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2006年4月 9日 (日)

関東放浪記 (4) 江ノ島・児玉神社

海岸道路とクロスして弁天橋を渡り、江ノ島に"上陸”。
部分的に切れてはいるようだけど、これだけ人車の行き来が多いと陸続きに感じてしまう。
近辺にあった案内板によれば現在の橋は3代目だそうだ。
有料橋だったにも関わらず、台風が来るたびにながされていたと。
この日は強風が吹き荒れ、海は波立ち、波は荒れ狂う。
橋に当たった波は砕け散って、もう少しで道路上に吹き上がりそうだ....

出迎える建物はラブホテルのような、今時のお寺のような、国籍不明的な少し引きたくなる建物である。
江ノ島付近に立つマンションより多少は気が利いているかとは思うが、その底辺に流れる精神には大した違いは感じられない。目立とうという気持ちと少し気取った雰囲気ばかりで、景観になじませようと言う気持ちはみじんも感じられない。
入り江に固まっている民家群の持つ雰囲気こそが、江ノ島の伝統的景観というものではないのかと思ったりした。
日本の観光地という物は、名が上がっていくにつれて、こういう発展(退化?)を遂げることが多い。

Img_9535人の流れに乗ってゆくと、自然と中央隆起部を踏破してゆく形となる。正面の坂を見上げれば、さらに急な階段の先に竜宮城のような門が見える。江ノ島神社の入り口らしいが、登山道(?)からそれる形となるので、素通りする。
そこからを50mも行かないうちに、児玉大将の行跡を書いた神社の看板とともに鳥居が現れる。
多くの観光客のだれ一人としてそちらへ足を向けることはないのが、悲しい。
横須賀に日本海海戦で旗艦を務めた戦艦三笠が展示してある。
もともとロシアの南下政策から日本の独立を守った気概と本来の意味での愛国心の象徴として、展示したと思うのだが、戦後はダンスホールなどに改造 され、かなり荒廃した状態となっていたらしい。それを見たアメリカ軍人が「日本人の愛国心はどうなった?」というほど呆れたそうだ。戦争の否定と国を守る ことは別だということすら、アメリカの”民主主義教育”の中で失っていった日本人を、こういうところでも感じることができる。
ミサイルの1発1発を危惧しているような国民には、祖国防衛などという言葉は理解できまい。
先祖を大切にしない国民に将来はないよ。

Img_9525児玉神社は海を見下ろす山頂にある。
眼下には弁天橋が、そして対岸の湘南地区。
「いいところに祀ってもらったじゃん!」と児玉さんに話しかけてみる。
ひげ面がにっそりと頬を崩したような気がした。

Img_9518神社内には人気がない。
先ほどまでの喧噪がすぐ近くとは思えない。
風の音がごうごうと聞こえるが、回りが木で囲まれているせいか、風はここまで届かない。
ふだんは賽銭など絶対に使わないが、この時は感謝を込めて放り込んでみた。
別に神様にこびる気持ちもないので、手を合わせるだけ。
手を合わせるという行為は感謝を示すポーズだと思うからこれでいいのだ。

神社内には横須賀鎮守府による爾霊山の碑がある。
爾霊山というのは、激戦地であった203高地のことである。
世に伝わる第三軍司令官・乃木希典の漢詩がある。

Img_9517_1    
   爾霊山険なれども豈に攀(よ)ぢがたからんや
   男子功名克艱を期す
   鉄血山を覆て山形改む
   万人斉しく仰ぐ爾霊山

司馬遼太郎はこれをして「乃木は一級の詩人である」とした。
203高地を爾霊山という字をあてた乃木の気持ちを思うと涙が出そうになる。
203高地奪取を督促にいった児玉と乃木の友情を思って、横須賀鎮守府はここに彼の地の石を置いたのだろう。

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