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2006年8月15日 (火)

昭和20年8月6日の国家犯罪

海外ではたまに言われる、原爆投下の違法性。
空襲の是非。
果たしてこれが戦闘行為なのかどうかということであろう。
アメリカは「兵器廠」をねらったというが、現実には多くの一般市民を死傷させている。原爆に至っては、そもそも投下選定自体が政治的で、犠牲者の大半が一般市民であった。いつの間にか日本人はその被害こそが戦争の恐ろしさだと勘違いをしているほどである。

原爆投下の指揮者は「命令に従ったまで。戦争ではなんでもありなのだから、戦争をしてはいけないのだ」と後に語った。また投下当日の気象観測担当者は、あまりの罪深さに精神を病んで亡くなったと言う。
どちらも哀れな被害者であるのかもしれない。
しかも未だ原爆投下を正当だったと称え続けるバカ者がいることにはまったく閉口する。原爆によって死ぬべき人間がどこかで入れ替わってしまったのだろう。神は時にして罪深い事をするものだ。

本来戦争は一般人を巻き込んではいけない。
武力同士が衝突するのが本来であり、「首長同士が殺し合え」という主張もある面反映されている。だからこそ戦争を離れれば憎しみは存在せず、お互 いの兵士というものはいたわり合ってこれたのだが、上述、「戦争はなんでもあり」などという指揮官が発生するにつけ、一般人を巻き込む結果となり、戦争と は一切関係ない人々まで含めて数十万人を大虐殺した。アジアのどこかの国の言う「大虐殺」とは違って、こちらは犠牲者の名簿までが存在する。「およそ何万 人が虐殺された」のではなく、何十何万何千何百何十人とはっきり言える。それだけ確実な数の人命が失われた。

原爆症の人々を本来担保するのはだれなんだろう。
空襲や原爆の投下などという虐殺行為は、戦争という定義には当てはまらない、あまりにもむごい国家による単なる殺人行為ではないのだろうか。
これを虐殺と感じない人は、どこかで頭がねじが外れている。
「安心して眠ってください。二度と過ちは起こしません」の誓いは過去を顧みて反省すべきは反省し、時には加害者にも意見を求めていかなければ達成できない。
原爆資料館の、炭化した弁当箱の中の白米を思い出すたびにそんな思いが溢れ出して、ついつい感情的になってしまう。

でも個人的には誓おう、
安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから

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