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2006年6月

2006年6月27日 (火)

関東放浪記 (38) 田端へ

Img_0189本郷通りと分かれて交通量の少ない道を歩いていくと金網が道路を塞ぐ。
とっても不思議な風景だ...
鉄道が道路に優先して作られた結果なのだろうか?
道路は線路の掘り割りに妨げられ、片道1車線の狭い道になる。

さらに線路の上を渡る。
2m余の防護柵に守られているにも関わらず、鉄っちゃんがひとりカメラを構えている。
眼下には右手からねじ曲げられている山手線が、正面には交差して東北線が見える。
轟音とともに緑色のラインが入った銀の電車がゆく。
山手線はここから戸籍上も山手線となる。

この通りは雑然とした東京らしい雰囲気を持っている。
人は少ないけれどやたらと多い電線や電信棒、美しさが感じられない街である。
そのくせ、建物は整然と並んでいたりして統一性を欠く街でもある。
もっともこういう町づくりにおける粗雑さは日本のあちらこちらで見られるものであって、東京だけのものではない。
ここに人があふれかえるとき「東京らしく」なるのだ。
そんな通りにある交番を左に折れて田端へ行く。
そろそろ電車に乗らなければいけない時間になったようだ。

雨の合間、伊賀上野へ

Img_3629 Img_3672 Img_3678

今朝から雨。
小雨なら作業強行だったが、あまりの土砂降りにめげた(^▽^;)
午前中はぐたぐたと過ごして、午後から突如思い立って伊賀上野へ。
奈良へ行くには遅過ぎた!

1時間で到着。
上野公園駐車場に車を置いて早速探索《《《《♪♪(*´▽`*)ノ"

まずは上野高校明治校舎。
通りに面した学校で、外から遠目に見る事ができる。
写真を撮るがネットが邪魔...
現役校舎故の悲劇だ(^▽^;)

西へ行くと藤堂藩藩校・崇廣堂がある。
長屋門、御成門も残っており、貴重な遺構といえる。
維新後も学校〜図書館と使われており、風土にあった建築の丈夫さを感じますな。

途中高石垣などを見て旧小田小学校へ。
またの名を啓迪学校(けいてきがっこう)という。
明治10年代に建っており、極めて古い建物と言えるが、実際の部材などは更新されているために県の文化財なのだろうか。
確かに開智などに比べるとスケールは小さいし、派手さには欠けるが、逆にこの地域の質朴さを感じる。
内部には現役時代の校舎を背景に撮られた卒業写真が展示されている。昭和19年からはこの校舎も迷彩色に塗られたり、突然教師が減ったりしている。20数枚の中に、悲しい日本の歴史がある。

学校からの帰路、道路端にあじさいが咲いていたのでしばし付き合う。近所のだれかが植えた物だろうが、さすがに雨上がり跡のあじさいは風情があるね。しっとりと濡れた花びらが生き生きしているように見えた。その後は高石垣を少し撮って本丸へ。
伊賀上野城は本丸の石垣が築かれたのみで天守は築かれなかったのだが、地元名士がのちに観光城として建てたものである。内部は過去に2度ほどあ がっているから、見上げるだけにする。デザインとしてはまるで子供が書いた様なお約束の城ではあるが、内部は吹き抜けになっていて、建物としてはけっこう 好き。
上野城政庁はその脇にある「筒井古城」と呼ばれている部分。
石垣が残っているに過ぎないが、こちらこそが本当の伊賀上野城だから、外す訳にはいかない。はずかしいことに、政庁部分を見学したのは今回が初めて(^▽^;)
本来なら大規模な大手門がふたつもあって貫禄ある城だったんでしょうけども、今や何も残っておりませんな。城下であったあかしは城下でたてなければいけない町です。

駐車場へ戻る途中に上野西小学校がある。
この建物がすごい。
内部や基礎はおそらくコンクリートだろうが、外見上は木造なのだ。なんと屋根の上にうだつまで上がっているという念の入れよう。瓦には「学」の文字が刻まれており、心意気を感じてしまう。
現実になんのためこういう校舎を建てたのかは知らないが、名前入りの瓦が乗っていた啓迪学校を見たあとでは、学校や子供を通して社会にに貢献しようと言う気持ちが感じられる。ひいては愛国心につながるのではないかと思ったりもしたものだ。
しかし相当高価な建物だろうなぁ。通りがかった先生に「すばらしい校舎ですね」と話しかけるところであった。

上野はけっこう雰囲気のある建物多かったです。
駅の周辺にもいくつかそれを意識した現代建築や、古い建物がありました。折りをみてまた行きたいですねぇ、ゆっくりと。

注釈
写真左は崇廣堂、中は屋根に上がっている「啓迪学校」の文字、右は啓迪学校ご自慢の太鼓櫓

2006年6月25日 (日)

功名が辻 (25) 吉兵衛の恋

俗に「老いらくの恋」という。
年をとってから恋に目覚めると人生をふいにするほどのめり込むらしい。
老いて盛んな戦国武者が恋に目覚めるとどうなるか。
そんな幻の様ないぶし銀の光を武田鉄矢が発しております。

武田曰く、
「子供の恋のように演じたい」
それほどの役者かよーと少し笑ってみたものの、想像通りだれにでもわかる形で心地よく演じていました。
「殿の命を守る事こそがわが使命である」
頑なで古くさい戦国武者。
敵と見れば「やあやあわれこそは...」と源平時代さながら名乗りを上げそうな硬い人物。
およそ「恋」とはほど遠い。
対女性としてマイナスベクトルにふられている同じ量だけの感情が、自然な形でプラスベクトルに方向を変える。
「殿を守る」という純粋さも彼の恋を手伝う。

純粋ということは素敵なことなんだなあと思う。
現代人はしがらみも拘束も多い。
自分の生き方すら一人で決める事を許されない。
現代人が自分を吉兵衛に重ね合わせたとき、自分の中に吉兵衛がいたのは、はるか昔だったと気付くのじゃないだろうか。
「子供の様な恋を演じたい」
武田が言うのはそんな心情だと思う。

武田の吉兵衛はとてもかわいい。
たきの姿を勝手に探す。
中学生のとき自分にもそんな事があったなぁ〜と。
彼女がいると教室が花やいで見えたな。
灰色からバラ色に。
懐かしく思い出しましたぞ、武田殿!

一豊は流れ豪族から、土佐一国の領主となります。
その家臣団も同時に出世し、五藤、祖父江両家は家老職に。
固陋な戦国武者から太平の時代の侍のありかた。
それを吉兵衛を通して感じるのも非常に楽しい作業だな、と今日は思いました。3000石といえば江戸自体ならりっぱな旗本になり得ますが、天下が 定まっていないこの時代、家老とて安穏ではいられない。常に侍としての心得を持ち続けていなければなりません。その緊張感が溶けてしまったとき江戸幕府そ のものも官僚化し力が急速に衰えていくのです。その始まりを果たして吉兵衛は演じるのか。固陋で愛すべき戦国武者で終わるのか。
武田鉄矢のちょいとおどけた芝居が純粋な戦国武者の裏返しでもあって、非常に心地よいです。

今回、一豊殿は完全に脇役でしたが、締めるところは締める。
きちんと存在感を示す。
良き作りと思いました。

ウルトラセブン (12) 遊星より愛を込めて

悪名高き欠番。
これを見る機会を得た。
今時ネットならゴロゴロしてるのかな。
知らない人が大半であると思うので、ごく簡単にあらすじ紹介。

町で突然倒れる女性が続出。彼女らは例外なく特殊な時計をしており、後の調べによって地球外の物質と判明。アンヌの知人がたまたまその時計を持っていた為に犯人の足がつく。
犯人はスペル星人という宇宙人で、自分たちの国で核兵器実験の失敗があり被爆してしまった。被爆した体を維持する為に地球人の血液が必要だという。時計は血液を集める為の道具であった。

ε=ε=ε=ε=ε=ε=(ノ^∇^)ノ

スペル星人は被爆した姿を現します。
被爆という表現よりも、被爆した生物を表現したという点で、やはり相当な衝撃がありますな。
これはひとえにウルトラマンシリーズの宿命である人形(ひとがた)で引っかかった。被爆していたのは地球人ではない。スペル星人と言う地球外の文 明人で、いわば「異生物」と捉えるべきであると思う。昭和29年製作の「ゴジラ」も被爆していた。全身がやけどとケロイドに覆われているという設定だった と思うが、こういう非難がなかったのはひとえに外見が異形であったから。
と、言い切りはするものの、実物を見てみるとかなり心情的にきつい。どうしても広島の被爆者の写真を思い浮かべてしまうのだ。
先頃NHKで30年ほど前の広島原爆についてのNHK特集の再放送を見た時のあの衝撃。とても見ていられないむごさ。
ぼろぼろに引き裂かれた子供たちの衣服。
炭化した弁当箱の中の白米。
戦争中、なけなしの白米を子供に食べさせてやろうとした親心。
そんなものをみじんに砕いた核兵器。

このエピソード、作品としてはかなりよくできていると思う。
ウルトラマンマックスなどをたまにほめていたりしていたが、そんなものじゃなく、映像の撮り方などに新しさ、斬新さなどが感じられ、「実相寺監督ってすごい人だったんだな」と思う。テーマだって先取りしてた。ダメなのはスペル星人の造型のみではないか。
ウルトラマンという形態を取る以上、異生物が現れて、地球人の安全を犯さなければならない。その上で退治るのが彼らのカタルシスでもある。
優れた映像とテーマが怪獣の造型ひとつで無に帰してしまった。
現代のウルトラマンは怪獣との戦いがすべてではない。
マックスでのメトロン星人のようなあり方も許されるのだから、この際スペル星人を再登場させて武器闘争の愚かさ、核の恐怖を訴えてもいいのではないだろうか。

ウルトラマンメビウス (12) 初めてのお使い

時間帯が移動してからさっぱりみられなくなってしまったが、今日初めて見た。マックスとのあまりの変貌ぶりに戸惑ってしまった。
とにかく隊員が多い。しかも線が細くて、軍人にはとても見えない。闘争心もあんまり感じないねぇ。マックスのコバのような、いかにもスポーツ会系 の隊員がいれば盛り上がるのに。基地での会話はまるで井戸端会議だが、そういうもんなのか。新シリーズのイメージがわからんので、「そういう回」だったの かもしれない。そもそも怪獣が怪獣だし(^▽^;)

補佐官が何やらなくしたと大騒ぎ。
口の難そうな隊員をつれてそれを探すのだが、どうみても川原をうろついているようにしか見えなかったけどね。それにしてもそういうところへ行くというのに、ミニスカートで出動してしまう隊員てどうなのよ。サービスかと思ってずーーーーーっと凝視してしまったではないか。
マックスにはなかったキャラだけども、この手のドラマには必ずひとりはいるおとぼけキャラ。まぁかわいけりゃいいが、サービスカットは結局なしなのね。思わせぶりはやめてよね(爆)

今回の出色は怪獣でしたろう。
その名も「コダイゴンジアザー」(コダイゴンthe otherか?)
大したデザインでしたな。大黒さまがそのままでかくなっただけっつーのがとってもシンプルです。しかも大黒様のデザインに「何も付け足さず、何も 引かず」というそのまんまをデザインしたのはえらいもんだ!普通はずかしくなってなんかやってしまうものですよ。「これじゃいかんな」と思うところをズ バッと核心を突いた感じ。彫刻刀の削ったあとまで再現した。視聴者の度肝を抜いたといっていいのではないだろうか。キングシーサーばりだけども、こちらの 方が優れていると思う。
しかしやはり照れがあった。
「なんじゃこりゃ」
つくづくとつぶやく隊員...

そいつがまたむちゃくちゃに強いから笑ってしまう。
そもそも大黒様は片手にタイを抱えている。釣り竿はメビウスにとられてしまったから、片手で戦うわけなのだ。それでもメビウスより圧倒的に強い!(笑)
やられそうになったとき、大黒様の背後から青いウルトラマンが飛んできた!
ウルトラマン、きったねーぞ!
2対1かよ!

関東放浪記 (37) 本郷通りをゆく

Img_0154青淵文庫前は花見の客でにぎわっている。
桜の木は建物左手に1本あるだけなのに、それとは関係ない芝生でみなくつろいでいる。
晩香廬には澁澤の全身像が「晩香廬はわしのものだ!」と言わんばかり(*^o^*)
ちょいと鈴木善幸氏に似ていたかな。
彼の頭の上には桜。
どうやら飛鳥山は今が最高の季節らしい。
そんな飛鳥山をあとに上野へと向かう。
上野では知人と合流し、一大宴会となる予定で、合わせて宿泊の予定地でもある。

合流時間には若干早いので、しばし歩く。
本郷通りを田端方面へ。
地図がないので、適当に歩いてみる。幸い近辺には街路地図が多く設置されており、まずまず地図がなくても歩けるものだ。
飛鳥山は駅が隣接しているせいか、この方面の人は極めて少ない。
数分で警視庁滝野川署に着くが、その手前に一里塚が隣接している。
高さ3mほどの塚に高木がたっている。警察署の前でこれをパチパチやっていると怪しまれそうなので、いい加減にしておく。
さらに行くとこんどは大蔵省印刷局がある。
今日は休みじゃないだろうか?
レレレのおじさんがひとり、門が閉ざされた玄関先で掃除をしている。
この工場の向こうには上中里駅があるのだが、その駅に近づくことがあまり意味がなさそうで、そのまま直進する。
この先で本郷通りは右へとカーブしていくが、JR線しかわからないので、あくまでも線路に沿って進む。
通りがかったファミリーマートで「荷物を送りたい」と無理を言ってダンボールをもらい、不要な荷物を家に送りつける。
洗濯物や、博物館で購入した史料関係などもいっしょに送ったが、うっかりとメモ帳まで送ったのは失敗であった。

転んでもただではおきないぞ

Img_3531甥3号がなんとか炎の検査を受けるために急遽名古屋第一赤十字病院へ。帰宅時に連絡があって、あとに駆けつける。 検査結果次第で今後の治療方針を決めるということであったが、幸い当日中に帰宅した。いずれにしろ、生き死にの問題ではないので、それほど心配したこともなかったようだ。 名古屋第一赤十字病院...名古屋市民は八事にある第二赤十字に対してこれを中村日赤と呼ぶ。ここは昭和12年に開設された病院で、当時の建物がいまでも「本館」としてバリバリ現役である。 これが「県営繕課」の設計だから驚くのですよ。 時代の風(ふう)として、立派な建物が必要とされたのかしら。 全面最上部の装飾がないことで派手さを排除しているけども、ベランダ様のバルコニーがあることが特徴的だし、柱の装飾だってかなり凝っていると思います。 写真には写ってはいないけれども、南面にある階段室は塔屋状で、昨日見た旧諸戸清六邸を思い出しました。 内部は大規模に改装されてはいるようだけど、タイルがむき出しであったり、階段もそのままであったり、随所に建設当時の面影が見られました。病院と言う特殊性故、無邪気に喜ぶべきではないかもしれませんがいい建物ではあります。

ε=ε=ε=ε=ε=ε=(ノ^∇^)ノ

Img_3524自宅でユリが咲いています。 スカシユリがそろそろ終わりに近づいてきたばかりなのに早いなぁと思いきや、オリエンタル系ではなく、テッポウユリ系のハイブリッドだそうで。それでも香りは10m内外に漂い、思わず香りの発生源を探してしまうほど。 これからいよいよ本命のオリエンタルハイブリッド系が咲き出します。うちには畑に原種であるヤマユリがあります。大人の手のひらよりも大きな華が咲きます。その横にはカサブランカ。 う〜ん、楽しみな季節だぁ!

ジョサイヤ・コンドル

Img_3416 Img_3433 Img_3442

知らん人がほとんどだと思います。
辰野金吾は知っていても、ジョサイヤ・コンドルは知らない。
治水に置き換えれば、沖野忠雄は知っているが、ヨハネス・デ・レイケは知らない、となるのでしょうか。

近頃かなり興味があるのが、明治のお雇い外国人です。
しかも日本に下ろしてしまった人たち。
ジョサイヤ・コンドルはそんな人らしいです。
鹿鳴館を設計した人といえば、その偉大さがわかるかも。
ぼくの場合も現実にはそうでした。
辰野金吾は知っていても、コンドルは知らなかった。
かれの作品が桑名にありました。

今日は作業現場に到着したとたんの雨。
撤収して、午後から行ってきました。
家から30分とかからない至近距離です。
桑名市の旧諸戸清六邸といいます。

今日は雨なので、被写体としてよりも歴史的建造物として見学してきました。洋風と和風の建物がつながり、一体の建物として使われていた日本人の柔軟さ。

「日本人は12才の子供のようだ」マッカーサーは言いましたね。
明治村にある学習院院長舎も確かこのたぐいの建物でありました。
子供時分に見たっきりで、当時はとってつけたような建物に違和感を感じたものです。

玄関は洋館部分にあり、ロビーをくぐると和館へとつながり、階段をあがれば諸戸氏の住まいです。一階はテラス、2階はサンルームとなっており、さらに書斎、居間とつながっています。

和館は一部二階建てとなっていますが、これは洋館部分からしか入れない、つまり「洋館だけでは気分が落ち着かないかもしれない」(展示内解説による)という当時の日本人が持っていた洋館に対する正直な気持ちの反映だったかもしれません。
庭の芝も青々としてとっても美しいし、その奥にある庭園も自然美を再現したかのような庭に造詣のない自分にもわかりやすい美しい庭園となっていました。

今日はとりあえず下見です。
後にあらためてゆっくり訪れたいと思っています。
バラが咲いていたり、桑名名物が食べられるレストハウスがあったり、六華園という公園として楽しめる施設です。

さて、ジョサイヤ・コンドルですが、彼は結局日本人の妻をめとり、日本に骨を埋めてしまいました。
多くの有能な建築士を作り出した功績は、明治政府が彼の為に用意した給金以上かもしれません。
大雨の中で撮った写真だから、なんとも見栄えが悪いですけど、数枚載せておきます。

ジョサイヤ・コンドルについての書籍をご存知の方はご一報を。

おわび

写真ておもしろい。
単焦点・リサイクルのいわゆるバカチョンカメラでは味わえない楽しさ。
「このアングルはいいな」「被写体深度浅過ぎ!」「ピンぼけじゃん!」
暗かったり、白飛びしたりそんな写真をはねていくのが楽しい。
なにしろオリジナルの大きさがPowerBookのディスプレイには収まりきらないサイズだから、拡大しながらピントが合っているか確認していく。

次には残った写真を見る。
反省点を考えながら見る。
もっと設定を変えて撮ればよかったなーとか反省点ばかり。

近頃共通点を見つけた。
青空が多い。
青空とのコントラストがはっきりするほどめりはりのある写真に見える。ずっとそれは「被写体を際立たせるため」の空だと考えていたのだが、実は空 そのものを撮っているんじゃないかと思うようになった。それは空に雲が敷き詰めてあると気分が優れないことでもあるかもしれないし、雨が降るとカメラを持 出す気が起こらないことでもあるかもしれない。
たぶんそうなんだ、いつの間にか青空を撮っていたんだ、と。

フォトアルバムに「青空」というタイトルをもうけています。
以上の理由によって作りましたが、ここのところどうも気分が乗らなくて、乾坤一擲!という写真を選び出す集中力がありません。
タイトルに誘われた方、ごめんなさいv(*'-^*)bぶいっ♪
もうちっとマッテネン!ハッキネン!

車道

ここのところずーっと暇だったのが急に忙しくなって、たまに日曜出勤など入ってしまうと、一度に感覚がおかしくなってしまう。
体の疲れは大した事はないのだが、どうにも不安定な感じ。
普通の生活感覚を取り戻そうとして読書などしてみるがなかなかうまくいかない。

仕事に行った先で、「いいな」と思う被写体を見つけると、カメラで撮りたくなる。昼の休憩時に撮影する事も不可能ではないが、カメラを車内に置きっぱなしというのが大変に不安なのだ。かといって手元に置いとけば埃を吸いそうでなおさらに不安。

ε=ε=ε=ε=ε=ε=(ノ^∇^)ノ

先日車道という古い商店街へ行った。
自分が子供の頃はまだ人がたくさん歩いてる商店街であったが、今では人もいなくなって、マンションばかりが林立する「住宅地」となってしまっていた。
そんな中で気をはいていたのが「車道」をイタリック体で大書したアーチである。盛んなりし商店街の勢いや気概が感じられてなんとなくうれしい。その傍らでは「冷やしスイカ」と書かれたジュースクーラー。
そうだ、昔は自販機などなくて、商店でビンジュースを買ったものだった。
小遣いをもらっていなかった自分にとって高嶺の花だった。
市営住宅に住んでいた頃は向かいにコンビニに近い形態の店があった。
物を買って帰るとき、「自動車気を付けてね」と必ず言う店のおばちゃんがいた。
今はジュースを買うにも機械が相手なんだと、ふと思い出した。

そんなことを思いながら、「ほんとうに冷やしスイカが入ってるのかな」と覗き込めばメロンが鎮座しておりました。
金持ち症候群かw
でも都会の下町っぽい雰囲気がいいなぁ。
この近辺には古くからやっている川魚料理店もある。
どじょうの唐揚げなんかも食べられる店なんだけど、撮影に絡めて歩いてみるのも楽しそう。千種駅からは至近だし、良さげだよねぇ、ウン。

ちなみに「車道」という地名は江戸時代に舗装路による道路があったからだそうです。もちろん、石畳による舗装ですよ。

関東放浪記 (36) 青淵文庫と晩香廬

Img_0114展示室は分野ごとに分かれている。合間にレストルームが設置されているが、ここのレストルームは特別室であって、単になる休憩室ではない。VIPルーム?
弧を描いたガラスが飛鳥山公園に向けてはりだしており、桜が触れられるような距離で見られるのだが、そんなことではない。
弧がまるで劇場のスクリーンなのだ。
スクリーンいっぱいに桜が咲いている。
自然に置くよりも人為的に計算された美しさというものが存在するということを、この日初めて知った。
それはもうためいきが出るほどの美しさ。
時折この休憩室に人が入ってくるが、そのすべての人がためいきをつく、それほどの美しさ。
常軌を逸した美しさ。
言葉にも写真にも撮れない美しさ。
あぁすごい!
飛鳥山に来てこれを見なければ桜を見たことにはならない、と言っておこう。
ガラスの下の君たち、人生損をしている。

学芸員らしき若い女性が説明している田辺淳吉展を見たあと、彼の作品である晩香廬・青淵文庫へ移動する。
両建物は普段外見は見ることができるようで、一般公開という意味において内部の公開はそれほど衝撃的に意義のある物ではないかもしれない。価値で 言えば深谷市の誠之堂、清涼亭と大差ないし、両者よく似た雰囲気を持つ。それでも時期的に「限定」ということになれば見るしくはないということではある。 なぜこちらの建物が普段は内部非公開であるのか、それが疑問である。

この時代の建物は重々しさと軽快さが同居していて気持ちいい。
青淵文庫は石造りにステンドグラスがはめられていて、それなりに形式張った印象を受けるが、晩香廬はごく身近な友人を招く様な軽快なイメージ。こ のふたつの建物の組み合わせは、使い方として深谷市の清涼亭・誠之堂と同じパターンのようである。正式にもてなすのは、重厚な誠之堂であり、青淵文庫。私 的な部分を清涼亭、晩香廬が担当する。
実際には両者とも澁澤栄一はほとんど使ってないらしいが、明治期の建造物として貴重なものではある。
ちなみに、青淵文庫のステンドグラスはやはり撮影不可。
深谷は撮らせてくれたのに。
深谷はシルバーボランティアによる解説・案内で、小難しいことは話してくれない分、身近には感じたなぁ。
どうもこちらはかた苦しくていかん。
ストロボたかなければ建物を傷めることもないし、建物内のデザインの著作権どうのこうのという問題もないだろうし。
ちょいとこれには不満です。

2006年6月22日 (木)

三信ビル

http://www.citta-materia.org/sanshin.php

これを取り壊すらしい。
建てては壊し、壊しては建てる。そうやって便利にはなっていくんだけど、合理性ばかりがなによりも優先される世の中で、非合理的なものがいくつか残ったっていいんじゃないかと思う。
ましてや三井不動産のような巨大企業、こんなビルのひとつやふたつ「保存しましょう!」と言ってくれてもいいのじゃないか。
企業倫理においては、明治村を作り出した名古屋鉄道元社長土川元夫氏の足下にも及ばない。

三井不動産もあまりの反響に戸惑っているのではないだろうか。
昨年の初頭に解体を発表しながら、一年半経過した現在も具体的な期日を示していないという。
とりあえず保存への署名をしよう。

さて、わたしはこの建物をこの目で見る事ができるのだろうか。
隅田川の花火、等々力渓谷、三信ビル。
上京への条件が整いだしてきた。

キャッチフレーズ

というか、異名というか。
はやってますね。
まったく意味不明です。

なでしこジャバン
ジーコジャパン
長島ジャパン
サムライブルー
女王陛下のSpeedStar
コロンビアの暴れん坊

世間のすべてがフジ化しているwww
こんなキャッチコピーを喜んでつかっているのはメディアだけだろうね。

それにしても連日ワールドカップのちょうちん記事が続くね。
視聴率を挙げてそれにすがろうとする魂胆が見え見えだ。
そこでこれからの日本のキャッチコピーを考えてみた。

・「挙国一致ジャパン」てどうだろう?
電気の使用料から交通量まですべてをサッカーに結びつけて考えているすばらしき人たちに送りたい。

・「大政翼賛ジャパン」
ぴったりやん!←自画自賛
大戦中も戦争に反対した人たちは少なからずいたからね。
「世界を打ち砕け、大政翼賛ジャパン」なんて最高じゃろう。
ぜひ大政翼賛ラジオで連呼してほしいものです。

ついでに愛国心も学校で教えないかんらしいので、
「愛国心ジャパン」なんてのはどーだ?
一日中テレビばかりみてミーハーサッカーファンのおばちゃんたちに多いね。「愛国心だよねー」などとぼさくタイプ。
石原知事と同じ言葉を彼女らには投げかけたい。

明日もどうやらラジオはサッカー一色なようです。
うんざりだな...

続カーオーディオ

左フロントと右リヤのスピーカーから音が出ないのは、単にギボシ端子が外れていたからでした。
なんだつまんねぇ!と思ったけれど、これが原因でなければわたしの手には負えんのだな。

やはり快適だぁ。
普段はPowerBookで聞くだけだから、体で音楽を感じるのはストーンズコンサート以来だ。

さて、次はリアスピーカーか、iPodか。

剣客商売スペシャル

そんなうまい話があるかよ!と思わず口走りそうなストーリーであったが、なんとなく納得できたのは、大滝秀治の狼狽ぶりであったろう。
いつもよりわずかにオーバーな芝居ぶりではあったが、こんなことろでそれを最大限に生かすとは思ってもみなかったぞい!
それに彼と藤田まことのツーショットは、銀閣・東求堂に座して向月台に浮かぶ月を思わせる。
間よし、空気良し、芝居良し、顔も良し。
なかなか口では表現しがたい空間が、二人の間に存在していたと言おうか。画面を見ていると笑うための部品、ストーリーを追う為の部品、人間として みる部品、いろんな部品が落ちているのが感じられ、見ている側がそのすべてを吸収できるのがとっても簡単にできるほど、わかりやすい形でふたりは絵にして みせてくれた。
いろんなことを感じてたけれども、表現しているものはひとつしかない。その一つは、見て感じた人にしかわからない。
いい芝居ダネってほめることはあたらないと思う。
いい人生を送ってきた人のいい年寄りがふたり気取りなく話してるそんなものなのだから、「芝居がうまい」なんていう表現は褒め言葉にならないような気がするんだな。

あぁ、いいものを見せてもらいました。
能村庸一さん、まいどありがとう<(_ _)>

一年前の写真

昨年4月頃明治村に行ったんだけど、そのときの写真を見た。

なんちゅうひどい写真なんじゃあ!

技術論もあるけど、なにより「何を撮りたかったのか」が伝わってこない。伝わってこないって...つまり自分で撮ったのに、何を撮ろうとしたかわかんねぇってんだから驚きだよ、おねーさん!

姪が映ってる写真はやはり目標がさだまってるから、まだまし。
他は救い様がねぇ写真ばっかりだぜ!
こんどの日曜は明治村の名誉挽回といくか。
ひどいしゃんだってことがわかるようになっただけ、腕が上がったのかもしれないな。だてに13000回シャッター押してねぇなってことか。
プロになるわけじゃないから、この調子で楽しんでいこうかねぇ!

ゲージツのむずかしさ

盗作が疑惑がここのところ話題になってましたね。
結局だれが盗作と認定し、どこが盗作だったのか、肝心な部分の説明はまったくなかったのですね。
全体の構図は確かににているが、和田氏が描いた作品がスーギ氏を「盗作」したということは、スーギ氏の絵を盗んだということなのでしょうか。ということはスーギ氏の絵というのは、誰にでも真似られるたぐいのものだということなのかしら。
例え構図を盗んだとしても、何を表現したのかという違いがあり、それが認められる技術ならば、「盗作」と呼ぶ事はできないと思うのだけれど、そういうことじゃないのでしょうか。
盗作したということは、和田氏のオリジナリティが見られない作品であっといしい認識で正しいのでしょうか。

信長の人生を表した文章があるとする。
信長というのは事績のすべてがつまびらかになっている人間ではないので、その部分を一般論に従って書いた作家がいたとする。もし似た様な話になっていれば盗作したと言われるのだろうか。
文章にも個性があり、表現対象や方法に違いがあれば、盗作とは呼べないと思うのだ。それを画家の場合は認められないのかな。
結局そういうところがよくわからないのだ。
違いを認めるのは、あくまでも個人資質によるところが大きいと思う。だれがどういう視覚で、和田氏の作品の60余点をスーギ氏の盗作と認定しようとしているのか、根拠を知りたい。
どこの馬の骨だかわからないような自称「画家」とか「評論家」を呼んできて、「これは盗作です」などという茶番はやめて、きちんと説明がほしい。
別に和田氏を弁護するわけじゃない。
個人の表現を尊重するという意味で、あまりに安易に過ぎるのではないかと思うのです。

関東放浪記 (35) 澁澤榮一

時間の経過を待って、渋沢史料館へ向かう。
隣接して渋沢邸の残された建物2棟、晩香廬と青淵文庫がある。
春の一時期に限って内部の一般公開がされているの。
それはほぼ1月半にわたるが、土・日・祝のみなので、遠客にはなかなか訪れる機会が得られない。
今回このような時期に休めたのはまさに幸運としかないのだ。

内部公開は12時半からおよそ3時間。
それまでに渋沢資料館を見学する。
澁澤栄一は血洗島の農家兼商家に生まれて、一橋慶喜公の側近となってのち幕臣となり、幕府瓦解後は一時期新政府に出仕を命ぜられたものの野にあっ て日本の産業や経済の育成に尽くした人である。昭和初年年々悪化する対米感情の解消に尽くしたことや、社会福祉にすら手を尽くした人である。明治維新で志 士と称する人はたくさん出たが、この人は自分ができる分野で日本の近代化に尽くした、すばらしい人であるという認識を持っている。
深谷市内にも彼の遺産はたくさんあるが、順序としてはやはりこの史料館を先にみるべきであると思った。
ここは彼の足跡をすべて記してある。
澁澤のなんたるかを知ったあとで、彼の遺産を見ればより理解しやすいと思う。

特別展として、晩香廬・青淵文庫を設計した田辺淳吉氏展が開催されていた。
晩香廬・青淵文庫内部公開といい、他の資料館の特別展の多さといい、博物館めぐりも人がよく動く時期をねらっているらしい。
博物館好きの多くは人ごみを嫌い、静かな環境で見学することを好むものだと思うが、カネがからんじゃうんですかねぇ、どうしても。
常日頃は絶対こんなに人が来ないだろうと思われるほどの人がいる。
おそらく平日など一日に10人も客があれば多いんじゃないだろうか。
それほどに渋沢栄一の活躍は地味で人に知られていない。

グラスウールだったのか...

エキスパンションを撤去したら中に断熱材が入ってた。
ガラス繊維だったり、ロックウールだったりするけど、昨今、グラスウールはあんまりみかけないね。うちは改修が多いから、新築の流行は知らんけど。
とにかく断熱材を撤去したらグラスウールだったらしい。
今宵、体中がちくちくする。
特に露出していた首付近だけがかゆい&ちくちく。

えーーーーーい!
不愉快だぁ!

米沢

街道をゆくで米沢の稿を読んでます。
米沢へ行ったときの印象とぴったり一致している。
同じ感性を持ってるかな。

幕末、米沢藩は助けを請う会津を切り捨てたイメージがあり、それが謙信への憧憬を奪うほどに強くて、訪れた時は米沢城跡と上杉資料館を見ただけでした。

でも今や後悔。
司馬先生は武家屋敷を散策されて上杉藩のの窮乏の苦しみを見た。
林泉寺に塀がないことを米沢城と比較して、藩経営の辛さを感じた。
「イメージ」にとらわれて、林泉寺すら見なかったことが悔やまれるばかりだ。
行きたいなぁ、米沢。
遠いけどなー。

2006年6月21日 (水)

功名が辻(24) 蝶の夢

時代考証をしっかりしろ、という話ではありません。
「そりゃあおかしくないか?」という話であります。

清洲会議にいろんな面々が集まっておりましたが、やつらだれじゃ!
清洲会議の出席者というのは、実は確定してなくて、ドラマでは好き放題に使われております。今日は頭数だけそろえ、だれがだれだかわからないようにしてましたな。
これがテレビドラマの限界か。

ストーリー的には大した問題ではないけれども、織田家の家臣として陪臣である一豊や、中村一氏、堀尾茂助なんぞが臨席しているというのは、主人公だからか、それとも秀吉の発言力の大きさを暗に示しているのか。
勝家配下の前田利家、佐々成政の方が家格としても遥かに上位であり、一豊のような軽輩がいるということ自体が大変に礼を失しているし、不自然なこ とだと思われるがどうか。やはりここは秀吉の発言力の大きさを示したと見ておくべきか。それとも勝家の背後にいたエトセトラのみなさんの中に、佐々と前田 がいたと解するべきか(笑)

まだ生きている柴田修理亮に対して「勝家」と呼び捨てにする世間知らずの信孝、「織田はさるには渡さん」と気張る市。
織田家はまだ天下を押さえているわけじゃない。
毛利、北條、島津、長曽我部なんていう強豪が残っているんだからね。「織田家の天下」なんていうものは信長が死んだ時点でなくなっているのだ。豊 臣家の天下を徳川が奪う事とは本質的に違うのだ。そのあたりのことがわからない市は「女の浅知恵」ということね。これは娘にも引き継がれていく。

しかし一豊という男、ものの哀れというか、死に行く侍の気持ちというものが理解できんのかね。それでも侍か!
光秀を山中で見つけたというのはまあどうせ作り話の世界だから許そう。でもな、死にかけている侍を見たら介錯してやるのが最低限の優しさじゃない のか。光秀は信長を討つ前から死を覚悟している。「一豊殿は生きよ」と親切な言葉の裏には、「せめて一豊のような人間に引導を渡してほしい」と願ったので はないか。一豊がこの場で介錯し、首を秀吉に差し出せば、秀吉の旧家臣とかいう雑兵ずれに首を取られる事もなかったのだ。
戦国の常識に現代の常識をあてはめてはならんという基本を守っていないと、いよいよ一豊はダメな侍ということになるばかり。あんなふぬけが3000石取りなどと笑止千万!と笑われるのは秀吉公だよ、アンタ。

2006年6月17日 (土)

関東放浪記 (34) 酒池肉林の飛鳥山

この頃だったろうか、怪しげなメールが着く。
無意味なアルファベットの羅列が続くメールアドレス。
しかしその文体からだれであるかはすぐにわかった。
それほどに個性的な人なのだ。
「今から都電で通るから手を振れー」と。
そんなはずかしいことは、できませんっ!(笑)

王子の交差点は交通の一大ネックとなっているようで、常にクルマがたまっている。しかも横断する個所がない。
飛鳥山へ行かんと欲する者はどこを歩けばいいのか。
しかたなく王子駅まで戻って横断歩道を渡る。たまたま電停には早稲田行きが信号待ち。
ぱちっ!
そこまで行けばあとは人波に飲まれればよい。
ちょっと急な坂道を上がるとそこには酒池肉林の世界が広がっている。
まだ陽があるのに、酔っぱらいがたくさんいる。
シートの上でじっとしている人が大半である。

被写体としては音無公園に大きく劣るので、そのあたりをぶらぶらしてみる。
たくさん碑が立っているのが、たいていの場合だれかがその付近を占拠しているので近づくことができない。
どうしても見なけりゃならん碑というのもそうそうあるわけでもなく、さらに南へと歩く。
と、右手から活気のある大きな声がたくさん聞こえてくる。近づいてみるとどうやら近隣の商店街がここに店を出しているようだ。当然酒屋もあるし、 いろんなものが売られている。朝吉野家に寄ったからそれほど空腹というわけでもないのだが、ビールのついでに、お稲荷さんを買ってプチ花見とする。
階段のふちに座ってそうした人を見ながらビールをぼそっと飲む。

カースピーカー換えた!

153521359_253カリーナのフロントスピーカーを換えました。
わし、カリーナが7台目の愛車だけど、スピーカーを換えたのは初めてなんよ!
カーオーディオにしても、交換したのは今のカリーナが初めてなん。
今までずっと純正だったよ。
「原価300円だよ」と、ウソかまことか知れぬ冗談を半分真に受けていましたが、交換してみてわかった。
それは事実です
まぁ14年間も使い続けられたスピーカーだから劣化してるかもしれないけれども、やっばりその程度の価値かなぁと思いました。

購入したのはCarrozzeriaのJ16A。
本来17cmだけども、16cmを押し込みました。

うふ♪(* ̄ー ̄)v
最初はやっぱストーンズ!A Bigger Bangを聞いてみた。
うふ♪(* ̄ー ̄)v
ミックの声が全面に出てきた。
うふ♪(* ̄ー ̄)v
しかもボーカルと言う形ではっきりと聞こえる。
うふ♪(* ̄ー ̄)v
低音だって全然違う!
うふ♪(* ̄ー ̄)v
きちんとばしっばしって出る。
うふ♪(* ̄ー ̄)v
タイトだ。
うふ♪(* ̄ー ̄)v

カーオーディオなんぞ、エンジン音にかき消されて、本来の音なんんか望めないだろうと言う自分の考えは間違ってました<(_ _)>
あとはリアに同じスピーカーを設置して、フロントにツィーターを取り付けたら終わりという事にします。まぁいつのことになるやらわかりませんけどもね。このスピーカーだって2年越しなのだから。

牛乳と清涼飲料水

最近牛乳を飲むように心がけてます。
牛乳って太りそうな気がするんだよなぁ。
かといって清涼飲料水は糖分も多くて、好ましくないという。
本当はどちらがいいのだろう。
牛乳はミルクティにしたり、フルーチェにしたり、ホットミルクにしたり、いろいろ用途が広いんだよなぁ。
それに先日の牛乳処分問題。
少しでも消費しようという気持ちがきっかけではあるんだけども。

マイナス条件ばかりでした。

上野へ行こうと思ってたのに。
旧小田小学校、上野城、城下の街並。

昨日の天気予報では曇りだったのに、今朝になったら曇り時々雨に。
風邪気味だし金ないし、これは「やめとけ」という神のご託宣だな。
うん、やめておこう。

おそらく小田小学校と上野城(天守除く)くらいで半日はかかるだろうと思われるのでそれほど情報集めは必要ないが、観光案内所のパンフレットには意外と穴場が載っていたりするので、せめてそこまで...と思ったがやめた。
写真は撮りたいが寝るw

金魚とフナがね...

死ぬ訳だ。
近所の用水で捕まえた栄養不良の小ブナが8匹と金魚すくいの金魚が2匹、それに防火用水で捕まえたフナ。これらが100Lの水槽に長年収まっていた。
ここんとこ、ころころっとつづけて落ちてたんで、水を換えてみたけどどうかな。
残ってるのは小ブナが5匹と防火用水フナだけ。

魚の病気なんてものはいくつか定義されているだけで、大半のことはわからん。飼育者の経験に依存する部分が多いわけだ。
白点くらいなら治しても見せようが、他の病気はあかんじゃろ。
そもそも内臓疾患なのかウィルスによるものか、それすらわからん。

今回の場合、外観上は小型で輸送に弱い外国産ナマズの入荷直後に似てたので、エルバージュを入れてみた。これとパラザンを規定より低くして併用するのが自分的「わざ」なのだが、パラザンがない...(;^_^A アセアセ・・・
こんな根拠のない投薬、効き目があるとも思えん...

ついでに個体も紹介します。
小ブナたち、おそらく金魚だと思われます。
こいつら最初は20匹近くいたけれど、じょじょに赤くなってきやがった。つまり中途半端な先祖返りというか、生まれたときはふな、後に金魚となる腹づもりだったらしいw
田舎では「ぼうふらがわく」という理由で、止水には金魚入れることが多い。それが大雨で逃げ出したりした個体が殖えたのではないかという推察。

ところが、1匹だけいる大きいふなは、ゲンゴロウブナと思われる。いわゆる「ヘラブナ」というやつだが、用水路にはあんまりおりません。こいつは防火水槽で確保したから、だれかが釣った放した個体から生まれた個体でしょう。

ゲンゴロウブナとギンブナを同定できる人は世間の人の0.1%もおらんでしょうが、10cmくらいになると、自分でも判断できます。最終的には解剖して鰓把の数を数えなければならないでしょうが、目の大きさや頭の形が違うからね、見慣れている人なら区別できるでしょうな。

関東放浪記 (33) 王子谷

Img_0080  Img_0089

 

公園を発見して、今来た道を少し戻った。
ガード脇から公園に入るための細い道があり、それを入ると川を逆行した様な形にはなるが、桜が川に覆いかぶさった姿で見られるのだ。

既に先客があり、何人もが三脚をすえつけている。
それをやり過ごして「谷」の中を進む。
明治通りと石神井川の旧流水路の取り合いが都市的にはうまく処理されていて違和感がない。
分岐していく本郷通りの無理を思えばすごく美しいと思う。
そもそも明治通り自体が人為的に作られた道路であって、自然の流水路をうまく整合させるってのは簡単じゃない気がする。
そこに桜を設けることで春はとても明るい空間になることを見越したのだろうか。道路は上へ、川はフラットに。
明治通りはいずれ下に降りてくるのだろうが、石神井川にはあまり関係がない。
そんな親水公園だが、階段途中には「盗撮に注意」の看板がある。
名古屋も大都市だと思うが、こんな注意は見たことがないぞ。
盗撮の名所なのか?
どこがどう盗撮しやすいかわからんけども、そんな注意看板くらいが、ここを東京だと気付かせてくれる。

川に降りて、飛び石を歩いてみる。
"河川敷"にはシートが広げられていたり、中には既にビールを飲んでいる人もある。
上を見上げるとやはり高層ビルが見えてしまうのだが、なんにでもなじむ懐の深い桜は高層ビルまで自分の引き立て役にしてしまう。
恐るべし、サクラ!
上をひょいと見上げると、音無橋の上にもいくつかカメラが見えた。
路地では露天商が開店の準備をしている。
遅い!
おれが来るまでにビール冷やしとけよ!

2006年6月13日 (火)

臓器提供意思表示カード

151346947_213昨日名古屋市政資料館に並べられてあったので3種類とも各一枚ずつ持ち帰りました。
右端が5年間携帯してきた古いカード。

ちょっと気になるのは、このカードをかなり久しぶりに見たこと。
今までのカードは献血時に入手したものだけど、その献血時すら見た記憶がない...ような。
自分がぼーっとしてただけなのかなぁ。
一時期はコンビニに於いてもらうとか意気込んでいたのにどうしたのか。気になるぞ。

琢磨と左近

日本の若手]No.1、山本左近がF1入りする。
彼にとって昨年ジョーダンをドライブしたことはNo.1としての地位を固めたことになりそうだ。なにしろドライバーを発掘することには定評のあるジョーダンなのだから。でもエディ・ジョーダンが乗せたのかどうかは不明(●´ω`●)ゞエヘヘ

さて興味深いのは佐藤琢磨との関係だ。
井出有治は経験が少ないためか、琢磨との差が大きかった。
F1の世界では対した事がないと思われていた琢磨が大きく浮かび上がったものだ。
そしてここに新しい媒体として左近が登場する。
果たして琢磨はどうなのか、左近はどこまでやれるのか。
大変な楽しみである。

でも琢磨は失う物がなにもない中で腕を磨くチャンスだと思う。
もう少しこのままやらせてみたいような。

関東放浪記 (32) 王子・武蔵野

Img_0074は変わって4月。
こんな激しい月変わりを迎えたのは初めてかもしれない。
身支度を整えて出発する。

最寄りの駅から地下鉄に乗り、飛鳥山へと向かう。
深谷を訪ねて以来、念願の飛鳥山でもある。
その飛鳥山を前にして、音無親水公園へと行ってみる。
桜を背景にして都電が撮りたいと言うわがままにマイミクさんが教えてくれたのがこの公園だった。
飛鳥山に限りなく近いので、とにかく行ってみる。
駅の表示に従って、東北線のガードに沿って明治通に出てみる。
人の流れに逆らって坂を上ると右に桜の固まりが見える。
それが音無公園のようだ。

音無親水公園は、谷の風景を残す川である。
川としての使命を新しい石神井川に譲り、使命を全うした石神井川の河川跡を整備し公園としたものと思われる。地形そのものが、付近の地形とバッチ リ一致している。飛鳥山という山のふもとを流れる石神井川が急激な落ち込みで掘り下げた部分が、この親水公園として残されているということ。深い谷は起伏 にとんだ地形の反映でもあり、「東京」という大都市が人間の手によりすべての姿形を変えてしまったわけでもないことを体感できてすごくうれしい。確かに本 来の意味での自然ではないのだが、元々の自然の生かして息づいているこの街は、コンクリートばかりの冷たい街ではないってことなのだ。そういう意味で大都 市の中にも自然は巨大な存在を示している。

2006年6月11日 (日)

功名が辻 (23) 本能寺

いつもと同じ天正10年6月2日が再現されました。
型にはまりきった本能寺の変で、面白みといえば、信長ー帰蝶ー光秀の三角関係だけでした。ああいう展開では信長としても演じようがなかろうと少し 舘ひろしが気の毒になったけども、むしろ前回から今回への引き継ぎしーんとなった就寝前の帰蝶の膝に休む信長の表情がかれの真骨頂というか、舘信長の総決 算であったかもしれないと感じた。
少しも休むことなく天下の事に奔走した結果があのつかの間の休息であった。

ドラマとしては劇的に表現するしかないのはわかるが、光秀の大演説はやめて欲しいなぁと毎度思う。水色桔梗の旗印を掲げてはいるが、あれは明智光 秀の私兵ではなく、織田軍なのだ。あくまでも織田信長から貸与されている兵であるから、そういう兵どもに「敵は本能寺にあり!」と怒鳴りつけたところで、 道中で脱走兵続出することは間違いないのだ。中には「信長様に知らせなければ」という兵が出ないとも限らない。現に明智主脳部はそれを慮って間際まで目的 地を知らせなかったと言う話を聞いている。そもそも備中行きという長距離行軍なのに、深夜に軍を発するという事実のみでも、兵は動揺・混乱するはず。それ を統率して騙し抜いたのはあくまでも光秀への信頼感で、また彼の実力であっと言う事はできようが。

その反面、惚けたような光秀には大変に共感できた。
おそらく、光秀にとっておそらく信長を殺すことだけが目的であって、天下を取ろうなどというのは二次的な理由であったと考える。言い換えれば後世のつじつま合わせというか、あくまでも光秀を簒奪者として扱う必要のあった「勝者」の理屈が見える。
光秀は、当時日本海側の小さな地方勢力でしかない細川などあてにしなかったろうし、義昭をもり立ててきたという事実を考えても、彼が本気で立つと は考えていなかったろう。もともと天下に志を持っているわけではない筒井なども、はっきりした戦果を示さなければ味方しないだろうということは予測してい たはずである。なにより光秀自身が、人を見る達人であったということが、それらを裏付けるのではないだろうか。
卑近な例で、女性には失礼かもしれないが、その気もないのに道路で若い女が裸で寝ていたのを襲ってしまったという一面はあると思う。戦国人である以上、ついふらふらという気分もあったのではないかという推測である。

やっと柄本秀吉が本来の顔を見せましたわね。
黒田官兵衛は「千載一遇の工期でありますぞ!おやりなさりませ!」の一言で天下を取りこぼした男と言われている。彼に関してきちんと表現したドラ マは知る限りないが、黒田という男にとってはこここそ切所であった。それを思っての斉藤洋介と柄本明の芝居ではなかった。もうひとつ踏み込みが足りないん だね。

細川忠興もよかったね。
彼はた玉に対して暴力亭主的なところがあるらしいのだが、それを表現してましたね。ちとヒステリックな、短気っぽいところをよく描いてくれたと思う。
忠興はのちに肥後一国を領する大名になるため、見事な武者ぶりのみがクローズアップされがちだが、そういうところをきちんと見ているのは女性脚本家故か。だとすれば心地良し。

それに引き換え長谷川京子の芝居はまずいね。
時代劇ができてない。
忠興が覚悟を吐露するシーン、藤孝→忠興→玉の順にしゃべるので、一層玉の言い回しが浮いてしまう。美貌でごまかそうとしちゃダメだ!w
もっとも玉の真価はこれから発揮される。
石田三成の強攻策に対していかなる芝居をするかで、判断したいと思う。

2006年6月 8日 (木)

カーオーディオ

そろそろ寿命か。
自分ほどカーオーディオに金をかけないやつもきっと珍しい。
最初のオーディオはネットオークションで、5年落ち製品を買った。
CD+AMステレオ・FMだった。
二台目は一年ほど前に譲ってもらったAlpine。
ちかごろチェンジャーからの音が途切れるようになった。
さすがにこれは寿命かもしれない。
が、結局4年間で12000円しか使ってないわけで、「壊れたー」と騒ぎほどの事もなかったりする。
たぶん不調なのはチェンジャーのみだと思われるので、それの更新をしたいわけ。
以前から気になっていたiPodをカーオーディオで使うこともたいへん魅力的である。なにしろアルバム10枚以上が持ち運べるし、なにより音飛びがないし、ハードへのダメージがチェンジャーほどではないだろうってこと。
チェンジャーはかなり劣悪な環境だから壊れて当たり前みたいなところがあるので、できれば新品を買いたくない。買ってもせいぜい12連奏だし...

それに先立ってスピーカーを交換しなければ。
未だに純正だなんてはずかしく人に言えないよぉ。

いわしと名古屋控訴院

先日柳橋で買ったいわしがあまりにうまかったので、またまた今朝買い出しに行きました。
20cmくらいの個体ばかり40匹。
これを弟家族と二分。
うちはまた酢でしめるそうです。
これはとびっきりうまいぞ!
味付けがどんなにすばらしくても素材がダメならダメ、という好例ですね。今晩が楽しみですワク((o(=´ー`=o)(o=´ー`=)o))ワク

Img_1664その後、これも先日半分しか見られなかった旧名古屋控訴院(現名古屋市政資料館)へ。
見損ねた資料もたっぷり、映像も古写真もしっかり見たあとに、留置場も見学。これすべてタダ。
国重文だったり、名古屋市は金持ちなのか知らんけど、公開する文化財からは基本的にカネをとるべきだと思う。少なくとも大人からは取れ。子供にタ ダでみせてやれば、文化財の正しい生かした方なのではないかと思う。無料っちゅう事はないぜよ。文化財はみんなのものなんだから。金儲けではなく、保存し て後世に伝える事が大切なのだから、カネは取れ。
古地図などを見ている間に時間は刻々と過ぎて行く。

Img_3193古い地図を今の地図と重ね合わせるという作業が大好きです。
境内が道路によって分断されてしまった建中寺付近の地図、御園口付近の地図、特にそのふたつを重点的に見てました。最も古い物は明治10年。
西郷さんが東征の時に通った名古屋城が地図にはありました。
妄想にすがるしかない現代人はかわいそうだな(´・ω・`)ションボリ

Img_3213

2006年6月 6日 (火)

稲沢性海寺・あじさいまつり

午前中は仕事、昼2時過ぎから、稲沢・性海寺へ。

Img_3177 Img_3169 

ここはあじさいで有名なお寺です。
うちのガクアジサイが5分ほど開いてるから、稲沢でも同程度の花は見られるかと思ったけれど....早かった!w

Img_3181_1一部満開状態の種類もあるにはあったけれども、売りになっているような大半な種は全然開いてなかった。
花たちとして撮れる状態ではない。
津島のフジといい、どうも先走り過ぎだなぁ。
仕方ないので、花を単独でぽつりぽつり撮っていたけれど、これもさっぱり。あじさいにかんかん照りは似合わない。そもそも淡い色を楽しむ花なんだから、おひさまの下で撮るべきじゃないんだな。
そのお陰か、ほとんど見物客はいませんでした。
花がひとつひとつじっくり構えられたことで良しとせねばなるまい。その割には撮った写真、相当ひどい...
そんなわけだから、写真とあじさいから話を切り離そう(;^_^A アセアセ・・・

性海寺はあじさいの季節を迎えて、あじさいまつりを開催しています。(主催は稲沢市)性海寺はなんと1200年に及ぶ長い歴史があるのだとか。 従って多くの文化財も保有しており、あじさいまつりに協賛して、普段は秘宝(?)である文化財を一般公開しています。その中にも国・県指定文化財が複数含 まれていて、歴史の長さを感じさせます。寛政6年の境内図なども必見でしょうが、現在でもほぼそのままなので、あまり感動はありません( ̄▽ ̄;A

1200年の歴史はありますが、江戸初期まで荒廃していたようです。その後慶安年間に復興され、何度かの改修へ経て現在に至っているそうです。
非公開文化財の中には、国指定文化財である本堂内部にも入る事ができます。
仏教については詳しくないけれど、本尊というのはみな阿弥陀仏じゃないのね。ここの本尊は善光寺如来とか。本尊は非公開ですが、四天王は間近に見る事ができます。どこでみても四天王はたくましいねぇ。チカラみなぎる筋肉が非現実的な強さを想像させますねぇ。

門前に出ていた露店で麩まんじゅうとあじさいまんじゅうを買いました。
ビールの代わりです(は?)
好物なんですなぁー!
麩まんじゅうはぐぅーと歯が食い込むのではなく、ぷちっと切れる生地の食感がよろしい。それに加え麩のほんわかした香り。
4つも食ってしまったわ!

その菓子屋のおばちゃんとも話したけど、今週末くらいから、サイコーだよーとのこと。
「毎日少しずつ開いていくんだよーきれいだよぉ」
でも...もう多分行かない。
すごい人であることは想像に難くない...

6/5の日記

もう午後からクルマの水垢落とし&ワックス...する予定が、明る過ぎて水垢が確認できず中止。
適当にアーマーオールなどを塗って紫外線対策とする。
その後レジアスのETCを固定するための両面テープを買いにJmsへ行く。思いのほか高額なので驚く。
レジアスは経費対象のクルマなので、カードにて支払う。
1300円ばかしをカードで払うのはいとはずかし。
もう少し何か買い足してまともな金額にしようとしても、欲しいものがない。どこか怪しげな商品ばかり...
スプレー式のワックスを買おうしたが、ワンスプレーでボンネットの1/4に伸ばす事など不可能だ。
黄砂が簡単にとれる...ってしょせん砂がのってるだけじゃないか!
機能が怪しいのではなく、従来からあるもので代用できるものばかりなのだ。だから買わない。
なんでも発売すればいいってもんじゃないけど、ライバルがいれば仕方ないわなぁと理解を示しておく。でも買わないw

Img_2977帰宅してずいぶん前にこすってパテを塗りたくってあったフロントバンパーの右をペーパー処理する。もともと1000番で磨いてあるので短時間にて終了。
「妥協しない事が美しい仕上がりのポイントです」というアドバイスが頭の中でこだまするが、「おれはプロじゃないし、不器用者の仕事にしてはきれいじゃん」とこだまを返す。
再度パテ処理すればきりいになるとは思うが、従来、白いパテが塗ったままの状態でもそれほど目立たなかったから、現状で十分たどいう判断しました。
あとはシリコンオフ→プライマー→プラサフ→スプレーペイント→2000番ペーパーで仕上げ。
まあ見てろって^^

その後レジアスのETCを固定する。
レジアスの内装は曲線部ばかりで取り付ける個所が少ない。
一度目の取り付けであれば、ベースがきちんとフィットするのだが、2回目はうまくいかない。しかたなくフラット面を探す事になる。結局ハンドブレーキの上にしか付かなかった。ただでさえ足下がタイトなクルマなのに、一層タイトになった。
不快なクルマだ。

終了後、本屋でゴールデンポップスと日本の名車を買ってくる。
ゴールデンポッブスは初期ほど著名な曲がないのだが、知らないヒット曲が大きくて変わらずお気に入りである。もう18集になって、通して聞くと8時間ちょっとかかる。
対照的に青春のうたは少々つまらない。
最新号では松山千春が出ているくらい新しい曲が収録されているのだ。このあたりになってくるとなじみが深いし、ヒット曲だけで満足できない世界になってくる。こちらはやめてしまう可能性が大きい。内容の割に値段も高い。

Img_3002

駐車場からの経路上に咲いていた「雑草」。
桔梗を小さくしたような愛らしい花。
こりゃなんという花でしょうか。
(付記)
調べたよ!
キキョウソウという帰化植物らしいです。

Img_3009

うちで咲いたあじさい。
絞りと露出を覚えたので昨年よりはずっとましな写真が撮れるようになりました。
こうやってみるとあじさいも愛らしいですね。

岐阜ライトレールの行方

旧名鉄600V線について再生計画、地元でありながら噂すら漏れ聞こえてこないところを見ると、まったく盛り上がっていないのか。
試しに調べてみると企業主体となる組織のホームページはみつけられる。

・岡山電軌は撤退したと聞いたが、まだ名前を連ねているね。
 名鉄の牙城をおかそうとしているのかw

・名鉄から施設を無料に近い状態で譲渡させようとする姿勢。
 買い取れよ。
 もらおうとするな。

そしてこれがもっとも大切↓
行政の無関心

600V線、特に旧美濃町戦は乗客が少なくなく、富山港線がLRTとして存続できるのならば可能性は低くない。が、行政の協力をなくしては不可能になる。
岐阜市としては「必要のない路線」と認定した上で廃止したのだから、復活させるのはかんたんではない。
応援したい気分はあるが、廃止当時のなんら変わってない岐阜市では、無駄な努力と言うしかないね。

市長が変わればあるいは...
でも市民は先の選挙でこの市長を信任したんだよね。

集めた基金はどうなるんだろう?

2006年6月 5日 (月)

功名が辻 (22) 光秀転落

前回「統一性がない」と書いた信長、今週は無常観に包まれていました。酔って帰蝶のひざに頭を置く信長。見ていて悲しくなった。
自らは神であると宣言しながらも「50年先はしゃれ首じゃ」。
これこそ信長の無常観であって、人間織田信長の価値である。
信長は「人間という物を弱い物である」ということを悟りきっている。彼が神じゃ、仏じゃというのはその弱さを覆い隠すための隠れ蓑であって彼の価値観における本心ではない。

統一国家は自分ひとりの力では無理である。
手足となって働く者が必要であるが、そういう中に光秀のような旧体制にこだわっている者がいると甚だ邪魔ではある。が、信長は道具を使う天才でも あり、自身もそれを意識していたであろうと思われる。時には林佐渡や、佐久間信盛のように信長を理解せぬまま去った者もいるが、かれらに軍略的才能がな かったことは、信長に「追放」という手段を選ばせる。
しかし光秀は違った。
有能な政務官でもあり、軍人でもある。
信長は光秀のそういった能力を高く評価しているために、例え旧体制を擁護する思想を持っていたとしても見逃さざるを得なかったのではないかと考えている。
つまり、光秀にとってもっとも大切なものと信長にとって守るべき者はまったく違っていたのだ。その齟齬が主討ちという形で信長に訪れてしまう。
人間的魅力とか、あらゆる能力に於いて光秀に比較する者がなにひとつない自分ではあるが、彼らの行く末を知っているということで光秀を越え、自らの性格が光秀とよく似ているということでとっても親近感がある。
信長の言う事は理解できるのだが、それ以前に人間として守るべきものがあるのではないか、というのが光秀の主張である。それは美濃守護の一族とし て生まれ落ちた光秀の悲劇であったかもしれない。かれがもし秀吉のように何も失うものがないような境遇で信長と出会っていれば、あるいはもっと別の形で力 を発揮したかもしれない。

家康に出した魚が腐っていたとか、饗応殿のつくりが豪華すぎるとか、旧領地を召し上げるといった話はどこから出たのだろうか。
新しい領地が現在は敵地であっても、「切り取り次第」である。とった領地はお前の物、なのだから、光秀としては喜ぶべきである。旧領地を召し上げ るといっても賃貸料を払わない居住人をマンションから強制排除するわけではなく、当然住む場所は確保した上でのことに決まっているのに、「旧領召し上げ」 に登場人物がみな目の色を失うのはなぜか。それは逆に「光秀が信長に嫌われているからという前提で物事を感じているからそういう誤解を生むのではないか。

なにより、惟任の姓を朝廷名義にもらい、日向守の官位をとってやった信長の親心である。
光秀はおそらく、そういう信長の思いやりもすら頭の中では理解していたであろう。
お互いがお互いを理解した上で起きた本能寺の変。
人間ならではの事件であると思う。
だからこそ信長をして「であるか」と言わしめた。
信長の身辺者はすべてこの事件で死んでいるから、信長が「であるか」といった事は証明されないが、光秀と信長の関係を思った場合、それを言わずにおられないのが、歴史ファンというものでないだろうか。
だから信長も光秀も好きなんです。

信長(舘)と家康(西田)のツーショットがあった。
家康が画面を占めると、舘信長の存在が吹っ飛んでしまったw
おそるべし西田敏行の存在感!

自分が感じている彼らの関係というものは言葉では記しがたい気がする。

なつやすみ

おっ
漢字よりカナの方がいい感じ。
木造校舎にモロコ泳ぐ小川。
あ、ミンミンゼミが鳴いてる!!!

さて、今後のハイキング予定のお時間です。
名鉄バスの公式サイトで常々トピックをチェックしております。
今日は上高地往復10000円!

上高地って一般名詞が固有名詞になったのか、元々固有名詞なのか、はたまた現在でも一般名詞なのか、よく理解できないでいます
でも美しいお山が見られるのなら行ってみたい。
松本の北アルプスを越えるだろうか。
考えているとわくわくする((o(=´ー`=o)(o=´ー`=)o))

1.長野
2.小浜
3.高岡

などがいまのところ候補に上がっています。
この中で小浜のみが中京圏ではない。
クルマで行くしかない不便なところであります。
わし、京都在住なら鯖街道北上して小浜へ行ってみたいよ。

関東放浪記 (31) 電車おにごっこ

17時12分発千葉行き普通で王子を目指す。
千葉からは久里浜行きに乗り換えて錦糸町、黄色い電車で秋葉原に出て、山手線電車に。
わずかに先発した京浜東北線に追いつくかな、と淡い期待を抱いての追跡劇であったが、こちらが到着した瞬間に向こうの扉が閉まるという連続で、仕方なく田端で降りて京浜東北線列車を待つ。待つと言ってもわずか1〜2分で次の大宮行き水色電車はやって来た。
わずかな待ち時間の間に自宅へ連絡し、4/3から仕事であることを知らされる。
それまで所持金が続くかぁ?!
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王子に着いて、今晩お世話になるマイミクさんに連絡する。
明治通に面した王子駅出口は、狭い高架下に可能な限り自動改札機を設置する都会の駅の典型である。
人が留まる個所が小さくて、待ち合わせには明らかに不適な場所ではあるが、駅の構造としてはなかなかおもしろい。
歩いている人たちが意外と東京っぽくない。
渋谷とか新宿あたりとは違っていて、地方者でもなじめる人間的な都会さがある。
隣には都電も見える。
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マイミクさんと連れ立って歩く道すがら、地蔵のようなものも見えるし、旧街道や昔ながらの商店街もある。
足で歩くと違ったものが見えて来るのだ。

その夜はイタリアン。
夜遅くまで話が尽きず、寝たのは午前2時頃であった。

かわいそうな建物

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上の写真、先頃うちが手がけたビルの隣のビルの外壁&バルコニー部分です。

パラペット部の防水層末端部がLアングルで押さえてないので、防水層の下におそらく水が入っている。
アングル押さえは防水とセットであるが、時に工費節減のため省略してしまうこともある。大手建設会社であれば、そんなことは許さないものだが、経過とともに忘れ去られる運命にある。

長い間だれも顧みることすら忘れられたバルコニー。
ドレーンすら掃除されず詰まっている。
これではせっかくきちんと防水したところで、たまった雨水が酸化し、防水層を傷めていく。

壁側の防水層の立ち上がり部のアングルのアンカー釘は等間隔にきちんと打たれており、手抜きをするような防水屋とは思われない。

おそらく下にも水が漏れているのではないだろうか。
壁の目地からも水がしみ出した形跡がある。

8年ほど前にうちが施工したアスファルトトーチの防水層の保護層更新に行ったけれど、水がたまっていないところは保護層をはがしてみてもアスファ ルトがまだ柔らかい。「まだ10年くらい保つな」というのが自分らの感想。一方常に水がたまっている部分は保護層が劣化し大半がはがれている。当然保護層 がなければアスファルトに直接水が接するし、常に紫外線にさらされ劣化は著しい。

防水屋がきちんとした仕事をしても、ユーザーがまったくの放置では、建物が哀れになってくるね。掃除して水がたまらないようにするだけで防水層を長持ちさせることができるのに。
せめて持ち家の人には家だけでなく、防水層もきちんと手入れしてほしい。

諱 〜信長の命日に

諱(いみな)っちゅうのは、エライ人にのみ送られるものであるらしい。生前から持っているらしいが、基本的に死後使われるものである。
例えば、織田信長。
「織田」が姓であり、本姓が「平」である。
「上様」になる前は上総介が通称(官位の私称)であったり、子供の頃は三郎と呼ばれたり。
最初に朝廷から賜ったのは父親の資産でもあった備後守であったと思うが、史実はどうであったろうか。

諱というのは、天皇で言えば送り名に近い。
裕仁は死後昭和天皇と呼ばれるが、生前「昭和天皇」と呼ばれることはない。つまり諱というのはそういうもの。
ところがドラマでは諱の連発である。
「信長様」「秀吉様」...
言わんだろう!
そもそも上級者に対して諱な通称で呼ぶのは大変な失礼である。
つまりは、織田家中では「右府様」「筑前様」「修理様」というのが正しい呼び名と言えよう。
ドラマはそれはもう...むちゃくちゃ。

そういえば生前の信長の官位は結局右大臣だったのだろうか。

Elvisとの出会い

はや寝しちまって寝られない。暑いし。
こんな時間に日記連発!

第一遭遇
 プレスリーの物まねをしてたのをおふくろが喜んでみてた。
 この時初めてElvis Presleyを知った。

第二遭遇
 深夜のFMでビッグスペシャルという番組があった。
 Elvisが取り上げられた。
 彼のすべての作品を紹介すると言う壮大な番組だった。
 確か全部録音したばずだか、そのテープはいずこへ?

第三遭遇
 週刊FMという雑誌で黒鉄ヒロシがElvisを描いた。
 Elvis追悼であった。
 現世での短く薄いつながりであった。

以来付かず離れずずっと聞き続けてはいるが、なぜか好きなアーティストにはあげてない。それはあまりにも外部からの影響が少なかったせいだと思われる。良いものでも「これはいいから聞いてみな」と言われないと聞かなかった若き日。今では逆にそれを求めるようになった。

2 to Noneが今パソコン内にある。
デビュー作「Elvis is Back」を買ってしまったわい。
古いアルバムは安くてよろし。

28年を越えて

中学の時、唯一記憶に残っている先生がいる。
当時20代後半くらいだったから、そろそろ定年かもしれない。
わずか一年間社会を担当していただいただけであるが、昨今やたらと思い出されてしまう。
中学生といえば教師と生徒の年齢差があって、まさに大人の代表としての教師でもあった。

その先生は若いだけあって熱心で、歴史の時間たまたま明治維新にさしかかった。かの先生は熱心に毎日プリントを配るのだ。
その大半が尾張藩における史的推移で、藩公・慶勝の動向であったり、青松葉事件であったりした。
名古屋城二の丸御殿(尾張藩の政庁側)跡に青松葉事件事件の石碑があるが、名古屋人であってこの石碑の意味を知る者が多くはあるまい。彼はそれを 生徒に教えようとした。いや、プリントにすることで、"歴史に興味を持つきっかけ"を作ろうとしたのだと思う。お陰で今の自分は青松葉事件を知っている し、徳川慶勝が表舞台とは違うことを領内でしていたことも知っている。
またこの先生は、郷土史クラブという部活(課題)を担当していたことも後に知った。というのも、卒業アルバムに記事が発表されていたからだ。先に書いた「屋上の達人」の赤坂周辺のこともレポートに書かれていた。

あれから何年たつのだろう。今ではいわゆる日本史だけではなく、郷土史にも興味がある。といっても資料的に知識を更新する機会にめぐまれないの で、しゃかりきに尾陽雑記や名古屋叢書などを読んでいた時の累積のみではあるが、それでも、地形や地名、知識などを組み合わせて行くと大筋の考え方はでき る。
そういういわば歴史の種のようなものをこの先生が自分の頭のどこかに植え付けたような気がする。

マイミクのせばすけさんの日記を読んでふと思い出した。
実はここ数年、その先生に会いたいなぁとずーーっと考えている。
教師というのは自分のキャラとはまったく違った職業だけども、いまなら単なる歴史のファンとして酒を酌み交わせそうな気がする。

会いたいなあ、広瀬先生...

街道をゆく9 播州揖保川・室津みち

久しぶりに開いた。
夕べやたらと読みたかったが、欲に負けた。

「禅は、それが禅であるということで、すでに不純になるというきわどいものではないか」

「私はどうも美意識まで散文的で」

これほどの幅の広さが数ページで著わされている。
前者、禅に関しての精神を表現しようと縷々述べられているが、この一分で見事にまとめあげられている。
しかもちゃんとひも付きで、説明が付きながらもしつこくない。
さらに、全文的な説明がなくとも、司馬遼太郎の言いたいことはこの一行にて集約されている。
恐るべし一文。

後者。
確かに司馬遼太郎というのは、美的文章を書く人ではない。
常に見たものを感じたまま文章にする、考えたままを文章にする、という人である。
でもその中にほのかに漂う美しさがある。
ふんわりとした控えめなユーモアも心地よい。

そんなことが散文的であっても純米酒のように読者を気分よく酔わせるのだと思う。

今宵は蒸し暑いけれども、気分が良いです、先生(^_^)

ウィリアムズ・トヨタ?

今朝の中日スポーツに載っていた。
中日スポーツの柱は野球とサッカーであり、ほとんど見るべきところがない新聞ではあるが、F1に関してはYahoo!などと違うソースを持っているようで、とりあえずそこだけは目を通している。
今日のニュースは、

2008年からウィリアムズがトヨタエンジンを積む

えー!
ウィリアムズ、チャレンジャーやな!
フランクおじさん、すごいな!
クルマはドライバーやエンジンがすべてではないというおじさんの信念なのかな。
今年のトヨタの惨状を見て決断したのならば、「トヨタの底力を見たのだろう」というしかあるまい。
ミッドランドはどうなるんだろ。
3チームにエンジン供給するなんてことがあるのだろうか。
それともいっそ、コントロールエンジンにしたらどうだねw
タイヤは来年からBSだけになるんだから、エンジンもみんなトヨタ(爆)
フェラーリ・トヨタ、BMWトヨタ、ルノートヨタ
いやぁ楽しいなぁプププッ (*^m^)o==3

そんなくだらねぇジョーダンを言ってる間に、どうやらジャックが引退の瀬戸際らしい。
相方のニックよりもいい成績を残しているのにとご不満らしい。
ジャックファンとしてもやっと往年のアグレッシブなジャックの影を感じてきたというのに、とても残念なことだ。
あと一年ジャックを見たい。

ジョーダンのおっさん、もうF1には戻ってこんのかな。
個性ある人たちが去って行くのはさみしいなぁ。

関東放浪記 (30) 佐倉市街

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博物館の正面に馬出しが見える。
ここの馬出しはでかい!
長手方向で50m以上はある!
こんな巨大な馬出しがどうして必要なんだ!
幕府兵制では1万石につきおよそ200人だから、10万石の佐倉藩はせいぜい2000人の兵しか持てないはずなのに、この馬出しに全員入れてしまうではないか(苦笑)自衛隊が空母を持ちたがるのと同じ理屈かねぇ^^; そもそもこんな江戸幕府と江戸幕府の仮想敵・長州・薩摩といった経路上にない佐倉の街にこのような城郭施設は必要なかろうと存ずるが、いかがか。
城内も山を利用した複雑な縄張りがなされているようで、見る分には楽しい。あちらこちらに崖があったり、堀状の深いくぼ地があったり。想像するだけでもあきない。
城内を出たのは既に4時半過ぎ。明らかに武家屋敷は入場不可である(/□≦、)エーン!!

風も冷たくなってきたので、急いで武家屋敷へ回る。
城から武家屋敷地までの地形がこれまた興味深い。
谷あり、細い道あり、右へ左へと曲がりくねる。
「自動車通行ご遠慮ください」と書かれている細い路地も当時はきっと登城道であっただろう。
そう思えば少しは救われる^^

武家屋敷地はなんの変哲もない普通の武家屋敷地で、静かでいかにも武家屋敷らしくはあるが、残っているのはほぼ面影のみで、実質的に「保存しています」というほどの物ではないように感じてしまった。
というのも萩の武家屋敷を見てしまっているからで、規模が大きく積極的な萩の保存状態と比べるとスケール感に乏しいのであった。しかもここにある 武家屋敷はよそから移されたものなので一層その感想がつよくなってしまう。萩と比べなければ、貴重な江戸時代の武家屋敷と、その雰囲気を味わえたのにと若 干後悔する。しかしこの手の雰囲気が残されている地域というのは稀であるから、これからも維持に努めてほしいものだ。できるならばもっと手を尽くしてより 一層の江戸化を望みたい。「ここしかないよ!」っていうものが欲しいけれどね。

2006年6月 2日 (金)

いきなり夏か?!

今日の現場はビルの屋上にあるオーナー邸の屋根防水。
勾配屋根だけども下の空間が断熱効果を発揮しているのか、盛夏に比べたらまだまだの暑さなのに参った。
屋根からはかげろうがゆ〜らゆら。

トーチバーナーでアスファルト材を溶着していく。
日陰も風もなく熱の板挟み。
まだまだ暑さに慣れていないせいで、弁当もほとんど食べず、水分補給ばかり。

昨年も書いた記憶がありますが、今年も書きます。

夏死ね(;´д`)ゞ アチィー!!

<(; ^ ー^) マイッタマイッタ...

PowerBookG4 内蔵HDD

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の容量が久しぶりに50GBを越えました。
80GB搭載で、50GBーっちゅうのはこれはもう安心の範疇。
HDD由来によるシステムの不安定とは当分おさらばですなっ!

外付けHDDは容量80GB。
たまりまくっていたデジカメの画像や動画などをすべて外付けに移した結果です。
要するにそういうものばかりが、HDDを圧迫していたのか...。
お陰で買ったばかりのHDDは既に空きが31.48GB/74.55GB(^▽^;)

外付けHDDはコンパクトで邪魔にならず、大変使いよい。
しかもこのサイズ、重量なら持ち歩くこともまったく苦にならない。
ノートパソコンは今や不可欠なハードディスクかもしれません。

ジンジャエール?

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しょうがの香りがさっぱりなくなりました。
ライセンス生産はダメだという見本ですかな。
グリーンの小びんが懐かしい。

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