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2006年4月23日 (日)

功名が辻 (16) 長篠の悲劇

あさひの婚姻については副田甚兵衛と徳川家康しか知らんので、その存在については触れられないのだが、源助さんのあの消し方というのはどうよ。
思うに、脚本家先生は設楽ヶ原へ行ったことがないと見ゆる。矢が刺さって即死ということは、相当な至近距離から射られたと考えるしかない。時代劇 で矢を払いのけるシーンが見受けられるが、あれが現実なのである。4〜5mの至近距離から射られればよけようもなく、急所一突き→即死ということもあるだろうが、設楽ヶ 原で、戦闘を見学しようとすれば、高みに上がれば十分に見ることが出来たはずである。
しかも、この戦闘の場合、馬防柵を中心として、陣はまっぷたつ。いくら「侍でにゃあ」源助さんとて、織田と武田の区別くらい付くだろう。

江戸自体とは違って、まだ兵農分離が行われていなかった当時、百姓は農閑期であれば戦を見学していたものである。関ヶ原の合戦の一環として西軍が 大津城を攻めた時は大勢の百姓が手弁当で見にきたという記録があるほど。そういう大規模な戦闘でも戦況がわかるというのに、源助さんは一体なぜ矢が届く至 近距離まで近づいていったのか。
また、矢を射たのは武田なのか、織田なのか。
この辺りは相変わらずアバウトな表現で目を覆い隠したくなりますな。あまりに戦国時代に理解がない。
そもそも今回の武田軍。いい加減に馬が真っ先に攻めてくるという絶対にあり得ない戦法をやめてもらえないか。
武田軍はまずつぶて隊が登場し、弓隊が出てくると言う常套手段で攻めてくるものだ。「武田は信玄以来の強兵だ」と武田軍の旧態依然とした戦法をほのめかす発言がありながら、この有様はなんだろう。
武田騎馬隊といえど、実のところはそれほど騎馬の数は多くはなかったとする研究も最近にはある。
ドラマの流れとして、武田にかかわり合っている時間が割けないことは理解できるが、武田勝頼がバカの一つ覚えの様に騎馬隊を送り続けるといった表現はやめてくれ。
信玄でさえ落とすことができなかった高天神城を家康の手から奪い取ったのは武田勝頼であることを世間にちったぁ知らしめるべきではあるまいか。

気持ちいいのが菅井きんさん演ずるなか。
従来、長浜時代のおふくろ様はなんのかんのでしゃばってくる。
おんな太閤記の赤木春恵は今思うとすんげぇうざかった。
「秀吉」の市原悦子はなかなかよかったけど、クソ築阿弥を引っ張りだして台無しにしやがった。それらを見ると、菅井きんはちょいと年を食い過ぎて いることをのぞいては、「小さな存在感」が最適なバランス感の上にいる。きんさんの芝居の他にも、彼女が年老いて小さくなったということも雰囲気作りに寄 与していると思う。

一言苦言を呈しておく。
だれあろう、津川雅彦、その人だ。
死ぬ間際の芝居はなんだ、ありゃ。
頭のてっぺんから抜ける様な「ひゃー」という声、あれは一体なんだ?あの声で何が表現したいんだ?視聴者やテレビドラマをバカにしてないか?
津川雅彦は少なくとも自分の中で3本の指に入れていいほど好きな役者なのだが、少し浮き気味のドラマで津川のような立派な役者が死に際でそういう おちゃらけをやってはいかんと思うのだ。むろんその演技には演出家や本人の意向もあってのことだというのはわかるが、あの「ひゃー」はいただけない。まし てやそのあとに、とても危篤状態とは思えない元気一杯のしゃべりを展開するのである。
ひょっとしたら、こういう軽い作りの大河を批判しているのではないか、と疑いたくもなるものだ。最後の言葉のあとに、一豊をにらみつけるその目 こそが、津川雅彦なのだ。あの目とおちゃらけを足し引きして大河のバランス感覚に合わせたというような話は聞きたくない。どうか、まじめに演じてくださ れ。

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