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2006年5月14日 (日)

間に合ったのに遅れた...

司馬遼太郎は「街道をゆく」で新潟市近郊の亀田を訪ねている。(現状、大半は新潟市に編入されたようだ)
亀田というのは信濃川・阿賀野川により形作られた水郷地区であって、司馬氏は昭和50年前後に訪ねている。
さすがに江戸時代の雰囲気は失われていたようだが、大正時代の農民運動の面影はまだあったようだ。当時の人もまだまだ健在で、実際に取材されている。
「人として認めてほしい」という、まるで大正デモクラシーが地方に飛び火したような話でもあるが、実際には明治維新以来の民主化によって民度が上がってきたものかと思う。

その稿を読んで、実際に亀田が見たくなった。
イネと言うのは本来抽水植物だから、植物体の大半が水没していても生育する植物ではある。
いくら水郷地区とはいえ「肩甲骨まで使って農作業...」は言い過ぎじゃないかと。
それがため、尾張では堀田というシステムを開発している。
「水棲動物になる覚悟で」と、亀田に生きる農家を表現した司馬遼太郎。
彼が見た当時の風景を「ビジュアル街道をゆく」の中で見た。
百姓は本当に腰以下が水没している。
司馬遼太郎は確かに見た。
司馬遼太郎の視点は鋭い。
著作を読んでから、この地域が治水に悩まされていることを思い出した。明治初期の県令・前原一誠はこの地区を救うために尽力した一人である。
いまさらにして思い出すとは、相変わらず巡りが悪いな>自分

たかだか昭和50年頃の話である。
まだ前時代的な風習も、風俗も、社会形態も残っていたその時代、自分はそれらを見ずになにをしていたのだろう。
ちなみに新潟(新津)を初めて訪れたのは昭和55年らしい。
堀田にしろ、超近代に移る以前の日本をもっとよく見ておくべきだったと今になって大変後悔しています。
せっかくそういうものがみられる時代に生まれたのに。。。
口惜しいやら情けないやら。

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口惜しい大変などを治水しなかった。


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