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2006年10月30日 (月)

名古屋城外堀に沿って(3) 那古野神社

256443894_162 さて、続ける。
本町通と外堀通りの交差点南西角は産業貿易館が建っておりますが、ここは旧尾張藩評定所あとです。維新後は当時の日本で唯一世界レベルであった本草学の伊藤圭介をして医学校になったとか。
(立て札の受け売りですw)
次の通りは長者町。
長者が多かったのかしらん、まるで象徴するが如く名古屋銀行協会が建っております。全面タイル張りで、きれいですなぁ。1本だけ見える化粧石張り の柱が大変に美しく、存在感あります。屋根の上にはなぜか帝冠風の銅板屋根が載っているみえます。よくは見えませんでしたが。モダニズム調で、現代風の建 物が多い中、大変に目立っております。

その向かいには那古野神社です。
神社そのものが新しい印象を持っていること、あまり寺社仏閣自体に興味がなかったことから、今回初めて足を踏み入れました。数年前、目と鼻の先の現場にいたにも関わらず。
中には、名古屋東照宮をはじめとしたいくつかの神社があります。
あぁ、藩校跡の碑がありました。
尾張藩の藩校は名倫堂といいます。
現在の明和高校がその末だと聞いてます。
一応モデル代として東照宮にお賽銭を差し上げました。
「家康ごときに...」と口の中でつぶやきながら。(わずかな布施で恩着せがましいことを言うやつですσ(ε;) )
ちなみに明治44年の地図には「スサノヲ社」「東照宮」と記されております。

256443894_74 256443894_172_1
神社の楽しさは、過去の名古屋の姿や、人の姿が垣間見えること。
今ではなくなった地名が寄進者の横に書かれていると、寄進者がおぼろげながら見えて来る。

明治中期の広小路町ってどんなとこだったの?
夫婦連名で狛犬を寄進した理由ってなんだろ。
大店の旦那さんだったとか...
石工さんの銘入り灯籠なんて持ち帰りたくなっちゃう。
ほおずりしたくなっちゃう。

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