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2006年10月 6日 (金)

鶴舞から六反へ歩く(8) 日置・猿子橋

鹽竃神社については、正面に詳細な説明があるので、それを読めば調べる必要もありませんな。自分自身それ以上の情報を欲するほどマニアでもないし(〃⌒∇⌒)ゞえへへっ♪

さて、鹽竃神社は日置通りに面しています。
ここの商店街はすっかり寂れている。
いくつか店はあるんだけれど人がいない。
もう問題意識を持つレベルではなくって、漫然とやっているだけ、みたいな。床屋みたいな店は腕が勝負で根付きやすいけれど、物を売る商売は安い方 に客が流れがち。また品揃えでもスーパーにはかなわないかもしれない。ましてや自転車で行ける店が決して少なくないこのあたりでは、古い商店街などお呼び でないのかなあ。
魚屋だけは元気に営業してたようです。
それと、お茶屋が2軒もあったのは意外。
お茶葉は小売店の方がいいぞ!
ついでにいえば、鹽竃神社の真ん前には銭湯があります。
時間外で入れなかったのは残念!

この通りを西へ行くと名古屋駅前通りと交差します。
その南西角にはお地蔵さんたちがたくさんいるほこらがある。
この道路と並走していた鉄道で、事故にあった子供たちの霊を慰めるための祠だと昔だれかに聞きました。
現在では鉄道は築堤の上を走ってて、踏切の面影はありませんが、東海道、中央線、そして名鉄名古屋本線と主要幹線が並んでいるから事故が多かった ことは想像に難くない。思うのは、子供が行き来する地域の真ん中に無理矢理鉄道を強いて、地域を分断したということです。鉄道によって街がふたつにわけら れてしまったのでしょう。子供たちはそんなものをものともせず、街をつないできたんでしょうなぁ。

Img_6442 心の中で手を合わせながら「踏切跡」を過ぎ、猿子橋で中川運河を渡ります。ここは裏道でもあってたまに通るところですが、初めて気付いたのが猿子橋のデザイン。こりゃ親猿が小猿を背負っている姿ですね。今まで何度なく通ったのに今頃気付いた。
何度も見直して、「これ親子猿だよな」と口の中でつぶやいてみました^^
それにしてもなぜ猿子橋というんだろう?
日置通りは古い通りだから、由来はありそうだ。

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