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2006年6月 5日 (月)

街道をゆく9 播州揖保川・室津みち

久しぶりに開いた。
夕べやたらと読みたかったが、欲に負けた。

「禅は、それが禅であるということで、すでに不純になるというきわどいものではないか」

「私はどうも美意識まで散文的で」

これほどの幅の広さが数ページで著わされている。
前者、禅に関しての精神を表現しようと縷々述べられているが、この一分で見事にまとめあげられている。
しかもちゃんとひも付きで、説明が付きながらもしつこくない。
さらに、全文的な説明がなくとも、司馬遼太郎の言いたいことはこの一行にて集約されている。
恐るべし一文。

後者。
確かに司馬遼太郎というのは、美的文章を書く人ではない。
常に見たものを感じたまま文章にする、考えたままを文章にする、という人である。
でもその中にほのかに漂う美しさがある。
ふんわりとした控えめなユーモアも心地よい。

そんなことが散文的であっても純米酒のように読者を気分よく酔わせるのだと思う。

今宵は蒸し暑いけれども、気分が良いです、先生(^_^)

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