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2006年5月27日 (土)

関東放浪記 (26) 国立であることの意義

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「どうされますか」とは歴博窓口のおねーさん。
折しも「日本の神々と祈り」という企画展が開催中で、常設展に加えて企画展を見るか?というお尋ねである。
見たい気持ちはあるが、問題は時間である。
常設を見るのに一般的にかかる時間を尋ねると、「2時間前後でしょうか」。
んんー、なら一日はかかるな(爆)
こういう場合は、貴重な物から優先していく。
常設を飛ばしてでも企画展は見ねばなるまい。
常設展示込みで830円。

大半の客は常設のみである。
しかも酒臭い客が多い。
全体のスケール感がわからないので、いつものペースで見学する。

通常の博物館とはお客の雰囲気すら違っており、まじめに見ている人が多い。
大規模な博物館では多くの場合冷やかしが大半である。
酒臭い集団だったり、声高に叫ぶ人だったりする。
そういう集団が少ないのは、佐倉市自体がそれほど著名な観光地ではないからかもしれない。 静かにぼそぼそ話す品のいい女性グループのような、最も博物館にふさわしい客でありながら最も少ないパターンのグルーブが数多くいるのも、ここの特徴かもしれない。

博物館としては、国立であることを自覚した内容である。
地方博物館は当該地域のみをその対象とするが、ここでは日本全体の時代の流れを柱として、地方の著名な例をあげている。展示方法としては、県立などとは逆かもしれない。
また、精密な集落模型が多く、ビジュアルで理解度を高めようとするのも、タイヘン良い考えだと思う。
弥生時代の集落模型もいにしえの生活ぶりを目で見ることができ有意義であるし、いわゆる博物館的な「見る側の想像力に依存する」タイプでないこと も、興味がない人の目を奪うのではないか。博物館としてはどこでもやりたいものだろうが、予算やスペースなど様々な制約がある。そういう点「国立じゃなけ ればできない」施設になっている。

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