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2006年7月

2006年7月25日 (火)

奈良にぃ

ウェザーニュースによれば、奈良は一日曇り空らしい。
自宅近辺は一日雨。
天気予報を信じて奈良へ出発。
2時間か、近いもんだ。

まずは藤原氏の氏神、春日大社へ。
県庁駐車場から東大寺南大門をくぐって歩くこと20分。
本殿にたどり着く。
神域(社域?)が広い割には、本殿は大きくない。
付属施設などを合わせればかなりの規模になるのだが、比較対象が東大寺では小さく見えるのも無理からぬところ。
しかしながら、無料で見られる重文が参道にいくつかある。これはお得やなw
参拝客は少なくて、ぽつぽつり。
他国籍の人の方が多いくらいで、かつ有料部分に入る客のほとんどは外人さん。日本人は手を合わせて去ってゆく。

日本人のケチ!

山麓に築かれているせいか、自然の中に共生している。
廻廊に囲まれた空間に木々が茂り、いかにも"自然と共生してきた日本人(パンフレットより)"らしい。
特徴ある廻廊、本殿、宝殿。
どの建物も1000年を越えている。
宝殿は今年で満1200年になる。
その間に伊勢神宮は60回も移動した。
長い時というものは、人間を生物としての素に戻す効果があるかもしれない。宝殿の虫食いのあとすら愛おしく感じられてくる。
「この世をばわが世とぞ思ふ 望月の欠けたることもなしと思へば」と詠んだ道長も、太った体を引きづりあげ、参詣したのだろうか。

宝物殿で社宝を特別公開していた。
伝義経所用の鎧。
八幡太郎義家が奉納した鎧。
二人とも伝説の人だ。
特に義家は長く武神として崇められていただけに小説にも多々登場する印象の強い人である。
目の奥に焼き付けるがごとく鎧をにらむ。
義経の姿が見えたような気は...しなかったなw
まだ思いが足らんらしい。

帰路は興福寺の坊主が春日大社参詣の際使ったとする間道を抜けて行く。
途中牧場としか言いようがないところをすり抜けて、どうにか東大寺南大門にいたった。おかしなところへ迷い込んだかと焦ったよ。

ここで昼食。
エアコンの効いた店でビールを飲めば体温も一気に下がる。
一服の後、東大寺へと踏み入れる。
こちらは10年ぶり二度目。(甲子園球児みたいな紹介だ)

Img_4338   Img_4418

 

南大門の大きさよ∈( ̄o ̄)∋ ホーッ
仁王様の巨大さよ。(・0・。) ほほーっ
それにもまして大仏殿の巨大なこと。(ノ゚㊖゚)ノ

大きさに圧倒されて言葉を失う。
おおっ..おっ..と意味もなく口走る。
数枚写真を撮るがやはり大きさを絵にできなかった。
鎌倉・龍口寺の二の舞だ。
具体的に数値を上げるとすれば善光寺の三門の4倍か、もしくは6倍。いや、すでにこれは門の存在に飲まれてしまっている者の数値である。
実際にはどのくらいなのだろう。
途方もない大きさにうろたえて、二月堂へ行く。
このあたりで、豊橋鉄道のうちわを落としちゃったよ(/□≦、)エーン!!

二月堂では中学生たちが写生をしていた。
たいていはすわり心地のよさげなところを陣取っているのだが、なかには、ポイントと思われる位置でひとり写生をしている者もある。
やつは将来大物になるかもしれぬ!

Img_4429 時間ぎりぎりに大仏殿に着いた!
なのに...カメラのバッテリー切れ!!!
がっかりして携帯で数枚撮るが完全に意気消沈。

開眼供養では廻廊に囲まれたスペースにおいて数千の僧が読経した。その迫力たるや、想像するだに鳥肌が立つ。

戦国期、松永久秀が東大寺大仏殿を焼いたのは有名な話であるが、現在の大仏殿がその後の建物であって、初代大仏殿は現在のものよりさらに大きく、東西には100mを越える五重塔が建っていたと知った。大仏殿の中にその模型があるのだが、前に来た時見なかったのか。。。
ぼーっとしてたんだなぁ>じぶん

Img_4428 時間があまったら奈良県庁近くの寺を歩くつもりであったが、やはり無理です。春日大社は道路からかな入り込んでるし、東大寺は広い。
次は西ノ京かな。
いつ行くかわかんないけど。

2006年7月23日 (日)

功名が辻 (29) 家康恐るべし

今日のサブタイトルはダメだな。
だれが「家康恐るべし」と思ったのか。
小牧・長久手の戦い以前から、秀吉は家康を恐るべき存在として認知している。こと天正11年に至って「家康恐るべし」とは、サブタイを付けた人の認識不足を笑うしかない。

さて、見所は「尻啖え孫一」ならぬ、「尻啖え秀吉」ですよw
二重堀から日本三大音声と言われたその大声で家康を挑発した、その秀吉の勇姿。
勇姿といっても、見ている方は見て笑うしかないその姿よ。
Ψ( ̄∇ ̄)Ψワッハッハ〜♪
それでいて天下へ平定してしまう日本史上で最もスットンキョウな英雄ぶり。物の本によれば鉄砲の弾が秀吉の近くを飛んだという。(現地をみれば作り話くさいが)このエピソードは家康を挑発して隙を作ろうとする他にも、見方の士気を鼓舞しすることにもあった。

この作品でもそうだが、秀吉に関してずいぶんと誤解がある。
例えば池田・森による三河中入りの話も、秀吉に起因すると思われがちだが、許さなければならない事情というものがあるので、それを知らずして「秀吉が負けた」とするのは正しくない。

この時点において、秀吉は天下人にはなっていない。
長宗我部、雑賀衆、毛利、北條、九州、東北の諸氏。
秀吉は「最も有力な戦国武将」でしかない。他の大名との違いは朝廷を握っていることくらいである。つまり秀吉は天下平定の途上で、周囲に仮想的を 抱え込んでいる状態なのだ。本来なら小牧・長久手などに長陣していられないほど多忙な人である。一方の家康は東の北條とは親類だし、北の上杉とは活発な交 戦状態にない。つまり安定した政権といえる。安定した政権であるからこそ秀吉と戦えたのであった。
秀吉の天下取りで一番辛かったのがおそらくこの時期だったと思う。なにしろ伊勢で盲動する「うつけ」がいるし、目の前の家康は動かない。おまけ に味方となるべき家中も本来織田の旗本であって、つい2〜3年前まで同輩・仲間であった。それらを自在に自分の手足として使える時期ではなかった。
三河中入りなども、本来なら絶対許可しなかっただろう。
池田・森という戦場慣れした猛者の要求を押さえきれなかった秀吉の抵抗は、秀次を大将に戴く事、大敗しないよう2万の大軍を付ける事だったが、これが大失敗。
池田・森武蔵守は羽柴軍団の中で伸そうとしている。自然戦場ではいきり立っている。その勢いを買うべきだった。
中入りは敵に気付かれても追いつけないほど迅速な行動で岡崎を突かなければならない。そのためにはせめて5000か、2500程度の兵数でもいい くらい。敵が追撃しようと油断が生まれたところをさらに背後からたたけばよい。中入りの兵などいうものは一種捨て駒でもあるのだから、2万もいらんのだ。
秀吉の油断があったとすれば、柏井村ほか、戦場と予想されるべき地域の百姓を手なずけておかなかったことか。中入り軍の動きは柏井村の百姓によって家康方に通報されたと物の本にある。

一方、家康の油断はうつけの身柄を確保しなかったことに尽きるだろう。織田信雄はお人好しである。(だから命を長らえることができたとも言える)伊勢戦線に放置しておけば秀吉と接触するのは想像するに難しくない。
秀吉は桑名・矢田河原で土下座して信雄に陳謝する。
土下座ひとつで秀吉は家康を倒した。

小牧・長久手の戦いは、結果的に秀吉の勝利であることは疑いない。これを引き分けだとか、家康の局地的勝利などというのは、後世の権力者の押しつ けか、戦争の価値を知らないものの戯言だろう。局地戦はひとつではない。最も大きな局地戦で勝利したからとて「戦争に勝った」とは言えない。最終的にどら らが利益を得たかを考えれば、勝者ははっきりするはずである。
戦争は外交の一手段。
外交で負けた家康は間違いなく敗者であった。

それにしても徳川慣れしている西田敏行の家康は痛快だ。こんなに心地いい家康はそうそう見られないね。
信雄が秀吉と講和した時の悔しがり方、なんかうきうきと楽しくなっちゃうんだなー。さすが某映画で「徳川膳武」を演じただけある(爆)

徳川某臣の3人。
すなわち、石川数正、酒井忠次、本多重次の3人であるが、これも3人3様。
この3人だけを近づけているのは何か意味があるのかしら。
他にも本多忠勝なんぞ、いつも側近にいるような印象だけども。
てなことを思うのには、3人がそれぞれ曰くのある人生を歩むからである。
数正は秀吉方に出奔するし、酒井忠次は嫡男・信康に関して何ら弁明しなかった男だし。そのくせ幕末は西軍に対して徹底抗戦したというおもしろい藩 でもある。そういう理由もあって、遠ざけられていたという話も様々な本で目にするが、いかがなものだろうね、親・家康の立場としては。

ところで、酒井家は徳川家中に2家ある。
通常は「酒井」というだけではわかりにくいので、酒井忠次の系統は彼の通称(官名じゃないばすだけども...)左衛門尉家と読んで、区別する。そ の方が物語上もわかりやすいので、本多重次を「さくざ(通称・作左衛門の略)」ならば、忠次も「さえもん」と呼んでもらえんだろうか。生きてる人に「忠 次」と諱で呼ぶのもおかしいしね。

水草のはなし

久しぶりに水槽をいじりましたわぁ。
小魚にはエサをやる必要から照明を付けてましたけど、 体力のある魚は3〜4日おき。しかも明るい環境が好みでない人たちがおおいんで、観察することもなくほったらかし(;^_^A アセアセ・・・
それでも植物たちは育ってます。

Img_4281 画像はオークションで入手した草たちの現状。
ミクロソリウム・ナローリーフ(左)はその昔、葉一枚が1000円と言われた代物ですが、植物体自体は丈夫で、炭酸ガスも肥料もほとんど添加無しできれいに育ってました。むしろ光など与えない方がコケ(藻類)も付かずきれいに育つかも。
5枚程度のちっぽけな株が、コブシの大きさくらいまでになっています。買えば3000円はくだらないな。
近頃ではナローリーフにもさらに小さいナローリーフ(ナロー)というややこしい株も存在するげな。なんでもいいや、かわいいから少し欲しいよ^^

Img_4280 もう一種、ミクロソリウムsp."フィリッピン"(右)
こいつは大変よく茂ります。
葉の中央部がボコボコになる変わった草で、ミクロソリウム・プテロプスとはかなり違う感じ。生え方も割と規則的に一方方向を向いてるので、流木などに活着させるときに作業がしやすいです。
色が少し濃いけど、ゆらゆら揺れる様は軽くて心地いいね。
こいつも5枚ほど歯が付いていた株だけど、今や葉は30枚を越えている。3つに分けたけど、植えるとこがなくて水槽内に漂う始末です。

問題はボルビティス・ヒュッデロッティくん。
やはり劣悪な環境ではきれいな葉を展開してくれないらしい。
一応成長しているが、葉は流木に対して平行に、つまり這ってしまっている。こいつには正の屈光性を与えるしかないようだ。

なにしろ水中シダはいいね。
世話無しでもそこそこきれいだ。
魚が少ないからそれほど水換えの必要性もなし。

昨日から炭酸ガスの転化を再開するとともに、照明も4倍の80Wへ。
やはり環境が変わりすぎると葉緑素も急には対応できないようで、再開当日の昨日はあまり酸素粒が見られませんでした。それが今日は酸素だらけ(;^_^A アセアセ・・・
水槽がぴかぴか光ってました。

M Reneissanse /渡辺美里

ベスト。
そうか、みさっちゃん、もう30年近く歌ってるんだねぇ。
うちにはNHKBSで放送されたRibbon Powerのビデオがあるよ。
EDベータでね(笑)

なんか彼女の歌って腐れ縁。
Ribbonのあとまったく聞かなくなって、切れたかと思ったらニューアルバムを買ってたりする。でも渡辺美里を好きなアーティストに挙げたりはしないんだよ。
特別好きでもない、嫌いでもない。
根底にはデビューしてからRibbonまでのキャラクターが頭にこびりついてる。
たとえばIt's toughのようなシュールな歌がとても好きだったりするわりには、10yearsのような大人から見たらちょっと浮かれた歌も好き。垢抜けしてるとか古くさいとかそれらもあんまり関係ない。
もっとも頭の中では、その頃の彼女と、現在の彼女とをアーティストとして明確に区別している自分がいる。
若い頃の懐かしい歌と言う側面も強固にあるがそうとばかりも言えないように思う。

長い旅行から戻ったとき、Brearthを聞くと家に帰った様な気がする。
中央道を走りながら歌ってたことを思い出すなぁ。
あれから10数年....としとったな。

最近の渡辺美里には昔のキャラクターを期待してはいない。
ただの同年代の歌手として捉えてるから、それなりに気分に合わせて聞いてるだけ。
ベストとオリジナルがほとんど別の使い方がなされているw
いや、これは彼女の幅が広くなったということ?
一人の歌手が長く音楽を続けているということ?
まぁいいか。
どっちが先に逝くか根性比べだw

そういうわけで、若き日の突っ張った歌や、少女心を歌った歌などがたくさん収められてる。
買おうとしてたけどレンタル店にあったわ!ヾ(^▽^*おわはははっ!!

おきざりにされた歴史

あまりに腹に据えかねるので、記しておく。
A級戦犯を靖国に合祀する事に昭和天皇が遺憾の意を持っていたらしいという話。何かの間違いではないの?

一般に昭和天皇は賢者と言われるが、実は戦争について何も知らされていなかった可能性もある。東條英機は天皇の戦争責任をきっぱりと否定し、自ら死を選んだ。アメリカが望む証言をすれば日本の国体と天皇の存在について保証すると取引し、あえて死を選んで行った。
彼は閉塞された国内を打開するために戦争への道を歩んだ。
陸軍の暴走、統帥権問題など、昭和初期の国家のあり方を覆さなければならないほどの大きな問題を解決しないままに、半ばやけくそで踏み込んだ戦争でもある。
そもそも首班であった東條などは対米戦争反対派であった。
それを「日本への包囲はいよいよ狭まった」などと国民の非常時意識をあおり立てたのはメディアである。のちに軍部の走狗になってしまったメディアが戦争への覚悟を国民に強いた印象は各種資料からも否めないと思う。
それにのせられたのが東條英機ではなかったか。
こういうことはその時代を生きた人しかわからない。
メディアがいかなるニュースを一面にしたか、反米を煽る様な記事を載せたか。それらを人々がどう受け取ったか。
朝日新聞は終戦後にそうした報道のあり方が誤りとし謝罪した。が、あおり立てたという責任は残る。巨大な時代のうねりを作り上げた本人たちは、処罰されることもなく生き続けた。
そういうなかで、「おれが死ねば済むことだ」と潔く死んだ東條のみを「国の為に死んだのではない」とだれが言えるのだろう。

報道されたのは、おそらく昭和天皇が口にした一部を書き留めただと思われる。昭和天皇はそれほど薄っぺらで酷薄な人間ではなかったと思っている。

思うに、メディアが小泉首相の靖国参阻止の後押しになるからと、持出した話だと思われる。だからメディアも信用できない。
自分たちの主張を通すためならば、評論家と称する寄生虫のようなものを連れて来てしゃべらせる、有利な記録があれば持ち出す。権威が大きければ大きいほど効果がある。なにしろ、日本国民は自分で考えることはせず、大半のことは鵜呑みだから。

ゆうべ、白洲次郎をテレビで取り上げていた。
彼は「この愚かな戦争の責任をいつまでも伝えていかなければならない」と語った。「戦争の被害」ではなく、「戦争の責任」である。でも、現実にはだれも伝えてない。
彼が願った夢は潰えた。
つい先頃まで生きていた彼はその頃の日本人を見てどう思ったのか知りたかったなぁ。

イデオロギーとか、学校で教えられた歴史評価、社会情勢などを総合して考える必要がある。考えてこなかったからこそ、アメリカを越えるアメリカらしい国になってしまったのだと思う。
ひとりひとりの人間を取り上げれば、宗教的自制心を少なからず持っているアメリカ人は日本人よりもまだましである。

桑名・諸戸邸

すごい天気でしたなー。
午前10時過ぎまではぶっ飛ぶ様な土砂降りだったのに、昼過ぎには上がり、2時頃には日差しが出てきた。

ちょうど、長島町(現桑名市内・以下同)のラーメン屋でした。
長島町を歩こうと思ってね。
たぶん長島町って全国的に有名なの。
長島一向一揆。
その中心が長島願証寺でした。
デレイケによる明治治水で、遺跡の大半は失われているし、輪中・長島の面影はまったくありません。
だからずっと足が遠のいていた。

近頃ね、芭蕉っていう人を通じて曽良を知ったのね。
芭蕉の弟子のひとりです。
彼は長島藩で武家奉公をしていた時期があるのです。
そして、彼はのちに幕府の朝鮮通信使の応対役のひとりとして、壱岐に赴き、その地で亡くなりました。それを偶然「街道をゆく」で読んでしまったのですよ。その中に武家奉公の話が出て来る。
「意外に身近な人なんだな」
さらにラーメンが食いたかったのも一因。

ラーメン食って、長島商工会で資料をいただいて、それを参考に歩いてみようと言う寸法でした。
ところが資料を手にしてラーメン食ってたら、がぜん日が照ってきた。
青空が空の半分を占めるようになった。
「これは諸戸邸のリベンジだな」
と予定変更。
ラーメン屋から諸戸邸は車で5分程度の近場。
揖斐・長良川を渡ればすぐなのですから。

今回は外観を撮ることのみに集中しました。
前回は大雨で庭に立ち入る事もためらわれたから、さっそくの”リベンジ”

Img_4147 まずはネット上でももっともよく見るパターンから。(画像左)
回遊式の庭を歩きながら、おやしきをながめる。
屋敷から庭を眺めるのが本来でしょうが、これは、パノラミックなので体でしか捉えられない。池の背後からだと、対象が建物になるため、カメラでも 捉えやすいように感じました。何カ所か建物が生えるロケーションがあるんですが、木がやたらと植え込まれているために、建物がきちんと撮れない! Img_4189
「庭は屋敷から見ろ」と建物や、建物の管理者に言われているような気がしましたね。建物の見方まで押し付けんでもいいじゃん。
池の一部には実をつけた菖蒲がありました。もう少し早く...というか、前回来たときにほぼ満開だったような気がする。
恨むぞ...雨凸(`⌒´メ)凸 オラオラー!!(画像中)

179287236_128 屋敷の入り口に小さなバラ園があります。
前回もポロポロ咲き始めていましたが、今回は色とりどりの花がついており、撮影ドキとなっておりました!
ここの木の植え方のセンスから見て、「バラを植えようとしたら、ここしか空いてなかった」と思うのですが、諸戸邸最大の個性であり特徴でもある4階建ての塔の前にバラ園があるのです。
これも大変に狭いスペースで、撮りにくいシチュエーションですが、汗をかきながら撮りました。
今日、一番納得できた写真かなぁ。
写真じゃなく、シチュエーションがよかったということでねヽ(  ´  ∇  `  )ノ ♪

そんなこんなで2時間くららい撮影して帰ってきましたわん。
出口を出たら即座に入り口を閉められちゃったよ。
時計を見たら4時。
おぉ、中にいた見学者はおれだけか!

池には大賀ハスがありました。
もうすぐ咲きそうなんで、また行きます!
今度は200mm持って行かなきゃy(^ー^)yピース!

梅雨末期

梅雨末期らしい天気になってきました。
早朝パラパラ、朝本降り、昼には土砂降り。
どしゃぶりのあとしばらく小康状態でしたが、あがることはありませんでした。

そんななか、なんと防水工事を強行!
「雨の中でできる防水材料なんてあるんだな」という左官屋さんのあきれ顔を尻目に、「工期がねぇんだ!」という監督たっての願いだから仕方ない。
「雨で流れますよ」という声も届かなかったらしい。
むろん雨で流れても防水屋のせいではない...よね。

少人数の事業所はたくさんの現場を一度に手がけられないので、一つの現場にかかりきりになることが多く、屋内のような少ない仕事はなかなか回ってこないのです。
そもそも防水屋は雨降りは仕事しないんだよ。
カッパすら持ってないんだからw

予想通り、塗った防水剤は流れて行きます。
雨で流れるのではなくて、上からこぼれてくる水に流されてしまう。
建物はまだないんだもん。
地下部分の埋め戻し部分のにの防水だから、上はただのスラブ、平面です。いずれ室内になる部分であるから、排水機能なんてあるわけがない。当然回りに流れ落ちて行く。その経路上に塗ってるんだから、残るはずないよ(笑)

高品質のコンクリートを使うなら、よほど漏れにくいかもしれないけれど、そうじゃなければ、打ち継ぎとかジャンカ(打ち込み不足?)などからの漏水は避けられないと思われる。内部から止水する方法もあるにはあるけれど、そんなもの高くついて仕方ない。

まぁ全責任は「雨降りでもやってくれ」という監督にあるからわたしは知らんが。

2006年7月20日 (木)

雑誌日記

・サライ/2006通巻14
特集「般若心経」(写経見本付き)
かゆいところに手が届くね。
この調子で宗教家と哲学者の特集へと暴走してくれんかな。

・歴史街道
特集「白州次郎」
戦後活躍した政治家...か?
政治家じゃないなw
「知る人ぞ知る」存在。
今の日本には少ないタイプの人だ。
読め、そして寝ろ(by源石和輝)

・カメラマン
読みアサリだ。
近頃はヌードを見ても絞りや露出を先にチェックするようになった。屈折したよ、安室ちゃん(笑)

・F1速報(アメリカGP号)
ヤルノが4位入賞したし、フェラーリイズムが復活したことを記念して買った。ジャックのロングインタビューもあるしね!

日本の名車は12、13とまとめ買い。
これで最新号に追いついた。
12はトヨタ800。
13はサニークーペ。
15台の名車がそろっています。
「戦艦大和を作る」は定期購読中。
現在43。

関東放浪記 (40) 浅草

翌朝、夕べの酒を引きずった人たち数名と分かれて、上野まで連れて行ってもらう。 浅草、上野、今戸といった文字が、方角のみを示して頭の中で点滅する。 「つくばエクスプレスと地下鉄とどっちがいい?」 とてもむずかしい選択だ。 地下鉄銀座線は日本でも草創に近い開業区間であって、地方の子供も赤い車体に白い波のデザインを絵本で見知っている。 それはそれで気分をそそるし、新規開業のつくばエクスプレスにも乗ってみたい。 子供の時の記憶を思い出しながら、地下鉄を選択する。 桜まつりとスポーツをからめたリバーサイドスポーツセンターを通り過ぎて浅草駅に降りる。 浅草駅は間口が狭く、通路断面も現代の地下鉄よりも小さい。 当時の人は現代人よりも小さかったのだと認識する。 過去何千万人と通過した通路を歩くのはどんな気分? 袴羽織の人、まげを結った人。 そんなものがフラッシュバックするが、ホームに降りれば「妄想ばっかり見てんじゃないよ!」と言わんばかりにステンレスのキラキラ電車がやってくる。 01系というらしい。 上野から山手線で東京へ。 ここで友人と分かれて、中央線へと向かう。

2006年7月17日 (月)

飲み歩く

あぁ、何年ぶりだろう、飲み屋をはしごするなんて。
駅前から始まって一宮。
広範囲移動でしたw

8時45分までしかいられない店でナマをごくごく( ̄▽ ̄)=3 プハァー
うめえ!!
鶏料理の店だったようで、鶏うまかった。
時間の制約の中で食べきれる量でよかったよ。
とりあえずビールで満腹!
その後そのあたりにあるバーで日本酒、焼酎ロック。
ワインか何か飲んだ様な気もするが記憶無し。
すでに酒が水になっていたw
気がつけば終バスはとっくに終わった時間。
「どうせタクシーだな」と一宮まで遠征する。
JRの最終らしい列車に飛び乗る。
切符を買う時間すらなく、自動改札機をトップスビードで駆け抜ける。
もちろん尾張一宮駅で自己申請して料金払いましたよ。
鉄っちゃんたるもの、名誉にかけてキセルなどするものかい!
最後の店でもワインかなにか飲んだような気がするが、ただしゃべりすぎてノドが乾くから水代わりに飲んでいる状態になった。
ちびりちびりやってただけだからね。
パスタ、うまかったような気がする。ヾ(@⌒¬⌒@)ノ ウマヒィ

タクシーを呼ぶ。
「西尾張中央道を南へ。津島まで」と運転手に告げたまま寝たらしい。気付いたら家まで数分のところだった。
運転手に起こされたのかもしれない。
午前4時前頃だったか、服も脱がずにそのまま倒れ込んで寝てしまう。
朝7時半家人に起こされる。
時間の概念がボロボロになっていて、「なぜ夜中に起こすんだ?」といぶかしっていた自分。
当然アルコールが残っていて、現場までの運転を代わってもらう。
肉体労働のあとにあんだけ酒を飲めば正体なく寝てしまうのは当然だな(;^_^A アセアセ・・・

午前中にかいた汗のお陰で二日酔い状態からは脱した者の、頭の中にはアルコールがびっしりとつまっているらしく、帰宅してもまだ首の座りが悪い状態だった。
今はすっきりだよ!

明日はゆっくり休もう....

ファンパブロ、F1を去る。

ファンパブロ・モントーヤ、引退です。
前戦・アメリカGPを以て彼はF1の世界を離れ、NASCARの世界に入るそうな。
マクラーレンに移籍してからは、大した成績も挙げられず、ひとつの才能が消え行くのは残念なことだと言わねばならないでしょう。

ウィリアムズBMWでラルフ・シューマッハとコンビを組んでいた頃は、時に常勝・ミハエル・シューマッハを食ったりして存在感を示したもので した。それを買われてマクラーレンに移籍したのでしょうけども、それが運のツキ。マクラーレンそのものもマシンの信頼性が上がらず、一向に浮上の気配な し。
マシンが悪いのか、ドライバーが悪いのか。
マクラーレンには子飼いのドライバーがいるらしくて、それをレギュラーに格上げしたいと言うチームの事情もあるらしい。

今となっては「コロンビアの暴れん坊」というキャッチフレーズも懐かしく、さみしい。

NASCARでも大活躍してほしいなぁ。
力を残してF1を去る。
あちらでもがんばってくださいな!

Fight!Juan pablo!

今週末は3連休....らしい

3連休?
なぜに3連休?
7月に祝日なんてあったっけ?
わけわからん。
まぁどうせうちらには関係ないからどうでもいいが、唐突に「月曜日はお休みなので...」と歯医者で言われたりすると面食らってしまう。

「祝祭日を殖やせばカネを使うやつも出て来るだろう」なんていう安易な発想による祝日なんか国民にとっては「どうでもいい」わけで、休日になる事だけが肝要な意味のない休日である事は間違いない。
そもそも国の根幹的発想たるはずの建国記念日すら、実在しない神武天皇の即位日であるのだから、そもそも休日なんて意味がないのだ、と思うしかない。
反面、憲法記念日などは意義を全面に押し出すべき価値のある祝祭日ですねえ。

建設業の奥深さと官僚主義

例えば一軒家を建てるとする。
いくつもの業種が関わってくるが、そのすべての職種を理解できる人はいるのだろうか。

現場監督はいるけれど、監督がすべてを知っているわけではない。
設計士は全体像を示すだけで、細かいことまでは把握していない。

完全分業制な訳だけれども、時には建築主のような素人が口を挟む事もある。
しろうとの基本への疑問というのは、机上の空論みたいなもので、現実に即していないものではあるが、こちらもプロとしてその疑問を解くだけの技術も知識もある。
ないのは時間と金なのだ。
素朴な疑問ほど基本にまで関係する事例が多く、いちいち時間がかかってしまう。
説明料ください。

一般のお客ならば本などで得た知識の確認程度で済むが、たちの悪いのが、役所関連の”監督”。
役所というのは、各業者の仕事内容を把握していない点で現場監督に似るが、監督自体が納得しても、それが組織全体に行き渡らず、人によって工法に差ができてくる。つまり「主観」の存在と、横のつながりのなさ。
それらが複合的に絡み合って、材料の形状や寸法の変更すら簡単に認めようとしない。例えそれが工事費の節約につながることになったとしとも、頑として認めない。
役所というのは大きな組織で、末端までいちい細かい話を伝えるのは無理ってことは理解する。けどね、断熱材を押さえる釘の長さまでいちいち規定す る必要はしないだろうと思うのだ。自分らはその長さに決まった理由を知っているけれども、当該担当者は移動に次ぐ移動でどんどん変わって行く。引き継ぎ事 項の中に「釘の長さの特定について」なんて引き継がれるはずもない。
だからこそ、役所の中にそれぞれの業種のプロが欲しいと思うのだ。癒着するからというのならば、どんどん移動させてちょうだい。そうすれば現場はもっとスマートに無駄なく仕事を仕上げる事ができると保障する。
だって民間はそうしてるんだから。

官僚という組織は一長一短である。
肥大化した組織を効率よく動かすのに合理的な方法であると思うが、時には柔らかな運用によって利益を上げたり、損失を防いだりできるものなのだ。
10cm幅の断熱材を「使う必要があるのか」とは、お役所とも思えないお言葉をいただいた。
役所というものは世界基準についてどう心得ているのだろうか。

マンゴープリン

172981426_15今日は柄にもない、スィーツのお話^^

東区内で、マンションの防水作業しました。
屋根の下はお菓子屋さん、とりあえず。
自家製のプリン、ゼリーを作ってるらしくて、営業に聞けば、「うまいですよ」とのこと。
帰りに買いました。
こう見えても、甘いもの好き。
香りが豊かなものが特に好き。

マンゴープリンと、紅茶プリン(チャイだよ〜ん(@⌒ο⌒@)b ウフッ)を家族の数。

手作りっていいね!
マンゴープリン...マンゴーよりうまいよ!
容器の上半分がマンゴーの果汁プリンで、濃厚な果実の芳香。
あぁ!
下半分が香りのキツくないチーズ系統のプリンっぽい。
洗練されたクリームチーズの香りかな。
最初はマンゴーだけ、途中からかきまぜて。
(●´ω`●)ゞエヘヘ
いいお値段だけど、値段だけはある。

明日ももう一日出張るけれど、明日は休みなんだと!
見た目ワインゼリーの様なチェリーゼリー買おうと思ったのに!
プライベートで行くしかない!

加藤主計頭清正 尾張中村に生まれる

Img_4082知人を中村まで送ったので、近辺を歩いてみました。
中村付近は完全に市街地していて、見る者もそれほどあるわけでない上に、以前にも訪れたことがあって行くところもないわけでありますが、気を取り直して写真撮り。

Img_4066中村といえば秀吉。
正式には前関白従一位豊朝臣 羽柴秀吉かな。
彼が中村のどこで生まれたかはっきりしてないけれど、むしろ素性がまともなのは、子飼いの家臣でもある加藤清正でしょう。彼は現妙行寺で生まれたことになってますね。彼は熱心な日蓮宗信者で、かぶと飾りに「南無妙法蓮華経」の文字が入っているのは有名です。
本堂には桃山風の飾りがついていて、彼が生きた時代を表現しているかのようです。

加藤清正の官位についてですが、これも秀吉らしい親心です。
清正と言えば虎退治や朝鮮役で武功を示した絵に描いた様な無骨者ですが、金勘定もできないかんと、「主計頭」に任じたという話です。そういった細 かい心遣いは後の近江派・石田三成のような治部少輔という官位から感じ取ることはできません。やはり加藤・福島のような連中は別格にかわいかったのだろう なあ。

通りを1本隔てて隣が中村公園。
3つある「豊国大明神」のなかで最も新しいのが名古屋の豊国神社で、創建は明治18年。維新に際して朝廷を尊崇した秀吉を顕彰したともいえそうで すが、実のところ、徳川政権に対する豊臣政権ということでしょう。豊臣〜徳川〜維新政府。つまり徳川の時代は終わったよ、という表明。
政治的な意図はぷんぷんにおってきますが、120年もたてば一応浄化されたと考えるべきでしょうか(苦笑)

Img_4089子供の銅像があります。
やんちゃそうなリーダーっぽい子供が秀吉なのかしら。

ついでに隣接している清正秀吉記念館に寄ってみた。
ここは3〜4回目だよ。
中村図書館の2階でタダだし、割と居心地のいい空間なのだ。
折しも、同館所蔵の秀吉直筆の手紙か何通かあった。
秀吉の直筆というのは、いかにも彼の人柄を表すようで、素朴な感じ。晩年に至って独裁者の悪い面が出てしまうけれど、英雄としての資質が文字から感じる....のは秀吉好きのひいき目かしら^^
どうみてもへたくそな字。
「書き慣れていない」頃の花押。
人懐っこい秀吉の笑顔が目に浮かびます。

中村公園から太閤通りへの参道で市が立ってました。
毎月9のつく日に立つ市です。
通りかかるたびに気にはなってましたが、今日が7月9日だと気付くまでずいぶん時間がかかったなぁ。
あいにくと時間が遅くて、店じまいの時間だったらしい。
片付けが終わった店もたくさんあったなぁ。
いかにも闇市の名残の様な、生活必需品中心の店ばかりでした。

なつ

171239674_202もう夏かな(-.-;)
うんざりする毎日です。
「もう永久に起きられなかったらこれ以上の幸せはないんじゃないか」と思うくらい。

山へ行きたいね!
カメラ持って!
山野草を観察しながら涼しい小道をとことこと。
山行きたい!

画像は大好きなネジバナ(^o^)

愛知曼陀羅 〜おまけ

こちらは美術館前後のつれづれです。
169667869_167
愛知県美術館はその昔二階建てのタイル張りで、いかにも美術館らしい雰囲気の建物でした。美術館なんて生涯行く事がないだろうと、その存在すら近 頃は気に留めてなかったところ、芸術文化センターという大きなビルの一角に入っていたのですね。敷地を拡大して巨大ビルを建てた。ビルは栄地下街やオアシ ス21と呼ばれるバスターミナルと屋根続きで、乗り物から濡れずに直接ビルに入る事ができます。

愛知県美術館は10階です。入り口で入場券1000円を支払う。
企画展だから1000円なのか、常設展込みで1000円なのか、はたまた常設展だけだといくらなのか、など疑問は残ります。
(ホームページにも常設展のみの料金が書いてない)
荷物が邪魔な人のために無料のコインロッカーも用意。
入り口を入ってすぐ左の受付にて、「コインロッカーが使いたいのですが」といえば、コインをくれます。それを持って右へ入るとロッカーがあり。

お客は平日の写真展としては決して少なくないように思いますが、写真展や美術館の経験がない者が言う事など信用するに値しますまい。

ε=ε=ε=(ノ^∇^)ノ ε=ε=ε=(ノ^∇^)ノ ε=ε=ε=(ノ^∇^)ノ

写真展を見終えて引き続き常設展を見てみました。
マティスくらいは知ってるよ!(名前だけ)
ナマで見た。
何が書いてあるか判別できるものは、じっと絵を見つめていると、感じるものがあるのは確かです。絵を見る能力とかそんなものではなくて、絵の力、 迫力というものでありましょう。力の強い絵画は鈍い者の頭脳にも押し込む力を持っている。個性、味わいそんなものはわかりませんけどね。子供の落書きとの 違いはわかるかもしれない(爆)
進むとシュールリアリズムのコーナーになる。
これがわからんのだな!
超現実主義というらしいが、描写の対象を描かずに表現する技法だそうな。そりゃね、描いてる方はわかるだろうさ(^▽^;)
「情熱を絵にしてみろ」と言われればなんらかの物体を利用して描くことになるだろうけども、本来形のない情熱などというものに形を与える方がおかしいと考える人もあって当然なのだ。でもわたしにはわからない。ゲルニカが限度だ(;^_^A アセアセ・・・

最後のコレクション、木村定一コレクションだけが、見慣れた展示物であった。鐘、木造、仏像。
平安時代作の四天王のうち2体が展示されていて、後へ回り込む事も可能なため、背後からもみた。
ちなみに先頃見た善光寺の四天王に比べると顔つきが優しい気がした。善光寺の毘沙門天は今にも鬼の上から降りてきそうで怖いくらいだったのに。作者や時代背景によっても若干表現が違うのかもしれん。

それら見終えて、美術館をあとにした。
中2階のような11階展望室から西の空を眺めてみる。
目の前にはテレビ塔が、下にはオアシス21が。
ブレードランナーはどこだ?

この建物は中央が巨大な吹き抜けとなっている。
中央部には1階から上下に長いモニュメントが建っている。
なんだかよくわからん。
ストレートにエレベーターで降りるのもつまらない気がして、エスカレーターを使った。エスカレーターは2フロアごとにつながっている。従って奇数階には止まらないことになる。
デザイン重視ってこと?
一番下(2階)まで降りて上を見上げた。
構造的にそうしてみるものだと感じたから。こんな場所でミニスカートなんかはいてるやつが悪い!とばかり。
気持ちのいい建物だけど、とっても無機質。
鉄筋コンクリートのせいか曇天のせいか、とっても冷たい。いや、時節柄涼しげと言うべきか。
人影もほとんどないし、話し声もない。
生き物の影がない。
おばちゃんふたりがとことこと歩んでいるだけの巨大ビル1階だった。軽快な印象なのに、先ほどまでの写真のイメージと重ねれば、無機質への生物的な不信感を感じるのだ。
若干陰鬱な気分で上を向いてシャッターを押す。

すっかり滅入ってしまって、APPLE STOREへ行く事も、らんの館へ行く気も失せ、帰る事にした。
バスが来るまでの25分間でオアシス21の中を歩いてみた。
建物をひょうげするとすれば地下2階、吹き抜けということになろうか。
NHKやジブリ関連のショップと、ジャンプショップっつーのをのぞいてみた。ジブリキャラとワンピース、ドーモくん以外はわからずすごすご退散。

オアシス21の売り、地下2階の広場は地上までが吹き抜け。その上にガラスの上屋があって、水が流れているのが見える。広い広場には草で飾った恐竜が2体。
コンクリートの「鉢」に入れられて、存在意義もよくわからない。

なにより、東松氏の作品と栄の街のギャップが激しすぎる。
自分にとっての東松イズムは、すでに始まっているのかもしれない、と思った。

愛知曼陀羅 〜東松照明写真展

169372435_36素人なんで全然知らんかったその名前。
「戦後写真の巨人」なんだそうだ。
戦後間もない名古屋の写真もあると聞いてでかけてみた、水曜雨の朝。

展示されていた写真はテーマがそれぞれあって、「東松作品」というくくりとして共通するものを自分で見いだす事は難しかった...かもしれない。
東松氏がビデオ(NHK教育のインタビュービデオ)で話すところによれば、「撮りたいと思ったときそこにはすでにない、それを撮る為にあちらこちら探しまくるのだ」
しかし戦後の写真は違う。どこか強烈な印象があって、小学館アーカイブズ13の土門拳編で見たような社会に対する反発が感じられる。子供を通して それらを世界に告発するという力強さもある。しかし被写体である子供に対する目は優しく、肩を抱いてやってるようにも感じる。そういうものは写真のどころ から表現されているのか、と思いながら写真を見て行ったが答えは出なかった。ぼく個人の考えが作品に反射して返ってきたように感じるが、そうばかりとも言 えない気がする。自分から出た情念や感情みたいなものが、作品の中で化学反応を起こして少し違った物になって戻ってきた、そんな感じ。というのも、「おれ ならこういう撮り方はできないな」と感じた部分が多々あったからでもある。

混血孤児の写真がある。それを物珍しそうに遠巻きにしてみる人々。子供の表情は無邪気であるが、写真そのものはとても明るく、陰湿や暗さを感じない。たとえば、そういう明るさを感じさせるような力量と演出が写真家にあったということである。

多くの写真は人間の記録写真...いや、消え行く日本人へのオマージュというべきかもしれない。写真全体の雰囲気を見て日本人は死んだんだ」と思った。約150年前、鎖国を解いて富国強兵につとめても80年間、民衆の暮らしというものに大きな変革はなかった。
作品の大半は昭和25〜30年に撮影された物が多い。
そこには着物を着た人たち、木造の日本家屋、砂埃の上がる非舗装の道路などがある。昭和40年頃にはまだまだ地方に残っていた風景で、かろうじて 生で見た記憶があるが、当時は子供の事ゆえ細かい事までは覚えてはいないが、仲間の遠吠えを聞いて野生に目覚めた日本オオカミのように、かつての風景が思 い起こされた。
単なる記録写真ではなく、生活の記録ですね。
これは風俗にもつながってゆく。
横50cmほどの画面いっぱいに鼻水をたらした子供の顔がある。
「なんかおもしろくなんいんだよねー」と言いたげな女の子の写真がある。きっと受け手によって解釈の違いが生まれてくるような写真だけども、ぼくは好意的に見た。
自分の親の子供時分の写真なんだから。
歴史写真ではない。

写真てやはり簡単ではないと思った。
作品は主張であるということは、他の創作分野でも同じだけども、写真は現実でなければならない。現実をいかに表現するかという狭い選択肢しかないぶん、特殊な芸術だということもできるが、ゼロではなにも始まらない。
何かを見て、考え、感じる事で作品と為す。
「体中をアンテナにして...」
そしてそれが写真芸術の本質でもある。

自分が今楽しんでいるような撮り方だって当然ありだと思う。
そこに絞り、露出、シャッタースピード、構図などをパズルのように組み合わせて自分の好きなものをきれいに撮るというのもひとつの楽しみ方なんだもん。そういうパズルトンネルを抜けたときに自分の写真が変わるかもしれないと言う予感はあります。自分に限らずだれにでもね。
そういうパズルトンネルから逃げてちゃだめだったのね。
あと何年生きられるか知らんけど、前進するのみ!(笑)
とりあえずは好きな物撮ってみよー!

2006年7月16日 (日)

ネタバレあり フランスGP

結局マイケルのボール・トゥ・ウィン。
ひとり1分17秒台を刻む速さで優勝。
2ストップで対抗したフェルナンドもマッサより前に出られたのが意地?つーかマッサ遅過ぎ。

期待のヤルノ・トゥルーリはリタイヤ(ノ◇≦。) ビェーン!!
またマシンが逝ってしまったよ。
ここのところ数戦ずっと悪くない状態だから、次戦ドイツGPに期待しよう!
今日も悪くないペースで走り続けてて、3回目ピットでリタイヤするまでは連続4位入賞を疑わなかった。
どこが壊れたのかはっきりしてくれよ、トヨタ。

ちなみにラルフは積極的に攻めて4位入賞。
チームにとってはいい結果だけど、ヤルノ+トヨタじゃないとさしてうれしくもないので、ヤルノのリタイヤ後は力走するラルフにもそれほど力が入らない。
ラルフはかなり力走してたね。
キミを寄せ付けなかったよ。

マクラーレンは一発の速さが少し遅くなったかな。
その分信頼感は益した感じ。
デ・ラ・ロサも7位入賞でよかったよかった。

2ちゃん風に言うなら
「顎、空気嫁」だぁな...

功名が辻 (28) 出世脱落

今回は一豊の見せ所だったかもしれない。
愚痴る姿は「サラリーマン」に例えられるが、実際のところ一豊の戦功がどれだけのものであったかという点について創作がある以上、「またやっとるわ」と冷めてしまう部分もあるが、上川隆也は個人的に好きだから、個人的には許容範囲内でしたな。
いつもいつもリキの入った芝居なので、彼の感情レベルがどの程度なのか伝わりにくいけれど。

愚痴と未練。
戦国武将たるもの、命を惜しむなよw
もっとも惜しみたくなる程度の落胆であったから”解脱”を思いとどまったんだよね。それを引き出した母上の知恵と愛ってのも大したものでありました。
ただし、あれを愚痴として外部に言わず、自分の中に押しとどめて処理しようと言う一豊を、それはそれで人間的に評価すべきでしょう。
当時の武将のあり方としては失格かもしれんが、感情を利用して天下を手中にした秀吉と比べると、やはりなんとも小さい器と言わねばならないでしょう。つーか、「普通の人間」なんだわな。
秀吉が巨大すぎるのだ。

枯れた桜の大木のような佐久間良子の芝居、すばらしいですね。
内にこもった迫力が言葉を押し出す。
外見は枯れているけれど、内面にはまだまだ来年のつぼみを育てる能力がある桜の古木とみた。
人間、ウソかマコトかではなく、迫力なのかねぇ。
迫力というのは、生命力の表現方法の一つなのかもしれない。

功名が辻 (27) 落城の母娘

今日は大切なことをひとつ教わった。
「戦国の女」について、まだ男性的な見方しかできてなかったらしい。

千代と市。
ふたりが果たして面識があったのかどうかはわからんところだが、広い織田家のどこかでああいう思いがあったのだろうと思った。
「昨日まで共に戦った同じ家中だったのに...」
面従腹背が常の戦国でありながら、長年家中として親しんできた同士、たもとを分つとなれば非常に辛い経験であっただろう。
同じ家中でも男同士は仲間でありながらも常にライバルでもあり、「戦の勝敗は時の運」などという類語で表されるようにさっぱりしたものであったかもしれないが、実際に生活を営んでいる女にとっては、友が敵になることであった。
武器を取って戦うということは、互いの力を尽くすということであって、「せめて友に討ち取られたい」という思いに似た気持ちを持っていたはずだが、女性にそれは許されない感情である。
織田家中の分裂というのは、あらゆる階層で悲しみを引き起こしたのだろう。

それにつけてもおやつはカール、茶々はひどいね(==)
突っ張る事はいいが、「筑前を滅ぼす」といいながら、最終的に彼女は自らの命とともに自分の子も共に滅びさせてしまったではないか。
それは秀吉に対する復讐になるのですか?
ちまたでは石田三成とできていたとかとっても楽しい妄想をする輩もいますが、茶々は常に「女の幸せ」を求めていたと考えます。
母親の惨めな(これは一般論で、ぼくはそうは思いません)一生を自分はおくりたくないと、権力者にすがった女の姿...しかしそこには毅然とした 浅井家女のプライドが息づいていて、そのプライドこそが茶々を支えていたのだと思えてなりませぬ。そのプライドは時として徳川に利用され、豊臣家を揺るが す事になるのですが、それは「女の浅知恵」ということでいいんじゃないの?女の浅知恵とはいうものの、それは「子供への愛情」という本能で裏打ちされる。
現在の設定でいかに茶々が豊臣家を滅ぼしていくのか、見物ではありますな。
悪女という形容がまとわりつく彼女ですが、彼女をも敵として利用した後の権力者のあり方も考慮にいれなければなりますまい。天下人の妻妾に対して 「淀君」と呼びかけるなど、豊臣政権下では考えられないことであったはず。語感からして小馬鹿にしていると気付かないほど日本人の言葉に対する力が落ちて いるのかしら~(・・?))(((;・・)?

官兵衛は一度も案を挙げませんが、何の為に幕中にいるのだろう。彼は後に「やつに100万石与えたら天下をとってしまう」と秀吉に言わしめたほど の能力者、それが「あきらめなされい!」では情けないんとちゃうか。単に幕中の頭数合わせに見えてしまうよ。その中に一豊がいるというアンバランスさもそ れに輪をかけてしまっている。この勢いでは家康が朝鮮で実戦の指揮をとってしまうそうだよ(笑)

石田三成はいい感じ。
「義の人」として紹介されたのは初めてじゃないか!
こりゃ快挙だよ〜ん。
何の私利私欲もなく、豊臣家を守りたいというたったひとつのことに邁進した石田三成はまさしく義の人であったと思う。家康ですら、それを認めたということを現代のひとは知らなさ過ぎ。
尾張閥に対する近江閥。そういう関係図を仕上げてみせてしまう安易なドラマはもういいよ。
「義の人」というのはあくまでも筋道を通す人のことで、人格者のことではない。人格が豊臣家を守るのではないってことを武断派は知るべきだった し、三成自身も家中で人格を得るべき努力をすべきだったかもしれない....とも思うが、内部事情を思うときそれは不可能だったに違いない。
せめて、後世のぼくは彼に「律義者」という言葉で労ってあげたいと思う。

...
中村橋之助はよくわかってるね。あれなら安心してみていられそうです。細かい芝居ができるとこが彼の強みだね。
貫禄においてすべて秀吉を越えている(爆)

関東放浪記 (39) 東京でオフ

上野到着。 おそらく東北・上越新幹線が上野に乗り入れるようになってから初の訪問であるように記憶する。 大変に古い話だが、前回は大宮まで急行いいで号で上野へやってきたのではないか。特急つばさで福島に出て新幹線。そんな感じだったように思う。 わずかに時間があるのでかつては優等列車が星の数ほど出発していた中央口へ降りてみるが、ひたちが1本停車しているだけ。撮影しようとしても中間改札が設けられているし、反対側のホームは策で閉鎖されている。 田端からの切符で中間改札を通れるかどうか知らないが、北鉄局以来の中間改札好きに呆れて公園口に戻る。 明日は雨という天気予報のせいか、公園口の改札は大した人である。 その大きな人の渦から外れるようにして、マイミクさんの到着を待つが、そういうフリーな空間がどんどん減っていく。 壁にへばりついていても通行人のじゃまにな るような惨状で、熱気や人並みに四苦八苦する。 「すごい人やねー」という(おおよそ)地元のマイミクさん2人と合流し、さらに上野動物園内で数人と合流する。 大勢と一度に会うと名前が覚えきれないのだが、爬虫類館の前でカメラを落としたり、400mmの望遠が付いたデジタル一眼を持っていたりすると、さすがに覚えられるのだ。 その後はマイミク邸にて酒盛りのうちに宿泊。 いつどうやって眠ったのか覚えていない。 どんだけ飲んだのか覚えてない。 たぶん大して飲んでないと思う。

人はなぜ本を読むのか

ここしばらく体力的に辛くて、仰向けになってもOKな読書にしてました。いつの間にか寝られるはずなのにね、なぜか寝られない。
眠たくなると開いたまま胸の上に置いてるけど、深夜に目覚めてまた読んでる。客観的になんだかわけわかんねーんだけど、話の骨格を覚えているので、肉付けたる本文を読めば即座に形となるという寸法。

ずっと街道をゆくばかり読んでいるので、近頃では「娯楽作品が読みたいなー」と思い始めてます。それなのに、「街道を行く」を一旦開くと2日程度で読んでしまう。

これではいかん!
なんとかしないかん!
でもこっそりとAMAZONで買うのさ。
カード決済でね。
本代だと家人の反発が小さいのだ。
実際食事時も大半は本読んでるし^^
(ΦωΦ)ふふふ・・・・

夏の太陽

って人から生きる力を奪うよね。
暑い朝の青空なんかは、さしづめ血糊の付いたナイフだ。

夏詩ね!

豊橋鉄道ビール電車2006

Img_38461_1

今年も豊橋鉄道のビール電車に乗れました。
近頃では人気があってなかなか乗れないらしいので、ある意味「コネ」に感謝しなきゃ。

贅沢にも豊橋まで新幹線で往復。
マイミク・INAZOさんが後続のこだまで追いかけてくるとのこと。貧乏なアタクシはセブンイレブンで懐を潤して駅で待つ。
合流し、一服。

一眼をぶら下げた二人が軌道線乗り場に着くとすでに幹事さんがお待ちでした。電車より先に来ているお客というのは、ビール電車にかける意気込みを表すと言うべきでしょう。
電車はほぼ定時に入線。
廃車になった昨年の3104号車に代わり、今年は同型の3102号に交代。内装は...こちらの方がやはりきれいかな。
3104の方がペンキの厚みもアリ、年齢を感じました。

Img_3852電車の運行形態は昨年と同じ。
今年は知っている顔がいくつかあるので、ビールの進み具合が早い。新川に着く頃にはもう酔っぱらってましたw
人間の酔いというのは、アルコールだけでなく、雰囲気や「酔いたい」という意志も影響するのではないかと思いました。駅前から新川まで数分。そんな短い時間で酔っぱらうはずがないんだから。きっと「酔いたい」という意志が、酔いに拍車をかけたのです。(⌒^⌒)b うん

Img_3862競輪場前で対向列車と交換して、井原を右へ回り運動公園に到着。この日はプロ野球の二軍の試合があるらしくて、トイレ不足が心配されましたけどもそんなことはまったくなくて、一度に便器をふたつ使って小用を足せました^^
昨年はトイレに行かない人がたくさんいて、帰り車内でトイレを望む人がたくさん発生してしまいましたから、その反省にたっての半強制トイレでありました(笑)

なんにしても楽しいねぇ、ビール電車。
今回は鉄っちゃん席ももうけられていたりして、鉄道の話をすることもできましたし、路面電車のマスコン操作のかっこよさを話したり、前回にもまして楽しかったなぁ。
狭い空間だからか、知らない人同士でもすぐに話ができちゃうのですね。不思議な空間です。

駅前に着いて、早速二次会の算段。
豊橋丸栄の屋上ビアガーデンですわ。なんとおねーちゃん方、メイドさんではありませぬか(ノ゚㊖゚)ノびっくり!!
いきなり「おかえりなさいませ!」と言われて、おじさん、面食らっちゃいました。

どうやら撮影禁止らしい。
メイド服を写してどうしようというのかわからんが、カメラを手にしているからついつい彼女らに向けてしまうのだ。
来年はぜひレースクィーンに迎えてほしいものだな!^^

最終バスに間に合うよう、INAZOさんに連れ出してもらう。
豊橋でしかできないオフなのだから、名古屋でやろうってのは無理な話なんだけど、豊橋でしか開催されないってのは辛いな。
名鉄さん、どうよ。
樽見鉄道にできて名鉄にできんてことないでしょうに。

さぁ、今季二度目はあるのか?!
また行きたいな!

新幹線

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新幹線と言えど、鉄道はやっぱり楽しい。

感想を求められても幼稚園児と同レベルのことしか言えないわたしは鉄っちゃんo(^-^)o

2006年7月15日 (土)

これぞジンジャエール!

166382580_130みなさんご推奨のウイルキンソンのジンジャエール発見!
飲んだ!
口だけでなく、のどにも刺激がぴりぴりと!
ヒトクセある大人の飲み物って感じ!

2006年7月 9日 (日)

文学を検証する

http://www.nhk.or.jp/nagoya/kintoku/index.html
この手の番組って長続きせんのだよね。
いろんな観光業者に食い荒らされたような番組になってまう。

NHKが作ったまったがね。
小説の舞台になった土地を見て、作品を味わおうっちゅう趣旨のこの番組。
第一回目に神島を取り上げるとはさすがNHKだわな、目の付けどころが違う。
神島といえば、三島由紀夫の「潮騒」っていうくらいの土地だけど、司馬遼太郎ファンにとっては違う、「神島」の島名の由来を追求してまうんだわ。
司馬氏が「街道をゆく」のどこかで書いていた、「神島とは神がいる場所」。
通常はなんらかの形で「神のいる場所」であることを公にはしないものなのだが、神島はそのものズバリだというある種の神秘性。
司馬遼太郎の口(筆か?)から「神島の神秘性」などと言われるともうあかん、どんな島なのか見たなってまうんだな。
NHKは今回「純愛小説」をテーマにしたで、司馬遼太郎の出番はなかったけど、将来に於いて「覇王の家」や「国取り物語」を取り上げんとも限らんわけで、そんな発展に期待したいわけだわさ。

2006年7月 6日 (木)

夏の暑さはこれからです

「今日の東京は暑かったですね〜!それ以上に暑かったのが名古屋で....」
午後6時、ラジオで野球中継が始まりました。

確かに暑いけれど、東京にしたって名古屋にしたってまだまだ序の口で、東京の暑さを名古屋と比較せんでいいよ、暑苦しい(笑)
「名古屋は日本一暑かった」らしいけど、33℃なんて梅雨が明ければ東京だって連日やってくる気温だもの。

屋上でガスバーナーで火を轟々焚いて仕事をしているわれら。
反射熱を防ぐために、長袖長ズボン。
しかも冬のズボンだべ。
33℃なんて耐えられない暑さじゃない。
「密閉されていない空間だから、町の鉄工所よりは楽だろう!」
と自らを慰めてますが、このスタイルで38℃、しかも断熱アスファルトトーチ工法となると、近辺の気温は50℃を越える。
夏、いい加減、詩んでください。

さて、ナイター中継。
名古屋が暑かったというアナウンサーに応えて、解説氏。
「名古屋の暑さに負けないような試合をしてほしいですね」
...おい、神宮だってば...(;^_^A アセアセ・・・

人斬り...

165304613_21夕べNHKの火曜コンサートを見ていたら聞こえて来た名前です。
飛び上がりましたよ。
三途の川を押し戻ってきたか!と。

そんなはずはなく、Mr.中村半次郎という芸名だそうな。
トラックの運転手あがりで、歌は確かにうまいが、まだプロ慣れしていないところがある。テレビに出たら愛想笑いのひとつでもしないさいよ、ってとこなのですが、緊張感いっぱいで仕方ないか、なんて話してたのですけどが、それよりも恐れ入るのはこのネーミングです。

中村半次郎!
歴史好きでこの名前を知らぬ者はありますまい。
幕末、土佐の岡田以蔵とともに、「人斬り」と形容され、京の町に血煙をあげたその人の名前だからです。
なんでまたそんな人殺しの名前を付けるんだよう!

幕府瓦解の後は新政府に於いて西郷のもと、陸軍少将となって国内の軍事力整備に尽力してのち、西郷に従って薩摩において決起し、城山に散る人物です。
新政府設立後の名を桐野利秋と言います。
幕末には人斬りなどしていましたが、”人望厚きこと西郷に次ぐ”と言われたこともあります。しかしそれは「桐野利秋」としてでしょう。なんでわざわざ中村半次郎なんだよう。
理解できねぇよぅ..

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