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2006年10月 5日 (木)

名古屋下町の原型 語り編

明日はどうやら荒天で休みになりそうだから、明日書けば良さそうな物だけど、酔っぱらったときに限ってこういうことを語りたがるのはオヤジの習性なんだろうね。
文法上、または慣習上おかしな日本語が出てくるかもしれませんが、お許しくだされ。もしくは、明日「目覚めた」ら修正します(爆)

以前円頓寺(えんどうじ)についていくつか記事を書きました。そしてまた中村区名駅5丁目というタイトルでいくつか日記を書いています。
このふたつの地域を分断しているのは、桜通。
桜通は戦中「建物疎開」として空き地になっていたところを道路として整備したらしいのです。
旧小鳥町はおそらく桜通に町内をもぎ取られたのであろう。
もっとも地名変更に携わった人たちもそれを心苦しく思ったのか、那古野1丁目は桜通という大きな通りを境とせず、旧町名に従って、区境を設けたのだと思う。
だから那古野1丁目においては区界が小鳥町の北端であるように思う。桜通のない当時において間にあったのは伝馬通り。しかしながら、うちのじい様 は「通りは別の町名が付けられていた」という。人が生活する「町」と物流とは別の生活域があったということなのだろう。しかしながら古地図がないために、 特定は避けておこう。
少なくとも、人間の暮らしが成り立っていた地域として、那古野1丁目と名駅5丁目はひとつにして考えたいと思っています。
住んでる人たちはどう思ってるか知らないけれど、花車町の山車が桜通を踏み越えて円頓寺へ向かうのは、「そう考えてもいいよ」との暗示ではないのだろうかと思ってみたりもする。
戦争と合理主義が、本来人間のための町だったものを他の種類の町に変えてしまったようだ。行政はそれを恥じようとも、顧みようともしない。

小鳥町、花車町、内屋敷町。
失われた町のために、知識を仕入れるぞ。

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