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2006年4月30日 (日)

屋上の達人 (2) 名古屋市千種区赤坂町

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地名の由来は「赤い坂が存在したこと」で間違いないでしょう。
赤い坂というのは説明するまでもなく粘土質の赤土のことで、それがむき出しになった坂がこの地にあったということです。

由来となった赤い坂は後世、茶屋が坂と呼ばれている坂の別名でありましょう。断定はしかねますが、茶屋が坂という固有地名に対して赤坂というの は、あたり一体の坂の一般名詞と言えます。茶屋が坂という名前が付くより以前から、赤坂と呼ばれていたかもしれません。もっとも存在する千種区の千種とい う言葉自体赤い土か、陶器に適した土を産する土地を示す言葉であるとうっすら記憶しているので、千種区赤坂町というのはダブった表現と言えます。
千種のもうひとつの語源、陶器に適した土についてですが、ここから東へ少し坂を上がったあたりに揚羽町という地域があります。戦後間もなくに発掘調査が行われて、陶器を生産していたことが確認されています。となるといよいよ千種区赤坂はしつこい表現でありますな。

戦国期、どうなっていたのかは不明です。
鍋屋上野という地名から、鉄に関した産業があったのかと思われますが、あったとしてもいつの時代のことかは知れないし、推測の域を出ません。
ただし現在出来町通りと呼ばれている谷に平行して西へ進むと、下方左近の屋敷地がありました。下方城といいます。下方左近は織田信長の近臣で、威 勢があったようですが、本能寺にて信長とともに討ち死にしています。そういう土地は近いし、秀吉の朝鮮侵略の際日本に連れてこられた張振甫が住んでいたの もその近くです。
あたりにはそういった歴史があります。

Dvc00020

赤坂町交差点西北角に上野天満宮別宮があります。
この土地には浅間神社と近隣から移動してきた神社もいっしょに祀られているらしい。
Dvc00017子供の頃、「この浅間神社は小さいけれど格が高くて、ちゃんと宮司(禰宜?)が常駐してる」と教えられたものですが、実際には上野天満宮の別宮しかないのです。
浅間神社は石碑だけ。
近くに富士見台小学校(母校です)があり、「昔はここから富士山が見えた」という由緒は聞いておるので、その縁で、浅間神社かぜ鎮座していると思われるのですが、何もない(^▽^;)
移ってきた市之御前社も由緒を記した石碑しかない。
一体本体はどこにあるのだろう?
Dvc00016
そんなものを探しながら敷地内をうろついていたら、万博の記念碑を見つけました。
当時はこんなものがあることは全然知らんかったなぁ。
昭和45年頃はまだまだここも人の尊崇を受けていたのだなぁ。

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コメント

赤い記念碑など上がったあたりに
ねじぃが、揚羽町で近いし母校とか連れてこられた
茶屋が坂で小さいけれど近隣を平行したかったの♪


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