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2006年8月28日 (月)

国のまほろば (上) 大和盆地を見て思う

日本ていつ生まれたんだろう。
今の自分のなかにある「日本的な何か」はいつ頃の意識から受け継いできているものなのか。
奈良に行くとそう思う。
同じ古都でも京都は文明の時代に入る。
朝廷を中心とした国としての形が固まった時代で、天皇から公家へ、公家から武家へと実力者が変わりこそすれ、天皇>朝廷>公家>武家という形は近世まで大きな変化がなかった事から、自分の様な普通の歴史好きには知識で直結する部分が少なくなじみやすい。

同じ奈良でも平城京部分と、飛鳥地域にはずいぶんと違うように感じている。この違いは単に当時の資料がないということだけなのだろうか。
飛鳥よりも京都が観光地化させてしまうという結果を思うとき、そういう「時の流れと時代への無知」が人を京都へと誘う結果になっていうる気がする。少なくとも自分はそう思う。
実際には、古代建造物が残っているとか、位置関係など、さまざまな一般的要素(普通の見物客には少なくとも、他の要素が強いだろうと思われる)が 絡み合うのだろうが、「国のまほろば」と呼ばれる地域をそのままに保存できた事に関してはむしろ幸運であったと言うべきである。入り込む人が少ないこと は、乱開発を呼び込まなかった。つまり「大和盆地」という山に囲まれた地形が大阪とこの地域を切り離したということになるんじゃないかと思った。

今回、山の辺の道の一部を歩いたが、やはりここにも歴史があった。名古屋にも偉大な歴史はいくつもあるが、大和盆地で起った事は歴史の正統である。言い換えると大和朝廷から現代の天皇家まで連綿と続く「日本の王家の歴史」でもある。
人間がまだ小さかった頃の日本がまだここには残っている。
大和朝廷と、京都の朝廷は違うものなのだ。

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