最近のトラックバック

2016年5月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
無料ブログはココログ

« 関東放浪記 (42) 電車は西へ、雨雲は東へ | トップページ | 関東放浪記 (43) ほうとうを食う »

2006年9月24日 (日)

功名が辻 (36) 豊臣の子

大明国、討ち入りですね。
みんながたがた言ってるけれど、これは秀吉の公約でもあります。
信長幕下で秀吉は「そののちは大明国に討ち入り、都へ天子様を奉る所存にございます」という記録が残っている。その場限りの信長への追従だとしても彼の脳裏にはそれが残っていたんじゃないだろうか。
ちまたでは軍を発する時点で鶴松がなくなったから、太閤は気が狂ったと思われがちだが、実はそうでないと思う。そもそも秀吉の様なタイプは夜によ くあるいわゆる「英雄」ではないか。自分の力が何に起因したものかはよく知っている。戦功よりも多めの勲功を与えることによって、自分への忠誠心をおあり 立てるなど、英雄独特の施策ではないかと思うのだ。冷静を失っているのではなく、それを「売り」にしているというとわかりやすいだろうか。当然功を争う場 面がなければ、それを作り出そうとする。秀吉はすべてを理解していて、明に討ち入ったのだろう。やけくそ気味にみえるのは、彼の措かれていた状況が順風満 風ではなかったことである。本来は調略などで内部崩壊を誘っておいて一突きに突く、秀吉の戦略がなかったことだろう。
当時、明は内部崩壊していたらしい。なんとか20万の援軍は確保したらしいが、その実国家として体を為していなかったらしい。つまり、秀吉が従来通りまともに攻めていれば明の滅亡は50年ほど早まったかもしれないということであった。

家康は変わらず、嫌らしい形ででてくる。
脚本家の言いたいところはわかるが、かれの登場が断片的で、秀吉VS家康の冷戦というものがあまり流れとして見えてこない点がある。やはり主題を「功名が辻」としたところらに無理があるのではないかと思ったりしているがどうであろう。

« 関東放浪記 (42) 電車は西へ、雨雲は東へ | トップページ | 関東放浪記 (43) ほうとうを食う »

映画・テレビ・ラジオ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/163414/12022307

この記事へのトラックバック一覧です: 功名が辻 (36) 豊臣の子:

« 関東放浪記 (42) 電車は西へ、雨雲は東へ | トップページ | 関東放浪記 (43) ほうとうを食う »