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2006年5月23日 (火)

5/20、長野・善光寺をみる(後編)

Img_2736前の人に続いてくらやみに沈んで行く。
天守の階段の様に急な階段で、先に見える暗闇とともに期待に胸が膨らむ。
右側の壁に伝って、先の人の存在感を確認しながらゆっくりゆっくりと歩む。某野党の牛歩より遅いであろう。
歩みととともに闇が深くなる。
そのうち真の闇になる。
つまり何も見えない。
一筋の光、漏れるあかりもない、完全なる闇。
少しばかりの恐怖心も沸いてくるが、上に阿弥陀仏があると思うとなんとなく安心感すら感じるのは仏の偉大さか(不信心のくせになにいってやがるw)

「これが上とつながっている」
というようなことを先の人に聞いた。金属製のハンドルのようなものであったと思う。
むろん暗闇なので、相手の手を取って触らせてあげないと、後続の人はことごとく阿弥陀様に触れられないことになるので、自分の次の人の手を取ってそこへと誘ってあげる。
なんだか不思議な連帯感を感じるものだ。
できうることなら若いおねーちゃんならよかったなぁ(^▽^;

無事闇から脱出し、本堂をぐるりと一周し、史料館に寄って名古屋行き最終高速バスの客となる。

帰りの車窓に西条山(妻女山)が映る。
松代にも行きたくなったなぁ...

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