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2006年1月29日 (日)

普遍〜以下、無用なことながら

人間の想像力が無限なように、無限に広がっている。
まだまだとても氏に追いつかない自分は、氏の指が指し示す方向を見てふむふむそういうこともあるか、とうなづくだけ。
指し示された物体は意志を持つかの様に人為的に、無知な自分を引きずり込もうとする。
まるでブラックホールのよう。
氏を信ずるが故指先を見ているのに、「こいつ、おれをたばかってないか?」と疑いの目を持って物体を見る。

司馬氏は「自分のことばで」読者に話しかけている、つまりそれは司馬遼太郎にとってひとつの結論であると。読者としてはそれを素直に受け入れればいいのだ。教科書を読んでいるわけではないのだからね。
なのに司馬遼太郎の文章は魅惑的すぎる。
ひとつの著作の中には苦い水もあるし、甘い水もある。
自分たちは蛍となってその中を楽しく彷徨うのだ。

またまた甘い水を見つけてしまいました。
親鸞だって。
詳しいことはわからないから、これから司馬氏の言葉を理解すべく、いろいろと関連した文章を読んでみたいと思っています。いや、司馬氏を理解するのではなくて、親鸞、ひいては氏が「日本で数少ない天才哲学者」と呼ぶ法然を知りたい。

こうした知識欲はきっとだれしも持っているんだと思います。
司馬遼太郎はそれを掘り起こして火をつける天才でもありました。

親鸞
しんらん
シンラン
Shinran。

その次には蓮如さんも待っている。
仏教と哲学は基本的に同じ物。
自分が歴史を通じて求めている「普遍的な物」は仏教世界にこそあるのかもしれない。
それを思うと血が沸き、胸躍ります。

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