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2006年9月 5日 (火)

えらいひと

「街道をゆく」を読むと、様々なネタが出てきます。
風俗、歴史、地理、宗教等、人間の足跡についての考察があります。
とてもひとりの人間の脳から出た知識とは思われないほどで、量にも質にも圧倒されているのが現実です。これを紀行文に結びつけたのは朝日新聞社の営業上の勝利か、はたまた読みやすくするための工夫であったか(笑)
実際には紀行部分は物語のきっかけだったりするのみで、それ自体がこの作品のテーマではありません。

さて、「街道をゆく」が自分にとって一番役に立っている部分は、地理や歴史などではなく人物評です。特にひかれるのが、宗教家たちのひととなりや生き様です。
宗派や宗祖を取り上げ、ながながと解説してくれます。司馬遼太郎という人はほとんど宗教的な気分を持たない人なのか、人となりですべてを語りま す。仏教の宗旨については昔から興味を持っていましたが、こういう形で知識を得るとは思わなんだ。司馬遼太郎は宗教家ではないから、宗旨を知るためには、 正しい方法で学ぶ必要はありますが、得た知識でどうにかしようなどいう気持ちのない者にとっては、司馬遼太郎の知識から始まれば良い。幸い彼の文章は難 しい部分はくどくどと何度も繰り返す癖があるために、「また言ってるよ」なんて苦笑いしながら、読んでます。
それにしても、宗教家の生き様というのはなんと気持ちいいんだろう。親鸞などは自身で真宗を起こしたわけではない。彼の言葉を弟子が書き留めた歎異抄のなかでは、「これはわたしが成仏するためのものである」とあるらしいし、彼自身新しい宗派を起こす事をしなかった。
奈良仏教の堕落を見た法然は叡山を開き、道元は死ぬまで釈迦を見つめ通した。人の個性によって、真実をさぐる方法も考え方も違うが、共通するのはその真剣さ故の清潔さではないか。
司馬遼太郎というフィルターを通してさえ彼らは大変に魅力的な人物に映る。

宗教という物は知識として見ると異常なほどにおもしろい。
だれそれに忠義を尽くす戦国武将が一種の宗教家にも見えて来るね。

何もかも捨てて真実を探る人生っていいかも。
こんなに宗教家にひかれる自分はちょいとおかしいんだろうな...

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