体かは廃仏されたものの、大半は無事です。
先人の努力に感謝して寸志を寄付しました。
いつまでも長く保護してください。

672696_3337804857

携帯のプライベートデータ

役者が紛失した携帯電話の画像が写真週刊誌に載ったらしい。
そういうものを勝手に利用していいのか?
拾ったやつも拾ったやつだが、それを掲載したやつの分別のなさに呆れかえる思いである。
例え芸能人であれ、携帯電話はその性質から私物に類する物で、その外の人がそれを利用することは決して許されることではない。
こういうことを平然と無視する出版社が言論の自由など標榜する資格はないだろう。
光文社は編集社失格。

2006年10月 9日 (月)

もうそうコスモス

妄想っていう言葉はあんまりいい印象ないですね。
どちらかというと、「よからぬ想像」みたいな印象です。
だからといって、それに変わる言葉ってないんですよ。
想像とは違うもん。
想像は思うだけ。妄想っていうのは、目的があって想像する。

今日も大津橋の現場へ行きました。
七間町通り、呉服町通り、伊勢町通り、大津通。
外堀町通りとの交差点には、通りの名を伝える標識が立ってます。
なんだか、ムクムクと妄想してしまうのですな。
外堀通りの祭りを石垣に登って写真に撮った徳川慶勝さん、お疲れ様です!

古地図を思い浮かべながら現在の町を見ていると、過去がみえてくるみたい。これが妄想。
江戸時代に行なわれた町割は、現代でもほぼそのまま踏襲されているからこそ、妄想が可能になります。戦災で道筋もろとも失った名古屋の寺町、小川町や東瓦町には、過去を妄想するものは残されていません。
仕方なしに寺を見て回るけど、やっぱり「町」として残っていないと妄想は無理。点では無理なんだぁ。
休みになったら碁盤の町を歩こうか。
ひょっとしたらそろばんを弾く音が聞こえて来るかもしれない。

ε=ε=ε=ε=ε=ε=ε=ε=ε=ε=ε=ε=ε=ε=ε=(ノ^∇^)ノ

239764947_18  239764947_50

近所のコスモスがすごくきれいに群れてました。 夕方の少し傾いた太陽の光で撮ってみたよ。 しかし相変わらず納得できるものって撮れんなあ。 どれも発色が気に入らなかったり、構図が思い通りに取れてなかったりする。頭の中ではきれいに撮れてるんだれどなぁ。蚊に食われたりして集中力が分散したんだよ!と言い訳しとこう。

239764947_36
コスモスはまだ当分咲くね。
これを反省材料としてさらに挑戦してみよう。

そうそう、近所の河原では彼岸花が群れてた!

2006年10月 8日 (日)

国会議員にはなったけれど

近頃の安倍ちゃんは大変お疲れのようですなぁ。
熱心さはいいいけれど、人間のやれることは限られてる。
青雲の志をのべる最高のチャンスでも死んだらなんにもならんからなあ。
「あ〜う〜」というだけで命のともしびを消した人もあるくらいだから、彼にはせいぜい力を抜いてがんばって欲しいところだ。

夕べの「みのもんた」司会のTBSの政治バラエティ、見ていて情けなくなってくる。わしから見てもバラエティにしか見えないのだが、たぶん世間の大半 は「政治番組」だと思ってるのでしょうね。いくつかの事象を取り上げて政治家を問いつめるといった、とーーーーってもくだらない内容でした。
300数十億円の議員宿舎がどうとか、まぁあきれますな。
さすがTBSというしかありますまい。
国会議員は国のため、ひいてはわれわれ個人のために働いてる。例え意見が合わなくても、とりあえずは多数の人が支持した「代表」なんだから、多少 の便を図ることがなぜそんなに悪いことなのか。公務に関する部分においては最大限の便が図られるべきでしょうに。それを否定するのは国民の直接の支持を得 たい人(河村たかしのような)のスタンドプレイだったり、なぜか基本的に政治家を敵視する人でしょ。
国会議員は暇じゃないんだよ。
いちいちそんなことにかかわり合ってたら、本業がおろそかになるだろ。
数百人もいる国会議員の中で自分の主張を通そうとすればカネもいる、時間もいる。疲れてくれば人間の思考は鈍って来る、当然でしょ。議員活動には目もくれず、非難ばかりするマスゴミってどうなのよ。

政治家は一般国民に比べたら遥かに立派だ。
あんなもの単なる金儲けでできる商売じゃないよ。
生涯かけて実現可能だか不可能だかわからない理想に向けて働くわけだから、ひょっとしたら無意味かもしれない。ある意味とっても不毛だ。

マスゴミがこういう番組を作るのは、政治意識の希薄(というかまったくない)な人たちにそれを持ってくださいというきっかけのようなものを与えた いと思うからだと思う。歴史認識がどうのこうのというけれど、国民の大半は歴史認識の言葉の意味なんてわかってやしない。学校で教えられた通りのことしか 言えないし、知らない。自ら考えようともしない。
実はここに大きな問題があるということを、政治家のすべては知ってるんだよ。
「国民はもっとしっかりしろ」と政治家は思う。

政治家は自らの理念を具体化するために政治家になる。
しかし自分の理想を国民が必要としているかどうかの裏付けがほしいのに、国民はマスゴミに踊らされて、批判することしか知らない。
なんと不毛なんだろう。

安倍首相のいう「美しい国」。
目指すところは自分と同じだけれど、自分と違って公僕である安倍さんは本音を言うわけにはいかない。国民を愚弄できないからだ。
今の日本国民から愛国心やモラルがなくなったのは何も学校教育のせいではないことは、素人の自分だって知っているのに安倍さんが知らぬはずがない。あえてそこにメスを入れるのは「裏の手」である。
愛国心の意味が理解できないのだから、そういう国民相手にいくら説明したって無駄。だから力ずくでやってしまおうということなんだと思う。けど、 その手段はこの国ではタブーなんだな。国民はお上に対して従順だから、為政者に対して批判する目を持たない。議員宿舎なんかに目くじらたててる場合じゃな いんだよな。
安倍さんもそこまで知っている。
でも「おれはタブーの領域を心得ている。自分の力が及ぶうちはそれを許さない」と思っているだろう。
でもそういう流れを一旦作ると、止める人がいなくなるのが、この国の常である。
本来は国民が選挙によって止めるのだが、止められない。
タイの軍事クーデターで座り込みをした大学生以下の民主主義しか持ち合わせてない、民主主義歴120年オーバーの日本国民とは。
本当に恥ずかしい。

政治家になりたいと思うが、こんなアホウの国の政治家にはなりたくないなあ。
議員のみなさん、毎日おつかれさまです。
よくやっとるわ(苦笑)

2006年10月 7日 (土)

名古屋が誇る(?)帝冠式2題

知る人ぞ知る、名古屋市庁舎と愛知県庁舎です。
前者は昭和8年、後者は昭和13年。
共に国民よりも軍人の声がでかかかった時代の産物ですが、建物は洋風建築に日本風屋根を載っけた日本独特の意匠で、否応無しに感じるその威圧感(笑)が役所であることを主張しています。
238006377_37
でもこうやってふたつ並べると、名古屋市庁舎はかわいげがありますよね。時計塔なんか作っちゃって、ジブリファンなら「この町には魔女が?」なんて言い出しそうです(笑)
正面から見上げると気後れするほどの威圧感なんですが、少し引くとちょっと気が休まる気がします。その辺が設計者(名古屋市?)の意図したところかもしれません。

238006377_64 それに引き換え救いがないのが愛知県庁舎。
めいっぱいかかってきますw
救いがない。
上部に破風など載せていますが、城ならばともかく、ただでさえ威圧感のある帝冠式にこんなものを載せた日にゃ圧迫感しか感じない。「尾張名古屋は 城で持つ」とはいうが、県庁まで真似んでもいいのにと思えてしまう。名古屋市に遅れること5年、「負けてたまるか!」とばかりに、県の設計士はがんばった んでしょうな。
逆に考えるとその5年の間に臨戦態勢がより強化されたということかもしれません。
まぁ東京都庁よりは人間的な建物だということは間違いないでしょうな
└|  `   ▽   ´  |┘ワッハッハ!!
ちなみにこのふたつ、戦時中は迷彩色に塗られていたとか。
アホか(笑)

愛知県に住んで43年、名古屋市民歴35年。
このふたつの建物をまぢかでまじまじと見たのははじめて。
むろん入ったこともありません。
だって名古屋には区役所があるから市役所に行く用事がないんだもん。

238006377_168 ついでに大津橋。
この橋はおそらく現在地に名古屋市役所が設けられることになって架けられた橋です。
大津通というのは江戸時代からあったらしいのですが、名古屋城の外堀で突き当たっていたものを延長する際設けられました。
都市計画に沿って拡幅・延長工事に入ったのが明治後期。明治40年の地図では広小路より南の工事が一部完了しています。(南大津通)
大津橋の北詰の石垣に埋め込まれている説明には「道路拡幅のため、旧状を変更した」とあります。
つまり名古屋市役所の新築に伴って町と市役所を結ぶため昭和8年に設けられた橋なのですね。
石造りの貫禄ある立派な物ですが、現在の物は昭和42年に架け替えられたものです。以前の橋はどうであったのか、ちょっと気になりますねぇ。しかしながら飾りといいシャンデリアといい、豪華な橋であることに代わりはありません。本町橋や御園橋と比べても遜色無し!
城や県庁・市役所のついでに、寄って見るのも悪くないと思いますです。

フェラーリとは

ロス・ブラウンがルノーに語りかけている。
「フェアな戦いをしよう」と。
フェアとはどのようなことかというと、「セカンドドライバー同士がブロックしないこと」らしい。
あわわ、悪い冗談はやめてくれよ。

そういうことを今までずっとしてきたのはフェラーリだろ。
チームオーダーでファーストドライバーを行かせたりしたのもフェラーリだろ。
フェラーリがやらなきゃだれもやらないんだよ。

「今やそういう時代ではない」と彼は続ける。
じゃあなにか、2003年はそういう時代だったのか。
いつからそういう時代じゃなくなったのか、はっきり明言しろってぇの。
ちとばかし強いからっていい気になるんじゃねぇよ。
マス・ダンパーにケチつけたの、おまえじゃないの?

ティホーシじゃなくてよかったと心から思った夜である。

2006年10月 6日 (金)

鶴舞から六反へ歩く(終) 終点は黄金

猿子橋を過ぎてラストスパート。
といってもバスの時間までには時間があり過ぎるためにのんびり歩く。
中京通に出るまで短い区間ではあるが、この間にもうどん屋やら店舗が数軒ある。中には洋風っぽいデザインを部分的に取り入れた日本家屋もあったりして、興味深い。
和洋折衷(いわゆる擬洋風建築を含めて)といえば、ほとんどは主体が「洋」、従的に「和」だけれども、一般では和が定着し続け、従的に「洋」を取 り込んだものでしょう。むしろ大げさな擬洋風建築よりも、こちらが庶民的であって、明治以降取り入れ続けられてきた「洋」が、民間に定着したと言えるのか もしれない。もしその想像が正しいのなら、それはそれでとっても楽しいやね!
この一角にあるうどん屋は20数年前から営業してるのは見続けてきました。気にはなっているけど、一度も入れなかった。いつのまにか建物も新しくなってしまったけど、うどん食いたい!

中京通りを越すと少し人の気配がある。鍛冶屋らしき店に「風呂釜販売」の古いホーロー看板があったりしてなかなかおもしろい。

もう少し先に進むと銭湯がある。
いかにも銭湯といった風情で、それほど古くは見えません。
でも営業している様子はまったくない。ゴミも出ていなし、自転車置き場には埃がかぶってて、壊れかかった自転車。廃業したんかなあ...
もう少し行くと、庭先に祠が出ている民家がありますが、これはひょっとして屋根神さまだったのでしょうか。公的価値があるものでなければ、わざ わざ道路に面した場所にほこらを出したりせんでしょう。しかしながら、このあたりは道幅狭く、軒先が道路に出ないから、載せるのにスペースを必要とする屋 根神さまはなかったとも思えるのです。

この道は現在運河通りに合流して終わってますが、元々は線路に沿って南下したのか、黄金の踏切を渡って佐屋街道と合流したのか。やはり古地図は必須だなあ...

鶴舞から六反へ歩く(8) 日置・猿子橋

鹽竃神社については、正面に詳細な説明があるので、それを読めば調べる必要もありませんな。自分自身それ以上の情報を欲するほどマニアでもないし(〃⌒∇⌒)ゞえへへっ♪

さて、鹽竃神社は日置通りに面しています。
ここの商店街はすっかり寂れている。
いくつか店はあるんだけれど人がいない。
もう問題意識を持つレベルではなくって、漫然とやっているだけ、みたいな。床屋みたいな店は腕が勝負で根付きやすいけれど、物を売る商売は安い方 に客が流れがち。また品揃えでもスーパーにはかなわないかもしれない。ましてや自転車で行ける店が決して少なくないこのあたりでは、古い商店街などお呼び でないのかなあ。
魚屋だけは元気に営業してたようです。
それと、お茶屋が2軒もあったのは意外。
お茶葉は小売店の方がいいぞ!
ついでにいえば、鹽竃神社の真ん前には銭湯があります。
時間外で入れなかったのは残念!

この通りを西へ行くと名古屋駅前通りと交差します。
その南西角にはお地蔵さんたちがたくさんいるほこらがある。
この道路と並走していた鉄道で、事故にあった子供たちの霊を慰めるための祠だと昔だれかに聞きました。
現在では鉄道は築堤の上を走ってて、踏切の面影はありませんが、東海道、中央線、そして名鉄名古屋本線と主要幹線が並んでいるから事故が多かった ことは想像に難くない。思うのは、子供が行き来する地域の真ん中に無理矢理鉄道を強いて、地域を分断したということです。鉄道によって街がふたつにわけら れてしまったのでしょう。子供たちはそんなものをものともせず、街をつないできたんでしょうなぁ。

Img_6442 心の中で手を合わせながら「踏切跡」を過ぎ、猿子橋で中川運河を渡ります。ここは裏道でもあってたまに通るところですが、初めて気付いたのが猿子橋のデザイン。こりゃ親猿が小猿を背負っている姿ですね。今まで何度なく通ったのに今頃気付いた。
何度も見直して、「これ親子猿だよな」と口の中でつぶやいてみました^^
それにしてもなぜ猿子橋というんだろう?
日置通りは古い通りだから、由来はありそうだ。

鶴舞から六反へ歩く(7) 鹽竃神社

傷心のままに日置のまちをふーらふら。
二次的に用意していた鹽竃神社しかネタがない。
このままで帰るのはあまりに惜しいので行ってみることにしました。でもよそから勧請した神社っていうのは、あまりいい印象がない。たいていは地元から見放されたごとくに荒れていることが多いかったような記憶ばかりです。

Img_6434 なんとなく歩いていたら鹽竃神社に着きました。
ガラス張りの拝殿にまた少しがっかり。
けれども境内はきれいに掃除されていて気分がいいし、建物も破れているようなところはなく、いかにも由緒ありげな立派な神社です。それが「単に近代化してしまった神社」でなければいいなと思うのみ...
拝殿前にこまいぬどん、いました。
奥へ進むとさらに小さな神社があります。
一番右の神社には由緒書きがないのでなんだかよくわかりませんが、その左隣にはカッパが座っている。さらに隣にはヘビ(龍か)。

Img_6409 カッパについてはちゃんと由緒があるのです。
かつてこの地域に川があった頃、そこに尻をかざすと痔が治ったという故事があり、痔を治したのが川の"神"でもあるカッパなんだと。つまりカッパ は川の化身ということなのね。かっぱ像にはキュウリが置かれている。頭にはさらを載せ、長い髪を蓄えた姿はちょっとキュートです。故事とともにちょっとう れしくなり、思わず賽銭を入れて手をあわせてしまいました。

カッパの隣の龍には説明無し。
でも水神といえば通常は龍だから、川の神様を祀っているのでしょう。この地域は過去、川を利用することを甚だしかったのでしょうね。だからこそ事故も多かった。水神様を祀って無事故を祈ったのでしょう。

Img_6419 お気づきでしょうが、鹽竃といえば仙台です。
名古屋日置村の鹽竃神社は、名古屋築城の無事故を祈って創建されました。
街道側の大門には釜があり、子獅子が親獅子の背で戯れるこまいぬどんたちもいます。鳥居に掲げられた「鹽竃神社」の文字にはさすがの貫禄が感じられますなぁ。歴史とはこういうものか。

鹽竃神社のおかげで、少しは取り戻せたような気がします。

2006年10月 5日 (木)

名古屋下町の原型 語り編

明日はどうやら荒天で休みになりそうだから、明日書けば良さそうな物だけど、酔っぱらったときに限ってこういうことを語りたがるのはオヤジの習性なんだろうね。
文法上、または慣習上おかしな日本語が出てくるかもしれませんが、お許しくだされ。もしくは、明日「目覚めた」ら修正します(爆)

以前円頓寺(えんどうじ)についていくつか記事を書きました。そしてまた中村区名駅5丁目というタイトルでいくつか日記を書いています。
このふたつの地域を分断しているのは、桜通。
桜通は戦中「建物疎開」として空き地になっていたところを道路として整備したらしいのです。
旧小鳥町はおそらく桜通に町内をもぎ取られたのであろう。
もっとも地名変更に携わった人たちもそれを心苦しく思ったのか、那古野1丁目は桜通という大きな通りを境とせず、旧町名に従って、区境を設けたのだと思う。
だから那古野1丁目においては区界が小鳥町の北端であるように思う。桜通のない当時において間にあったのは伝馬通り。しかしながら、うちのじい様 は「通りは別の町名が付けられていた」という。人が生活する「町」と物流とは別の生活域があったということなのだろう。しかしながら古地図がないために、 特定は避けておこう。
少なくとも、人間の暮らしが成り立っていた地域として、那古野1丁目と名駅5丁目はひとつにして考えたいと思っています。
住んでる人たちはどう思ってるか知らないけれど、花車町の山車が桜通を踏み越えて円頓寺へ向かうのは、「そう考えてもいいよ」との暗示ではないのだろうかと思ってみたりもする。
戦争と合理主義が、本来人間のための町だったものを他の種類の町に変えてしまったようだ。行政はそれを恥じようとも、顧みようともしない。

小鳥町、花車町、内屋敷町。
失われた町のために、知識を仕入れるぞ。

鶴舞から六反へ歩く(6) 近代化

岩井橋を下ると水主町交差点です。
ここは水主が住んでいたから水主町だそうで、なんのひねりもありません。
堀川の上流・納屋橋の東には当時尾張藩の米蔵など倉庫がひしめきあっており、そこで働く水主たちが、現水主町付近にまとまって住んだそうな。尾張藩は巡視船なども持っていたから、それらの船の水主たちも住んでいたと思われます。
水主神社があると聞いた記憶があって、下調べしなかったことを後悔しましたが、どうもそれらしき神社はありませぬな。100m道路と堀川が交差す るあたりに洲崎神社というのがあります。これが水主らの守り神だったのでしょうか。洲崎というのは、洲の崎ってそのまま解釈すればいいのかしら。
水主町よりもさらに納屋橋に近いです。

実は水主町が最も楽しみにしていたのが、ここにある某医院。
「ファミレスに囲まれている」お医者さんらしいです。
知らない場所ですが、行ったらすぐにわかった!
○●医院ってでっかい看板が立っているんですもの。
しかもちゃんと「ファミレスに囲まれている」。
でもその建物は新建材による近代的な3階建てに変わっていました。
古い建物は使いにくいのでしょうかねぇ。
もともと医院として立てられたのだし、町医者なのだから、それほど大きく業務内容が変化したとは思えなかったので、「間違いなくあるはずだ」と確信していたのに、ショックでした。
かつては塔がある立派な洋風建築だったらしい。
あぁ、また名古屋の歴史がひとつ失われた。
せめて各部の写真なりとまとまって残されているといいなぁ。

80年

近頃洋風建築の写真を多く撮ってますが、あの建物は昭和初期のものが多いのですね。また第二次大戦前夜とも言える時期で、大陸では関東軍による泥沼の様相を示してきた頃。

今や、銀行も当時の様ないわゆる「銀行建築」を建てることはないし、一般の会社も洋風建築を用いることはなく、現代建築ばかりです。つまり、洋風建築というのは日本文化と洋風建築文化の融合によって出現した一種の流行でした。
建築物を「流行」という陳腐な言葉でくくりたくはないけれど、事実はそう。
ところが人間の80年というのもひとくくり。
一時代という気がします。
現在80才といえばおよそ昭和元年の生まれ。
ちょうど洋風建築華やかな頃。
おじいさんが子供の頃は広小路には鈴木禎次設計の洋風建築が林立していたのでしょう。
名古屋ホテル、日銀名古屋支店、愛知県庁...etc
きっと今とはまったく違った広小路通だったんでしょう。
80年も生きるとそういう変化を肌で感じられるんだなぁ。
でもその一方で暗い時期もあったでしょう。
昭和20年に二十歳。
戦場にあった悲しい時期があったかもしれない。

80才というのは、底が知れないほどに深い。
そういうおじいさんが今の現場で用務員のようなことをやってます。腰は曲がってるけどとっても元気。
「三菱関連の会社で働いていた」というおじいさん。
話を聞いているうちに自分中で80年を振り返ってみたら、おじいさんを拝みたくなった(;^_^A アセアセ・・・
年寄りっていうのは偉大だと身にしみた。

わしらってお年寄りと接する機会がほとんどないんだな。
こういう話をもっとたくさん聞きたい。

2006年10月 4日 (水)

Billy Joel In Japan!

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おしっ!!!!!
ヘ( ̄▽ ̄*)ノ・ ・.♪ヒャッホーイ♪.・ ・ヾ(* ̄▽ ̄)ノ
☆^v(*^∇')乂('∇^*)v^☆ヤッタネ!!
(= ̄▽ ̄=)V やったね

2006年10月 3日 (火)

クソガキ

現場が幼稚園です。
宗教関係の幼稚園ですけど、都心なので著しく敷地が狭い。
子供たちの遊び場から10mと離れていないところが駐車場です。
駐車場といっても3台しかとめられない。

今日、道具を取りに車へ戻った時のこと。
ひとりの子供が車に向かって突進してきたのがみえた。
数秒後、左側パネルで「どん!」と鈍い音が。
車になんか投げつけやがったな! とみると局所的に1cm程度が浅くくぼみ、中央部分は塗装がはがれて地金が出てる。
「こら!」と怒鳴ったときにはすでに子供はおらんかった。
内心は捕まえてなぐったろうかと思ったけれど、大人の分別(爆)を以て、「子供することだからしゃあねえか」と許してやりました。

そのときには回りに大人はいなかったはずなんですよね。
傷を見ているときに先生がうろうろっとしてけれど。
「こら」の声に驚いたか、園児が集まってきた。
女の子ばかり。
「大丈夫?」
「どうしたの?ケガしたの」
女の子っておしゃまだなぁw
ええ歳こいたおっさんにかける言葉じゃなかろう^^
あれで一人前のつもりなんかなあ。

屋上に戻って作業してたら、石をぶつけた男の子が先生に連れられて屋上に来た。
「さきほどすみませんでした、この子が石をぶつけたそうで」
男の子は半べそ。
「いや、いいんですよ。子供のすることだから仕方ないですよ」(天茶心の言葉「ちゃんと子供を管理しとかんかい!)
「もうやらんだろ?」
子供こくんとうなづく。
「あやまりなさい」と先生。
「ごめんなさい」という子供。
涙をこぼしながら今にも泣き出しそうな子供。
「ほれ、泣かんでいいいから」と頭をなぜてやる心優しい天茶おぢさん。
(天茶心の言葉「このクソガキが!」)

こんなこと大なり小なりみんな覚えがあるんだよなぁ。
NHKの木曜時代劇で山本周五郎の「ちいさこべ」をやってる。
その中で主人公が面倒を見ている孤児たちが、近所の八百屋ですいかを万引きする。「今度と言う今度は絶対許さねぇ!」と息巻く八百屋に(これは幼なじみ同士なのね)主人公がに言うには、
「おまえだって覚えがあるだろう、こんなことのひとつやふたつ。そん時おまえ番屋に突き出されたか」
それを思い出してた。

あの場には子供しかいなかったから、女の子がちくったんだねえ(^▽^;)
間違いないヽ( ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∇ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄;)ノ

機種依存文字と促音

近頃では言うのもバカらしくなったか、言う人がほとんどいなくなりましたね。
Mixiは大半がバソコン素人だとみえて、Macだと□のなかに×のついた「文字」や、?がいっぱいです。
文章だけでなく、ハンドルの中にもそれがある。
いったいなんて呼べばいいのよ、機種依存文字さん(^▽^;)

なかにゃ携帯で書き込んでる人もいるんだろうね。
しかも顔文字入力してたりしてヽ( ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∇ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄;)ノ
おてあげ。。。

「わたしは『わ』」(フォントを小さくしてるのだな。促音かよ!)などというのも非常に見苦しい。
せめて「は」にしろといいたい。
「わたしわ動物園に行きました」じゃないだろ。
おまえは小学生か!
そういう日記や書き込みは一般から見えないとありがたいね。

2006年10月 2日 (月)

ディープ負けた...

前評判通りには行きませんでしたねぇ、ディープインパクト。
日本でのあの圧倒的強さを見たらそりゃ負ける気がしないと思うべさ。
今回の中継は左前方のカメラ位置で、馬の動きやレース展開がわかりにくかった。解説が「ディープ来た!」と言ってもよくわからない。
普段通りのスピードで差したのか?
それともレイルリンクとプライドがそれを上回る力でディープを差したのか。

優勝騎手がパスキエというのもちょっと救われる思い。
彼は中央でも活躍してる騎手だからね。
そして昨年の有馬記念でハーツクライに負けたけれども、その時の騎手が、今回2着に入ったプライドの騎手、ルメール。
つまり武はディープに乗ってルメールに2度やられたっちゅうこっちゃ。
「畜生のやることなんかわからん」
オヤジの口癖がまたここで裏付けられてしまった(;^_^A アセアセ・・・

それにしても、競馬もF1も、「乗り物がダメならダメ」なんですねぇ。例え武が乗っても、ハルノウララは勝てなかったし、今回だってパスキエにや られた。逆にいい馬に乗ればだれでも勝てるということなんかな。とすればむなしい気がしないでもないけど、競馬は馬と言う生き物が相手、F1は機械と言う 水物か相手。そんなところにつけ込むおもしろさがあるのかなあ。

2006年10月 1日 (日)

博物館な一日 〜名古屋市博物館〜

博物館ではなぜか{どまつり}の再現!
雨のためにロビーで踊っていると思われるが、大層うるさい。
ロビーの大半を使って踊っているから観覧者が歩くスペースすらない。踊り手と観覧者かお互いに通路を譲り合っていた。

さて、特別展「ええじゃないかの不思議」である。
どうやら庶民パワーの炸裂理由というところでは推察は間違っていなかったようです。かといってぴったり一致していたとも言えないか。
そもそもの発端は「おかげまいり」であるらしい。
おかげまいりとは、抜け駆け参りのことで、雇用主や家族などにナイショで突然伊勢へ詣でることをいう。それは伊勢神宮への信仰の強さによるものと され、とがめ立てはできないということになっていたらしい。ほぼ60周年周期でそれが活発になり、たまたま幕末に巡ってきたというわけ。
おかげまいりがええじゃないかに進化(?)する際には意図的にお札がまかれたりしたということがあったそうで、犯人が捕まっている例もいくつかある。
意図的にええじゃないかを演出したとしても、庶民のエネルギーがなければ進展しないわけで、犯人の行った演出はきっかけに過ぎないのだと思う。
なんだか島原の乱の解説のようになってしまったな^^

「おかげまいり」が中心で、それがええじゃないかに進展したという展示方法なので、 はじめはどうも取っ付きにくかったのも事実ではあります。ちっとも「ええじゃないか」の文字がでてこないんだもん。
その他に、尾張・三河では津島神社へ参るおかげまいりもあったらしい。他国では確認例がほとんどなくて、遠江の新居のみで発生が確認されているそうな。

まぁとにかく、難しいのでようわかりません。
やっぱりある程度の基本知識は必要ですな。
復習のために、「ええじゃないかの不思議」の目録版を買ってきたので、よくよく勉強したいと思います。
ロビーで開かれていた古書店もまったく不発で、地図なんてものはほとんどなし。
観光地図のようなものしかなかった。
県誌のようなものはたくさんあったけど、欲しい物はなし。
掘り出し物だと思ったのは、いつどこで開かれたか記憶にない、「唐招提寺金堂平成大修理記念・鑑真和上展」の目録。これは地方の電話帳ほどある立派な本で、展示物の写真が掲載されています。定価は4〜5000円しそうだけど、1000円でした。
説明書きと写真を見るだけでも十分にもとはとれますぜ。
他には「昔の前津」という特別展の目録も購入(こちらはミュージアムショップで)前津ってのは現在の上前津を中心とする地域のこと。内容が充実し てるんだよね。尾張藩で前津に関わりの合った人についての説明がなされている。古書でないと地方の文化人は発掘されにくいもの。こんな説明がうれしいの だ。もっともこれも今年の夏前に開かれた特別展の目録らしい。
別に特別展見んでもいいような気がするな(笑)

博物館な一日 〜徳川美術館〜

天気予報は夕方から雨だっていうからバスで行こうと思ってたのに、起きたらざぁざぁ降りじゃねえかよぅ。
雨降りでは街歩きもままならず、クルマで行きました。

徳川美術館の写真展。
こりゃあマイッタ。
今まで見たことのない写真がいっぱいあった!
城内三の丸にあった東照宮や若宮社などは城内で山車が出たものだが、それを城内から撮影しているお殿様。
つまり土手の上から撮影してるんだよね。
すごい絵じゃないか、それw
とてもお殿様の姿じゃないよ。
携帯のカメラで女子高生のスカートのなかを撮影する大学教授よりもびっくりだよ(意味不明)
他には二の丸御殿の写真が多々あることにも感激。
名古屋城二の丸御殿は半分が尾張政庁、半分が藩主の居住空間であることは以前にも書いたことがあるが、写真というのはすばらしいわ。
柿葺きの屋根が山地のように何重にも重なって、まるでひとつの街のよう。驚いたことに二の丸自体が城のような構えで、居住空間(二の丸庭園含む)にも隅には唐風櫓が設けられていたこと。やはり名古屋城の主郭は二の丸御殿なんだと再認識してしまいました。
そしてこのお殿様、征長総督でありながら広島城で写真を撮っている緊張感のなさ(笑)
写真が一般的でなかった当時、写真撮影する徳川慶勝の姿は兵士からも大変奇異に映ったことでしょう。
「ありゃなにやっとんじゃ!」

他にも尾張藩邸を撮影したもの、名古屋の新御殿や熱田御殿、江戸や名古屋の町家など精力的に撮影して、大変に貴重な写真を残してくれています。

さて、特別展といえば、たいがいは概要を記したパンフレットが出ます。この場合もそれを期待してました。例え小さい写真でも、手元に置ければ大変にありがたい!
と思いきや、そういうものは今回製作されなかったらしい。
写真に希少価値を残したいのか。
150年も前の写真、しかも二の丸御殿の貴重な写真も含まれているのだから、これは徳川家の私物ではなく、公共の財産と考えるべき。ぜひ公開すべし!

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