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2006年10月 5日 (木)

鶴舞から六反へ歩く(6) 近代化

岩井橋を下ると水主町交差点です。
ここは水主が住んでいたから水主町だそうで、なんのひねりもありません。
堀川の上流・納屋橋の東には当時尾張藩の米蔵など倉庫がひしめきあっており、そこで働く水主たちが、現水主町付近にまとまって住んだそうな。尾張藩は巡視船なども持っていたから、それらの船の水主たちも住んでいたと思われます。
水主神社があると聞いた記憶があって、下調べしなかったことを後悔しましたが、どうもそれらしき神社はありませぬな。100m道路と堀川が交差す るあたりに洲崎神社というのがあります。これが水主らの守り神だったのでしょうか。洲崎というのは、洲の崎ってそのまま解釈すればいいのかしら。
水主町よりもさらに納屋橋に近いです。

実は水主町が最も楽しみにしていたのが、ここにある某医院。
「ファミレスに囲まれている」お医者さんらしいです。
知らない場所ですが、行ったらすぐにわかった!
○●医院ってでっかい看板が立っているんですもの。
しかもちゃんと「ファミレスに囲まれている」。
でもその建物は新建材による近代的な3階建てに変わっていました。
古い建物は使いにくいのでしょうかねぇ。
もともと医院として立てられたのだし、町医者なのだから、それほど大きく業務内容が変化したとは思えなかったので、「間違いなくあるはずだ」と確信していたのに、ショックでした。
かつては塔がある立派な洋風建築だったらしい。
あぁ、また名古屋の歴史がひとつ失われた。
せめて各部の写真なりとまとまって残されているといいなぁ。

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