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2006年9月24日 (日)

中村区名駅5丁目(2)

神明社をあとに、中橋から続く四間道(しけみち)を歩く。
四間道は現在の名古屋では、円頓寺界隈の代名詞のようになっているが、尾張藩が設定した防火策としての四間道は中橋から納屋橋付近だったらしい。 結局それを歩いている。円頓寺かいわいの四間道ほどいにしえのイメージはないが、それでも蔵のいくつかは改造され立派に現役である。
道がわずかにカーブしていることも、四間道の印象を感じさせる。江戸時代でも直線道路を造る技術はあったろ うが、あえてまっすぐにしないこと。従来からあった町家や商家などを巧みに避けたあとなのかもしれないし、悪水川を越えるためかもしれない。
そんなカーブに人間らしさを感じるんだなぁ。
人間が作ったけもの道っていうのかな。
これを北上すると飯田街道と交差する。
正式にはなんと呼ばれているか知らないが、千種本町から栄を抜けてやってくる古くからの街道で、左に折れれば名古屋駅の北を抜けて清正公通りを経由して中村公園に出る。

名古屋駅付近は区画整理が完全実施された現在でもそうした古い街道筋がところどころに残っている。
街並みなんてものは残ってはいないけれど道筋から雰囲気を味わうことは十分に可能です。

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北へ行き当たったので西へと折れる。
出た!古い下町w
明治初期の建物と現在の建物が共存してる。
長屋のひとつををたどると屋根神さま発見!しかもきちんと飾りがついているよ。大発見なので早速写真を撮る。
そして近所にも長屋の一部が残っていた。こちらの長屋は左右が切り取られ、残った部分のみが住居となっている様子。
この住宅にも庇に観音開きの扉がある。ごていねいに外壁にも。電気関係のカバーかとも思ったけれど、すでに薄暗くそれらしき配線は確認できなんだ。
でも家の一部をわざわざ欠きとってまで配電盤を設置するだろうか。とすれば、これも屋根神さまと判断すべきかと思った。
2つも屋根神さま。
大収穫である!^^

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