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2006年4月13日 (木)

関東放浪記 (7) 龍口寺大屋根

Img_9749うしろを振り返ってみよ。
下から見上げた時の数倍の迫力を巨大な屋根から感じるとることができる。
大屋根というと三十三間堂をはじめとする京奈の寺院建築を思い浮かべるが、それに匹敵する大きさ、迫力。
彼の地の寺院は不幸にして背後から見たりする機会はあまりない。
寺院建築は古いことが最大の魅力のように言われるが、建築というものの評価は本来個々の感じ方によるものなのであって、ひとりひとり違って当然で ある。しかしながら感じる力も自らが養わないと、備わっていかないというしち面倒くさい手続きを必要とする。「才能」などというが、実は回りから受けてい る様々な形の刺激を吸収した結果なのかもしれない。とはいえ、そうした「才能」がない自分には、歴史とバランス感覚のふたつが基礎である。
発達が遅い...ヽ( ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∇ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄;)ノ
さらに、その感動を伝える手段を持っていないのだ!
これが厳しい!
「大きい!」「すごい!」「かっこいい!」というありきたりで陳腐な形容詞は使いたくないくせに、他の伝達手段を持っていないのね。カメラを向け、いろいろ設定を変えて撮ってみたりしても、肝心な部分が脱落している気がする。
絵が描ける人はデフォルメできる。
とりあえず「形」だけでもここに掲げておきます。
実物は息を飲むほどの美しさと迫力である。
心あれば数秒間は呼吸を止めるだろう。

足腰の弱い人は幸いである。
足腰の強い人よりも回りがよく見えている。
キリストが言ったかどうか。
キリスト教徒ではない自分にはわからないが(爆)
にしても、寺でキリスト教徒とは、不謹慎極まりない見学者でもあるな。

五重塔にたどり着くと先客あり。
外人さんカップルと通辞らしき男性の3人組。
「こんにちは!」とふいに声をかけられて声に詰まってしまう。
山内にはさざんかの大木が何本も立っていて、「いじらないこと」の大切さを感じる。
生き物の栽培飼育の核心について、人間の力がほぼ無意味であることを感じたりもする。
ここまでサザンカを大きくするのにどれだけの時間がかかったのだろう。
逆にサザンカを植えたのは椿を忌み嫌ったからだろうか。とすれば、植えられたのは武家が台頭して久しい時期だろうか...。
そういえば鎌倉と言う地が歴史の表舞台に立つのは頼朝がやって来てからだけども、前史はあるのだろうか。
攻めるに難い、守りに易いと言われる鎌倉だけど、豊臣秀吉の小田原攻めと同じ手法を用いれば、小田原以上に落城させるのは簡単であることに、頼朝は気付かなかったのだろうか。
ずっと疑問だったんだけど、この種の疑問を著わした文章を目にしたことがない。
京と同じ地形を選んだところに、頼朝の限界があったのかもしれない。
織田信長は京を守りにくい地として、自らは決して住まなかったことにもその答は出ているように思う。

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